そして、そんなカレンダー談義に花が咲いた日から数日後のこと、幸村達は再びあのカレンダー売り場に放課後、足を運んでいた。
 今日は残念ながら桜乃は不在だが、彼女は元々何も買う予定がないと言っていたので支障はないだろう。
「…あ、新しいの入ってる」
「あれからまた種類が増えているな…しかしいい加減そろそろ決めないとキリがない」
 幸村と柳が最初に来た時にチェックしていた一コーナーでそんな会話をしていた時だった。
「…ん?」
 店に面している通路の方から、誰かの訝しげな声が聞こえてきた。
 確証はなかったものの、何となくその声の向かう先が自分達だった様な気がして、二人は何気なくカレンダー達から視線を外してそちらへと向けた。
「!」
「あ…」
 そこにいたのは、見覚えのある顔の人物だった。
 自分達と縁有る人…と言ってもいいだろう、但し、直接的な関係という程でもないが。
「これは珍しい所で会ったねぇ、立海の」
「竜崎先生じゃありませんか」
 間違いなくその老齢の女性は、自分達立海のライバル校でもある青学のテニス部顧問、竜崎スミレだった。
 因みに、自分達が可愛がっている竜崎桜乃の祖母でもある。
 流石にこういう大型店の中では彼女もいつものジャージ姿ではなく、年齢相応のシックな洋服に身を包んでいた。
 見たところ向こうに連れはおらず、一人だけでの散策の様だ。
 予想外の出会いに気付いた他の立海メンバー達も、一時カレンダーの選別を中断しこちらへと寄ってくる…と言っても、大体もう全員目当ては決まっていたのか、彼らの手にはそれと思われるカレンダーの筒が一本ずつ握られていた。
「あ、竜崎先生だ」
「おや切原…と思ったら何だい、全員揃ってるのかい」
「ええ…ちょっと息抜きに」
 柳生がそつのない答えを返していると、真田がスミレの方へ身体を向けつつ質問した。
「竜崎先生は、こちらには買い物に?」
「ああ、そろそろ次の手帳を欲しいと思ってねぇ。まぁ色々と貰うものもあるんだが、自分の使い心地が良くないと、やっぱりね」
「それは確かに…勝手が良くないと、効率にも少なくない影響が予想されます」
 成る程と頷いた柳に、向こうはそうだろう?と返しながら、若者達の興味の対象に目を遣った。
「お前さん達は、目当てはカレンダーかい?」
「ええ…もう大体皆、目星はつけているみたいですけどね」
「そうかい」
 そういう会話を交わしていたところで、ふと幸村は数日前の相手の孫の様子について思い出していた。
 そうだ、もしかしたら、彼女はあの娘が言っていた、竜崎家のカレンダー事情についても知っているかもしれない…いや、一つ屋根の下に住んでいるのだから知っている筈だ。
 丁度いい、今ならそれについて訊くのも不自然じゃないし、気になっていたといえばそうだったし…訊いてみようか
「そう言えば…竜崎先生?」
「ん? 何だい?」
「先日、桜乃さんにお会いしましたが、彼女は来年のカレンダーはもう決められたものがあるから買わないと言っていましたけど…そんなに大量にあるんですか?」
 その質問を幸村が相手に投げかけると同時に、他メンバーが二人に注目する。
 彼らの目には例外なく、好奇心の宿った光。
 誰もがあの日から同じ疑問を抱いていたのは明らかだった…だから、誰もその質問に茶々を入れる様な行為はせず、祖母の返答を静かに待つ。
「カレンダー?」
「はい…どんな物かと訊いてみても、教えてもらえなくて」
「……」
「……」
 傍で仁王が沈黙を守っており、隣では腕組みをした柳生が同じく無言で控えている。
 もしここで詐欺師が「男のハダカのカレンダーでは?」などと言おうものなら、即座に相棒から紳士の鉄拳が飛んでいたことだろうが、流石の仁王もそこまで命知らずでも空気詠み人知らずでもなかった様で、大人しく沈黙を守っていた。
 そんな事をやっている内に、最初は怪訝そうな顔をしていた女傑も、部長の補足にああ、と思い出した様に頷いた。
「ああ、成る程、あの事かい」
「!」
 やはり、彼女は何かを知っている様だ。
「やはり、その…彼女にそういうノルマらしきものが?」
 カレンダーを飾るのにノルマという言葉もおかしなものだが…と思ったものの、真田もそういう言葉を使わざるをえなかった。
 そしてある意味場違いとも言えるその単語に、相手の女性は意外にも首を縦に振ったのだ。
「まぁそんなものだねぇ…同じ物を十本も送られてしまって。とは言っても全部の部屋にそれらを貼るのは流石にね…仕方ないから居間と桜乃の部屋に貼る事は了承させたが、それでも八本残っているんだよ。使わないからと言っても処分するにはちょっとねぇ」

「…………?」

 向こうは徐々に具体的な答えを出してきているのだろうが、こちらにとっては相変わらずさっぱりの内容だ。
「そんなに苦痛なら、捨てないまでもしまっておけば良いんじゃ…いつか使い道が見つかるかもしれないし」
 日常でも節約生活が板についているジャッカルが思いついたアイデアを言ったが、それには切原が異議を唱えた。
「そーやって取ってても、結局今度は家が狭くなってくるんスよ」
「うるさいな」
 反論はしたものの、思い当たる節があるらしく、ジャッカルの視線は切原のそれとは交わらない。
 そんな二人の脇では、遂に痺れを切らした形で、真田がスミレに直接的な問いを投げかけていた。
「…結局のところ、どんなカレンダーなんです?」
「ん、ああ、桜乃のカレンダーだよ」
「いえ、それは分かっていますから、どんな内容のカレンダーかと…」
「じゃから言っとるじゃろ、『桜乃の』カレンダーじゃ」

『……………』

 その情報が音として全員の耳に入り、神経を介して脳に伝えられた後でも、内容を理解するのには五秒程を要した。
 桜乃のカレンダー…って…まさか…
「……はい?」
 予想はしたもののやはりすぐには信じることも難しく、間抜けな聞き返しをしてしまった幸村の前で、スミレは彼らの混乱などそっちのけで話し出した。
「いやね、親戚でお子さんのいない夫婦がいるんだが、旦那が趣味でアマチュアのカメラマンをやっててねぇ。子供がいない分、桜乃の事を可愛がってて、親戚が集まる行事の折にはよく彼女を撮ってくれてるんだよ。で、今年は桜乃も中学に入学した年だし、遅くなってしまったけどってこれまでとってあった彼女の写真の中から良いものを選んで、カレンダーを作ってくれたんだ」

『…………』

 それを聞いていたメンバーが、さりげなく自分達の持っていた、本来買う予定だったカレンダー達を一斉に棚に戻してゆく…が、相変わらず彼らの興味は向こうの顧問の言葉のみに向けられたまま。
 目には見えないもののその集中力は凄まじいものだったのだが、スミレはそれに気付く事無く呑気に続ける。
「そりゃあ自分の写真が写っているカレンダーだから桜乃にとっては恥ずかしいモノこの上ないだろうけど…人が作ってくれた成長の記録だし、飾るのも一つの礼儀だろう。アタシは意外と気に入っているんだけどねぇ、あのカレンダーは」
「ええと、つまり…」
 ほぼ間違いないだろうが、念には念を入れて幸村が相手に最後の確認を取る。
「…そのカレンダーには桜乃さんの写真が写っている訳ですね?」
「そうだよ、毎月分と表紙に全部で十三枚分。流石に、アマチュアでもカメラが趣味の人が選んだだけあってなかなか写りは良くてねぇ、見合い写真も彼に頼もうかと思っているぐらいさ…と、こういう事を言うと流石に身内の贔屓かね…けど、数も過ぎると困ったものさ、かと言って自分からあげるのも過ぎた孫自慢になるし、わざわざ貰うような物好きも…」

『貰います』

「…ん?」
 メンバー全員揃っての一言に、スミレが何事かとそちらを見ると、鬼気迫った若者達が最早周囲のカレンダーの山など目にも入っていない様子でこちらににじっと迫っていた。
「桜乃さんを…! あ、いえ、その桜乃さんのカレンダー、余らせるぐらいなら是非俺達に下さい! 買い取っても構いませんから」
 部長が代表しての交渉に入った背後では、切原と丸井がこそこそと小声で話し込んでいる。
『今、間違いなく本音の一言が…』
『やっぱお前もそう思った?』
 そんな二人の言葉は無論、スミレの耳には入らず…彼女は単純に彼らが困っている自分に気を遣ってくれているのだと思った。
「そりゃあ、貰ってくれるのは有り難いが…わざわざ気を遣ってくれなくてもいいんだよ。困っていると言ってもそこまで深刻でも…」
「いえ、是非!」
 スミレは間違いなく好意でこちらの希望を退けようとしてくれているのだろうが、今回ばかりは後に退けない。
「そちらで余っているというカレンダーが八本…俺達がレギュラー全員で八人。一人一本計算だと、簡単且つ明瞭にこの問題は解決します。俺達の中で、拒否する人間はいないでしょう」
 柳も当然この時は幸村に助太刀。
「その…学校は違いますが、竜崎とは俺達も知己の仲、言わば仲間です。その仲間の成長が記されているというのであれば、是非譲り受けたい」
 仏頂面がいつものことである副部長が、今は何となくどういう顔をしていいのか分からず微妙な表情を浮かべていたが、少なくとも嫌悪感は見られない。
 そんな三強の男達の訴えに、向こうの監督もそうかい?と譲渡に前向きな態度を見せる。
 どの道捨てられないものだし、かと言って配る当てもない。
 欲しいと言っている人間がいるのなら、あげた方が有効利用にもなるだろう。
 確かにこの男達は桜乃をこれまでも可愛がってくれているようだし、その話は本人からもよく聞いている。
「そうかい? それじゃあ…あげるのは構わないけど」

(よし!!)

 全員が、心の中で揃って親指を立てる。
 まるで、超限定生産モノの仮予約が済んだかの様に男達は一気にテンションが上がり、その前で祖母は自分の腕時計を見た。
「桜乃は、今日は小坂田の所に寄ると言ってたから、ちょっと帰りは遅くなるかもしれないけど…カレンダーは今日取りに来るかい? それとも明日以降に…」
「あ、今日がいいッス! 早く見たいし」
「そう、だな…別にこれからの時間は空いてるし」
 切原の挙手をしながらの希望に、ジャッカルもそのまま乗っかる形で同意。
 そしてそれは全員同意見で、皆がそのまま竜崎の家に向かう事になった。
「…下手にあの子に知られたら、間違いなく妨害が来るからのう」
「そうですね、ここは先手必勝で」
「おやおや、紳士は、今回はレディーの希望は無視か?」
「勝負は非情なものなのですよ仁王君」
 何が勝負じゃ…と思いはしたものの、言いたい事は何となく分かる、と詐欺師も軽く笑ってそれ以上の突っ込みは行わなかった。
 そして男達は、不運にもあの孫が留守の間に竜崎家を訪れ、一人一本ずつ目当てのカレンダーを貰うと、全員ほくほく顔で神奈川へと戻って行ったのである。
 その様は、まるで天竺への長い旅路を追え、経典を手に入れた修行僧さながらのものだった……


 そしてその日の夜…
「…あれ?」
 家に戻り、入浴を終えた桜乃が廊下を歩いていた時に、ふとある事に気付いた。
 廊下の奥、来訪者の目に隠れた所に置かれていた、あの例のカレンダーがそれを入れていたダンボール箱と一緒に消えている。
 もしかして、邪魔だったから他の場所に移したのかな…と呑気に考えつつ、彼女は居間へと移動してそこにいた祖母に声をかけた。
「お祖母ちゃん、あそこにあったカレンダー、何処かに移したの?」
「ん? ああ、あれならもう片付いたよ」
「…片付いた?」
「ああ、ウチに余ってるって話したら是非欲しいって言われてね。八本全部、持って行ってもらった」
「ええっ!? だ、誰に!?」
 片付いたと言われたから、てっきり処分したのかと思った桜乃は、アレが誰かの手に渡った事実を聞いて大いに慌てた。
 もしかして、訪ねて来た何処かの親戚の人かしら…おじさんとかおばさんなら、別にいいけど…
 そんな甘い桜乃の予想を、スミレはあっさりと簡単な返事で打ち砕いた。
「立海の元レギュラー達が持って行ったよ」
「……え?」
 今…何て…?
「話を聞いた幸村達が、そのままウチに来てね。丁度カレンダー売り場にいたから、新しいのを探していたんだろうが…アタシの話を聞いたら『是非協力したい』って…」
 信じたくない驚愕の事実を次々に聞かされ、直後、桜乃は大きな悲鳴を上げていた…


 それから…
「お願いですから返して下さいよう〜〜…」
「そればっかりは聞けないなぁ」
 相変わらず、レギュラーの座は退いても真面目に部活に顔を出している幸村達に、桜乃がめそめそと訴えていた。
 普段なら、困っている少女の為ならすぐにでも動いてくれる筈のお兄ちゃん達が、今回に限っては彼女の頼みに耳を貸す様子はない。
「俺は四月のヤツがお気に入りッスね」
「そうか? 八月の水着姿もなかなか捨て難いものがあるぜよ」
 切原と仁王に至っては、どの月のショットが良かったのか談義まで始める始末…つまり、その月にどんな写真が掲載されていたのかを覚えてしまう程に、あのカレンダーを見ているという事だ。
「んも〜、どうして私のいない間に持っていっちゃうんですかぁ〜〜! ずるいずるい!」
「だぁっておさげちゃんに知られたら絶対に拒否られるもんよ」
 あっけらかんとして答える丸井も、全く悪びれる様子はない。
「当たり前じゃないですか! 人に自分の写真載せたカレンダー見られるなんて、普通恥ずかしいですよ!!」
「よ、よく撮れていたと思うが…」
 真田がやや及び腰で言ったものの、無論、恥じらいのある乙女に通じる筈もなく。
「そーゆー意味じゃないんです! ん、もう…本人の私がイヤだって言ってるんですから、返してくれてもいいじゃないですかぁ」
 何とか例のアイテムを奪還しようとした桜乃だったが、あっさりと、騒ぎを聞いていた柳生に断られてしまう。
「そういう訳にはいかないでしょう。孫の成長を喜ぶ御祖母様から直々に賜ったものですからね、それを返すなど、逆に失礼に当たってしまうじゃありませんか」
「う〜〜」
「うわー、紳士面して超暴論」
「何か文句でも?」
 後ろで評した切原がちくちくと柳生に口撃されている間に、柳がぼそっと答えた。
「…お前がどうしてもと言うのなら、返却する事はやぶさかではないが…」
「えっ!?」
 良かった!…と安堵したのも束の間、
「但し、既にスキャン作業は終了しているから、デジタルデータとしては俺の手許に一生残る形になるがな」
「うわーんっ! 逆に悪化してるぅ〜〜〜〜〜っ!!」
「まぁまぁ」
 嘆く桜乃にくすくすと笑いながら幸村が抱きつき、なでなでと頭を撫でて相手をあやす。
「いいじゃない、凄く可愛い写真ばかりだったし…俺達、凄く嬉しかったんだよ? まるで君が家にいてくれてるみたいでさ…下らない自己満足って笑われるかもしれないけど、アイドルのカレンダー買う人の気持ちが少しだけ分かったな」
「ア、ア、アイドルって…そういう人達と比べないで下さい…!」
「何で? 君は間違いなく俺達にとってのアイドルなのに。いや、アイドルよりもっと大事な存在だよ」
「えええ!?!?」
 最早、カレンダー奪還どころの話ではなくなり、桜乃があわわわ!と照れまくっている向こうでは、仁王が自分の携帯を弄りながら、何やら画策している様子。
「…何やってんだ、仁王」
「んー…あの子のカレンダー作った親戚なぁ」
 ジャッカルの不安を帯びた質問に、仁王は携帯から目を離さないまま答えた。
「アマチュアでも写真好きなら、持っちょる竜崎の写真、あれだけじゃない筈じゃろ? 実際、今回のも選んだっていうことじゃし」
「そりゃまぁ…なぁ」
「…その人にアプローチしてのう…」
「……」
「……」
「……」
「ま、そういうワケじゃ」
「えっ!? えっ!? ナニそれ、どういうワケッ!!??」
 肝心のところが完全に抜け落ちているんですけど!!とジャッカルが慌てて声をかけたが、向こうはふふーんと鼻歌交じりでスタスタと歩いて行ってしまった。

 そして次の年の年末には、こっそりと立海メンバーのみに桜乃の日めくりカレンダーが出回ったとかそうでないとか……





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