メガネな男達?
或る日の立海…
立海男子テニス部の副部長である真田弦一郎は、休み時間の教室で、いつにも増して眉間の皺を増やし、いかめしい顔つきでノートに目を通していた。
ぐい…
「む?」
不意にそんな彼の眉間に誰かの親指が押し付けられ、額に向けてぐっと持ち上げられた。
は、と視界をノートから外して上へと向けると、優しい笑みを浮かべている親友が傍に立っていた。
武道をたしなむ彼の意識を掻い潜り、気付かれもせずに傍に立つという事は並みの人間では難しい。
果たしてその正体は…
「精市…」
真田と同じく立海テニス部に属している男…部長の幸村だ。
「どうしたの? 弦一郎…そんなに気難しい顔をして、何か難題が?」
「いや…そういう事は無いが…」
眉間の皺の存在を教えてくれた相手に、真田はノートを伏せながら椅子ごと身体を向けた。
「そんなに俺は…その、しかめっ面だったか?」
「かなりね」
やっぱり自覚してなかったんだ、と笑い、幸村は再度相手の顔色の具合を確認する。
「何だか疲れてるみたいだ、弦一郎」
「部員達のスケジュールの確認に加えて、ここ最近は委員会の方も色々と立て込んでいてな…むぅ」
小さい声で唸った真田が自分の手を眉間へ伸ばし、そこを軽く揉む仕草に、親友は彼の気難しい表情の理由に気付いた。
「…もしかして、目、見えにくいの?」
「…ああ、最近は特にな…霞むというか…なに、少し疲れが出ているだけだ」
大丈夫だろうと言う相手に、しかし幸村は親友として、そしてテニス部部長として発言する。
「一度、視力をちゃんと測ってもらった方がいいね。今日にでも部活の帰りに一緒に行こう」
「い、いやしかし…そこまでは…」
「もし視力が本当に落ちているとするなら、早めに対処する方がいいに決まっている。後手後手に回れば、それだけ君にもテニス部にも不利になるだろうし…弦一郎、ここは俺の頼みを聞いてくれないか?」
「む…」
部長としても、親友としても、とても重く有り難い言葉である。
そんな相手の心遣いに、真田という男が答えない訳がなかった。
「…そうだな、確かにお前の言う通りだ。下手な意地を張っていても仕方ない、今日の放課後にでも検査を受けよう」
厳格な性格だが、己の非はすぐに受け入れ改める事が出来る…そういう人として非常に好ましいものを持っている親友を誇りに思いながら、幸村はにっこりと笑った。
「良かった…丁度、柳生もメガネを作り変えたいと言っていたから、行きつけの店を教えてもらおう。もしかしたら、一緒に用事も済むかもしれないしね」
「そういう訳で、案内を頼めないかな」
「ええ、お安い御用ですよ。では放課後に一緒に店に向かいましょう、腕の良さは保証します」
「有難う」
真田と会った次の休みの時には、幸村は早速、レギュラーで唯一の眼鏡の使用者である柳生とコンタクトを取り、放課後の約束を取り付けていた。
柳生の教室前の廊下でそんな短い会話を交わした後、幸村はちらっと相手を見遣って、こそこそと囁いた。
「授業がある時間帯は、基本的に入れ替わらないんじゃなかったのかい? 仁王…」
「……」
数秒の沈黙の後、柳生…の姿をした仁王は、微かに口元に笑みを浮かべて同じく小声で答えた。
「朝に切原がヤツにぶつかって、その拍子にメガネがパリーン…とな。スペアが丁度手元にないって事で、急遽、コンタクトに変更。で、こうなった」
「災難だったね」
「いや、アイツが眼鏡を作り変えようと言っとったのは事実じゃからな。丁度いい切っ掛けになったと言うとったよ…今日行く理由も出来たなら、ヤツも断らん」
「成る程」
取り敢えず、聞くべきところを聞いた部長は、再び元の声量へと戻る。
「じゃあ、放課後は宜しく、柳生」
「ええ、幸村部長」
短い休憩時間、廊下で会話を交わす二人に疑惑の目を向ける者はおらず、柳生と思われている人物の正体を見抜いた者もいなかった…
そして放課後…
「メーガネ、メガネっと! たーのしみだなー」
部活動終了後、幸村達レギュラーの一部のみが店に行く予定だった筈が、蓋を開けてみると、レギュラー全員が揃ってしまっていた。
「…当然の様にお前達も来るのだな」
まるで見世物になっている様だと、真田がぶすっと面白くない顔をしている向こうでは、先頭に立った丸井が正に見世物を見に行く感覚で飛び跳ねていた。
そんな相棒を後ろから続くジャッカルがしっかりとたしなめる。
「おい、あんまりはしゃぐなよ、遊びに行くワケじゃないんだぞ?」
「だって面白そうじゃんか」
面白がられている当人の副部長は、全く…と渋い顔で瞼を伏せる。
「部長の幸村や参謀の柳はともかくとしても、後は俺と柳生だけで事は足りた筈だが…」
副部長の台詞に、銀髪の詐欺師がくるっと顔を向けた。
彼と柳生は放課後になって、ようやく互いの元の姿に戻っていた。
「不満なら姿を消そうかの? 真田副部長…その代わり、店の何処かに何かを仕掛けさせてもらうけどな」
「何処に何を!?」
物騒な言葉に構えた真田の前に立って、店への案内をしていた柳生が振り返る。
かけている眼鏡は仁王が持っていた物を借りたものであった。
相手の視力に合わせた物である以上、あまりその効果は期待できない筈だが、それでもかけるところが彼のポリシーなのだ。
「仁王君、やめて下さい。くれぐれも変な行動は起こさない様にお願いしますよ」
「じゃあ、行くしかないのう」
軽く笑いながら同行を宣言する仁王の少し後ろにいた切原は、何となくいつもより元気が無い。
「どうしたの、切原」
「いや…柳生先輩の眼鏡の件は俺の責任ッスから」
正直、弁償を覚悟していたが、柳生がそれを免除してくれたのだという。
しかしやはり気になるもので、そういう経過があっての同行になったのだった。
一度怒れば、ラフプレイどころの騒ぎではない問題を起こすこともある若者だが、普通に生活している分には最低限の責任を自覚してはいるらしい。
あの厳しい真田が、途中で諦めることなく何度も何度も繰り返し彼に厳しい指導を行っているのも、相手のそういう面を理解してもいるからだ。
能力があっても他人に悪戯に危害を与え、己の責任すら果たさない人物であったら、幸村が動く前に真田がどんな手を使ってでもテニス部から放逐していただろう。
「しかし、弦一郎…お前の視力の低下は確かに気になるところだ…もし確定事項であれば、実生活においてもテニスにおいても少なくない影響を及ぼすことは確実だな…最悪の場合は矯正を必要とする可能性もある」
あくまでも最悪の場合であって、そうならない事を願っているが…という柳の言葉に、やはり気になるのか、真田は矯正方法の選択肢について考えた。
「むぅ…眼鏡であれコンタクトであれ、どうにも気が進まんな」
「いよいよ老眼ッスか」
がすっ!!
「ってええぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!!」
痛恨の一撃。
「己の行動に対する責任を感じることが出来ながら、何故それを以降の行動に活かせんのか…貴様こそ脳が老化しているのではないか!?」
拳をまだ握りながら一喝する真田の横で、殴られた頭を押さえる切原に幸村が苦笑する。
「今のは切原が悪いよ…あ、あそこみたいだね」
「そうです……あまりみっともない行動はしないで下さいね、知らない人の振りをしますよ」
彼らの様子を見て眉をひそめていた柳生はそう念を押すと、自分の行きつけの眼鏡店へと入り、他の者もそれに続いた。
「先ずは、私から検査を受けましょう。真田副部長は初診ですから、その間に手続きを行っていたら如何でしょうか」
「そうだな…受付は一緒の場所か?」
「ええ、そうですよ」
「じゃあ弦一郎、柳生と一緒に行っておいでよ。俺達はここで時間を潰しておくから」
「分かった…」
幸村に答えた真田だったが、何か非常に不安そうに彼の周りの部員達を一瞥し…
「…本当に頼んだぞ」
と相手に念を押した。
「はいはい」
分かったよ、と部長は心配性の副部長に答えると、皆を連れて眼鏡などがディスプレイされているコーナーへと連れていった。
「へ〜〜〜、度が入ってないのも結構カッコイイのあるんじゃん」
「最近は、眼鏡もおしゃれアイテムの一つだから、昔みたいな実用物だけに限らないんだそうだよ」
「ふーん…俺はうざったいからパスだな…鼻の上に物が乗ってるって気になる」
「コンタクトは?」
「目玉の上にモノが乗ってると思うと、ちょっと…」
「まぁ…その通りなんだが、何か生々しいな…」
引いているジャッカルの脇で、丸井はうざったいと言いながらも、一つの見本を取って掛けてみる。
フレームは四隅が丸い形のウェリントンでシルバーのメタルフレーム。
オーソドックスな形で、丸井の顔の大きさに丁度良く、見た目も上手くフィットしている。
「へえ…なかなか良い感じだよ、ブン太」
幸村の褒め言葉に気を良くしたのか、丸井はしきりにフレームに手をやり、傍に置かれていた確認用の鏡を覗き込んだ。
「そ、そっか?」
そんなごきげん状態の彼の傍を、他の客である女子大生の二人組みが通り過ぎる。
「きゃ、可愛い〜」
「ちょっと、可愛いだなんて、あんなに背が高いのに」
「えーでも、顔は童顔だし、ガリ勉タイプの小学生っぽいじゃない」
「………・・」
明らかに丸井に向けられた言葉だろうというのは明らかであり、本人は、無言のままにカタンと眼鏡を外し、肩を落としてそれを元の場所へと戻した。
「いや、まぁ、丸井! そんなに気落ちしなくてもさ!!」
慌ててフォローするジャッカルにも、まだショックから抜け出せない丸井は背を向けたままだ。
「…小学生って…」
「顔が若々しいんだと思いなよ、得じゃないか」
やれやれ…とフォローを加えながら、今度は幸村が薄い黒の縁取りがある伊達眼鏡を取って自らに掛けてみた。
「軽い、けど…顔の異物感は否めないな。試合の時にやったら集中力が削がれるかもしれない…やるならコンタクトか。どの道、今の俺には必要ないけど」
「おっ、けどなかなかイイ感じッスよ? 部長のファンは喜ぶかもしれないっすね」
「そういう喜ばせ方って好きじゃないけどね」
全くその気がないらしい、或る意味予想し易い部長の台詞に苦笑して、ふと切原が横を見ると、ジャッカルが熱心に試供用の鏡に見入っている。
彼もどうやら何かの眼鏡を試しているらしい。
「ジャッカル先輩、どんなの掛けてンスか?」
「ん?」
ぐるっと声に反応して彼が切原に振り返った途端、
「をわあああっ!!」
と、珍しく後輩が大きく後ろにのけぞりつつ声を上げた。
眼鏡は眼鏡だったが、予想外の一品。
ジャッカルが掛けていたのはサングラスの方だった。
しかもあの色黒、スキンヘッドという出で立ちで掛けていたものだから、殆ど洋画に出てくる悪役そのもの…初見の切原も思わずビビる胡散臭さ。
「び、び、び、びっくりしたあぁぁぁ〜〜〜!!」
「人の印象って、本当に些細な物で変わるものだね…」
「?」
一方のジャッカル本人は、結構イケていると思っていたのか、二人の台詞にも首を傾げているばかり。
そんな彼の今のささやかな幸せを壊すまいと思ったのか、幸村が今度は切原に話を向けた。
「君はどうなんだい切原。折角だから試してみたら?」
「んー、俺っすか…どれどれ」
指名された後輩は、どうしようかと思いつつ、先程まで幸村が掛けていた眼鏡に手を伸ばし、同じく掛けてみた。
「どおっスか?」
「普通だね」
「うん、フツーだな」
即答で答えた二人に、後輩が微妙な表情を浮かべつつ食い下がる。
「…もうちょっとナニかそれなりのリアクションってヤツを…」
「え? さっきのジャッカルみたいな感じで?」
「何となくバカにされてる気がするのは俺の気のせいか、幸村」
「うん、気のせいだよジャッカル」
幸村とジャッカルが軽い言葉の応酬を交わしながらも、やはりそこに切原の格好について言及する単語は殆ど入っておらず…
「うーむ、結構素材はいいと思うんスけどね〜〜」
「お前サラッとそういうコトを…」
自惚れるな…と呆れるジャッカルに幸村が苦笑し、鏡の中を覗き込んでいる切原に声を掛けた。
「まぁ、眼鏡が似合い過ぎて感想が浮かばない人もいるし…」
「ああ……よくある委員長キャラってやつもそうですよね。眼鏡掛けて三つ編みしてセーラー服着てたらもうカンペキ…」
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