ふんふん、と頷きながらそんな事を言っていた切原の横から、グループではない一人の女子がこそっと遠慮がちに鏡を覗き込もうとした。
どうやら、この店に来ていた別の客人らしい。
試供用の鏡は共用なので、最寄の人間がそこに来るのは当然の話。
「ちょっとすみません…見せてもらっても?」
「あ、はいはい」
横に退いたついでにちらっと切原がその少女を見ると、つい今しがた自分が想像していた『委員長』そのものがそこに立っていた。
(おお! おさげにセーラー服に眼鏡! そうそう、委員長ってこんな感じだよなー…って、あれ?)
思っていたところでふとした疑問。
(なんか、どっかで見た様な気が…)
そしてそれは向こうも同じ事を思ったらしく、鏡の前で、互いが互いの顔を見合わせた。
「んん?」
「え?」
二人がそんな声を出して見詰めあい…その正体に気付いたのもほぼ同時だった。
「げっ! 竜崎じゃんかっ!!」
「切原さん!?」
「え…!」
彼らの声に驚いた幸村達も改めて少女を正面から確認し…うんと頷く。
「本当だ、竜崎さんじゃないか」
「ありゃ、意外なところで会ったなぁ」
「おさげちゃん!?」
仲間達の声に反応して、他のフロアーを見ていた丸井も飛んで来た。
続いて彼だけではなく、傍にいた仁王も面白そうだという笑みを浮かべて向かって来る。
彼らが竜崎と呼ぶのは、他校である青学の一年生、竜崎桜乃のことだ。
青学ではあまり目立たない存在の地味な少女だが、立海の男子テニス部の中では何気に人気者な、不思議な存在感を持つ娘でもある。
「まぁ…皆さん、お揃いなんですね…あら?」
言いかけたところで、桜乃が眼鏡を掛けたままきょろっと辺りを見回す。
「…? 真田さんと柳生さんは?」
「ああ、あいつらなら今は視力測定中じゃ。真田のヤツはちょっと最近視力が落ちとるようでのう」
「え!? じゃ、じゃあもしかして眼鏡とか作ることに!?」
「まだ確定じゃないけどね……どうしたの?」
固まってしまった少女に幸村が声を掛け、相手がぼそっと小さい声で答えた。
「…真田さんに眼鏡って、ちょっとそのう……想像出来なくて」
その遠慮がちな口調の向こうに、微かに漂う心遣いを感じ取った切原がけろっと言った。
「ああ、アレで眼鏡掛けて新聞持ったらもうカンペキにオヤジキャラだよな。想像出来ないって言うか本当はしたくないんじゃ…」
がんっ!!
「あだっ!!」
全てを言い切る前に、やんちゃな二年生男子の頭部に黄色い弾丸…もといテニスボールが直撃した。
投げた相手はと言うと…
「本人がいないと思って好き勝手言ってくれている様だな赤也…」
話のネタになっていた真田本人が、すぐ後ろの通路を歩いて来ていた。
特に眼鏡などを使用している様子のない相手に、桜乃が首を傾げて微笑んだ。
「今晩は、真田さん。視力、如何でした?」
「?」
問われた真田が、不思議そうな顔をして桜乃を見下ろす。
「…」
その奇妙な反応に、何かに気付いた桜乃が眼鏡を外すと…
「…ああ、竜崎だったか」
あっさりと身元確認。
「面白みのない顔でスミマセン…」
「弦一郎…」
おそらく落ち込んでしまった少女と、少し咎めるような口調の親友に、真田が少なからずうろたえた。
「す、すまん…」
「まぁ…それよりもお前の視力はどうだった? 弦一郎」
上手く話を逸らしてくれた参謀に感謝しつつ、真田はほっと一安心したような表情を浮かべた。
「ああ、調べてもらった限りでは特に目に問題はないようだ、只の眼精疲労らしい…」
「そうか、良かった」
そうしているところに、続いて検査が終わったらしい柳生が歩いてきて桜乃に気付き声を掛けてきた。
「おや竜崎さん、今晩は…貴女も眼鏡を?」
彼はもう新しい眼鏡を新調出来たのか、既に顔にはスペアではないそれが掛けられているらしく普段と何ら変わりない姿だった。
「あ、柳生さん」
紳士の言葉に、はっと思い出した様に丸井が少女に取り縋る。
「そうだったい! 眼鏡掛けてるなんておさげちゃんもしかして目ぇ悪くなっちゃったの!? 俺、すげぇ心配〜〜!」
「俺には一切そういう気遣いはなかったな丸井…」
ごごご…と嫌な効果音がつきそうな真田を背後にしても、相手は構わず桜乃にべったりと張り付いて離れそうになく、張り付かれた桜乃が苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「大丈夫ですよ、ちょっと眼鏡を試したかっただけなんです、度は入ってません。今日はお祖母ちゃんの頼んでいた眼鏡を代理で受け取りに来ました」
「なんだ、安心した」
「だったら早く離れんしゃい、流石にそれは目を引くぜよ」
困ったものだ、と仁王が苦言を呈してようやく相手を桜乃から引き離し、上から相手を見下ろして笑った。
「しかし、結構似合っとると思うんじゃがのう…委員長っぽくて」
「え? 頭が良さそうに見えますか?」
(そーゆーのと違う…と思う、多分)
微妙な男心が声になることはなかったが、代わりにジャッカルが珍しく桜乃にリクエストした。
「けど確かに珍しいからな…その、良かったらもう一度掛けてみてくれないか?」
「これですか?…いいですけど」
特に断る理由もなかったので、桜乃が持っていた眼鏡を再び掛ける、と他のメンバー達が全員注目。
「へぇ、かっわいいじゃんおさげちゃん」
「似合う似合う」
「で、ですか…?」
よく聞く眼鏡属性というものの良さがちょっとだけ分かった様な…と思いながら、男達は桜乃の周囲に集まって思い思いにその姿を愛でる。
相手があまりしない格好で、しかも眼鏡を買いに来たという訳でもないのなら、尚更今しか見られないレアな姿だからだ。
「今度はこっち掛けてこっち!」
「その次はこっちね!」
「は、はぁ…」
すっかり当初の目的を忘れて桜乃の眼鏡ファッションショーを楽しんでいる丸井と切原に、真田を含めた他の七人が呆れた目を向けた。
「問題なかったとは言え、弦一郎への心配はもう微塵もないらしいね、彼らは…」
「フン。お前達が眼鏡を掛けていた時点で察していたことだ」
どうせそんなところだろうと思った、と別に大したダメージでもないのか、真田が軽く鼻を鳴らしたところで、被検体になっていた桜乃がふと気付いたように幸村に声を掛けた。
「あ、もしかして切原さんだけじゃなくて、皆さんも眼鏡を試していたんですか?」
「うんそうだよ、ちょっとした興味でね」
そこで流す筈が、じぃっと桜乃が少しばかり頬を染めた顔で幸村を見詰めてきた。
「わぁ…ちょっと…見てみたい、です」
「う…」
可愛がっている妹分の願いだけに、なかなかスルー出来ず、幸村は求めに応じて先程掛けていた眼鏡を再び取り上げ、試着した。
「まぁこんな感じかな」
「きゃあ! 眼鏡掛けた幸村さんも凄く格好いいです〜!」
拳を握ってぶんぶんと身体の前で振りながら褒めちぎられ、珍しく幸村が眼鏡に手をやりつつ視線を逸らして照れる。
こういうファンの喜ばせ方は好きじゃない、と言っていたが、この子に関しては自分も嬉しくなってしまう…
「そ、そうかな…」
「そうですよぉ! やっぱり格好いい人達って、眼鏡掛けても様になるんですね〜! 惚れ直しちゃいます〜〜〜」
『…………』
そこで彼らが何を思ったのかは言わずもがな…
珍しく大興奮している桜乃の言葉と姿に押されて、他の男達も次々と合う眼鏡を試着していく。
それこそ、下手な訪問販売など足元にも及ばない抜群の引きの良さだった。
「おさげちゃん、俺に合う眼鏡一緒に選んでよ」
「あ、ずりー、俺も俺も!」
そしてその店の伊達眼鏡売り場は一時、若者達によって非常に賑やかな空気に包まれていた。
結局…
「…眼鏡はうざったいんじゃなかったのか?」
「そーゆージャッカルこそ、えれー気合入れて選んでたんじゃん」
「…」
桜乃と別れ、駅へ向かっていく若者達のほぼ全員が手に手にあの店の包装紙を抱えていた。
「買っちまった俺が言うのも何なんスけど…集中力がどうの言ってませんでしたっけ、部長」
「テニス以外の場所なら問題ないよ。それに着けるのも彼女の前だけにしたらいいし」
既に開き直っているのか、幸村の口調には照れや後ろめたさの色は一切ない。
「ま、たまには柳生のフリ以外の事をするんも面白そうじゃき。今度、全員が眼鏡掛けた状態であの子と会うっちゅうのはどうじゃ?」
「実に興味深い反応が見られそうですね…私はいつもと変わらないので少々残念ですが」
「いっそ眼鏡を変えたらええじゃろ」
「それはポリシーに反しますから」
他の部員達がそんな事を話している前では、ちょっと居心地悪そうな表情で真田が歩いている。
「…気にするな弦一郎。褒められたら悪い気はしないものだ。それが俺でもお前でも」
「む…しかし、俺の都合で行った事でこうなってしまったからな…どうにも気になる」
「そうか、しかし俺は良かったと思っている。これで普段の姿ではない人間を見た時の他の者達の反応が身近で見られ、そしてそれに応じる当人達の反応も見る事が出来る…良いデータが取れそうだ」
「お前は結局そこに結びつくのだな…」
そして柳の予言通り、それ以降、桜乃の前に限り時々伊達眼鏡を着けた立海メンバーが見られるようになったのだった。
了
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