「…なぁジャッカル」
「ん?」
「…あいつ、絶対無事だよな?」
「…当たり前だろ、すぐに帰って来るさ」
何かを話していないと、その場の空気が己を押し潰してしまうのではないかという有り得ない危機感に押され、丸井は寧ろおどけた調子で続けました。
「だ、だよなぁ? その内なんてコトなかったって顔してさ! すぐに来るよな!?」
「おお! もしかしたら俺らが話している今も、ここにぱっ!と出てくるかもしれないし…!」
ぱっ!
「きゃっ…!」
「へ?」
「ん?」
妙な声が聞こえたぞ…と二人が思って一秒足らずの間に、突然、ジャッカルの頭上から人間が降ってきました。
どさっ…!
「どわぁ!!」
見事に下敷きになってしまったジャッカルも、落ちてきた当人も、一体自分達に何が起こったのか理解出来ていない様子でしたが、唯一それを脇から見ていた丸井が、真っ先に落ちてきた人間に飛びついていきました。
「おさげちゃんっ!! うわー! 良かった〜〜〜〜、無事だったんだな!!」
「ま、丸井さん!?」
「取り敢えずどいてくれ〜〜〜!!」
見た目は感動の再会場面でしたが、同時に二人分の体重をかけられたジャッカルにとってはちょっとした苦行の時間です。
じたじたとのたうちながらも何とか下敷きの刑から解放された彼も、ようやく少し遅れる形で桜乃との再会を果たしたのでした。
「桜乃!? お前、何処から…い、いや、そんな事より本当に桜乃なんだな、無事に会えて良かった!」
「お二人とも…心配をかけてしまって…」
「そんな事いいんだよい! と、とにかくさ、話は後にしてすぐに城へ戻ろうぜ…って、あれ? お前、杖は?」
歓びに舞い上がっていた心が徐々に落ち着いてくると同時に、丸井がもう一つの重要な事実に気が付きました。
桜乃が魔女の城を訪れたもう一つの大事な理由…その証である杖が見当たらなかったのです。
娘の性格を考えたら、持ち出す前に逃げるというのは少しばかり違和感を感じるものでしたが、それについてはすぐに彼女本人が答えてくれました。
「あの、杖は仁王様が何処かに…よく分かりませんけど、あのお方が急に現れて、杖に触れたらそれが消えてしまって…」
「仁王!? やっぱあいつ、どっかで見てたのか!?」
「…って事は、まだ何か仕組んでやがるな……大体あいつは、何か企んだ場合は極力自分は楽をして、その倍の労力をうまーく他人に押し付けるのが昔から大の得意だっ…」
どどどどどどど…!!!!
何処からか聞こえてきた鈍い音にジャッカルが発言を止め、丸井と桜乃は自然とそちらの音が聞こえてくる方向へと顔を向けました。
自分達が今いるのは、茂みの中。
道からちょっと眺めただけでは見つけられない場所です。
魔女の追いかけてくる音にしては聞こえてくる方向がまるで反対側なので、桜乃達は一応身を隠すようにこっそりと茂みの隙間から、道の方を覗いてみました。
すると、音が聞こえる方角にうっすらと砂埃が舞っており、やがて多くの兵士が馬に乗った一軍が見え始めました。
先程から耳に煩く響いていたのは、あの軍馬たちの蹄の音だったのです。
「あれは…!?」
丸井達の目は、それらの一軍を率いている先頭の一人の男を捕えました。
黒髪でくせっ毛の、何処かで会ったことのある、まだ十分に若い男性。
彼は丸井達だけでなく、或る意味桜乃にとっても非常に馴染みのある人物でした。
「確か…切原、卿…?」
「あいつ…何で…?」
向こうは茂みに隠れている三人の姿など見つけることも見つけようとする意志もなく、何かの目的を持って突進していき、目の前を通過した後には来た時と同様に砂埃が舞うのみでした。
そして、元の静寂が訪れ…
「…」
「…」
「…」
後に残った三人の内、丸井とジャッカルが無言のままに視線を交わしました。
さっきの軍がこのままこの道を真っ直ぐ行った先にあるのは…桜乃が逃げて来たばかりの魔女の城です。
そこにわざわざどうして領主自らが向かうのか…異変に気付いたにしては、少し早すぎる気もします。
そう、誰かが親切にその事実を教えてでもいない限りは…
最初に口を開いたのは丸井でした。
「なぁ…もしかして、その労力をうまーく押し付けられてるのってさぁ…さっきの…」
「……あえてコメントは避けよう」
領主がこれだけ早く動いた裏には、あの魔導師が関わっているに違いない…どうせ正攻法ではなく上手いやり方で騙くらかしたんだろうけど…
心の中では確信めいたものがありましたが、ジャッカルはただ口を濁すしかありませんでした。
その魔導師が、先刻、魔女によって内臓を吹き飛ばされたばかりだという事実など知らないままに…
がらんっ…!
「っ!?」
「あれは…!」
風雲急を告げる魔女の城とは別に、立海の城の方でも或る異変が起きていました。
いつもの様に幸村皇子達が眠っている寝室に家臣達が集い、その御身を守っているところに、不躾な雑音が響いたのです。
当然、そちらへと目を遣った家臣…最初に声を上げたのは柳大臣でした。
部屋の床に無造作に転がった物体。
本来ならば無碍に扱われることなど有り得ないそれは、まるで床から一瞬で生えて来た様に、置かれていました。
「皇家の杖が、戻った…!?」
周囲の兵士達やそれを取りまとめる立場の柳生も、この時ばかりは少しだけ動揺を露にしてしまいましたが、すぐにその柳生が気を取り直して杖へと近づきます。
皇家の人間のみが触れる事を許される秘蔵の宝ですが、この状況では、寧ろ彼の行動は正しいと言えるでしょう。
いきなり現れた怪しい物には、どんな罠や仕掛けが施されているとも限りません、例え見た目がどんなに尊いものであっても。
そんな得体の知れない物に、皇族や重鎮が下手に触れて何かが起こる事を防ぐのも、彼らを守る兵の務め。
柳生は、手柄や虚栄心とは無縁の自己犠牲の精神に則り、己の配下達を守る為にも誰にも任せず自ら動いたのです。
そして、全てを理解していた柳もそれを許しました。
「…」
すぅと軽く一呼吸の後、柳生の手は静かに杖を握り締め、持ち上げました。
ずしりと重く感じる重量以外、他に何かを感じる要素はありません…どうやら罠という訳ではなさそうです。
「その宝珠の輝きは紛うことなく本物だろう…仁王か」
「おそらくは」
柳生が大臣にそれを厳かに差出し、柳は相手にそれを持たせたまま一目で本物である事を見抜き、更には杖を運んだ張本人をも当てましたが、何故かその愁眉が解かれることはありませんでした、何故なら…
「…杖だけあってもどうにもならぬ。本来それを揮うべき皇家の人物は二人ともが眠りにあるのだ。仁王程の優れた魔導師であればこの杖を用いて彼らを目覚めさせる事も出来ただろうが…肝心の魔導師がここにはいない」
「…」
柳生がそれに対し沈黙で応えたところで、ばたんといきなり部屋の扉が開き、慌てた様子の兵士が駆け込んできました。
「何事です!?」
「申し上げます! 魔女の城近くに潜伏していた見張りから、伝書鳩の報告あり! 近くの丘陵地にて、魔女と戦っている一団が確認されました!!」
柳生の言葉に、間髪要れずに兵士が答え、瞬間、部屋の中は慄然としました。
「戦っている…!? あの魔女が外に出たのですか!? いえ、それより…その魔女と戦っているという者は…」
「隣接する領地の主、切原卿の紋が!!」
「っ!?」
あの生意気盛りの領主が…?
確かに、あの血気盛んな若き領主であれば魔女と一戦交えることも恐れはしないだろうが…何故か色々引っ掛かる…
「…」
「…」
うーむと何かを考える様に柳と柳生が渋い表情で顔を見合わせている間に、更に兵士の報告は続きます。
「今の処は善戦しておりますが、それも時間の問題かと…それから切原卿との交戦の少し前に、魔女の城より少女が逃げ出した姿を確認しております…あと…」
「…まだ何か?」
促す柳に、兵士は何故か軽く頭を伏せて重苦しい声で報告しました。
「交戦前、少女以外で魔女と接触した者が殺害された模様です……銀髪の若い男らしく…」
「!!」
「…その容貌から、追放されていた魔導師・仁王である可能性が高いかと」
その言葉がもたらした衝撃は、杖が戻った時のそれとは比べ物にならないものでした。
あの稀代の天才魔導師が…魔女に敗れた…?
「……柳生」
「……」
柳は、あの銀髪の若者と薄からぬ因縁があった騎士団長に声をかけました。
どう言えばいいのか…どう言ってやればいいのか…
その答えが出せない内に、相対していた柳生は、持っていた杖をそのままにゆっくりと振り返り、その視線を眠っている幸村皇子へと向けました。
「……そういう事、ですか…仁王」
本来、貴方と杖があれば皇子達を目覚めさせることが出来た…けれど、もう貴方はいない…『そういうこと』になってしまった…
「…? どういう事だ?」
それにはすぐに応えず、柳生はゆっくりと幸村皇子のベッドへと近づき…くい、と眼鏡を軽く押し上げました。
「…私と仁王は、小さい頃からの腐れ縁でしてね……町で出会ったのか、親同士が引き合わせたのか、それすら覚えていませんが…ずっと一緒に遊んでいましたよ、まるで兄弟の様に…ああ、いえ…」
彼の眼鏡を押し上げた指が、それからそのままテンプルへと伸び…ゆっくりと眼鏡を外していきます。
そしてその下から覗く顔は…
「もしかしたら本当に兄弟だったのかもしれませんが…よく分からないのですよ、結構似ているんですけれど、ね…」
「柳生…お前は…」
殺されたと報告があった仁王…その彼のものと余りにも酷似していたのです。
その事実に無音になった部屋の中で、柳生は初めて衆目に己の素顔を晒しながら手にした眼鏡を放り、代わりに別の手に握っていた杖を両手でぐ、と持ち直しました。
「小さい頃から、同じ様に育って来ました…ええ、剣術も、魔術も、同じ様に……同等の力を持っているんです、我々は」
言葉を静かに紡ぐ柳生の鼓動に合わせるように、杖の上部に埋め込まれた宝玉が輝きを繰り返し始めます。
それは手にしている人間に杖が呼応している証…
皇家の人間、或いは強大な魔導師にしか成しえない奇跡でした。
「あの人が魔導師としての道を選んだ事で、私は相対する騎士としての道を選んだんですけれどね…立海を守る者として、攻撃の手数は多い方がいいじゃありませんか。それに、彼の真似をしている様に見えるのも癪でしたので…でも結局、また私は彼の描くシナリオ通りに動くことになるのですね」
その瞬間、柳生の目が鋭く光り、温厚な紳士から戦う騎士のそれへと輝きを変えました。
それと同じ様に宝珠も一際強く輝き出し、眠っている幸村皇子を照らします。
訪れる奇跡…それを手繰り寄せながら、柳生は叫びました。
「そうでしょう? 仁王!!」
続
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