立海おとぎ話 第九節


 城での異変が起こる少しばかり前…か弱い少女に杖を奪われた魔女が、一人の銀髪の若者を殺め、彼女の後を追っていた時…
 地面を走らず宙に浮き上がった形で飛んでいた魔女が丘陵地に差し掛かった時、彼女の耳に、不意に『ひゅん』と風を切る音が聞こえました。
「!?」
 その異変を合図に、ほんの少しだけ魔女が進行を止め、宙に留まったところで、続けて『かんっ!』と心地良い音が隣から聞こえました。
 魔女がそちらを見遣ると、そこに立っていた木に垂直に突き刺さる形で一本の矢が見えます。
 びーんとまだ細かく振動しているということは、打たれて間もないということでした。
『あ〜あ〜、外しちまったかぁ、狐相手なら五回に一回は当たるんだけどさぁ』
 再び自分が向かっていた方角へと目を遣ると、そこに遠くに立ち並ぶ一つの師団が確認されました。
 今まで地形を利用して、岩や木々の陰に隠れていた…いえ、待ち伏せと言った方が正しいでしょうか。
 兎に角、その百は超えるだろう兵士達の中で、一人、見事な漆黒の甲冑を纏った若者が、弓を降ろした姿で不敵な笑みを見せていました。
 くせっ毛のその若者は、魔女と対峙した今になっても怯えの欠片も見せず、寧ろ楽しそうに爛々と目を輝かせています。
「何だい、お前らは」
「どーも、魔女さん。アンタの噂はかねがね聞いてるよ…っても良い噂じゃあないけどね。あんま年寄りの冷や水は体に悪いから止めといたがいいんじゃない?」
 嘲るように言った後で、その若き領主切原卿は、手にしていた弓を持ち上げて残念そうに呟きました。
「さっきアンタの胸に一本、矢を突き立てられてたら、俺も割と楽出来たんだけどさぁ…こう言っちゃなんだけどもう年なんだから、大人しく引き篭もってた方が良かったんじゃないの?」
「小賢しいね…立海の差し金かい。杖を取り返すのを邪魔しようってんなら容赦はしないよ!」
「は? 何ソレ?」
 別に切原卿は魔女を怒らせようと惚けている訳ではなく、本当に杖の事など知らなかったのです。
 なので今の様な返事になったのですが、聞いておきながら彼は相手の返事など最初から聞く気はなかった様で、すぐに自分の発言を優先的に続けました。
「アンタ愛用の杖なんざー知らねーよ、そんなに腰辛いんなら最初から城に篭ってろっての。俺はなぁ、単に面倒な行事に関わりたくないだけなんだよ!」
 そして、最後に彼は弓を放り、代わりに腰の剣を引き抜きながら力強く断言しました。
「だから俺の平和な人生の為に、アンタにゃここで死んでもらう!!」
「どういう理屈だいそりゃあ!?」
「うっせーなぁ!! 俺ぁ説明下手なんだよ、つべこべ言わずにさっさと殺されとけーっ!!」

(魔女以上に極悪だ、ウチの領主…)

 物凄い理不尽を感じながらも、主が戦の象徴でもある剣を引き抜いた事で兵士達もまた一斉に剣や他の武器を持ち、切原に続いて魔女へと向かっていきました。
「狐よりは楽しませてくれるんだろ!? ばーさん!!」
「ふん、そんなに死にたけりゃすぐに地獄へ送ってやるよ!!」
 真っ向から勝負を挑んできた領主に、魔女は余裕の笑みを浮かべて軽く呪文を唱え…ひらっと指を振りました。
 途端…

 どぉんっ!!!

 切原が立っていた場所へと、目も眩む稲光が空から垂直に降り立ったのです。
 過去に彼女が立海でも見せた、雷の術でした。
「領主!!」
「切原卿!?」
 複数の兵士達が彼の安否を思って叫ぶ中で、魔女がひひひと笑います。
「普通の人間がアタシに楯突くからだよ…魔女の恐ろしさ、聞いた事はなかったのかい?」
 音速の速さで駆け抜け、大地に突き刺さる光の矢を避けることなど、常人には不可能…しかも、その凶器が人に狙いを定められるという事であれば、脅威は相当のものです。
 当然、魔女はあの若い男が既に雷に焼かれ、黒い人形に変わり果てていると信じて疑いませんでした、しかし……
『…な〜るほどね〜』
「…!」
 再び聞こえてきた、覚えのある声…
 はっと魔女が背後を振り返ると、そこに焼かれた筈の領主が生きて立っていました。
 先程と同じ甲冑、同じ顔、同じ髪型…しかしあまりに異なる表情と瞳の輝きを称えて…
「なるほどなるほど…こりゃ確かに俺んトコ来るよなぁ、フツーの奴じゃあこんがり上手に焼かれてただろうし。イイね、確かに皇帝の言う通り狐狩りよりは楽しそうじゃん」
 相手の魔術を見て尚、空元気ではなく、心底その戦いを楽しんでいる様に切原は嗤い…その真っ赤に輝いた瞳をぎらつかせました。
 その様は領主というよりは寧ろ、人の皮を被って尚本性を隠しきれない凶悪な悪魔そのもの。
 その悪魔はにぃぃっと唇を吊り上げながら笑い、剣を構えて魔女と向き合いました。
「言っとくけど今の俺、かーなーりーヒドイ奴だからさ…簡単に雷で殺せるとか思わない方がいいよ。折角だ、どうして若造の俺が領主になれたのか、その実力…たっぷり教えてやるぜ!」
 そして狂気の咆哮を上げながら、その赤い瞳を持つ悪魔は、魔女の隙を突く様に一気に懐へと飛び込んで行ったのです。
 雷だろうと魔術だろうと、そんな事実も何もかも、今の闘争本能の塊になってしまっている若者には何の足枷にもなりませんでした。
「ええい! さっき殺した若造と言い、この国には馬鹿な小僧が多いね全く!」
「殺しただぁ? まさか俺んトコの領民じゃあねえだろうな!? もしそうだったら殺した後で串刺しにして、そいつの墓の前におっ立ててやらぁ!!!」
「生意気をお言いでないよ!!」
 ぎぃん…!!
 鋭い音をたてて切原卿の振り下ろした剣が弾かれました。
 魔女は何も持ってはいませんでしたが、やはり魔術の類でしょう、厚い見えない壁を自らの直前に作り、攻撃を防いだのです…が、切原卿の猛攻は止みません。
「いつまで防いでいられるか試してやるよ、ついでに、俺が働いてる時にぼけーっとしている程、部下達も間抜けじゃねぇぜ!?」
「うっ…!?」
「切原卿を援護しろ!!」
「攻撃に転じる隙を与えるな!!」
 そして、彼の言葉に呼応する様に他の兵士達も我先へと魔女を討つべく周囲を取り囲み、向かっていったのです。
「お前らはあまり踏み込むな! 足止めしてくれたらそれでいいぜ!」
「大した自信じゃないかえ、小僧…!! いっそここに千の雷を落として一掃してやろうか!?」
「じゃあ何でしねぇんだ?」
 再びぎぃんと音をたてて、切原の剣が空で止まります。
 そして彼と魔女の双眸が互いを挑むように睨みつけた後で、卿がにやりと笑ったのです。
「出来ねぇんだろ? 今のお前は自分を守る壁を作れても、次の呪文唱える余裕はそうそうねぇもんなぁ。フツーの奴なら雷一つで事足りても、避けられる相手だしよ!!」
 ひひひと嗤う悪魔の子が、蹂躙するように魔女へと幾つもの太刀筋を浴びせていきます。
「おのれ!」
 咄嗟に、自分の位置から更に上空へと逃れようとした魔女でしたが、その直前に切原卿が飛び上がって相手の行く先を塞ぎ、剣を叩きつける形で再び地上へと押し戻しました。
「おっと! 上に逃げられたら困るんだよ!!」
 そして自分も着地した後に、彼は内心で冷や汗を流していました。
(杖欲しがる割に結構元気じゃねーかこのばーさん! 皇帝と言い、年寄りほど元気なのかよこの国は…! 兎に角、上に逃げられたら攻撃の手も届かなくなって、雷落とされて終わりだ、何とか食い止めねーとなぁ…おどろおどろしい雲もオプションで付いてきやがってよう)
 実はこの戦地に向かう前に、『皇帝』らしき人物から魔女の攻略について少しだけ教示を受けていた卿は、その彼の教えの通りに戦っていました。
 今のところは上手く立ち回れていますが、それも彼の常人離れした身体能力があってこそ。
 魔術も使わない人間が、援護はあるとは言えここまで魔女と善戦しているということは、それだけで珍しいことでした。
 しかし…
(もーちょっと楽だと思ってたけど…俺の体力切れる前に、片付けねーとな…)
 特異体質の二次作用により、激しい闘争本能が前面に押し出されている筈の切原卿が、嫌な緊張感を覚えながら剣の柄をぎりっと握り直しました。
 本当は、相手を猛攻しつつ次の手を塞ぎ、且つ、隙を見て防御を崩して倒すつもりでした…が、思ったよりも遥かに向こうの作る壁は固く、実に嫌なタイミングで反撃を繰り出してきたのです。
 正直、自分でなければもう十人は死んでいたでしょう。
 いつまでもこの膠着状態が続く訳ではありません。
 相手が呪文を唱えるだけとは違い、こちらは攻撃を避けつつ相手の次の一撃を防いでいる、遣う体力も精神力も並のものではありません。
 いつかはその均衡が破られる時が来てしまう…その前に片付けないと!
「おや? 顔色が悪いねえ、小僧」
「アンタは顔が悪いじゃねーか」
「ほざけ!」
 相手の感情を逆撫でし、且つ自分の不安を気取られない様に切原卿は敢えて暴言を投げかけ、再び戦いへと身を投じて行きました…



「そう…俺はそんなに長いこと、眠っていたんだね…」
 立海の城内…幸村皇子の寝室では、正に今、眠りより覚めた若者が久し振りにその瞳の輝きを取り戻していました。
 起き上がり、ベッドの脇へと腰掛けた姿のまま大臣の柳から全てを聞いた彼は、倒れてしまった自身の醜態を恥じ、申し訳なく思っている様子でしたが、ふと、その瞳を見開いて相手に尋ねました。
「桜乃は!? 桜乃をすぐに呼んで! 俺の為に、俺達の目を覚ます為に、そんな危険な事をしてくれたなんて…彼女をすぐにここへ」
「いえ…皇子」
 その時には既に再び眼鏡をかけていた柳生が、杖を手にした状態で相手に厳かに断りを入れました。
「桜乃はまだ帰って来てはおりません…杖は、おそらく彼女が持ち出してすぐのところで、仁王の手によりここへ運ばれたのです」
「!? じゃあ、桜乃は今は…!?」
「最後の伝令の話では、城からは脱出出来たようですが…おそらくこちらには向かっているだろうと」
 柳の冷静な一言で、暫しの沈黙を守った皇子でしたが、その次の言葉を発した時にはいつもの温和な表情は完全に失われてしまっていました。
「…魔女は…まだ倒されていないんだろう?」
「…近くの領主が足止め程度に頑張ってくれてはいるようだが…こちらの援軍を送るにも時間が掛かりすぎます。どんな策を練っていたか聞こうにも、肝心の仁王も今となっては…」
「…魔女が生きている限り、桜乃は危険に晒される…」
 今、こうしている時にも、いつ戦っている領主達の包囲網が解かれ、桜乃に危害が及ぶとも限らないのです。
 その事実を抱えたまま、幸村皇子はゆっくりとベッド脇から立ち上がると、側の柳生の手から静かに杖を取り上げ、握り締めました。
 それから一歩、一歩…皇子は窓へと向かって歩いていき、そこを開け放ちました。
「…皇子?」
「今まで生きてきたけど…こんなに怒りを覚えた事は生まれて初めてだよ。あっさりと攻撃を受けて倒れてしまった俺自身にも…俺なんかの為に命を危険に晒している桜乃にも…何より、桜乃にここまで醜態を晒させてくれたばかりか、あの子に危害を加えようとしている魔女に…!」
 絶対に…許さない!!
 強い気持ちと共に皇子は杖を握り、その宝玉を空へ向かって掲げるように腕を上げました。
 刹那、柳生が握った時よりも遥かに強く…本来の持ち主の手に戻った歓びを杖そのものが表している様に、それそのものが眩く輝き出したのです。
 全ての者がその輝きに目眩まされている中、唯一幸村だけはその双眸を窓から広がる景色のその先へと向けていました。
 今なら見える…戦いの場が…
 上空でせせら笑い、下方の敵を今正に殲滅せんと雷を呼ぼうとしているあの魔女の姿が…見える…
 そして見る程に、胸の内の怒りの炎が燃え盛ってくる…!!
「……そこまでだ」
 これ以上、好きにはさせない…あの子の後を追う事も許さない…!!
 尽きぬ怒りの全てを込め、幸村皇子は強く叫びました。
「さぁ、滅べ!!」
 お前の存在が許されるのも、最早ここまで…!
 すると、宝珠から一つの人の頭程の光が生まれ、それが小さな太陽の様に光り輝きながら、物凄い速さで空を渡っていったのです。
 その光の向かう先は…そう、あの魔女の元。
 今、彼女はようやく迎えられるだろう戦いの終焉を、勝ち誇った笑みを浮かべながら満喫していました。
「結構頑張ったじゃないか…けど、やはりいつかは終りが来るもんだねぇ」
「…くそっ…」
 見下ろす地面には、片膝を付き、肩で息をしている切原卿の姿がありました。
 致命傷こそ負ってはいないものの、その体の各所には傷がつき、血が流れており、これまでの戦いの凄惨さを物語っていました。
「切原卿!」
「お前らは逃げろっ! こっから兎に角離れて、近くの民を避難させろ!!」
 もうすぐにコイツは…止めを刺しに来る…言った通りなら、雷でも落とすつもりなんだろう!
 何とか阻止したいと思っても。相手が手の届かない場所に逃げてしまった以上、最早こちらにはどうしようもありませんでした。
 矢を放っても、それすら届かない場所にまで移動されてしまっているのです。
 もう自分に出来る事は…少しでも自分を盾にして、多くの民を逃がすことしかない。
(ちぇっ…ここまでか)
 上手く乗せられた形ではあったけど…魔女がウチの土地に入って来たんだから、まぁしょうがないよな…じたばたして生き恥晒す訳にもいかねーし…
(つか、そんな最後があの皇帝の耳に入ろうもんなら、マジで『たるんどった男の墓』なんて墓標に刻まれそうだしな〜…下手な観光名所になっちまったら、死ぬよりそっちが怖えっての!)
「何か言い残すことはあるかい、小僧」
 空から降ってくる相手の嘲笑に、せめて切原卿は振り仰ぎ、輝きを失っていない瞳のままに応えました。
「グダグダ言ってる暇があんなら、とっとと討ちやがれ。じゃなきゃ降りて来い、喉笛喰いちぎってやる!」
「ひひひ…最後まで生意気だね、まぁ嫌いじゃあないが、礼儀知らずは好きでもないんでね…」
 掲げられた魔女の掌の中に、ばりばりっと鋭い音をたてる光の帯が幾筋も走るのが見えました。
 いよいよか…
 覚悟を決めた切原卿が、せめて怯んでいない証を見せようと言うのか、魔女の視線を真っ向から受け止め、逸らすことなく睨み返します。
 互いの視線がぶつかり合う、勝負がついた後に尚続くもう一つの戦いでした。
 そう…それが、その切原卿の男気が、魔女の破滅を誘う些細な切っ掛けだったのです。
 絶対的な勝利を確信していた魔女が、最後までやせ我慢の様にこちらを睨んでくる若者の顔を楽しんでいる隙に、二人の方へと何かが空を駆けて来たのです。
 光の速さで、風を切れども音すら立たないままに、それは…光の弾は、上空の魔女に向かって意志を持っているかの如く迫って来ました。
 もし、彼女の意識が下へと向けられていなければ、或いは避けられたのか…どちらにしろ、魔女の些細な油断が、自身の身を危機に晒す結果になったのは間違いありませんでした。
「!…う!?」
「何だぁ…!?」
 光源の方へと気付いた魔女がそこで初めて表情を強張らせ、傍観する立場の筈の切原でさえ、小さな太陽の突撃に目を見張りましたが、その瞳が二度瞬きを繰り返した時には既に、魔女は光の弾に飲み込まれていました。
『ぎゃ…っ!!』
 聞こえる小さな悲鳴…しかし、最早彼の網膜は見届けるには限界を超えており、きつく瞼を塞いで視覚の攻撃から瞳を守るしかありません。
 そして、悲鳴から暫く…
 何も…何も今度は聞こえなくなり、ようやく切原卿が久し振りに目を開くと、その場にはもう、魔女の姿も光源も跡形も無く消えてしまっていたのです。
 ただ、風が渡る丘陵には、傷ついた兵士達と若き領主が佇むだけでした…


立海ALL編トップへ
サイトトップへ
続きへ