「お、のれ…よくも」
あの丘陵地で、光に飲み込まれた筈の魔女は…しかし、死んではいませんでした。
流石は長きに渡る時を生き抜き、相応の修羅場を越えてきた彼女は、深手は負ってしまったものの、直撃は避けてかろうじて生き延びていたのです。
焼け付く地獄の豪炎に等しい熱を孕んだ光を多少なりとも浴びてしまった魔女の身体は、フードの奥で痛みへの悲鳴を上げていました。
それに耐えながら魔女が向かった先は…己の城でした。
実は今までも、こんな事は幾度かありました。
立海の皇族や数多の騎士達と幾度も戦いを繰り返し、時には深手を負いながら、それでも彼女が生き抜いてくることが出来たのは、決して陥落されることのない自らの城があったからです。
常に周囲に目を光らせ、幾重と望まぬ侵入者を防ぐ罠を張り巡らせている魔女の城。
彼女は自らが危機に陥る度にこの場へと逃げ込み、再び力を蓄え、そして世に介入する事を繰り返していたのでした。
そして今回も…魔女の脳裏には同じ思考がありました。
(忌々しい…! さてはあの杖、皇族の誰かの手に戻ってしまったか…悔しいが仕方ない、今は城に戻って身体を治す事に集中しなければ…!)
見えてきた己の城の敷地にいよいよ空から侵入しようと、魔女はスピードを落とすことなく向かっていましたが…
ばちんっ!!
「なに…っ!?」
今までの人生の中で、初めて…有り得ないことが起こりました。
持ち主を拒むことなどない筈の、自分の城の中に、魔女が入れないのです。
他人ならまだしも、どうして自分が…!?
「ど、どういう事だい!? 何が…っ」
慌てる魔女の瞳に、ぼうっと何かが見えてきました。
地面から立ち昇るうっすらと輝く円形の陣…魔方陣と呼ぶものでしょうか。
複雑な幾何学模様に彩られたその巨大な円陣は、自らの城を囲むように、光の帯を立ち昇らせ、外界からの侵入者を悉く弾いたのでした…本来の持ち主である魔女でさえも例外ではなく。
「こっ…この陣…これ程の布陣を扱えるとは…!」
「ははははは…」
一目でその陣の強大さを見抜いた魔女の耳に、高らかな男の笑い声が聞こえてきました。
それも空から…自分の背後からです。
嫌な不安を感じながら振り返ると…自分と似たような黒のフードを纏った、銀髪の若者が同じく宙に浮いて腕を組み、こちらを見詰めながら笑っていました。
あの、腹を吹き飛ばされ、一瞬の内に絶命してしまったはずの…仁王が。
「お前は…!?」
「用心深いお前さんを、どうやって引きずり出そうかと随分考えとったんじゃよ…そしたら、丁度いい時に杖を盗んでくれて、おまけに外の小娘を城にのこのこ入れるとか……その恐ろしい程の自惚れ振り、感謝しとる」
「お前は死んだ筈…!!」
「そーか? 生きちょるよ? お前さんの耄碌した目じゃあ、俺と猪でも間違えたのかもしれんけどのう…油断して、死体もロクに確認せんからじゃ。人を惑わすんは魔導師の十八番じゃろうが?」
「!!」
はっと魔女が城の正門へと視線を遣ると、そこには彼が倒れていた筈の場所に、何か毛むくじゃらの野生動物が一頭、横たわっているのが見えます。
そして、周囲に広がっている夥しい血の跡…
その血の跡が不自然に大きな曲線を描いている様を見て、魔女が蒼白になりながら仁王へと視線を向け直しました。
「お前、まさか…っ!」
「ご明察」
にやりと笑い、仁王は五体満足の身体のままで軽く両手を拡げ、おどけました。
「あの娘を送り込んだのは、杖が欲しかったからじゃない。まぁあいつらはそうだったかもしれんがの…俺の目的はたった一つ…用心深いお前さんを『城から引きずり出す』ことじゃ」
そして、仁王の瞳がすぅと細められ、そこから優しさの色は完全に失われました。
「あの単純領主様を送り込んだのも、お前さんを討つ為じゃない…その間、『お前さんの目を城から逸らす』為に時間稼ぎが必要じゃったんよ…俺が陣を誰の邪魔を受けることなく描ききるまでな…獣の血で」
「う、ぬ…っ」
「そしてお前さんはまんまとその誘いに乗った…最早城はお前さんにはその門戸を開かん…ここまでじゃな」
ぼう…と掌に炎を召還した魔導師は、冷たい…桜乃に向けた時の眼差しとはあまりにも違う凍ったそれを相手に与えながら宣告しました。
「覚悟しんしゃい」
「…あれ? 雲が…」
「晴れてくぞ、おい…」
「…」
馬車に乗り、城へと急いでいた一行は、ふと明るくなった周囲を見回し、あの不吉な暗雲が切り裂かれるように空へと溶けていく様を見届けていました。
そして、再び太陽の光が大地に注がれるようになってから間もなく、彼らは懐かしい立海の城の門へと到着したのです。
「あ、みんないる…」
「…おい! あれ、皇子達じゃないか!?」
丸井の呟きに混じって、ジャッカルが大きな声で叫びました。
呪いによって眠りに落ちていた筈のあの二人が、柳や柳生達、兵士達に混じり、正門に立っていたのです。
それは桜乃にとっては夢の様な光景でした。
望んでいた、願っていたことが、現実になっているのです。
「皇帝陛下…幸村皇子…!」
嬉しさに涙を浮かべていた桜乃でしたが、しかし彼女はまだ魔女がどうなったかを知ることもなく、まだ胸には一つの不安を抱いていました。
その不安が消えないまま、馬車はいよいよ正門に到着し、荷台から桜乃と丸井、御者席からジャッカルがそれぞれ降り立つと、城の人々の中から一人の男が進み出ました。
「…仁王、様…?」
「…」
銀の髪を揺らした若者は、軽い皮肉の笑みを浮かべながら厳かに…軽く膝を曲げ、手を桜乃に向かって差し伸べ、凛とした声で宣言しました。
「皇子よ、久し振りの俺の魔法じゃ…魔女は打ち倒し、愛しい女は目の前に…喜んでもらえたかのう?」
「…え…?」
魔女が、打ち倒された?
何事が起こっているか分からない桜乃に、同じく大臣の柳が進み出て、使用人である筈の桜乃に深く頭を下げました。
「城へお戻りあれ、若き未来の女帝よ」
そして、同じく騎士隊長の柳生も、膝を付いて桜乃に深々と一礼をしたのです。
「命を賭し、皇帝陛下と皇子の命…ひいてはこの国全てを救いたもうた御身の勇気、我ら臣下一同、忘れることはありますまい」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 私…私は只の…!!」
パニックに陥っている桜乃の背後では、一足先に何かを理解した丸井とジャッカルが、満面の笑顔で互いの顔を見合わせていました。
これはもしかして…もしかして…!!
そんな中で、目覚めた皇帝が、数歩進み出て、桜乃の前に立ちました。
「へ、陛下…」
「……」
二人は無音の中、視線を交わし…
「…お前に、これを得る権利を許そう。他にはおらぬ」
ぽん…
「え…?」
軽く桜乃の頭に載せられたのは、美しく光り輝く王冠でした。
誰が見ても、皇族に縁ある者にしか許されないその証が、桜乃の頭上で煌いています。
その姿はいつか、仁王が垣間見たそれと全く違わぬものでした。
「こ、れ…? これって…」
信じられないことが次々起こり、もう言葉も出せない程に混乱している桜乃に、幸村皇子がそっと肩に手を乗せました。
「桜乃…」
「幸村、皇子…」
「最初にお礼を言っておくよ、俺達を助けてくれて本当に有難う…正直、小さい君がここまで勇気ある行動をするとは思っていなかった…俺が助けてあげないとって、思っていたんだ」
「皇子、そんな…」
「でもそれは間違いだったみたいだ。だからそれを改めた上で、俺は君に願わないといけない」
そして、幸村皇子は彼女の真正面に立ち、その両手を自らのそれで包むように優しく握り締め、はっきりと求愛したのです。
「君が大好きだ、桜乃。その優しさも、心の強さも、全てが俺には愛しくて仕方がないんだ。どうかこれからは、俺の一番近いところで俺を支えてくれ、そして俺にだけ、君を守る権利を与えて欲しい」
「皇子…!」
「もし皇族が嫌だって言うなら、俺が王冠を脱ぐよ。君とは比べる価値も無いものさ」
「〜〜〜」
真っ赤になって桜乃が困っているところで、こっそりと柳が皇帝に囁きました。
『宜しいのか?』
『…俺には何も聞こえんな』
息子の、或る意味無責任で男気ある発言に耳を塞いだ父親に、大臣が仕方なさそうに笑います。
もし実行されたら国の一大事でしたが、優秀な大臣は全く心配していませんでした。
彼にはもう分かっていたのです、少女が出す答えを…
「私…私も…幸村皇子を、お慕いしております」
桜乃の受諾の一言に、周囲がわっと歓声を上げました。
『花嫁だ!!』
『皇子様のお相手が決まった!!』
『お祝いだ!!』
そして歓声の中、一番に桜乃の返事を喜んだ皇子は、ぎゅっときつく相手の身体を抱き締めたのでした。
「有難う桜乃…君のこと、必ず幸せにする」
「皇子…」
そしてそのまま魔女の脅威は消え去り、祝賀会は二人の婚礼へと移り、国は何日もお祝い行事が続いたのでした…
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