八人の小人・1


 冬も近くなったある秋の日
 とある街のとある一軒家に、とある一家が引っ越してきました。
 一組の夫婦とその一人娘が、夫の仕事の関係で、遠い土地からここに移ってきたのです。
 彼らが住む事になった家は少々年数は経過していましたが、まだまだ見た目も立派で、三人が住むには十分過ぎる程の広さがありました。
 赤い屋根に白い壁、おまけに庭までついています。
「予想より随分安価だったわね、あなた」
「ああ、仲介してくれた会社には感謝しないとな。こんな良い物件なのに…うん、作りも頑丈そうだ」
「桜乃、貴女も早く中にいらっしゃい。荷物はもう部屋の中に運ばれてるわよ」
 夫婦は立派な一軒家を手に入れたことに有頂天でしたが、そんな彼らの娘である桜乃は、車の中から出てくる時にも、家の中に入ってからも、浮かない顔をしていました。
 いいえ、今だけの話ではありません。
 この引っ越しが決まってからというもの、桜乃はずっとふさぎ込んでしまい、あまり笑わなくなってしまったのです。
「…はい」
 長いおさげを揺らしながら、両親の勧めに従って桜乃は家の中へと入っていきました。


『誰かな?』
『誰だ?』
『また人間が来たのか』
『うるさいなぁ』
『追い出そうか』
『また悪戯して』
『怖がらせて』
『とっとと逃げ出しちまえ』


 桜乃の部屋に割り当てられたのは、二階の窓が大きな日当たりの良い一室でした。
 壁は白く床はフローリングで、白いベッドが壁の脇に、そして勉強机が窓に面した形で据え置かれていました。
 桜乃の荷物は既に引っ越しの業者により、部屋の隅にダンボール箱に詰められて置かれています。
「…」
 部屋に入ってからも、桜乃は笑うこともなく、これからの生活に特別な期待を寄せるでもなく、無表情のままに先ずはベッドへと近づき、そこに腰かけ、部屋の全景を見渡しました。
「……広いな」
 普通であれば部屋が広いのは喜ばしいことなのですが、桜乃は逆に鬱々とした表情で俯き、続けて言いました。
「…私一人しかいないのに」
 こんなに広い部屋に一人きりなんて…逆に寂しくなるだけなのに…
 共働きの両親は、夜遅くにならないと家には帰ってきません。
 引っ越す前もそうだったし、引っ越した後のこれからもそうでしょう。
 それでも、引っ越す前なら、桜乃は我慢出来ていました。
 何故なら引っ越す前の土地には、小さい頃からの友人達が近所に沢山いたからです。
 両親がいなくても彼らと共に遊んだりして、桜乃の寂しさは随分と紛らわされ、彼女は十分に幸せでした。
 しかし今回、親の都合で引っ越すことになり、桜乃はその友人達と離れ離れになり、慣れない土地での新たな生活をしなければならなくなったのです。
 正直元の土地を離れることは嫌だったのですが、親の仕事の事を思うと我儘も言えず、桜乃は大人しく彼らと一緒にこの地に来たのでした。
 暫くベッドに座っていた彼女は再び立ち上がり、今度は机の前に立つと、前の窓から見える景色を眺めました。
 広大な広場とその間を不規則に走る道…向こうに見えるのは隣町の建物でしょう。
 この家の周囲には他の住宅はなく、結構お隣さんとは距離がある様です。
 そうなると、近所に友達を作ることもなかなか難しいかもしれません。
 秋という季節も相俟って、桜乃の目には窓からの景色は非常に物悲しいものに映りました。
(……来たくなかった、って言ったら…我儘だよね)
 そして桜乃はふぅーっと長い長い溜息を一つつくと、しょぼんと肩を落としたまま、その部屋を出て行きました。


『あれ?』
『何だ、奴は』
『悲しい顔をしていたな』
『全然笑ってなかったぞ』
『騒いでもいなかった』
『とても静かで』
『弱そうな身体で』
『まるで拍子抜け』


 その日の夕方。
 この家に引っ越してきてからの初めての食事は、家族全員での食卓を囲んでの夕食でした。
 共働きで滅多に家にいない両親を持つ桜乃にとっては、彼らと食事を一緒にするのは滅多にない機会です。
 だから桜乃は、なるべく自分の寂しさを見せないように、極力明るく振舞いました。
「そうだわ、あなた。ちょっと近くのお店に行った時に変な噂を聞いたのよ」
「何だい?」
「ウチが引っ越してくる前にも何組かの家族がここに引っ越してきたことがあったらしいんだけど、どういう訳か全員が短い期間で逃げるように出て行ったんですって。詳しくは分からないんだけど…」
「そんな事が? おかしいな、仲介の業者は何もそんな事言ってなかったぞ?」
「ここって凄く安く手に入ったでしょ? 何か理由がある気がして、気持ち悪いわ」
「明日にでもまた連絡して聞いてみよう」
「そうね、そうしてくれると安心」
 そんな夫婦の会話を聞きながら、桜乃は過去の家族の事情などより、自分が前に住んでいた場所について思い出していました。
 自分の友人達は今はどうしているのか…きっとまだ自分のことを忘れてはいないだろうけど、いつかはそれも薄れていくのだろうか…
(…ダメね、どうしても暗い方にはなし気持ちが向いちゃう…お父さん達の前でぐらいは、楽しそうにしておかないと)
 生来内気であり、あまり我儘を言わない子に育っていた桜乃は結局その食卓でも特に目立った発言をすることもなく、ただ笑顔で両親との夕食の時間を過ごし、早々と自室へと戻っていきました。
 お風呂にも入り、身支度も整え、ようやくベッドに横になった少女は、疲れた身体を休めようと目を閉じました。
 いつもならすぐに眠りに落ちる筈なのですが、流石に引っ越した先での初めての夜ということで精神もやや興奮していたのか、あまり寝付けません。
(眠れないな…前の家のこと、思い出しちゃう)
 暫くはベッドの中でごろごろと時間を持て余していた桜乃でしたが、その動きもやがて緩慢になり、深夜には動きが殆どなくなりました。
 闇の中、月の光だけが部屋を照らす静かな世界…
 不意に、その静かな世界に小さな喧騒が起こりました。
『ああ、やっと眠ったみたいだよ』
『随分と待たせてくれたな』
『仕方ない、あの子が眠ってくれなければ俺達も動けないからな』
『あー、人が来ると何かと面倒じゃ』
『全くです…彼らに見られる訳にはいきませんからね』
『身体が鈍っちまうよい、とっととやろうぜい』
『そうだな、久しぶりだと加減を忘れてるからなぁ』
『けど、俺は嫌いじゃないッスよ、こういう悪戯は』



立海ALL編トップへ
サイトトップへ
続きへ