小さな小さな声でしたが『彼ら』は別に声をそうやって意図的に小さくしている訳ではありませんでした。
何故なら、『彼ら』そのものが非常に小さな存在だったので、声も枯れ葉が道を走るそれの様に非常にかそけきものだったのです。
勿論、眠ってしまった桜乃の耳に、そんな声が届く筈もありません。
桜乃が知らない間に、彼女の部屋の隅にある一つの柱の土台…そこはベッドに上手く隠されていて人の目には見えませんでしたが、小さな穴が一つありました。
高さは丁度コップよりもやや小さいくらいでしょうか。
その穴の向こうから、幾人もの小人たちが姿を現したのです。
ぞろぞろぞろ…と揃って穴から桜乃の部屋へと足を踏み出した小人たちは、一斉に駆け出してベッドの下から抜け出したところで、先ずはくるりと部屋の様子を窺いました。
『荷物、そんなに多くないんだね…一人っ子かな』
最初に出てきた三人の小人の内、一人の若者が山の様にそびえるベッドを見遣りながら笑いました。
軽いウェーブを持つ黒髪の、澄んだ瞳の大層美々しい若者です。
朗らかな笑みを浮かべる彼に続いてベッドから出てきたのは、随分といかめしい顔つきをした、これまた黒髪の男でした。
最初の男性ほどの髪の長さはありませんが、それはさらさらと流れ、癖の様なものはありません。
『女か…うるさくないのは助かる』
本人にその気はないのかもしれませんが、軽い一言でも、まるで説教の様に聞こえます。
その容貌が性格に比例するというのであれば、彼は随分と厳格な小人なのでしょう。
『随分大人しい少女の様だ、夜更かしをする人間でないのなら好都合』
三人目の小人も二人目と同じく直毛の黒髪でしたが、彼の眼はその瞳を覗く事が難しい程に細いものでした…もしかしたら意図的に閉ざしているのかもしれませんが。
『…悪戯か…正直、善良な人間であれば怖がらせるのは気が引けるんだけどね』
最初に出てきたウェーブの髪の若者がそう呟くと、ベッドの下からくぐもった笑みが聞こえてきました。
『やれやれ…相変わらず甘いのう、幸村』
『我々がここに住む以上、彼らとの共存は危険なのはよくご存知の筈でしょう?』
続けて姿を現したのは、銀の髪と紫の髪の若者達でした。
銀髪の方は皮肉の笑みを称えていましたが、紫の髪の若者はその双眸を眼鏡で隠していた為に真意を読み取る事が出来ませんでした。
互いが持つ雰囲気はまるで違いますが、連れだっていることから仲は悪くないのかもしれません。
『分かっているよ仁王。やらない訳にはいかないけど、彼らも悪人じゃないかもしれないし、最初は手柔らかにいこう』
『そうじゃな』
変わった方言を使うその仁王と呼ばれた若者の後ろから、ゆっくりと歩いてくるまた二人の小人達がいました。
一人はその薄暗がりの中ではなかなか姿を捉える事が出来ない程、闇と同化しています。
彼らの中でも際立って肌が浅黒い男の頭は髪もなく、人の頭部と同じような円形を象っていました。
『じゃあ最初はこの部屋の住人からいくか? 手っ取り早く』
『おう! そうしようぜい、めんどくなくていいしさ!』
次にベッドの下から飛び出してきたのは赤い髪の若者です。
きょろっとした大きな瞳をした彼は、たたんっと足取りも軽く床の上を跳ね回る勢いで、幸村と呼ばれた男に叫びました。
『なぁなぁ幸村! ここの部屋のヤツって一人だろい? 大人しそうな奴なら最初の悪戯には持ってこいじゃん!』
『静かに、眠りが浅い人間なら起きだしてくるかもしれないよブン太…でもまぁ、それには賛成かな』
『…むぅ?』
幸村がその赤毛の若者をやんわりとたしなめた脇で、あの厳格な顔の小人がくるっと周囲を見回して眉をひそめました。
『…赤也は?』
『…おらんの』
『寝てるんじゃないか?』
仁王と浅黒い肌の小人がそう答えると、相手は見る見るうちに不機嫌さを思い切り顔で表現し、まるで夜叉の如き表情になりました。
『たるんどる! 全くあいつはいつになっても…!!』
そして彼は肩をいからせながら再び元来た穴へと戻って行ったのです。
それを眺めていた小人達の内、あの細い目の小人が手にしていたノートを開きながら淡々と呟きました。
『弦一郎の攻撃、拳骨が八十八パーセント、蹴りが五パーセント、頭突きが三パーセント、その他複合技が四パーセント…但し、それは一度目の攻撃に限り、以降の場合は複合技が九十パーセント以上を占める。因みに赤也が弦一郎の攻撃を避けられる確率、ゼロパーセント…』
『ああ、最後のだけはよく分かります』
同じく淡々と返した紫色の髪の若者の言葉が終わらない内に…
『赤也〜〜〜〜〜っ!!』
『ぎゃ〜〜〜っ!!』
怒声と悲鳴に混じり、先ずはがーんっ!という鈍い音が響きました。
そして続けて、
『いつになったらまともに一人で起きられるようになるのだ、お前はお前はお前は〜〜〜〜っ!!!!』
『ひーっ!! すんませんすんません、起きます起きます今すぐ起きます!ってかもう起きてますって〜〜〜〜!!』
どかばしげしっ!!
再び鈍い音…しかも連続で。
完璧に予想が当たったことに細目の男が満足げに頷いている向こうでは、浅黒い肌の男が『あーあ』という表情を浮かべつつ合掌していました。
そしてそんな騒動から少しして、あの男は穴の中から一人の同じ小人の首根っこを引っ掴んだ姿で現れました。
首根っこを掴まれているのは、くせっ毛のまだ幼さを残した顔立ちの男で、手痛い攻撃を喰らったダメージがまだ抜けきれないのか、くったりと半分脱力しています。
『…お早う、赤也。寝覚めはどう?』
『お、おはよっす、リーダー…や、もう最高に最悪っていうか…』
『自分の所為だろうが!!』
がぁっと怒鳴った男をまぁまぁと優しく諌め、幸村はもう一度ベッドを振り返りました。
『夜明けはまだまだ先だけど、今日は少しだけ悪戯をさせてもらおうか…あっちもよく眠っているみたいだし…行こう』
そんなリーダー格らしい幸村の一言に従い、小人達は一斉に行動を起こしました。
ベッドの脚の一つに取りついて、それは器用に登っていったのです。
小人というのは元々体力があるのか、それとも彼らだけが特別に鍛えられているのか…それは分かりませんでしたが、彼らは造作もなくあっさりと桜乃の眠るベッドの枕元へと『上陸』を果たしたのでした。
『寝てる?』
『寝てる、よな』
赤毛とスキンヘッドの小人がこそこそと掛け布団の向こうの住人の様子を探り、それから彼らはよじよじと各所に登って、いよいよ悪戯を始めようと布団に手を掛けました。
どうやら標的を桜乃へと定め、彼女の身体に何かをしようとしている様です。
『よっと…柳生、もうちっと右じゃ』
『了解です』
『ジャッカル、力を入れすぎないでくれ。』
『おう』
皆の共同作業が、小さな身体と小さな掛け声で行われ、いよいよ桜乃が頭から被っていた掛け布団が捲られ、彼女の姿が明らかになりました。
『よっしゃあ! 上手くい…った?』
『ん?』
くせっ毛の、赤也と呼ばれた小人が真っ先に彼女の顔の傍に近づきましたが、その威勢の良い声が途中で途切れ、それに反応して視線を向けた幸村もそれから暫し無言になりました。
他の小人達も最初こそ怪訝な顔をしていましたが、少女の様子を見てからは二人とほぼ同じ反応でした。
『…この娘』
ひそりと呟いた幸村達の視線の先にある彼女の顔。
その閉じられた瞳から、眠っているにも関わらず、涙が流れていたのです。
今流したばかりのものではなく、おそらくは眠る前からもう泣いていたのかもしれません、瞼は既に赤く腫れ、頬には涙の跡がはっきりと残り、月光に微かに応えるように光っていました。
『な、泣いてる?』
『え…俺ら、まだ何もしてないぜ!?』
悪戯する前から泣かれるなんて、初めての経験です。
ついさっきまでやる気満々だった赤毛の若者は、激しく狼狽し、どうしたものかとしきりに周囲の仲間達へと視線を送りました。
自分の寝顔が覗かれているとも知らず、桜乃は夢の中でも悲しみに暮れているのか、ぐす、と鼻をならして寝言を紡ぎました。
「………かえりたい」
元の家に帰りたい…帰って、友達とまた一緒に遊びたい……
その寂しげな呟きを聞いた小人達は、布団の端を握っていた手の力を緩め、各々が示し合わせるでもなく全員、桜乃の顔の周囲へと集まります。
『…悲しそうな顔をしているね』
リーダーである幸村は、痛ましそうな表情で、その大きな少女を見つめながら言いました。
『よく分かんねぇけど…何か、気の毒だな』
ジャッカルという名前らしい色黒の男が、戸惑いを露わにして頭を掻き、後ろでは仁王が毒気を抜かれた様子で脱力して座っています。
『…はぁ…やる気なくすのう…』
『思い切り顔に落書きでもしてやろうかと思ってたけど…何かちょっと、ねぇ…』
相手の無意識の行動に先手を打たれ、小人達は一気にやる気を削がれていきました。
『…弱っている者を討つのは、俺には出来ん』
厳しそうなあの男ですら、今回の企みの実行には異を唱え、細目の男は全員の反応を見た上で幸村へと進言しました。
『精市、今日は取り敢えず標的を変更しないか? 何の理由があってかは知らないが、この娘、どうやら心に傷があるようだ。この家に土足で踏み込んできたことは事実だが、それも彼女の本来の望みではないらしい…今彼女に手を出すべき絶対の理由もあるわけではない』
その言葉に、それ程時間を掛けるでもなく幸村はこくんと頷きました。
『そうだね、そうしよう…先にこんな泣き顔を見せられたら、ね』
そんなリーダーの決定を受けた他の小人達は、誰もそれに不満を見せることもなく、寧ろ逆にほっとした様子で頷き返しました。
『では、今日はこのまま御暇しましょう』
柳生が紫の髪を軽く揺らしながらそう言ったのを合図に、小人達は再び動き出しました。
疑われない様にちゃんと桜乃が被っていた布団をある程度まで元に戻し、ぴょこぴょこと枕元を走り回ると、元来たベッドの脚を伝い降り、たたたーっと床の上を駆けて行きます。
『さぁ行こう』
『夜明けが訪れる前に』
『この部屋には静寂を』
『ああ、つまらないけれど』
『気まぐれな情けも時には楽しみ』
『この家全ては俺達の領地』
『人間なんかに邪魔はさせない』
『ここに俺達が住む限り』
続
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