立海一家の愉快な生活・午後編



 その日の入学式を終え、HRも終了して自由の身になると、桜乃は先ず真っ先に生徒会室に向かった。
 何故かと言えば、普段から、自分の兄達がそこによく集うという話を家で聞いていたからである。
 そして、向かった後で何をするかと言うと…
「おにーちゃんたちっ!!」
 いつになく恐い顔をして部屋の中に叫びながら踏み入ると、聞いていた通り、彼らが揃っていた。
 精市は会長の椅子に座り、比呂士と蓮二は彼と何かの案件について話していたのか、相手の椅子の両脇に立っている。
 他の兄達は、それぞれソファーに座ったり、木刀の素振りをしていたりと、思い思いの様子でくつろいで(?)いた。
「あ、桜乃だ」
「どーしたー?」
 部屋に持ち込んでいたオセロに熱中していた赤也とブン太が声を掛けたが、桜乃は相変わらずの表情で彼らに向かって思い切り非難開始。
「ひどーい! スピーチの時にあんなコト言うなんて、あれからどれだけ私が苦労したと思ってるのー!?」
「え? 何が?」
 問題のスピーチを行った張本人である精市は、しかし心底彼女の非難が意外だという様に、ぽかんとした表情で応えた。
 長年の付き合いであるだけに、それがフリではないという事は分かったが、それでも桜乃の立腹はなかなか収まらない。
「何がって、スピーチであんな喧嘩売る様なコト言われて、妹の私はすっごい肩身が狭い思いしたんだから! もう絶対クラスの男子には引かれてるわよ、自己紹介の時にだって『立海』の言葉を聞いた途端、水を打った様に静かになっちゃうし、『近寄るまい』って視線がもう痛くて痛くて…」
「良かったじゃない」
「良くないもーん!!」
 本気で『良かった』と思っているらしい爽やかな笑顔の精市の向こうでは、雅治が窓の外にぷーっとシャボン玉を吹きながら少しだけ気の毒そうな表情を浮かべていた。
(…辛いHRだったじゃろうな…)
 赤也とブン太も、精市に多少賛同出来るところもあったが、桜乃に全く同情出来ないこともなく、いたたまれない顔で一時オセロの手を止めている。
 そして桜乃はべそべそと嘆きながら、手にしていた鞄を部屋に据え置かれていたテーブルの上に置くと、そのままそれをぐりんと上下逆にした。
 ばさばさばさっ!!

『!?』

 男達が見たのは、鞄から落ちてこんもりと盛られた封書の数々。
「因みにこれは、私がお兄ちゃん達の妹だって知った女子の人達から預かったラブレター…どーして入学早々から、こんな郵便配達員みたいな真似しなきゃいけないの〜?」
「いや…それを俺達に言われても…」
「でも取り敢えず、ごめんなさい」
 弦一郎とジャッカルが申し訳ないと妹に謝罪している間に、男達がそのテーブルへと寄って来た。
 精市も椅子から離れてその場に来ると、うんざりといった表情でそのラブレターの山を見下ろす。
「こういう類のものは受け取らないって言っているのに…困ったな」
「資源の無駄ですね…読んだとしても、返事は決まっているというのに」
「もったいなーい!!」
 精市と比呂士の言葉に桜乃が抗議したが、それはエコの意味ではない。
「持ってきてくれた人達、みんな優しそうで綺麗な人も多かったのに。女性にだらしないよりはよっぽどマシだけど、少しは恋人を作ることにお兄ちゃん達こそ目を向けたらいいのに…」
「だってめんどくせーもん」
「言いたくないけどそれ最低、赤也お兄ちゃん」
 桜乃がびしっとすぐ上の兄に突っ込んでいると、長男がそれでも難しいと苦笑しながら意見を述べる。
「けど、赤也じゃないけどやっぱり今は無理だなぁ…」
「どうして?」
 それには、赤髪の若者が派手なジェスチャーを交えて力説した。
「そ・れ・は! お兄ちゃん達の胸の中には、溢れんばかりの妹への愛情が詰まっているからだぜい!!」
「…そーですか…」
 何かもう…突っ込むに突っ込めない…他のお兄ちゃん達も全然否定する様子ないし…
 怒りが収まると言うか一気に疲れが襲ってきた所為で、そのエネルギーを保つことが困難になってきた少女だったが、せめてこれだけはと主張する。
「でもねぇ、お兄ちゃん達。私も中学生になって、やっぱり一度ぐらいはデートとかそういうコトもやってみたいと思うのよ、今はそういう相手はいないけどね」
「…では、そのデートとやらでお前は何をしたいのだ?」
 少し機嫌を損ねた様子で弦一郎が妹に率直な質問をした。
 『今はいない』という条件があったからまだ良かったものの、もしそれらしい気配を感じていたら、早速彼が挑戦者を迎え撃っていただろう…向こうの希望関係なく。
「え? うーん…」
 問われて、桜乃は至極真面目に考えて、にこりと笑った。
「そうだねぇ、やっぱり朝早くから起きて、可愛くお洒落して待ち合わせてから、一緒に映画行ったりお洋服とか選んでもらったり…特製のお弁当作ってあげたりして、遊園地で遊んだり…色々〜」

『…………』

 そんな妹の話を聞いていた兄達が一斉に押し黙り…口を揃えて突っ込んだ。

『それならいつでも付き合うぞ?』

「お兄ちゃん達、デエトってゆうのはね…」
 身内の付き合いとは根本的に違うんだよ…と思いつつも、更に気力を削られてしまい、桜乃は結局説明すらも諦めた。
 そう言えば、この兄達の行き過ぎた兄妹愛の所為で、何度も同じ事を繰り返した記憶がある…懲りない自分も自分だけど…
「お前の希望はあるだろうが、保護者としてはやはりたるんだ相手を認める訳にはいかん。相応の手練れでなくばお前を守りきれんだろう。それを確かめてやろうと言うのだ」
 頑として譲らない次男に、桜乃ははぁと溜息をつく。
「今は現代社会だよ、弦一郎お兄ちゃん…」
「そうであっても軟弱な輩に立海の敷居をくぐらせはしない」
 蓮二の言葉も力が篭っており、気合十分。
「そうだよ、桜乃はウチの大事な箱入り娘なんだから…それに、恋愛なんてまだ早い」
「…精市お兄ちゃん、確かスピーチで…」
「ヨソはヨソ、ウチはウチ」
 出たっ!! 世の親達の伝家の宝刀!!…親じゃないけど。
「…もういい…何か疲れちゃった…」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど大丈夫…」
 お兄ちゃん達の所為なんだけど…と思いつつ、桜乃はその場から撤収する事を決めて再び鞄を持った。
「お兄ちゃん達はまだ帰らないの?」
「おう、これから少しテニス部のミーティングやろうかと思ってのう」
「ちょっとかかりそうだが…待つか?」
 雅治や蓮二が妹に返答したが、向こうはちょっと悩んだ後に首を横に振った。
「んー、今日はこのまま帰るわ。待っていたら間に合わないかもだし」
「? 何に?」
「お昼のタイムセール。お醤油とか色々と安くなるみたいだから、売り切れる前に行かないと…只でさえ今日は出費が大きいんだから」
 しっかりと兄達の胃袋の管理をしている妹は、ふんっと胸を張りながら誇らしげに言った。
「入学式は大事なイベントですから、今日は焼肉食べ放題の日にします」
「やったー!!」
「よく言った! 桜乃! それでこそ俺達の妹だぜい!!」
 そうじゃなければ妹とは認めないのか、という疑問はさておいて、赤也とブン太の歓声の陰で、こっそりとジャッカルが彼女に囁いた。
「…『お前の』イベントだよな?」
「いいの…やらなかったらやらなかったで、間違いなく後でサラウンドでせがまれるから…」
「…っ」
 自分と同じ様に人生悟った様子の妹に、ジャッカルがぐすんと涙を滲ませる。
 本当にこの子は不幸なんだか幸福なんだか…
「じゃあ、先に帰るね」
「気をつけるんですよ」
「はぁい」
 比呂士の気遣う言葉を受けて妹は生徒会室から退室していったが、それから暫くミーティングが続いたところで、あ、と赤也が声を上げた。
「どうした?」
 弦一郎の問いに、彼が困惑した顔で確認する。
「…今日の食材とか…桜乃、かなり荷物重くなっちまうんじゃ?…」
「む…」


 その妹は、行きつけのスーパーに立ち寄り、いそいそと目的の獲物の獲得に余念がなかった。
「よーし、お醤油も買ったし、お肉もこれだけあれば大丈夫ね。育ち盛りが九人もいたら量も食費もバカにならないんだもん…」
 資産家ではあるが、金銭感覚は一般人のそれと変わらない娘は、特に浪費をすることもなく、堅実に家計をやりくりしている。
 かと言ってケチという訳でもなく、どんなに大食漢の兄達がいようとも、桜乃は彼らを飢えさせる事なくしっかりと、味も量も満足のいく食事を提供しているのだ。
 値段が安くても身体に悪そうなものには絶対に手をつけない、理想のシェフであり、それが彼女にとっての矜持でもあった。
「んと…あ、お砂糖も安い〜…でももうかなりの荷物だし…」
 籠にどっちゃりと乗せられた食材の山を確認して、桜乃がその場で少し留まって悩んでいると、少し離れたところからやけに若い男達の声が聞こえてきた。
『うわ、しまった。醤油売り切れか』
『あ…間に合わなかったみたいですね』
(ん…?)
 こんな所で若い子の所帯地味た会話を聞くのは珍しく、桜乃はついそちらへと顔を向ける。
(あれれ…同い年ぐらいの人達…)
 調味料繋がりで近い場所にいた桜乃は、最寄の棚から少し離れたフロアーに設けられていた特売コーナーの前に、二人の学生が立っているのを見つけた。
 一人は黒髪…短髪だが、頭には逆向きにすっぽりと青のキャップを被っている。
 もう一人は隣の若者より長身で、頭髪は自分の兄雅治と同じ様な銀髪だった…が、肌の色や会話のイントネーションからして先ず自分と同じ日本人だろう。
『あーくそ、ないと尚更悔しくなるなー…お一人様一本までってあったからゆとりあるかと思ってたのに』
『仕方ないですよ、亮お兄さん』
「え…」
 彼らの会話を聞いていた桜乃が、思わず自分の籠の中を見る。
 指定の特売の醤油が…三本。
(ええ!? 一本までだったの!?)
 少しだけ近づいて空になったダンボールにつけられていた値段表を見ると、確かにその旨を記した文字が飛び込んできた。
 おそらく桜乃がそこを見た時には、肝心の注意書きが品物で隠されているなりしていたのだろう。
 つまり、自分は二本フライングしてしまっているのだ。
(うわ〜、危ないところだった…あ、でもそうだ、なら丁度いいから…)
 更に近づいてゆく桜乃に気付かない様子で、二人はまだその場に留まって話しこんでいた。
「いいじゃないですか、別のを買って帰りましょう。それに特売のお醤油買って帰ったなんて知られたら、景吾お兄さん怒りますよ?」
「兄貴の金銭感覚は異常なんだよ…お金は大事だってどっかのCMでも言ってたじゃねーか、無駄遣いなんてそれこそ激ダサ…」
「あのう…」
「ん…?」
「え?」
 桜乃の呼びかけに振り返った二人は、彼女を見て同時に首を僅かに傾げた。
 初対面の女子に呼びかけられたのだから当然の反応である。
「何ですか?」
 銀髪の若者が物腰柔らかい様子で優しげに問い掛けてくる…なかなかの紳士だ。
 髪は雅治お兄ちゃんみたいだけど言葉遣いは比呂士お兄ちゃんみたいだな、と思いながら、桜乃は籠の中の醤油を二本取り出して、その二人へと差し出した。
「お醤油…宜しければ」
「え…?」
「いいのか?」
 尋ねた相手に桜乃はこくんと頷いた。
「一本までだって知らなくて…お二人なら二本で大丈夫ですよね、どうぞ」
「マジ? サンキュー!」
 差し出された醤油を受け取った帽子の若者は、嬉しそうに笑って彼女に礼を述べ、それに続いて銀髪の男もぺこりと頭を下げる。
「ご親切に有難うございます」
「いえいえ」
 なかなか心地良い会話だな〜と思っていた桜乃が、ふと顔を上げた時に二人の制服に注目した。
「…」
「な、何…?」
 女の子に注目されて少々気恥ずかしいらしい帽子の男が尋ねると、桜乃はいえ、と首を振りつつ答えた。
「あの…あまり見ない制服でしたからつい、失礼しました…ええと、どちらの…」
「ああ、俺達は…」
『亮〜! 長太郎〜!』
 そこに、誰かの呼び声が聞こえてきて、程無く更に二人の若者が加わってきた。
 その二人も、目の前の若者達と同じ制服を纏っている。
 一人は黒髪の眼鏡をかけた若者で、クールに見えるがその眼差しは何処となく優し気だ。
 もう一人の方は髪をワインレッドに染めており、やんちゃな性分なのか、非常に軽い足取りであっという間に亮と呼ばれた二人の傍に来た。
「なになに? ナンパ?」
「醤油分けてもらってただけだ」
「ほうほう、で、そこからお付き合いに発展させていくと」
「学校を尋ねられていただけですよ」
 二人に悉く否定されたワインレッドの髪の男は、つまらなそうにちぇっと舌打ち。
「何だ色気ねーなー…ってか、俺らの学校知らないなんて、余程の田舎者なんじゃね?」
「確かに水と空気は美味しいです」
「……」
 桜乃の天然返しに相手が絶句していると、その隙に眼鏡の男が彼を叱った。
「やめえや岳人、失礼やで…すまんかったなぁ、お嬢ちゃん…ん?」
 謝っていた男が、桜乃の顔をまじっと見て言葉を途切れさせ、更にまじまじっと凝視する。
「あ、あのう…?」
「……君、もしかして立海の家の子なんちゃう…?」
「え? ええ…そうですけど…」

『!!』

 桜乃の一言で向こうの若者達全員が固まったところに、どどどどど…と遠くから誰か複数のけたたましい足音が響いてきたと思ったら、そこに勢い良く乱入者達が現れた。
 赤也とブン太とジャッカルの三人だ。

『桜乃に近づくなブルジョワ兄弟ども――――――っ!!』

「ひゃんっ!!」
 ブン太が桜乃を抱き抱えて男達から遠ざけると同時に、赤也が牽制する様に兄達の前に立って向こうの一団を睨みつける。
 ジャッカルは…何となく『仕方ない』という様な顔をしているのみで、特に何かしら手を出す様子は無かった。
「お、お兄ちゃん達どうしたの!? ミーティングは?」
「おめーが荷物重いんじゃねーかってコトで、気になって来たんだけどさ…あーもーマジで来て良かった、よりによって氷帝の家の奴らと会うなんて…」
「氷帝…?」
 何かしら、と桜乃が考えている間に、赤也と向こうとの少々刺々しいやり取りが始まっていた。
「スーパーで人ん家の妹ナンパするとはイイ度胸じゃないッスか? 氷帝の皆サン?」
「だから醤油分けてもらってただけだっつーの!!」
「彼女が君達の妹だなんて、今の今まで知りませんでしたよ!」
 亮と長太郎が反論したが、赤也の糾弾は止まらない。
「ケッ! んな白々しい言い訳が通用するかっての! 俺らの妹に声掛けるだけでも厚かましいんだよ!」
「赤也お兄ちゃん! 失礼よ!?」
 そんな乱暴な台詞に、桜乃が嗜めている間に今度は岳人が噛み付いた。
「知らねぇって言ってんだろ! てめえらこそ『あん時』は散々こっちを引っ掻き回してくれやがって、忘れてねぇからな!」
「はん、悔しかったらまた頼りの帝王様でも連れて来たらどうなんですかね」
「何だとー!?」
「おい赤也、いい加減にしろって」



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