ジャッカルがやれやれと仲裁に入り、そこに桜乃も加わって何とか彼らを諌めようとしたが、元々好戦的な末弟だけに、なかなか言うコトを聞いてくれない。
 それからも周囲を無視する形で彼と岳人と言われた若者との舌戦は続き…
「んも〜〜〜! 赤也お兄ちゃん!!」
 そうしている内に、遂に妹である桜乃がキレた。
「やめてってば!!」

 ごんっ!!

「っでえ!!」
 醤油のボトルでしたたかに赤也の頭を殴り、彼の暴走を止めたのである。
 これには氷帝の男達もぎょっと度肝を抜かれた様子で立ち竦んでいたが、構わず桜乃はぺこぺこと彼らに何度も頭を下げて謝っていた。
「すみません、すみません、兄が失礼を致しました〜〜!! 詳しくは知りませんが、ウチが何かしてしまったのなら謝ります! ごめんなさいっ!!」
「い、いや…」
「別に…」
 ここまで謝り倒されてしまうと、逆にこちらが悪いコトをしてしまった気になる…
 亮や岳人が戸惑っていると、眼鏡の男が桜乃に近づいて、変わらず優しい声で話しかけてきた。
「…お嬢ちゃん、立海と氷帝の間で何があったのか知らんの?」
「え…やっぱり何かあったんですか?」
「……成る程なぁ」
 背後の少女の兄達を見ると、全員気まずそうにあさっての方向をを向いており、それを見た若者は大体の事を察して薄く笑った。
「まぁ、ちょっと俺の口からは言い辛いからなぁ、家に戻ってからお兄ちゃん達に教えてもらったらええわ……あ、自己紹介まだやったな、俺、氷帝侑士、こいつらの中では一番おにーさんや」
「はぁ…」
「迷惑掛けてもうたなぁ、堪忍やでホンマ」
「いえ、こちらこそ…」
 ぺこっと改めて謝りつつ暇を告げる桜乃に、ぶーっと赤也が唇を尖らせた。
「何だよ、心配して来てやったのにそりゃねぇだろ」
「お兄ちゃん達は行動が派手なの。今日の精市お兄ちゃんのスピーチの件だって、大袈裟な話だったんだし…さ、行きましょう」
 そんな妹の台詞に、ブン太がだって、と食い下がった。
「俺らの一番大事なお宝やるんだから、俺ら全員に勝つのは当然の条件だろい? 欲しかったら、八人に勝ってみろいっての」
「んもう…」
 仕方ないんだから…と桜乃が苦笑している背後で、それを耳にしていた岳人が興味も露に身を乗り出した。
 立海のあの男達が一番大切にしているお宝!?
 あの八人に勝ったら、それが貰えるのか!?
 それが何であるかなど知りもせずに、彼は興味のままに去ろうとしていた立海の面子に呼びかけた。
「なぁ、その宝ってさ、俺が今お前ら倒して、残り五人倒したら俺が『貰って』いいの?」
 その瞬間、赤也とブン太、ジャッカルの足並みが一様にぴたりと止まり、一秒間沈黙が流れた後…

『あ"あ?』

 普段は温和なジャッカルでさえもが、物凄い形相で振り返り、相手を睨みつけていた。
 それはもう、そのまま睨み殺せる程の勢いで。
(ひいいいいいいいいいいっ!!!)
 油断していたとは言え、三人分の睨みだけで足が竦んでしまった岳人は勿論その場で挑戦出来る訳も無く、結局立海の兄妹達が出て行くのを見届けるだけだった。
「…す、凄かったですね…」
「何なんだよ…そのお宝って」
「あの立海の三強を含んでのお宝か…なかなか面白そうやなぁ」


「え…氷帝の人達に会ったのかい?」
「うん」
 その日の夕食後…戦場の様な焼肉大会が無事に怪我人もなく終了し、皆が揃って居間で思い思いの格好でくつろいでいた時に、精市が桜乃から夕方の件で質問を受けていた。
 因みに同席していた男達は、その時は床に大の字になって寝そべり、幸福感、満腹感を満喫している真っ最中。
「ナンパなんてされてないだろうね」
「されてませんてば…それより、ウチと氷帝さんの処であったコトってなぁに?」
「そんな事まで言ったのかい? 向こうは…やれやれ」
 どうやら、侑士が何を言わんとしていたのか、長男もよく理解しているらしい。
「はは、ま、教えるぐらいはいいんじゃないかの、精市。桜乃も中学生になったんじゃし、悪いことでもなかろ」
「……そうだね、まあ知るぐらいなら」
 兄の許可が下りたところで、雅治はよいしょと桜乃へと向き直ると、彼女が知りたがっていた立海と氷帝の過去について語り始めた。
「お前も知っとるじゃろ? 俺らの親が油田掘り当てて、一夜にして大富豪になった後、小さな企業を興して色々と手がけとるんは」
「うん、知ってるよ」
「じゃあ…実のところ今の経営は蓮二がほぼ全てを掌握しとるっちゅう事は知っとったか?」
「えええ!?」
 ぎょぎょっと桜乃が兄の蓮二を見ると、向こうはしれっとした様子でお茶を啜っており、湯飲みから口を離すと短く肯定した。
「指示の際は親の名を借りているが…社会勉強と思うと面白い」
「ふえぇ…じゃあ、実質的な社長が蓮二お兄ちゃん?」
「いや、俺は舵取りはするが、方針を決めるのは主に精市だな」
「どっちにしろ、お父さん達じゃないんだね…」
 何だかなぁ…と桜乃が溜息を零していると、けどな、とジャッカルが続きを話した。
「ウチ以外でもそういうパターンのトコってあるんだよ…その代表が氷帝なんだ」
「ええ?」
「あそこはウチより遥かに大企業で、資産もとんでもないレベルなんだが、そこの代表は多忙で夫婦揃って海外に行ったっきりでな…そこの長男が中学一年生になった時に、資質を見極めるという意味で国内の会社を任されたんだよ…今日会ったアイツらの兄に当たる奴さ」
「ふぅん…そう言えば、向こうも結構な大兄弟っぽかったね」
「まぁな…向こうも俺ら男組と同じ、八人兄弟だぜい。んで、殆どの奴らが俺らと同じ中学三年」
(……異常気象の所為ってワケじゃないよ、ねぇ…)
 こんな身近に、こんな大人数の年の近い兄弟が揃っているなんて…と、ブン太の言葉に桜乃が有り得ない心配をする。
 そうか、向こうもそんなに沢山の兄弟がいるんだ…
「で、その長男と言うのが、名を景吾と言うのですがなかなか他に例を見ない大胆不敵な若者でしてね…会社を親に任された途端、片っ端から様々な企業を傘下に収めるべく動き出したのです」
「中学生で!?」
「幼少時より帝王学を学んでいたらしく、会社の経営等にも通じるところがあった様です…確かに彼が計画に着手してから暫くは、合併、吸収は滞りなく進んでいたのですよ」
 比呂士の説明の後、だが、と次男の弦一郎が厳格な容貌のまま、嘲るように言った。
「あらかた計画が成功し展望も見えたところで、その長男は残りの始末を弟達に任せ、一時異国に出て行ったのだ。事業の拡大を図る為にな…そして、奴らの計画の最終組に振り分けられていた立海にも、奴の代理人が来た。甘く見られたものだ」
「ふぅん…でも、ウチを最終組にしたっていうのは、やっぱり少しは警戒していたからじゃないのかな?」
 弦一郎にそう答えた桜乃だったが、その予想はあっさりと赤也の一言で覆された。
「傘下に入れる会社、アイウエオ順で決めてたってよ」
「……」
 となると、確かに立海は後の組だろう…かなり遅い方の。
(大胆なんだか適当なんだか…)
 意表を突いた作戦ではあるけれど…と桜乃が悩みつつそう判断を下していたところで、ふっと精市が口元に笑みを浮かべた。
「まぁ、勤労意欲に富んでいるのはいいことだけど、こっちも親から預かっている様なものだからね…そんなにあっさりと渡すワケにはいかないんだよ」
「…すっぱり断ったの?」
「そらもー、コエーぐらい」
 尋ねられた赤也がぶるぶると震えて答えるほどに、その時の情景は鮮やかに彼の脳裏に刻まれていた…


「成る程、お話はよく分かりました」
 某日、中学一年生の精市達は、家に数人の客を迎えて、対面で座り、相手の言葉に耳を傾け頷いていた。
 相手は三人…自分達より遥かに人生経験があるだろう大人達だ。
 スーツを着込み、内一人は堅そうな印象の眼鏡を掛けている。
 彼らは氷帝の企業の代理人と名乗り、立海を自社に吸収したい旨を述べてきたのだ…いきなりの訪問で、しかも単刀直入に。
 それが向こうの心理作戦であったのか、それとも保護者達がいない中学生如きとたかを括っていたのかは分からない。
 しかし、明らかに高圧的な態度を取る相手方の大人達に、精市や蓮二こそ柔らかな物腰だったが、他の弟達は一様に相手の三人を刺々しい目で見つめている。
 間違いなくこちらをただの子供と舐めている…大人が数人で来て難しい話をしたら、丸め込めると思っているのか。
 例えこちらが子供である事を認めたとしても、そういう態度が不快だという事実は変わりないのに。
「こういう話をする場合は、せめて社の代表が赴くものだと思っていましたが…最低限の礼儀として」
 ぎらっと弦一郎が一際強く相手を睨みつけながら問うと、向こうは若干引きながらも慇懃無礼なまでの態度で応じた。
「いえいえ、仰る事はごもっともですが、生憎長男の景吾様は日本にいない状態で、他のご兄弟様も勉学などで何かと忙しく」
「こっちはその勉学の時間潰してあんたらに会ってんだけどね」
「ブン太、失礼な事を言ったらダメだよ…それぞれの事情というものがあるんだろう」
 長男の柔らかな物言いに、向こうの三人は早くもこの件が片付く事を予想していた。
 代行者であるとは言えやはりまだまだ中学生…親がいない今の内に、早めに話を進められるところまで持って行けば後はこちらのものだ。
「では、こちらの草案には大体納得して頂けるということで」
「ええ…一箇所を除けば概ね宜しいですよ」
「…一箇所?」
 精市の条件に大人達が視線を交し合っていると、その若者はすうと差し出された書類の上部を指差した。
「ここには、氷帝のグループが我が立海を傘下に収めるとありますが…これは丸っきり逆ですね」
「…は?」
 何を言っているのだと向こうが意思を量りかねていると、精市はおやおやと楽しそうに笑った。
「ああ失礼…今の言い方では分かりにくかったでしょうか…では言い換えて申し上げましょう」
 そして、柔和な表情だった若者はそれを一変させ、一睨みだけで相手を竦ませてしまう冷徹な眼差しを向けながら断言していた。
「そっちが跪いて靴を舐めれば、傘下にしてあげる事を考えてもいいって言っているんだよ」
『!!!』


「まぁそういうコトがあった訳で…」
「精市お兄ちゃ―――――んっ!!!」
「だって人にあれこれ指図されるの嫌いなんだもん」
 声を上げて非難する妹に、精市がばつが悪そうにそっぽを向きながら言う。
 やり手の大人相手でも一向に怯まなかった男だが、妹からの責めにはとことん弱い。
「もうちょっと言い方ってものがあるじゃない! そんな事言われたら、普通、向こうの人が怒って何かして…」
 言いかけたところで桜乃はぴたりと口を閉ざした。
 まさか、まさか……
「…もしかして、ウチと氷帝の間にあった『何か』って…」
「うん」
 こっくりと精市は肯定した。
「あれから向こう、力ずくでこっち買収しに掛かってきたから、逆に向こうが傘下に入れた会社、片っ端から分捕っちゃった」
(やっぱり――――――――っ!!)
 ひーっと桜乃が涙目で内心叫んでいると、その時の事を思い出して蓮二達がしみじみと語った。
「まぁ、肝心要である景吾がいなかったからそう苦労も無かったんだが、流石に手がつけられないと悟った向こうの弟達が、奴にSOSを送ってな」
「『にーちゃん助けて――――っ!!』って呼ばれて、アイツ大慌てで自家用ジェットで戻って来たんじゃ…それから暫くウチと向こうで国盗り合戦」
「まぁこちらも面倒ごとは嫌いなので、最終的にウチを諦める代わりに捕った会社全部お返ししまして、手打ちにしたんですよ…今はまた長男は何処かの国の空の下ですが」
「そーゆーいきさつがあるから、お手々繋いで仲良しこよし、なんて出来る訳ないだろ?」
「こっちは敵意はないんだけどな…手を出されない限りは」
 ジャッカルが最後にそう締め括ったところで、桜乃は全ての顛末を聞いて一気に脱力していた。
(…確かにこっちは悪くないんだけど…って、誰が悪いワケでもないんだけど…何で話聞くだけでこんなに疲れるかなぁ…)
 でもやっぱり…お詫びはしておいた方がいいよね……ご近所付き合いは大事なんだし。



 翌日の氷帝家
「…で?」
 その日も見事な夕食のメニューが並んでいる食堂のテーブルを眺め、岳人達が一様にその中央の一点を見つめていた。
「…何でフランス料理のメニューの中央に、鍋ごと芋の煮っ転がしが置かれてんだよ」
「昨日のお詫びって立海の家の女が持って来たんだよ。突っ返すワケにもいかないだろうが」
 岳人の突っ込みは既に読んでいたとばかりに、亮が諦め顔で言って、ぽつりと付け加えた。
「まぁ、悪い奴じゃなさそうだし…アイツに関しては」
「お、もしかして亮、あの子気に入ったんか?」
 侑士の冷やかしに、向こうはふんと鼻を鳴らして否定した。
「んなんじゃねーよ。タイムセールの恩があるってだけだ」
「ええ加減、その庶民思考から少しは抜け出してくれんかな…けどまぁ、確かにあの時の騒動も知らん様子やったし、あの子まで責めるいうんは筋がちゃうやろな」
「まぁな…おい長太郎、ジロー起こしてこいよ、夕飯だって」
「はい、亮お兄さん」
 てきぱきぱきと指示を出している亮の隣で、侑士は鍋の中で良い具合に出来上がっていた煮っ転がしをほうほうと眺めた。
「これは美味そうや…あんな可愛らしいお嬢ちゃんの手作りと思ったら、有り難味もひとしおって奴やな」
「また侑士の病気が始まった…」
 女の子には無制限で優しいんだからさ…と愚痴った岳人が、ふとあの日の事を思い出して呟いた。
「……けど、結局、立海の奴らの宝って何だったんだろうな」
「せやな…ただの宝とはちゃうやろなぁ、あの男達があそこまで大事にしとるんやから」
「……景吾兄貴も知らないのかな」
 岳人の疑問に、侑士は苦笑して首を横に振った。
「さぁな…まぁ知らせる必要はないやろ。ギリシャの海に飽きたら、またふらっと戻って来るんやろうし…そん時はスーパーなんて行ったらあかんで、亮」
「分かってるって」
 そして、結局その日も、彼らは立海の宝の真実を知る事はなかった。
 しかしそれから以降、スーパーでの縁を境に、立海家の末っ子と氷帝家のちょっとしたご近所(?)付き合いが始まったのであった…






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