立海家の要


 その日は、実に心地よい気候だった。
 太陽の光も然程強くなく、程よい温もりを優しく届けてくれていた。
 風はさわさわと遠慮がちに木々の枝葉を揺らし、春の香りを運んでくる。
 その自然の恩恵は、ここ立海家の家の縁側にも分け隔てなく与えられていた…

「…ん?」
 休日でも休み無く行われていたテニス部の活動を済ませて自宅へと戻ってきた長男の精市は、縁側に、まだ一組の敷布団と掛け布団が干されているままなのに気がついた。
 そろそろ取り込まないと、今度は余計な湿気を吸ってしまうかもしれない。
「誰のかな…ちゃんと最後まで責任持ってくれなきゃ」
 布団干しなどは普段は妹が積極的にやってくれるが、こうして一人分しかやらないという事はない。
 もしやったとしても、しっかり者の妹なのだから今頃はきちんとあるべき場所へと片付けている筈だ。
 きっと誰かが自主的にやっているのだろう…と思いつつ、精市はぴろっと掛け布団を捲って…
「!……」
 片付けようとした手を止め、暫しそのまま固まって沈黙…
「…ふふ」
 仕方がないな、という様に優しく微笑み、何故かそのまま再び元へと戻すと、片づけをあっさり諦めた様子で姿勢も戻す。
「…庭の様子でも見て来ようかな」
 ひそりと呟く言葉も誰かに遠慮しているように小さく、しかし楽しげに、彼は最後にちらりとその布団を振り返ると、そのまま静かに足音を消して去っていった。


 それから続いて、次男の弦一郎が同じく縁側の布団に気がついた。
「む、誰だ、全くだらしのない…」
 何者が干しているのかは知らないが、後できっちりと注意しておかなければ…しかし今は片付けるのが先か…
(しかし解せんな…こういう事は大体桜乃が行うところなのだが、あの子がこんな気が抜けた事をやるのは珍しい…)
 とは言え、今はその桜乃という名の妹の姿は見えないので仔細も聞ける状況ではない。
「取り敢えず、後で聞くとしようか。今はこれを片付けて…」
 彼もまた、精市と同じようにそれらを片付けるべく近づくと、最初の長男の時より少し乱暴な動きで掛け布団の端を掴み、ばさっと引き剥がした…が、
「…っ!!」
 はっと何かに気がついた瞬間、一度は剥がした布団を、慌てた様子で今度は細心の注意をもって優しく元へと戻していた。
 元々、剛毅ではあるが仕草が乱雑という訳でもない男だったが、それでもその行為にはいつにも増して気遣いと言うか、そんな丁寧さが滲んでいる。
(大丈夫か?………大丈夫、だな)
 それから暫く緊張した様子で目の前の布団を見ていたが、全く変化がない事を確認してからほっと安堵の息をつくと、彼はもうその布団には一切触ろうとせず踵を返した。
「…こほん」
 何となくバツが悪そうに、微かに顔を赤くしつつ咳払いをして、弦一郎はゆっくりと音をたてずに縁側から去っていった。


 それからまた暫くすると、今度は三男の蓮二が、読みかけの本を片手に縁側へと現れた。
 どうやら日向の心地よい環境で読書をしようかと目論んできたらしいが、そんな彼の目にも当然ながら、例の布団一式が映った。
「…?」
 おや?と思いつつ、蓮二は眉をひそめ、続けてそこから見える空を仰いだ。
「……これから二時間以内に、湿度が急激に上昇する確率、八十パーセント以上」
 湿気を吸わせてしまうと、折角の虫干しの効果も半減である。
 勿論彼もそこに思考が至らない訳も無く、蓮二は今までの兄達と同じように片付けようとしたのか、ひょいと右手を伸ばして掛け布団の端を掴んだが、ふと何かに気付いた様子で動きを止める。
「…」
 そしてゆっくりと端を持ち上げつつ、そっと中を覗き込むと…
「!…ふ」
 全てを察した様に小さく笑い、蓮二はそっと布団の端を元の位置に静かに戻した。
「……」
 辺りをくるっと見回し、自分以外今はそこに誰もいない事を確認すると、彼はふむ、と顎に手をやり考え込む。
(俺がこの場を去った後で他の兄弟がここに来る確率百パーセント…布団に気がつき、手を出す確率九十八パーセント…ふむぅ)
 そして軽く首を横に傾げたところで、彼は持っていたノートへと視線を落とした。
(一応、対処しておくか)
 それから手持ちのノートを開いて、蓮二は何事かをすらすらっと書き記すと、べりっとそのページを破り、何故か掛け布団の上へと置いた。
「うむ、これでいいだろう…」
 自分が行った行為に至極満足そうに微笑むと、彼は再びノートを脇に抱えて、無音でその場を後にした。


 次に現れたのは、他の兄達や弟達と同様に、テニス部の活動を終えて帰宅した雅治と比呂士だった。
「…ん? 何じゃ?」
「おや、布団が干されていますね…一組だけ?」
 珍しい光景だな…と思いつつ見ていると、その掛け布団の上に置かれていたノート紙に詐欺師が気付いた。
「んん…?」
 それをひょこりと覗き込んで何が書かれているのかを確認すると、短く一言だけあった。

『さわるべからず』

「……」
「……」
 二人がどちらからともなく顔を見合わせる。
 何だろう、この興味をそそる書き方は…
 しかし、「べからず」と禁じられている以上はそのまま触れずにおこうと弟の比呂士は素直に従おうとした。
「よく分かりませんが、何か理由があってのことなら触れるべきではありませんね…って、雅治兄さん!」
「どれどれ?」
 素直な弟とは正反対で、『詐欺師』の異名を持つ銀髪の若者は、寧ろその書置きに促される様に掛け布団に手を掛けていた。
「ダメですよ、これ、蓮二兄さんの字ですよ。下手に手を出して怒られても知りませんからね」
「まぁまぁ…こんな風に書かれたら手ぇ出さん方が失礼ってもんじゃろうが…」
「どんなマナーですかそれは…」
 さて、どんな秘密が…と思いながらこそっと雅治が布団を捲り、自然と相手を止めようとしていた比呂士にも現場の光景が見えた。
「…」
「…」
 上から覗いた二人が沈黙した時間、約二秒。
 『それ』を確認した二人は互いに顔を見合わせ…雅治は何も言わずに掛け布団を元に戻すと、両手を水平に広げつつ小声で呟いた。
「…セーフッ」
「下手をしたら、間違いなくお説教でしたね」
 何か面白そうなものだったら悪戯のネタにする気満々だった詐欺師も、今はもうそんな思考は微塵もない様子で、未練も残さずにその場から離れる選択をしていた。
「危ない危ない…こりゃ退散するんが上策じゃのう」
 くっくっく、と楽しそうに声を抑えて笑いながら、雅治が人差し指を口元に立てると、比呂士も了解したという様に微笑んで頷いた。
「ええ、行きましょう」
 意見も一致したところで、二人はゆっくりと縁側から離れて何処かへと移動していった。



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