そして今に至る訳だが……
「しかしよくよく考えたら、流石にアイツらも竜崎に危害を加えるつもりはないと思うんだが…」
ホームでは冷静にはなりきれていなかった、とジャッカルが今更ながらにそんな台詞を口にする。
「一応、青学の竜崎先生に意見を聞いた後ででも良かったんじゃないスか?」
「それはNGじゃろ」
切原の提案に、しかし仁王は即座に却下の意志を示した。
「何でッスか?」
「竜崎が比較的自由に俺達と交流を持てとるんは、竜崎先生が俺達にそれなりの信用と信頼を置いとるからじゃろうが。そんなトコロにあっさり彼女を拉致られました、なんて下手に報告をしてみい」
その後には、柳の分析が容赦なく入る。
「竜崎はおそらくは無事に連れ戻されるだろうが、その時点で俺達への信頼は失墜。寧ろ監督能力さえも疑われ、それはそのまま竜崎への悪影響の懸念に繋がり、おそらく今後の彼女との交流は著しく制限…もしくは完全に出入り不可となるだろう」
「それは甚だ不本意ですね」
「っつーか、バイキンか何かかぃ? 俺ら」
柳生の言葉に続き、丸井がちょっと納得出来ない様子で苦言を呈すると、幸村が苦笑いを浮かべて答えた。
「…俺達の力不足と判断されたのならそれは仕方ないことだけどね…動けるのに動かない、動くべきなのに動かない、というのは主義じゃないんだ。事を下手に荒立てて大きくしたくもないし、報告は俺達がやるべきことを全てやった後ででもいいだろう」
そう言った後、幸村は暫く視線を足元へと向け…一言も発しなかった。
何を考えているのか皆が訝しむ中で、真田が彼に声をかける。
「精市…? 自分を責めているのならそれは違うぞ。責任は俺にある。白石の言葉に惑わされ、ろくに確認もしなかった所為で、こんな事になってしまった」
「いや、弦一郎の所為でもないよ…それに、責めているという事でもない。おかしくてね」
「え?」
「色々と考えると、おかしいことだらけだ。そもそも彼等が竜崎さんをさらう理由というのが分からない。それにこんなコトを仕出かしたら、俺達が動く事だって想像出来そうなものなのに…それにあのホームの貼り紙…やり方が派手過ぎるんだよ」
こっそりやるならもっと上手いやり方はあるだろうし、ただの悪戯にしては手が込みすぎている。
まるで俺達に追いかけてほしいみたいだ…
「しかし何故?」
柳生の質問には相棒の詐欺師が答えた。
「結局そいつの考えとるコトはそいつにしか分からんよ。ま、当たりをつける事は出来るがの、それでも今の俺達に出来る事は、奴らの誘いに乗ることぐらいじゃろうが」
そう言いながら、さして慌てる素振りもない男は、まるで参謀の心中を見透かしている様ににやりと笑って相手の同意を誘った。
「そうじゃろ? 参謀」
「…ああ。取り敢えず、手掛かりは昨日の竜崎の会話…天王寺七坂にある。最寄の駅からの道程はほぼ把握した。巡る寺院の各々の距離は然程広くないし、土地勘が無い以上は全員で回った方が良かろう……それと…」
「ここが七坂最後の一心寺や。昔、大阪冬・夏の陣で徳川家康の本陣にもなった由緒ある寺やで」
「庭園が綺麗な処ですね…」
その一方、拉致された筈の桜乃は、自分がそんな状況に陥っているとは露知らず、のんびりと昼過ぎには天王寺七坂を踏襲し終えるところだった。
「有難うございました、皆さん。御迷惑をお掛けしたばかりか、こんなに楽しい休日を下さって…」
「いやいや、金ちゃんも喜んどるし、俺らも楽しんどるから気にせんでええよ?」
「はぁ…そう言えば、立海の皆さんにもご心配をお掛けしてしまって…連絡を取って下さったということであれば、安心ですが…」
「はは……まぁ、なぁ」
どうやら、自分が新幹線で拉致されたという自覚もないらしい上に、立海メンバーには既に四天宝寺のメンバーが連絡を入れてくれていると信じ込んでいるようだ。
道理で、この落ち着きぶり…
そこに、突然第三者の怒鳴り声が割り込んできた。
「そーんな話はこちとら一切聞いてねぇけどなぁ!」
「え…?」
「!!…ありゃ」
桜乃と四天宝寺メンバーが振り返ると、少し離れた場所にずらりと並んだ立海メンバー。
幸村達は然程慌てる様子も無く、激しい感情を露にしている事もなかったが、二年生の切原は先程の怒声と比例した迫力ある顔をしていた。
「皆さん!? どうして…」
驚く桜乃の前で、切原達が一歩彼らへと足を踏み出す。
「竜崎さらって何しようってんだよ、こんなトコまで来させやがって下手な言い訳したらただじゃあおかねぇぞ!」
「…え? さらうって…」
「…その前に」
きょとんとする桜乃を他所に、ひょいっと財前が手を上げて、びし、と丸井を指差した。
「こんなトコまで来させられた割には、随分呑気に楽しんでるみたいやけど、そっちの言い訳は?」
彼の指摘通り、指された丸井は何処かで買い漁った土産袋や、屋台の食べ物を両手にこれでもかと抱えていた…よく見ると他のメンバーもちらほらと。
とても、誘拐された桜乃を必死こいて追いかけてきたという緊張感など、微塵も感じられない。
「オメーらがじーさんばーさんに混じって寺参ってばっかだから、時間の潰しようが無かったんだっつーの!!! 誘拐した人質と一緒に呑気に線香なんざ上げてんな!!!」
敵方の尤もな質問に切原が更にヒートアップして喚く…まぁ、先輩達のお陰で痛いツッコミを受けてしまったのだから当然だが。
そんな後輩の後ろでは、仁王がやれやれと困った顔で丸井に進言していた。
「ほれ、やっぱり突っ込まれたじゃろうが…じゃから後にしとけと」
「だぁって、柳の言うように遠くから見ているだけじゃつまんねんだもん」
どうやら、自分達は随分と前から立海側の監視下にあったようだ…おそらくこちらの目的や動向を探ろうと思っての事だったのだろうが…成る程、気配を消すのも得意技か。
「俺らが買えと言ったワケじゃなかとやけどねぇ…」
あはは、と笑う千歳の顔にも緊張感など微塵も無く、まるで偶然道で出会った友人に対する様な態度だった。
「とにかく、いい加減竜崎を返せっての」
「まぁそう慌てんと…金ちゃん!」
「おう!」
「鬼ごっこ開始や! ゴールまで捕まるんやないでぇ! 行きや!!」
「よっしゃ〜〜〜〜〜っ!!!!!」
白石の指示を受けた遠山が、満面の笑みを浮かべて桜乃の腕を掴むと、立海のメンバー達から反対の方へと走り出す。
「えっ!? ええっ!?」
「竜崎!?」
何が起こっているのか、何が起ころうとしているのかまるで理解していない桜乃は、遠山に腕を掴まれたまま、また何処かへと連れ去られてゆく。
ジャッカルが叫ぶ隣で、切原がだっと速効で二人を追いかけようと走り出す。
「おっと!」
しゅっ!!
実に優雅に…白石が切原に向けて右腕を水平に勢い良く振った。
まるで細身のナイフを相手に向けて投げた様な、そんな格好良さがあったのだが、果たして投げたモノの正体は…
すって――――――――――――んっ!!!!
「だあああああああああっ!!!!」
黄色い平和仕様地雷、バナナの皮だった。
流石に『聖書』を抱く男…絶妙な位置に投げられたそれを素直に踏んでしまった切原は、これ以上はないと言う程に見事にすっ転んでしまう。
「んん―――――――っ、絶頂―っ」
(どっから出したんや…)
忍足の疑惑の視線を受けながら、我ながら上手くいったとばかりに白石が髪をかき上げる向こうで、嵌められた二年生エースはいよいよ半狂乱になって瞳を赤く染め上げる。
「ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろか――――――――っ!!!!!」
「おっと、恐い恐い! 全員、散開!!」
「よし、行くでぇ!!」
「ほんじゃ、また後でなぁ立海!! 地元での鬼ごっこなら負けへんでぇ!」
示し合わせた様に、四天宝寺の面子がばっと一斉に四方へと散っていった。
誰を追えばいいものか一秒悩んでいる間に、もう彼ら全員は人ごみに紛れて消えてしまっていた。
「くそ〜〜〜〜〜〜!!」
ぎりぎりと歯を噛んで悔しがる切原の背後で、仁王は実に感心した様子でぐっと親指を立てる。
「見事じゃ、流石大阪、本場の身体張ったお笑いは一味違うのう」
「切原君など、敵ではありませんでしたね」
「アンタらそれでも先輩か――――――――っ!!!」
心配などこれっぽっちもしてくれていない彼らに涙目になった切原が怒鳴ったが、苦笑した幸村がまぁまぁと諌めた。
「そこまでにしよう。流石にこれ以上人目を引いたら恥ずかしいからね…でもこれではっきりしたよ、彼らの目的が……さて、じゃあ俺達もゴールに向かおうか…のんびりとね」
通天閣
「…あ!」
遠山に連れられるままに、桜乃は展望台で全員揃った四天宝寺のメンバー達と景色を眺めていたが、そこに見慣れた男達が来たのを見つけて顔を綻ばせた。
「皆さん!!」
再び、立海メンバー登場。
閉鎖された空間であることと、今回は四天宝寺側も逃げる様子が無かったことから、彼らは特に何の騒動も起こすことも無く合流する。
「へぇ…ほんまに流石やな、迷いもせんとここに来るとは」
向こうの二年、財前の素直な評価に、幸村はにこりと笑った。
「大阪と言えばね…それに、昨日の竜崎さんのリクエストだったから、君らが外すワケがないって参謀の予測」
「ははは、そこまで読んでこの時間に来たってこつは…少しは堪能したんね?」
「まぁな…のんびりと、見て回らせてもらった」
「面白かった、ここがお前達の原点なのだな」
柳と真田も、落ち着いた様子で千歳に答え、それから桜乃に視線を移す。
「竜崎、楽しませてもらったか」
「はい…すみませんでした、皆さん。私、てっきり連絡はいっているものとばかり…」
詫びる少女に、白石がひらっと手を振って笑う。
「ちゃうちゃう、それは俺がアンタにそう言ったことやからな、アンタが気にする事はないんやで?」
どうやら、彼女もここに来てようやく全てのからくりを明かされた様子だ。
「…全く…人が悪いよ白石。竜崎さんを餌にするなんて…まぁ大事に扱ってくれてたみたいだから、それはいいけどね」
「そりゃあな、女泣かすんは俺らの主義とちゃう、心配せんでええよ」
お見通しか、と笑う白石に、幸村は最後の確認を行った。
「…白石、君達は、俺達を大阪に招待したかったんだね?」
昨日の会話の中に出た名所をヒントという形にして、自分達を回らせる為に今回の様な大胆な仕掛けを施したのか。
問いに対する答えは、相手の男達の笑顔で十分に分かった。
「ちょーっと俺らの流儀通し過ぎたけどなぁ、けど生半可な招待じゃお前らはやれテニスの練習だ何だで来てくれへんやん…王者立海を引きずり出すにはこんぐらいせんとな。たまには引っ掻き回されるのも刺激になるやろ?」
「……まぁね」
そして、白石は今回の仕掛けに不可欠であり、おそらくは一番の功労者であった桜乃にも視線を落とした。
「すまんかったなぁ竜崎。途中まで騙しとって、堪忍や。けど、アンタのお陰で上手くいったで」
「いいえ…びっくりはしましたけど、面白かったですよ」
「そうか、なら良かったわ」
そして、彼は桜乃をようやく立海側へと引き渡した。
「おかえり、竜崎さん」
「ただいま、です」
そして、ささやかながらも結構な大騒動になった桜乃拉致事件は、ここでひとまずの解決を見たのである…
その日の夕刻
皆で四天宝寺持ちでお好み焼きをたらふく食べた後、今度こそ桜乃を連れて、立海メンバーは駅で帰りの新幹線に乗り込んだところだった。
「そう言えば、今回は俺らが結構無理させてもうたからな…これ、持って行ってええよ」
「?」
言われるままに白石から幸村が受け取ったのは、明らかに空ではない、微妙な厚さを感じさせる茶封筒だった。
これって、もしかして中身は…
「いや、ここまでしてもらう事はないよ。誘いに乗ったのは俺達の意志だったし」
「ええって、どうせ俺らのやないもん。なぁ? 白石」
「え…?」
遠山の意味深な言葉に首を傾げた相手に、忍足がにっと唇を歪めつつ桜乃を見た。
「いや、アンタらが来るまでの間、ちょーっと資金稼ぎついでに竜崎にオトナの遊びを教えたってん…ええなぁ彼女、なかなか素質あるで」
「………え?」
それって…どういう意味? まさか……いかがわしい何かをさせられたんじゃ!!
物凄く嫌な予感が立海メンバーの脳裏に過ぎると同時に、財前がしれっとした顔で答えた。
「俺らも滅多に金は使わんで予想だけに留めとるんですが、ビギナーズラックにしては上出来っすわ…竜崎さんの選んだ馬連ドンピシャ、十分に今日の経費に充てても余りましたなぁ…間違いなく本日の競馬女王」
ばたっ!!
「精市――――――――――っ!!」
直後、幸村がその場に失神して倒れ伏し、慌てて真田が抱き起こすのを、千歳が腰を屈めて笑いながら眺めた。
「ありゃ、そぎゃん心配せんでもよかとに。よう知っとるおっちゃんトコで遊んどるけん、足はつかんとよ?」
「そういう問題か――――――――――――っ!!!!」
純粋無垢な少女に、何という下らん遊びを教えるのだ!!
真田が怒鳴ったところで、彼らの間を新幹線のドアが遮った。
その向こうで四天宝寺メンバーが勝ち誇った笑みを浮かべて手を振っている。
最後の最後にしてやったりという笑顔。
『悪く思うなや! ウチらのモットーは勝ったモン勝ちや!!』
『竜崎! ごっそさん! また奢ってな!?』
つまり、今日の経費はある意味桜乃本人の手によって賄われ、彼らはまんまと身銭を切る事無く計画を成就させたという事か。
流石に大阪人、並の商人根性ではない!
「あああああ! コノヤロウ〜〜〜〜!!」
「やっぱ一、二発は殴っとけば良かった〜〜〜〜!!!」
ドアにかじりついて悔しそうに叫ぶ丸井やジャッカルの後ろで、柳生が桜乃に改めて確認した。
「…本当に競馬をしたんですか、竜崎さん」
「え、と…大阪についてすぐに『お馬さんを見に行こうね』って誘われて…可愛い順に選んでみたんですけど、あれが競馬だったんですか…」
「えげつない誘い方じゃのう〜〜…」
やれやれ、と渋い顔をする仁王だが、まぁ彼女は才能があったとしてもギャンブルの魔力とは無縁そうだと読み、内心安堵する。
自分も実は洞察力を養う為にたまにそういう遊びに興じたりするのだが、桜乃にはそんな世界には馴染んでほしくない。
「やっぱ潰しとくべきだったッスかね」
転ばされた恨みもある切原が、走り出した新幹線の中で忌々しげに呟いたが、真田と柳は今はそれより倒れてしまった部長の容態を心配していた。
「…気を失っているだけだ、弦一郎。程なく目を覚ます」
「それは分かっているが…目を覚ました後のこいつのフォローをする俺達の苦労を何だと思っとるんだアイツらはー!!」
ぎりぎりと歯軋りをしそうな程に怒りを抑えている真田の言う通り…それから暫くして覚醒した幸村の不機嫌は、桜乃の助力を以ってしても、結構長く続いたのであった。
その後、実に珍しいことに、立海が日をおかずに改めて四天宝寺に練習試合を申し込んだらしいのだが、それを向こうが受けたかどうかは謎のままである……
了
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