異種間友情物語(前編)


 それはこの世界と同じ様で違う世界
 例えば、若干中学生でも問題なくバイトが許されたり
 人の中で、稀に獣の声を人の言葉として解する者がいたり
 この世界とは異なる、ちょっとした、些細な常識がそこには幾つかある
 それらの常識の中でも長たるものが、人と獣の狭間に存在する『獣人』
 彼らはその名の通り、獣と人の血を引いている
 人と同じように話し、人と同じように感情を表現出来る
 人と彼らを見分ける目印になるものは、頭にある耳と臀部から生えた尻尾
 混じる獣の血が何であるかで、彼らの耳や尻尾の形は異なっており、更にその色ともなると千差万別…まさしく彼らの『個性』となるものである
 彼らは人であり人でなく、獣であり獣でない
 胡乱な存在であるのと同様に、その世界では彼らの立ち位置も曖昧なところがあるのだが、少なくとも世界の住人達は種族間の中でも折り合いをつけながら平和な時を過ごしていた…


 某地区の某一軒家
 見事な和風建築のその家の中で、朝早くから住人達の声が響いていた。
「そろそろ時間だよ、弦一郎」
「ん? そうか」
 家の広い庭で道着を纏い、木刀で素振りを行っていた若者が振り返った。
 短くストレートの黒髪はようやく顔を出してきた太陽の光を浴びて艶やかに輝き、凛とした顔立ちは彼がいかにも実直な人間であることを伺わせる。
 この家に人間としては一人で暮らしているその男は、名を真田弦一郎と言う中学三年生である。
 その彼の視線の先に見えるのは、縁側に立つ美麗な男。
 年齢的には相手の真田と変わりない、獣人の幸村精市だった。
 肩につくかつかないかというウェーブがかった髪は相手と同じく漆黒の艶を放っている。
 彼の身体に流れているのは猫族の血であり、頭には純白の耳がぴんと健康的に尖っており、後方にはゆらゆらと揺れる純白の尻尾が見えていた。
 白いシャツと暗色系のズボンを履いた相手は、耳と尻尾さえなければ普通の人間と何ら変わらない。
 それは彼以外の獣人にも共通して言えることだ。
「いつも熱心だね」
「うむ…実家にいた時からの習慣だからな。逆にしないと身体がむずむずする」
 はい、とタオルを差し出した幸村からそれを受け取った真田は、そのまま顔の汗を拭き取った。
 中学に進学した時を切っ掛けに、真田はこの家に単身引越し、そのままここで日々を過ごしている。
 借家ではなく元々彼の一族が持っていた家屋なので、自由に伸び伸びと過ごせるところは有難い。
 そんな快適な一軒家に、幸村も同居していた…正しくは居候である。
 真田とほぼ同時にここに住み始め、今ではすっかり勝手知ったる他人の家。
 家の部屋数も多いので自分の部屋も与えられており、住み心地はすこぶる快適の様だ。
 猫の様に気紛れで掴み所の無い性格の彼は、タオルを相手に渡した後でくんくんと小さく鼻を鳴らした。
「…今日は、傘を持って行った方がいいよ」
「傘?」
「今は天気だけど、多分午後には雨が降る」
「そうか、では持って行くことにしよう」
 特に疑う素振りも見せず、真田はあっさりと相手の言葉を信じた。
 獣の血と共にその野生の勘も受け継いだ獣人は、人より自然の変化に鋭いのだ。
 真田の返事に微笑んで頷くと、幸村はさぁと改めて相手を促した。
「そろそろ食事にしようよ。蓮二も待っているだろうし、俺もお腹空いちゃった」
「そうだな」
 幸村が名を呼んだ「蓮二」という人物は、彼と同じく獣人…猫の血を引いた者だ。
 真田達がこの家に住みだして、暫くして居候として転がり込んだ男であり、柳蓮二という。
 よく分からないが、『確率的にこの地域で最も快適且つ安全な家屋はここだ。共に住まわせてくれ』という趣旨の言葉を述べた彼は、それからなし崩しにここで暮らすようになった。
 家主である真田は、唐突に相手にそう言われて勿論最初は回答を渋っていたのだが、居候の筈の幸村の『いいじゃない、一緒に住んでもらおうよ』の一言で決は決まった。
 この家では、たまに人間の意見よりも獣人…はっきり言うと幸村の意見が強く採られることがあるのだ。
 真田は決して意志薄弱ではない、寧ろ文武両道、質実剛健、天下無双の武士男。
 そんな彼ですら、幸村の持つ威圧感には圧されてしまう。
 真田ですらそうなのだから、幸村は当然この辺り一帯の地域の猫や獣人達にも一目置かれていた。
 しかし、天然なのか演技なのか、本人は普段から『面倒なのは嫌いだなぁ、まったりのんびりしたいなぁ』と日々を気ままに生きていた。
 その一方で、噂では血気盛んな奴らに睨みを効かせて抑え込んでいるという話もあり、柔和な笑顔を絶やさない彼は、密やかに『影の裏番』という異名を持っていた。
 それでも、真田はあの時の幸村の勧めを受け入れた事については後悔しておらず、相手を恨んでもおらず、逆に感謝すらしていた。
 幸村の鶴の一声で共に住むことになった柳は、家を乱すどころか非常によく出来た獣人だったのだ。
 先ず、彼の持つ知識量が尋常ではなかった。
 その道の専門家でなければなかなか知らないだろう定義も、彼に振ればすらすらと淀みなく答えてくれる。
 おまけに解析、分析能力にも秀で、計算も三桁、四桁、小数点も何でもござれ。
 趣味に至っては書道に将棋と、同じ好みだった真田が同年代の級友達にはなかなか望めなかった話し相手まで出来たのだから。
 そして何より真田達が一番有難いと思っているのは…
「お早う二人とも、食事が出来ているぞ」
「すまんな、いつも」
「有難う、蓮二」
 料理や洗濯などの家の家事全般を、ほぼこの男が引き受けてくれていることだった。
 黒の耳と同色の細い尻尾を持つ柳は、他の二人と同等の美丈夫である。
 真田と同じストレートの黒髪と、瞳孔さえ確認出来ない程の細目が特徴的な若者は、既に食卓上に料理一式を並べ終えていた。
 今日は典型的な日本食スタイル。
 全体的に薄味嗜好なのは柳の好みらしいが、味は良いので結果オーライ。
「わぁ、美味しそうだね…早速頂こうよ」
「うむ…ん?」
 同意しかけた真田は、そこで柳に注目した。
 いつも論理的且つ効率的に行動する筈の相手が、自分達と同じように着席せず、いまだに炊飯器から米飯を掬っておにぎりを作っている姿が気になったのだ。
「蓮二? どうした? 俺の弁当はもうそこに準備されている様だが…」
「うむ…そろそろ向かいの家が没落の憂き目を見ている頃合と思うのでな。余り物で悪いが、少々差し入れに行こうと思う、先に食べていてくれ」
「む、ああ…」
「そう言えばその時期だったね」
 何か思い当たる節があったのか、二人は詳しくを相手に尋ねることもなく、柳がおにぎり他幾つかのおかずを大皿に乗せてラップをかけ、外に出て行く姿を見送っていた。


 玄関を出た柳が向かったのは、道を挟んですぐの場所にあったまた別の一軒家。
 しかし真田宅のそれとは大きく異なり、非常につつましい猫の額程の大きさで、見た感じも少々古い感がある。
 最新の耐震構造基準を満たしているか、甚だ疑問なその家の門をくぐり、柳はがらがらと扉を開いて声を掛けた。
「ジャッカル、いるか?」
 そんな彼の問に答える代わりとばかりに、玄関から真っ直ぐ伸びた廊下の曲がり角の向こう側から、実に賑やかな複数の男達の声が聞こえてきた。
『ジャッカル、メシメシメシ〜〜〜〜ッ!!』
『だーもーっ! ないもんはないっつってんだろうが!! 空腹なら水でも飲んどけ!!』
『それはええのう。最近ちょっと太り気味じゃからの、丸井は』
(……予想通り)
 ふむ、と頷いている間に、今度は足音が複数聞こえてきて、廊下の向こうに数人の若者達の姿が現れた。
 黒人と見紛う肌の色をしたスキンヘッドの人間と、赤い髪と銀髪の二人の獣人だ。
 赤髪の若者は短髪で、髪と同じ色合いの猫耳と尻尾。
 銀髪の男は後ろで髪の一部を括っており、同じ艶やかに煌く銀の毛に覆われた猫耳とふわふわの尻尾を持っていた。
「うお、柳!?」
 褐色の肌の若者が驚いた様に名を呼ぶと、柳は大皿を前に出して相手に見せた。
「差し入れを持ってきたぞ、ジャッカル。良かったらみんなで分けてくれ」
「わ―――――いっ! ありがと、柳〜〜〜っ!!」
 ジャッカルと呼ばれた相手が何かを言う前に、先ず柳に飛びついてきたのは赤髪の若者だった。
「丸井っ! お前はまた〜〜〜!!」
「本当に底なしの胃袋じゃの…〇次元ポケットか?」
 そこに遅れる形でジャッカルと銀髪の獣人が歩いてくる。
「…やはり、兵糧が尽きていたか」
「うう、すまねぇ、恩に着るぜ柳…毎月毎月すまねぇなぁ」
 くぅっと涙を拭くジャッカルに頷くと、柳は銀髪の男と赤髪の男にも視線を送って言った。
「もし欠食状態が続くようなら、また後ででも差し入れるが」
 有難い言葉にジャッカルは更に感謝しながらも、そこはしっかりと断った。
「いや、幸い今日が給料日だからな、午後は何とか凌げるだろ。気持ちだけ受け取っておくよ」
「それに、もう一つの臨時収入もあるしのう」
 そう銀髪の男が言ったところで、柳の背後で玄関の扉が開き、またそこに一人の獣人が現れた。
 珍しい紫の髪と猫耳…細い尻尾をした眼鏡を掛けた若者だった。
 向こうは、柳の姿を見ると微かに首を傾げながらも、実に丁寧な挨拶を行った。
「おや、お早うございます、柳君」
「ああ、お早う柳生」
 柳生と呼ばれた育ちが良さそうな若者は、挨拶を済ませると銀髪の男に視線を向けた後で、今度はジャッカルに身体を向けながら少々厚みのある茶封筒を差し出した。
「お早うございます、ジャッカル君。これ、今月の私と仁王君の分ですので…」
「悪いなぁ…二人にはちゃんと生活費まで入れてもらってんのに…」
 よよよ…と嘆きつつ、ジャッカルは相変わらず柳の差し入れを頬張るのに忙しい丸井へと恨めし気な視線を向けた。
「片っ端からコイツがウチのエンゲル係数を成層圏までブチ上げてくれやがって、お前らにまでひもじい思いを…」
「いえいえ、お気になさらず。住まわせて頂いているのはこちらですから」
「一食二食抜いても死にはせんよ。寧ろこういうんも楽しいしのう」
 けろっとした二人に、柳はほうと感心した様子で尋ねた。
「感心だな…しかし、お前達は特にバイトなどはしていなかったと思うが」
「はぁ…まぁ」
「ええんよ、所詮あぶく銭じゃけ」
 楽しげにウィンクしながら仁王が言う脇で、柳生がこそりと柳に暴露する。
『実は、昔飼われていた時に主人から頂いた首輪の宝石を換金しまして…それを定期的に少しずつ納付しています』
「成る程…」
 そうやっている間にジャッカルの鬱憤が臨界点を超えたのか、彼は丸井に渋い顔で愚痴を零した。
「全く…最初から嫌な予感はしてたんだ、コイツとここで会ってから…」
 ジャッカルの脳裏には、正にその時の光景がまざまざと浮かんでいた…



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