二年前
「よーし、やっと着いたぞ、ここが今日からの俺の住処かぁ」
 ジャッカルはからからと小さなカートを引きながら、その小さな一軒家の前に歩いてきて、玄関のところでぴたりと止まった。
 ジャッカル桑原は人間だが、獣人達とは違う形でのハーフである。
 ブラジル人の父と日本人の母を持つ彼は、真田と同様に中学生になった事を契機に一人暮らしを始めた。
 とは言え真田の家ほどに裕福な家庭ではなく、どちらかと言えば少々懐事情が心許ないトコロだったので、物件は吟味に吟味を重ねて行われた。
 そんな中で選ばれたのは、少々老朽化が進んだ分安価で提供されていたこの一軒家だった。
 老朽化と言っても人は十分住めるし、何処かに大掛かりな改修が必要という訳でもない。
 贅沢を元々望んでいなかったジャッカルは、この好物件を見つけ、敷金と礼金を払って晴れて借主となったのだった。
 そしていよいよ今日が初入居日!
(ま、通う予定の立海はバイトにも寛容だし、浪費さえしなきゃ人並みの生活は出来るだろ…けど、こうしてアイツと離れると、やっぱちょっとは寂しいな……いやいや、今までもアイツの所為で散々火の車に乗せられてきたんだし、ここで少しはのんびりと…)
 思い出していたのは、幼馴染である丸井ブン太という獣人のことだった。
 住まいが近場で同年代だったということもあり、二人は意気投合してよく一緒に遊んでいたものだったが、この丸井という若者がとにかく物凄い食欲で、隙あればジャッカルから何かしらのおやつを奢ってもらっていたのだ。
 ジャッカルが転居すると聞いた時丸井は散々ごねていたのだが、それで入学を蹴る訳にもいかずジャッカルは何とか相手を納得させて単身、この地に来たのだった。
「よし、じゃあ入るか…」
 いよいよ一人暮らしが始まるか…と感慨深く思いながらジャッカルが扉をがらりと開けると…
「……」
 目の前の玄関先の床に、ごろんと一人の人間…いや、獣人の寝姿が転がっていた。
 この、怖い程に見覚えのある赤い髪と尻尾は…彼を懐かしんでいた俺の幻覚か…?
 そうであってくれ…と願っていたジャッカルの前で、残念ながらその相手は消える様子もなく、もぞりと動き出し、ぴょっと顔を上げてジャッカルを視界に捉えると、にぱっと満面の笑みを浮かべながらジャッカルに抱きついてきた。
「おっせーってジャッカル! 待ちくたびれたぞいっ!!」
「やっぱりお前か丸井〜〜〜!!」
 間違いであってくれと思うのは友情に反することだろうかと悩みながら、ジャッカルは大声で相手に叫んだ。
「お前、家族はどーした家族はーっ!!」
「いや、俺もちっとは大きくなったし、そろそろ独り立ちの準備をするってコトで家を出てきたんだよい」
「ほう…と言う事はお前も何処かに間借りでもするのか」
 物凄く嫌な予感を覚えつつもそう尋ねた親友に、丸井はえへ、と揉み手をしながら答えた。
「俺は独り立ち出来るけど、ジャッカルが寂しいだろうから一緒に住んでやろーかと思って」
 予感的中!!
「要らんっ! 今すぐ出て行けっ!! ヤンキーゴーホーム!!!」
「うわーブン太超ショックー…つか、おめーの方がよっぽど見た目ヤンキーだってのい!! ついでに言うと死語だろいそれ!!」
 錯乱一歩手前のジャッカルにむっとしながら丸井が言い返したが、相手は頑なに丸井の同居に反対の意思を示した。
「お前の独り立ちを邪魔するつもりはない。何処かに間借りするというのならそれも止めるつもりはない…が! 俺がお前をウチに引き取る義務も義理もないっ!」
「ネズミ捕れます」
「ネズミ千匹飼ったってお前の食費には敵わんだろうがっ!!」
 はい、と挙手して存在意義をアピールした丸井だったが、それもあえなく却下の憂き目にあってしまう。
 これは相当向こうも防衛体制がっちりで構えているようだ…と思いつつも、それであっさり諦めるようなひ弱な性格の丸井ではなかった。
「ふーん、あっそう、分かったよい、おめーがそこまで言うなら…」
 そして彼が取った行動は…

 ぽいっ!!

 ジャッカルを彼の荷物ごと、玄関先に放り出してそのまま扉を閉めてしまった。
 借主を追い出すという大暴挙。
「おめーこそ出てけ、先にこの家に入ったのは俺だし」
『こら〜〜〜〜〜っ!! 開けろバカー!!』
 がしゃがしゃと扉を開けようとするが、素早く鍵が掛けられてしまってどうにもならない。
 無理にこじあけたりしたら、それで傷がついて早速預けた敷金が目減りしていくので、ジャッカルは力に物を言わせる手段にも出られなかった。
『大体お前どーやってこの家に入り込んだんだーっ!』
「猫族のニャットワークシステムを甘く見んなよい。ココの二階の窓がガタきてるって教えてもらってさー。おめーこそ俺と暮らすのが嫌ならどっか別のトコロ借りたら?」
 つーんとつれない態度の丸井に、ジャッカルが声を大に言い返す。
『んなコト出来るかーっ!! 敷金・礼金払い終わってこちとらスカンピンだ! 俺だってココ以外行くトコねーんだよっ!』
「うわぁ、かわいそー」
『お前の所為だろうがっ!!』
 流石にその答えを聞いた丸井は相手を哀れんでしまった…自分がそもそもの元凶だという事は全く気にしていない、と言うか気付いてすらいないところは、流石に猫の血を引いている…それだけの所為とも思えないが。
 しかし彼も元々本気でジャッカルを追い出そうとしていた訳でもないので、妥協という形で改めて同居を持ちかけた。
「分かったよい…んじゃあ、入れてやる代わりに俺の世話もちゃんとしろよい。もし食事ケチったら、遠慮なく柱で爪とぎやっからな」
(借家、人質に取りやがった――――――っ!!)
 何てぇ極悪なっ!!と思ったものの、既に逆らえる様な状態ではなく、渋々とジャッカルは相手の要求を受け入れ、自分が借りた筈の家にようやく『入れてもらった』のである。
 その騒動は非常に大きな音と声で、向かいの真田家にも伝わっていた。
「…よく分からんが、うだつの上がらん奴が引っ越して来たらしいな」
「賑やかでいいじゃない」
「挨拶の品は食品がいいだろうか…缶詰とか」
 真田家の男達は、居間でのんびりとほうじ茶を啜りながら、そんな事を話していたのである。
 ところが……実はその騒動を聞いていたのは、真田家の者達だけではなかった。
 ジャッカルの借家と道路を隔てる塀の陰で、ひそひそと小声で語る者達がいたのだ。
『おお、面白そうなトコロじゃあ〜〜。外界でもここまで無駄に賑やかなトコロはそうないじゃろ…どうじゃよ柳生』
『うーむ……少々目立ちすぎてはいませんか? 私どもは一応は脱走してきた身ですから、あまり人目につくような場所は…』
『大丈夫じゃよ、あんな王宮レベルのトコロで飼われとった俺らが、まさかこんなぼろっちい場所におるとは誰も想像出来んじゃろ。それに傍に賑やかな変人達がおった方が、俺らの存在も薄れて見えるっちゅうもんよ』
『それは確かにそうですね…しかし念には念を入れて、試用期間を設けませんか?』
 若い男二人の小声での内緒話が盛り上がっている頃、家の中にいる筈のジャッカルと丸井が、無意味にむかっと胸のむかつきを自覚していた。
「…何か、訳もなくムカツいてきたんだけど」
「奇遇だな俺もだ……半分はお前が原因だがな」
 そしてジャッカル達が居住を始めて一週間と経たない内に、その家に新たな招かれざる客人達が現れたのである。
 それが、銀の髪の猫獣人、仁王雅治と、紫の髪を持つ同じ獣人、柳生比呂士であった。

「へ…居候希望?」
「はい」
 ようやく見つけたバイトの面接から帰って来たジャッカルを玄関先で迎えたのは、丁度そのタイミングを狙った様に訪問してきた二人の獣人だった。
「諸々の事情がありまして、私どもは家がない状態なのです。身内もおらず頼る縁もありません。彷徨って流れている内に、比較的治安が守られているこの地に辿り着きまして…ここが非常に暮らし易そうだと」
「重い話の筈なのに、随分と軽く話すなアンタ…」
 とても危機感が伝わってこない…と思いながらジャッカルは改めて彼らの容姿を見つめた。
 家にいた丸井も、二人の来訪を聞きつけて同じ輪に入り、興味も露に彼らを観察中。
 非常に珍しく高貴さを漂わせている色合いの毛並みだが、服も含めて汚れてしまっている…しかし態度は堂々としており、只の獣人ではない事は分かる。
(…野良か…しかし生まれつきとは思えないな…逃げてきたのか?)
 ぽり、とジャッカルが頭を掻きながら、この世界の獣人達の規律を思い出した。
 彼らは大きく二つのグループに分けられる。
 一つは『人と共に暮らし庇護を受けるグループ』。
 もう一つは『庇護を受けず一人立ちするグループ』。
 庇護を受けずに一人立ちする場合は、自立して生きていくことが出来る事を証明する為に、社会で定められた一定の基準を自身の力で満たす必要がある。
 それが認められたら、彼らは人と同じ権利を与えられると同時に、人と同じ義務をも背負うことになるのだ。
 一方で、受け継いだ獣の血によっては、生存能力が低く個人では人間社会で生きていくことが困難な者もおり、そういう場合、彼らは自分達を庇護してくれる人の許に共に住まう。
 人としての権利は得られないが、庇護を受けて生きることが出来るという権利を得るのだ。
 言葉は悪くなるが、所謂『飼われる』という状態。
 そしてその立場の中間として、人とつかず離れずの位置に立ち、自由気侭に生きるのが『野良』なのだ。
「…………」
 ジャッカルは仁王と柳生…特に仁王の銀髪をじっと眺めた後、くるりと背を向けてはぁ〜〜っと魂が抜け出しそうな程に長い吐息を吐き出した。
「俺にはヤンキーを引き寄せる呪いでも掛かってんのか…」
「おおっ、何かグサッとクる感じじゃ〜〜。新鮮じゃのう…つかいつの時代の言葉じゃ」
「一応紳士もおりますが」
 返す言葉も何処か論点がずれている…普通の家で飼われていた感じではない。
「うーん…アンタらが困ってんのは分かるが、ウチも家計がなぁ…」
 情を掛けて入れてやった為に全員が行き倒れるという笑い話になりかねないとジャッカルが渋っていると、丸井がえーっと相手に声を上げた。
「何だよい、いーじゃんかジャッカル、こいつら悪い奴らじゃなさそうだしさ! 俺らで住むのも四人で住むのも一緒だろい!?」
「言っておくが四は二の倍数だこのスットコドッコイ」
 これ以上負担を増やせるか、と反論したジャッカルに、いえ、と柳生が彼を制した。
「無理に上がらせろという訳ではなく、時々シャワーを使わせて頂いて、雨露を凌げる場所を貸して頂けたら大丈夫です。食事は何とか自分達で確保しますので…」
「え? それでいいのか?」
「おう、十分じゃよ、少しは野良の生活も慣れてきとるしな」
「………まぁ、そういう事なら」
 見捨てるのも寝覚めが悪いと思っていたジャッカルは、その条件なら受け入れるゆとりがあると思って許可を出し、そして二人は晴れて仮住まいを得たのである。
 以降、彼らはふらりとたまに訪れてはシャワーを浴びたり、表の屋根の下で休んだりとそれなりに好き勝手していたが、決して約束を違えることはなく、家の中に勝手に上がりこむような真似はしなかった。
 しかし今度は何かと彼らの身体が心配になってしまったジャッカルが、自分から家の中に招いたり食事を分けてやったりして、結局二人はなし崩し的にここの居候に納まったのである。
 仁王達の自主的な生活費の納入が始まったのもこの時期だった。
 試用期間の中で、もしジャッカルが自分達にとって好ましくない人間だった場合には、すぐにここを離れようと考えていた仁王達だったが、どうやら無事にお眼鏡に適ったらしい。
 そして彼らは彼らなりに一つのコミュニティーを確立していったのだった。

 そして回想終了…
「ま、仁王達が悪人だったら、間違いなく『庇を貸して母屋を取られる』羽目になってたよなぁ、ジャッカル」
「えーい黙れ黙れ黙れ―――――っ!!」
 終わる時ぐらいしんみりさせろとジャッカルが丸井に怒鳴っていたところで、はた、と柳が時間の流れに気付いた。
「いけないな、少し長居してしまった様だ…ジャッカル、遅刻に気をつけろ」
「ん…うお、結構時間経っちまったな、そろそろ準備しないと」
「では、俺もそろそろ失礼しよう、邪魔したな」
「差し入れ、あんがとーっ!」
 丸井の謝礼を背に受けながら、柳は再び自分の住む真田宅へと戻り、その後幸村と共に家主の登校を見送ったのであった……






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