異種間友情物語(後編)


「猫がいいッスかね、犬がいいッスかね…」
 当日、朝、真田が通う立海のテニスコートで、彼の後輩である二年の切原赤也がぼそりと言った。
「は?」
「いや、真田副部長、部長達と一緒に暮らしてるじゃないスか。何か賑やかそうでいいなーって…ウチにも純粋種のペットか、獣人を招きたいなーって思って。親は割と前向きに考えてくれてるみたいで」
「…」
 ラケットを抱え、自分の番を待っている二年生ルーキーに真田が心底驚いた表情を向けた。
「…精市達と暮らしたいのか?」
「まっさっかっ!!」
 すかさず両手で『×』の字を作り、切原は顔を青くして否定した。
「んなコトしたら、俺間違いなく過労死ッス!! 真田副部長だから上手く折り合いつけて生活出来てるんスよ! それに…」
「それに…?」
 促す先輩に、切原はふっと視線を背けながらぶるぶる震えた。
「…ウワサじゃ、真田副部長の家に幸村部長が来た時、その半径十キロ圏内のネズミ達が家財道具抱えて疎開したって…どんだけバケモノなんスか」
 切原の頭の中のイメージでは、ビルさえ凌ぐ高さの怪獣が『あんぎゃーっ!』と雄叫びを上げながら口から炎を吐き、のしのしと街を破壊しまくっており、その渦中で人間達が必死に逃げ惑っていた…あくまでイメージ。
「馬鹿な、ただの噂だろうが…そんな事は」
「ないって言い切れます?」
「……ちょっと自信がないな」
 確かにあやつだったらやりかねん…と思い直したところで、相手の若者がきょろっとその大きな目で辺りを見回した。
「…ところで今日は部長達は?」
「ああ、猫族の集会があるから休むそうだ」
「い〜〜〜〜いなぁ〜〜〜〜〜」
 獣人達は獣の血を引いているとは言え、半分は人としての存在なので、人と同様の教育を受ける事が出来る。
 しかし、一方で獣の血も引いているので、その習性により学校に出られない場合は登校が免除されるのだ。
 尤も、平均以上の学力が伴っていない場合には、彼らは容赦なく留年させられる。
 特例に見えるが、やはりこの世界でも世の中はそう甘くないというコトだ。
「精市達は、学年でもトップクラスの学力だから許されるのだ。お前だったら幼稚園児レベルまで落とされるかもしれんぞ」
「小学生レベルでもないんスか、俺は…」
「小学生でも遅刻は悪いことだと理解しているだろうが」
「…世の中ってままならないッスねー」
「社会の所為にするな!!」
 今日も遅刻してくれた、実力はあるのに実生活が伴っていない後輩に、真田は容赦なく怒声を上げていた…


 人間達が真面目に学校の授業を受けている一方…
「ふわ〜あ…終わった終わった」
 その日の猫族の集会を近くの広場で終えた幸村は、少々うんざりといった口調の中にも義務を果たした嬉しさを滲ませて、真田家への道を歩いていた。
「何処の地区でもそんなに大きな事件はなかったのは良かったけど、何だかちょっと退屈だなぁ…かと言って縄張り広げるのも面倒くさいし…」
 平和が一番なのは分かっているが、余りに刺激がないというのも確かにうんざりする。
「女の子達が懐いてくれてるのは素直に嬉しいけど、正直そういう気はないし、匂いはつくし困るんだけど…うーん…」
 裏の顔役とも言われている幸村は、その実力と併せて生粋の美男子であることもあり、近辺の猫達や獣人達、特に異性からは熱烈な人気を誇っているのだ。
 とは言うものの、本人が本当に誇っているのではなく、勝手に人気がついてきているという感じ。
 いつもにこやかで飄々としており、女に飢えていないイメージが更に彼の人気を高くしているのは皮肉以外の何者でもないだろう。
「…蓮二は一足先に帰っちゃったけど、もう少し散歩していこうかな」
 そう言いながら幸村はいつもより少し長めに散歩の時間を取り、普段は行かない道をのんびりと歩いて行った。
 普通は変な場所を歩けばそれだけで縄張り争いに巻き込まれてしまうのだが、彼に限っては何処を歩いていても邪魔する輩は一人も一匹もいない。
 そんな事をやっている内に、ふと彼はふんと鼻を鳴らした。
「あ、そろそろ雨が来るかな…ん?」
 雨の匂いを感じ取って、更に彼はより集中して鼻を鳴らした。
 これは…?
 雨の匂いに混じって、変な別の匂いがする…
(俺の知っている猫族の誰かの匂いじゃない…新入り? でも、今日の集会ではそんな事報告されてないし…)
 雨に濡れないように早く戻ろうと思っていた幸村だったが、その匂いが気になって、彼は帰宅をもう少し延期して更に匂いがする道の方へと逸れていった。
 ぽつ…ぽつ…
(ああ、降り出しちゃった…)
 しょうがないな、と思いつつ半ば予想はしていたので、彼は降り出した雨の中、身体を濡らしながらも引き返そうとはしなかった。
 優秀な嗅覚を頼りに、彼は急ぎ足で目的の匂いの元へ向かい…そして遂に、その原因の物体へと行き当たった。
「…?」
 自分の立つ場所から少し先に行ったところ…道の片隅に見える泥色の物体…
(いや…)
 泥の塊じゃなく、泥に塗れた何者かであると遠目から理解した幸村は、少し歩を遅くしてそれに近寄り…ニメートル先ぐらいになったところで大体の形を理解した。
(えーと……ウサギの敷物?)
 よくマフィアとか成金趣味の人間が出てくるドラマのワンシーンで、豪奢な部屋の床に虎の毛皮の敷物があったりする。
 あんなにぺったりした感じではなく、目の前にあるのはちゃんとその肉体が残っている形なのだが、見た目がぺったりと地面に伏せているものだったので直感的にそう思ってしまったのだ。
 純粋種のウサギではなく自分と同じ獣人の様だ。
(まさか行き倒れ!?)
 最悪の事態を想定して、幸村は慌てて相手に駆け寄ると、先ずはその腕に触れた。
 細く白い腕なのだろうが、ここもやはり汚れてしまっている…が、温かい熱を持っていると分かり、ひとまずは安堵する。
(良かった、生きてる…)
 確認したところで、幸村は伏せている相手の肩に手を置いて、軽く揺すった。
 体型と、長い二本のおさげが、彼女が女性であることを如実に示している。
 見た事のない制服を纏っているが、一体何処から来たのだろうか…?
「君、どうしたの? 大丈夫…?」
「う…っ…ん」
 揺すられた事が刺激になり向こうも意識が戻ったのか、彼女はゆっくりと身体を動かしながらゆるゆると顔を上げた。
 まだ幼さが残る顔立ちは整っており、大きな黒い瞳が幸村を射抜く。
「っ!!??」
 瞬間、見えない雷が『びしゃーんっ!』と幸村の身体を貫いた様に彼は微動だにしなくなり、反対に彼の姿を認めた少女…ウサギの獣人は、ぽろっと涙を零しながら弱弱しい動きで幸村の手を握ってきた。
「ああ…もうダメかと思いました…凄く凄く恐かった……寒くて、お腹すいて…気が遠くなって…」
 何が起こったのかはよく分からないけど、酷い目に遭ったのだろう事は想像出来る。
 小汚くて、何処から来たとも知れない相手だったが、幸村は既にこの時点で彼女を家に連れ帰る選択をしていた。
「大丈夫かい? 取り敢えず、ウチにおいでよ」
 言いながら、自分の服が汚れるのにも構わず幸村は相手を軽々と前に抱き上げると、そのまま今度こそ真田の家に急いで戻って行った…


「蓮二! お風呂沸かして!!」
「帰ったか精市…遅かった…」
 玄関で幸村を出迎えた柳は、彼の抱いていた少女の姿を見ておや、と少しばかり驚いた様子だった。
「ウサギの獣人か…どうした?」
「分からないけど道端で倒れてたんだ。泥で汚れているし雨で身体も冷えてしまってるから、お風呂を貸してやって」
「お前も相当汚れたな」
「洗濯してくれてるのには感謝してるってば、不可抗力だよ」
 さり気なく『誰がその汚れた服を洗うのかな?』とちくりと言外に指摘された幸村だったが、彼はその追及を軽く受け流した。
 まぁ確かにわざと汚した訳ではなさそうだ…と納得し、柳が風呂の準備をしている間に、幸村は相手の着替え用に自分の服を準備する。
 同じ獣人なので、尻尾用の穴が開いているのは都合がいい…サイズの違いは今は我慢してもらおう。
「ええと、バスタオルと、これが着替え。ちょっと大きいと思うけど我慢してね、ウチ、男しかいないから」
「あ…有難うございます…見ず知らずの方に、こんなご迷惑を…」
「いいよ、気にしないで…お風呂場まで案内するからおいで」
 甲斐甲斐しく謎の少女の世話を焼いている幸村の後姿を、柳が沈黙したまま見つめている。
(ここは真田の家だということは、気にしないでもいいのだろうか…)
 まぁ相手の事だから気にしてない確率百パーセント…と勝手に分析しながら、柳は今度来る要望を先読みして台所へと向かった。
『蓮二―、何か食べ物あるかな』
「今準備する」
 やっぱり…と思いながら、彼は冷蔵庫から幾つかの食材を取り出し、手際良く調理を始めたのだった…



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