とある日の小さな冒険・1
立海大附属中学 男子テニス部部室にて…
その日もいつもの様に、幸村が部活の朝練に参加するべく部室に姿を見せると、彼の視界にあるモノが映った。
「お早う…って、どうしたの?」
よく見なくてもすぐ分かる。
褐色の地肌を持つスキンヘッドの若者と、赤い髪を持つ獣人が、べったりと机に突っ伏せる形でのびていたのである。
朝から何とも気の抜けた光景。
通常なら部長を務める幸村本人が叱咤すべき光景なのだろうが、彼らの背後に病んだオーラが見えたところで何事かあったのだと思い、幸村はすぐに彼らを責めることはせず、先ずは相手方の許へと声をかけつつ近寄った。
その部長の後ろから、同じく部室内に踏み入った人物が一人。
副部長の真田弦一郎である。
幸村と真田は同じ部活動の部員同士という関係のみに留まらず、実は同じ屋根の下に住む同居人同士という立場でもあった。
正確に言うと家主が真田で、幸村は居候という立場である。
この世界には人間の他に獣の血を受け継いだ獣人という存在があり、幸村は人と猫双方の血を受けた獣人。
それぞれの種の特性を受け継いだ獣人達は、頭部に獣の耳と臀部に尻尾を備えていることで、外見上人との区別が為されている。
幸村も例に漏れず、純白の猫耳とふさふさとした尻尾を持っていた。
因みに、彼の目の前でうつ伏せている赤毛の若者も同じく猫族の血を引く獣人であり、名を丸井ブン太と言う。
同じ獣人という種であっても見た目がまるで異なるところは、猫にも多種多様な外見のものがあるというところと一緒だ。
しかし、それは人という種族であっても双子とかそういう特殊な例を除いたら同じことだろう。
そんな人と獣人の境界線はこの世界でも曖昧なところがあり、能力が備わっていれば彼らが同じ学校に通えるということもその類に入るかもしれない。
「どうした幸村…む?」
部屋に数歩入室したところで歩みを止め、緩やかになった親友に訝しげに真田が視線を遣り、続けてそれを奥へと移したところで、彼もまた先に広がる異様な光景に気がついた。
「ジャッカル、丸井…?」
「うん…彼らがちょっとね…」
幸村が説明をする前に、早速その場にテニス部名物・真田の雷が落ちた。
「何をしとるかお前ら! たるんどるっ!!」
(ああ、早速…)
流石に付き合いの長い幸村は、止めるには間に合わなかったが、しっかりと自身の両耳を塞ぎ、且つ猫耳はぺったりと頭部に沿わせる形で寝かせることにより、音響爆弾から避難していた。
部長の幸村も厳しい一面があることは有名であり、一部の噂ではその恐怖は真田をも凌ぐと言われている。
しかし、普段は専ら穏やかな笑顔を絶やさず、怒りを露にする事など滅多にない。
性格が実直で他人にも自分にも厳しい真田の方が叱る姿が板についているのも、それを考えると頷ける話だった。
そして、常勝を謳う立海男子テニス部を牽引する存在がもう一人…
「弦一郎、怒る前に確認をした方がいい。精市の様子だと、彼らは単にだらけている訳ではない様だ」
「む…蓮二」
幸村とはまた別の獣人…黒猫の耳を持つ獣人、柳蓮二だ。
他の二人と同じくテニス部の重鎮の立場にある彼は、普段はその膨大な知識と巧みな戦術から『参謀』という異名を与えられている。
獣人という種もそうだが、真田の居候としても、彼と幸村の共通点は多い。
「大体、俺達が間もなく来るだろう事を予想出来る状態で、安易に気の抜けた姿を晒す程彼らも馬鹿ではないだろう…あんな姿を晒さざるを得ない理由があると考える方が自然だ」
「それは…確かにそうだが…」
相手の言う事に一応は納得の意を示した真田だが、それでも完全に気持ちが収まった様子ではないことが彼の固さを伺わせる。
その間に、幸村はスタスタと二人の方へと近づいていって、そっと丸井の肩に手を置いた。
「ブン太? どうしたの?」
そんな問い掛けに答えたのは肝心の若者の言葉ではなく…
ぐうううぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜っ…
ぎゅるぎゅるぎゅる……
「……」
「……」
「……」
部屋中に響き渡る程に派手な腹の虫の泣き声が、約二名分…
それを聞いた三人は互いに顔を見合わせ…
「……弦一郎、蓮二、君達のお弁当も出してくれる…?」
やれやれ、といった口調でそう願う部長の台詞に、全てを理解した様子で真田と柳も溜息をつきながら一様に頷いていた。
かぱぱぱぱぱぱぱぱっ!!!
三人分の弁当が、二人の腹の中に収まるまでの所要時間、約五分。
育ち盛りの中学三年生男子の昼食だけに、中身はかなりの量のものだったのだが、それらは例外なくブラックホールに飲み込まれる勢いでジャッカル達のエネルギー源へと変わっていった。
「あ〜〜〜、生き返った〜〜〜!」
「五臓六腑に染み渡る美味さって、こういうのを言うんだろうな…」
「俺は食虫花の変異種をガーデニングしている気分だよ…」
丸井とジャッカルの心からの感動を耳にしながら、幸村が渋い顔でそう答え、さて、と改めて二人を見下ろした。
「空腹でへばっていたのは分かったけど、一体何があったんだい?」
「人様の財政状況に口を挟むつもりはないが、先週末には実家から仕送りがあった筈だろう? ジャッカル」
自分達が住んでいる真田宅の向かいにある一軒家の借主であるジャッカルと、その居候である丸井に、柳が眉を顰めて尋ね、それに対してジャッカルがぽり、と頭を掻いた。
「いやそれが…ウチの親がどうもうっかりしてたか何かで、入金されてなくてな…何とかギリギリの状態で週末は生き延びたんだが」
「水ばっか飲んでて流石に飽きた…」
「どうしてそれを早く言わんのだっ!!」
お向かいさんの実情を知り、真田が再び声を荒げる。
「そういう事ならウチに来たらいいだろうが! 仲間の苦境を見過ごす程、俺は人でなしではないぞ!」
「い、いやだけどさ…やっぱ、人間一度楽な方に流されたら、そのまま戻ってこれないかもしれないじゃないか」
厳しさの中にも熱い情を併せ持っている副部長の喝に、ジャッカルが圧されながらも反論したが、それは後の柳の台詞にあっさりと論破された。
「お前の遠慮にも一理あるが…向かいの家で知己が複数、餓死している事実を突きつけられる方が俺達にとっては甚だ迷惑だ。今後は、困窮するコトがあれば教えてもらった方が有り難い」
「うわぁ、なんて素敵な思い遣り…」
きっついな〜と涙を呑んだジャッカルに苦笑いを浮かべながら、幸村がふと思い出した様子で彼に訊いた。
「ところで、仁王達は? 姿が見えないけど…」
「まさか…」
最悪の事態を想定した真田が微かに顔色を青くしたが、対し丸井達がその予想を全面否定する。
「いやいやいやいや!! 多分生きてる、生きてますって!!」
「あいつらなら、週末にふらっといなくなってまだ帰ってきてないんだ。俺らの今の状態を知っているかは分からないが、まぁ元ノラの経験もあるし、その内またふらっと戻って来るだろ」
「相変わらずだな…奴ららしいが」
柳の言う「奴ら」と言うのは、ジャッカル宅に丸井と同じく居候をしている二人の獣人である。
両者とも猫の血を引いているが、仁王雅治という男は輝く銀の猫耳と尻尾、柳生比呂士という男は珍しい紫の彩のそれらを持っていた。
元ノラとは言うもののその毛並みの美しさは類稀なもので、二人の言動の端々からも、彼らが過去にやんごとなき身分の何者かによって飼われていた事はうっすらと察する事が出来る。
しかし、それ以上の事は二人ともが語ろうとせず、周りのジャッカルや丸井達も余計な詮索には興味のない性格だった為に、未だに明らかにはされていない。
そんな不思議な二人の獣人は、元々の性分なのかそれともノラの時だった名残が抜け切れていないのか、ジャッカル達に告げずにふらりと気侭にプチ家出を楽しむ事もよくあるのだ。
悪人という訳ではないので、下手な悪事はしていないと思うのだが…詳細は不明。
「彼らの話はさておいて…俺達の昼食がなくなっちゃったね」
「止むを得まい、目の前で餓死されるのを指を咥えて見ている訳にもいかん」
「結局、俺らが餓死するのは確定事項なんだな…」
まぁ食事を恵んでもらったばかりだし、否定出来ないのが悲しいところだけど…とジャッカルが黄昏ている向こうでは、幸村と真田の発言を受けた柳がむぅと手を口元に当てて何かを考え込んでいた。
「たまには学食で食事をするのも悪くはないが、あまり余計な出費はしたくないな…ジャッカル達もどうせ昼にはまた欠食児童になるのだろうし」
「最早反論の仕様もねぇ」
仰る通り…とかっくりと丸井が首を項垂れている間に、てきぱきと柳が何か思いついた様子で携帯を取り出した。
「何をするつもり? 蓮二」
「うむ…そろそろもう一歩を踏み出してもいい頃合だと思うのでな…今日はデリバリーを頼むことにしよう」
「デリバリー?」
どういう事だ?と首を傾げて尋ね返す真田の前で、柳が携帯で呼び出したのは、他でもない真田家の電話番号だった…
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