RRRRR…RRRRR…
「はいはーい」
 彼らがいなくなった真田家の中で、電話の呼び鈴が響き渡る。
 その音を追う様に、誰かの返事と、ぱたぱたという小気味良い足音が聞こえてくると、電話が据え置かれている居間に一人の女性が現れた。
 長く白い耳がぴんと健康的に立っており、お尻の部分にはぽわぽわした白くまあるい尻尾。
 その特徴的な姿は、彼女が白兎の血を引いた獣人である事を明らかに示している。
 真田や幸村達よりも若干若年だと思しきその少女は、電話の前まで来るとそのまま受話器を取り上げ、応対した。
「はい、もしもし?」
『桜乃、俺だ』
「まぁ、柳さん。どうしたんですか? 何かお忘れ物でも?」
 向こうから聞こえてきた若者の言葉に、桜乃と呼ばれた娘はすぐに相手を声で判別すると柔らかく微笑んだ。
 その微笑が含まれた彼女の台詞に、向こうの次の台詞にも微かながらに笑みが混じった。
『いや…俺も弦一郎も精市も、忘れ物をしている可能性はゼロパーセントだ。桜乃、もしお前の手が空いていたら、少々頼みたい事があるのだが』
 遠慮がちな柳の希望だったが、桜乃はすぐに迷う素振りも見せず、電話の前で首を縦に振っていた。
「はい? 何でしょう、私に出来ることですか?」
『ああ、実は…』
 それから、柳は明瞭且つ簡潔に朝の出来事を話して聞かせ、結果、三人ともが昼食難民になってしまった事実も伝えた。
「まぁ、桑原さん達がそんな事に…?」
『そんな訳で俺達の分の昼食もないし、ジャッカル達も同じ様なものだからな…そういう事で桜乃、今からでも何か適当に見繕って、立海に届けてもらえないだろうか? 冷蔵庫の中にある食材は自由に使ってくれて構わない』
「え…私一人で、ですか?」
 デリバリーをリクエストされ、ほんの少し自信がなさそうな声で不安を滲ませた相手に、柳が淡々と元気付ける。
『お前がウチに来てまだ日は浅いが、確実に成長、進歩している事実を俺は知っている。学校のある場所はもう分かるな? 昼に正門で待っていよう』
「…は、はい…自信はありませんけど、出来るだけ頑張ってみます」
 ここで自分が断ってしまったら、向こうの若者達は少なからず困ることになってしまう。
 結果を恐れている場合ではないと的確な判断をした桜乃は、不安を押し殺して相手の要望を受け入れ、受話器を置いた。
「…うわ、何だか大変なコトになっちゃった」
 ここに拾われ、一緒に生活させてもらうようになって数ヶ月。
 確かに最初の頃よりは世間にも若干詳しくなったし、家事も少しはこなせるようにはなってきたけど、一人である一つの事を全てやり遂げようという試みは初めてかもしれない…
「うーんうーん…いつもは幸村さんや柳さんが傍で見守ってくれてるからなぁ…目立たない様にだけど真田さんもちゃんと見ててくれてるし…」
 家長、隠れているつもりがモロばれの様である。
 兎に角、引き受けた以上は行動あるのみ!
「えっとぉ…じゃあ先ずは冷蔵庫の中身を確認しなきゃ…」
 やれるだけの事はやってみよう、と心で気合を入れ、桜乃はとことこと台所へと歩いて行った。



 一方、再び立海のテニス部部室…
「大丈夫かな…桜乃…」
「あの子は見た目以上にしっかりしている子だ。まだ自分に自信が持てない様だが、そろそろそれの改善を目指す意味でも今回の計画は決して悪いものではないだろう」
 普段は何事に対しても達観している幸村が、珍しく愁眉で、今頃奮闘を始めているだろう少女の事を心配していた。
 柳がさり気ないフォローを入れたが、それでも不安が払拭される気配はなく、沈んだ顔をしている。
 実は、桜乃が住んでいるのは真田の家だが、元々彼女を拾ってきたのはこの幸村だった。
 雨の中で倒れていた桜乃を一目見て、途端に気に入ってしまった彼は、すぐに相手を真田宅に連れて帰り、食事と風呂の融通をし、元の住まいに戻してあげようとしたのである。
 ところが、そこで小さな不幸が生じてしまった。
 桜乃の住んでいた都内の学園も、当初は彼女を探していたのだが、時間が経過してしまった為に、見つけた時にはもう彼女の戻る場所は失われてしまっていたのだ。
 そこでまた、完全な捨て子状態になってしまい途方に暮れていた桜乃を、拾ってきた幸村がそのまま真田家に引き取る事を提案したのである。
 家主は間違いなく真田本人である筈だが、この時は幸村の半ば強引な勧誘と押さえ込みがあり、真田の意見は殆ど通らない状態だった。
 が、元々冷酷にもなり切れない熱い男なので、どの道そう変わらない結果になっていたかもしれない。
 結果、桜乃はその日以来ずっと真田家に住んでおり、この家に住む男達の妹代わりの様な立場になっているのだった。
 最初こそおどおどと申し訳なさそうにしていた少女だが、最近になってようやく今の生活にも慣れ始め、これまで家事を一手に引き受けていた柳から花嫁修業…もとい家事指南を受けている真っ最中。
 才能があったのか努力が功を奏したのか定かではないが、今の処は料理も洗濯も掃除も、まるで楽しい遊びの様に嬉々として実践し、着実に腕を上げているらしい。
「お弁当の中身も味もどうでもいいけど、桜乃、迷わないかな…誰か知らない人についていったら…」
「問題ない」
「お前の過大とも言える庇護を受けていると知られている彼女に変なコトを企む馬鹿は、少なくともこの街にはおらんだろう」
そんな彼女に対する軽い試験の様なものだと考えている柳や真田に対し、幸村はあくまでも心配性の兄の様に、向こうの様子について悩むことしきりだった…





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