幸い授業は青学と比べてそれ程に進行に差はないことが分かり、戸惑いつつも桜乃は午前中の授業を無事に済ませることが出来た。
「ふぅ…お昼休みかぁ」
いつもならお弁当だけど、自宅からだと朝早いために暫くは学食にお世話にならないといけない。
やっぱり青学みたいに混んでいるのかなぁ…桃城先輩みたいな特攻かける人がいたりして…
そんな事を考えながら目的の学食に向かうと…
「おばちゃ――――んっ!! カツサンドと苺サンド、焼きそばパンに豚カツ定食!!」
(あなたでしたか…)
聞き覚えのあるあの声は、まさしく丸井先輩。
「こっちはメロンパンとハンバーグ定食!! あと肉うどんも!!」
(あれは切原先輩ですね…)
あの二人も学食派なんだなぁ…と思いつつ、自分も学食のパンを買おうと並ぼうとした桜乃だったが、やはりこれだけの人数がある学校だけに人ごみも大したものだ。
前に進むと思いきや、間に割り込む形で入る生徒もおり、なかなか目的のケース前に辿り着けない。
「お? 竜崎」
「あ、桑原先輩?」
そんな彼女の隣に、ジャッカルが人ごみに紛れて押し出されてきた。
と言っても、彼はこの集団の中に参入してきたばかりの様で、人に揉まれた疲れというものが感じられない。
「何だ、お前も学食か?」
「はい…自宅からだと流石に作る時間が…」
「ああ、成る程なぁ…何を買うつもりなんだ?」
「え? うーん…ぶどうパンでもあればって思ってますけど…?」
「そうか、分かった。少し待ってろ」
「?」
聞くだけ聞くと、ジャッカルはごみごみとした生徒達の中をすいすいと縫う様に進んでいった。
流れに逆らっていないように見えて、明らかに自分が望む方向へと足を進めていく姿は、まるで魔法でも見ている様だ。
(うわっ! 凄いっ!!)
桜乃が驚いている間にも、ジャッカルは難なくすいすい人の海の中を泳ぎ、そしてこちらへと戻って来た。
その手には自分の取り分であるらしい弁当と、しっかりぶどうパンが握られていた。
「ほれ、ぶどうパン」
「わ! 有難うございます、すみません私の分まで…」
「なぁに、物はついでって奴だ。それにその調子じゃあ、いつまでたっても前には進めないぞ、もう少し人の動きを読まないとなぁ」
「うーん、それもトレーニングの一環なんですね」
「ま、趣味と実益を兼ねてってヤツだ。精進しろよ」
「はい」
そんな和やかな会話を交わしていた時…
「あっ、おさげちゃん!! ジャッカルも見−っけ!!」
「お、本当だ」
先程まで戦闘態勢だった丸井と切原の声が聞こえ、それに対してジャッカルが過敏に反応を示し、そそくさと場を離れていく。
「う! マズイ!! じゃ、じゃあな竜崎!」
「は、はい…あの、そんなに急いで、どうしたんです?」
「アイツら、俺の食料を狙って来るんだ! 頼む、食い止めておいてくれ!!」
「はぁ…」
あんな魔法みたいな身のこなしをしていても、食欲魔人二人の攻撃には勝てないらしい。
逃げてゆくジャッカルの背中を見つめていた少女の傍に、少し遅れてその問題の二人が現れた。
二人とも、持っているトレーの上にぞろりと食物が積みあがっており、その上更にジャッカルの食べ物も狙っていたのなら、確かに驚きである。
「ちっ、逃げられたか」
「ジャッカル先輩、最近また技を磨いてるッスね…」
これらの台詞から、彼らが何を狙っていたのかは言わずもがな…
どうやら、去った男が危惧していた危機は杞憂ではなかったようだ。
(うわぁ、物凄くお気の毒…)
丸井はともかくとしても、後輩である筈の切原に、ジャッカルに対して先輩を敬うという気持ちが欠片も見えてこないのは、自分だけの気のせいではあるまい。
普通だったらとっくの昔にキレて、ちゃぶ台をひっくり返すぐらいの暴走は起こしていてもおかしくないのだが…とことん、人がいいのだろう。
「竜崎、お前も学食に来てたのか」
桜乃の心中は知る由も無く、その切原が桜乃へと興味を移した。
「はい、自宅だとお弁当作る時間がなくて…」
「良かったら、おさげちゃんも一緒に食わね…ってか、何それ!?」
「え? ぶどうパンですけど」
「まさか、昼食そんだけ!?」
「そうですよ?」
あっさり頷いた少女の言葉が信じられず、丸井はじろじろとぶどうパンを凝視し、本当にそれ以外に何も無いのだと認識した途端、心配そうに彼女に迫った。
「お前、ビョーキじゃねぇのかぃっ!? たったこんだけでよく生きてられるなぁ!」
「丸井さん達が凄いんですよ! どうしてそんなに食べられるんですか?」
「えー? だって腹減るし」
「そうそう、弁当なんか、二時限目の休み時間で全部ぺろりだもんなぁ…」
「え…」
学食派…ではなく、弁当派だったのか…それで足りなくてこれだけ食べるって…しかもこれだけ痩せてるって…ずるい!
「…女の敵っ」
「う…っ」
「な、何か知らないけど、恐いぞ竜崎…」
むっとする桜乃の雰囲気に、流石の二人も呑まれてしまったのであった。
それから三人は食堂へと移り、丸テーブルを囲んでしばしの休息を楽しんでいた。
「どうだ? 立海の雰囲気、そんなに悪いモンじゃねぇだろぃ?」
「はい、まだ慣れたとは言えませんけど…クラスの人達もよくしてくれます」
嬉しそうに笑う桜乃とは対照的に、切原は何となく不満顔だ。
「そっか? 何か拍子抜けだな」
「…それは私がいじめられた方がいいという意味ですか?」
声のトーンが落ちた桜乃に、慌てて男が両手を振り回して撤回する。
「ち、ちがっ! そうじゃねぇって!! いじめられたらいいとか、そんなひでぇ事は思ってないけど、もしそんなヤツがいたら思い切りシメてやれるのになーっと…」
「…切原先輩、学生生活、楽しくないんですか?」
「つーか、刺激が欲しい」
毎日あれだけ真田先輩から怒声を浴びせられてるのに、これ以上どんな刺激を求めているというのだろうか…?
(もしかして切原先輩って…マゾ?)
ちょっと失礼な事を桜乃が考えていると、丸井が焼きそばパンを咥えながらぶんぶんと首を振った。
「ムリムリ、何か、もう既に戒厳令が出回ってるみたいだからよぃ」
「戒厳令?」
切原の言葉にこくんと頷くと、先輩はぴっと人差し指を立てて説明した。
「おさげちゃんを泣かしたりいじめたりしたヤツは、例外なく真田が捲き藁代わりに斬り捨てるって噂が…」
「事件じゃないですか〜〜〜〜っ!!!!」
あわわと動揺する桜乃に、しかし丸井は更に続ける。
「いや、それが嫌なら柳がそいつの裏の顔を暴露するとか、仁王が騙くらかして破滅させるとか、お好きなコースをどうぞって感じ?」
「あの、ここって只の中学ですよね…?」
「当たり前じゃんか」
「そう思いたいんですけど…」
それが当然の筈なのに、今ひとつ信じられないと首を傾げる桜乃の背後から、不意に声が降ってきた。
「楽しそうですね、皆さん」
「俺達も混ぜてくれんかの」
「あ…柳生先輩…仁王先輩も」
ひょっと後ろを振り返ると、そこには立海テニス部の誇るダブルスペアがトレーを持って立っていた。
「竜崎さんも、すっかりその呼び方に慣れた様ですね…しかし、そうなると今度は、『さん』付けの方が懐かしくなるものですが」
「うーん…でもやっぱりけじめはつけないといけませんから…堅苦しいですか?」
「いえいえ、そんな事はありませんよ」
「先輩って呼ばれると、俺達もお前さんがここの生徒になった事を実感するからの…それはそれで嬉しいもんよ…っと」
軽い会話を楽しみながら二人も席について、改めてみんなが食事を摂り始める。
「ジャッカルは逃げたようじゃの」
「よく分かりますね」
「んー、この二人の傍におったら、ヤツは間違いなく餓死の道まっしぐらじゃよ…お前さんは、毒牙にはかけられておらんようじゃが」
「ったりまえだい、こんな小食なヤツから食いモン奪う程、鬼じゃねーもん」
「桑原君が温厚であることを、感謝するべきですね…しかし、確かに竜崎さんは小食ですね。それでは体力が持たないのでは?」
「え、そうですか? いつもこんなものですけど…」
もきゅもきゅとパンを食べる桜乃に優しい視線を向けながらも、仁王はそこはしっかりと相手に忠告する。
「マネージャーになった以上は、これまで以上に体力が必要になるぞ。そこはしっかり弁えて、体調管理にも気を配っておけよ。プレッシャーをかける訳じゃあないが、お前さんにはウチの化物トリオも期待しとるようじゃ」
「化物トリオって…」
幸村、真田、柳の三人を指しているのは間違いないが、言い方はもう少し何とかならないものだろうか…?
「そ、そうでしょうか…勿論、力を尽くすつもりですけど、正直、期待に答えられるか不安です」
「フム…」
柳生が少女の沈んだ表情を見て、どう声を掛けるべきか悩んでいるところで、あっけらかんとした切原が割り込んでくる。
「だーいじょうぶだって。何かあったら俺も手伝うし」
「お前さんが一番不安の種なんじゃが…」
遅刻はするわ、喧嘩っ早いわ、挙句の果てには暴走するわ、テニスの技量は優れていても、それを上回る程のトラブルメーカーが励ましてくれても、全く心動かされない。
「真田先輩に一日一回も怒られなかったら、信じてあげます」
「うっ…そりゃハードルが高いなぁ」
「いえ、高いと言われたらこっちが困るんですけど…」
切原達を見つめながら、仁王と柳生はやれやれという顔で苦笑する。
「まぁ、俺達がいなくなっても何かとフォローはするぜよ。今も幸村達がそうしやすいように頑張っとるし、竜崎も、そんなに不安そうな顔をするな。な?」
「…はい」
素直に頷き、感動している桜乃の気付かないところで、柳生が仁王にこっそりと囁いた。
「あの三人が、今後のテニス部の活動を中・高合同で行うように根回しを始めている事は、竜崎さんには言わないんですか…?」
「トップシークレットじゃろ…それに、赤也の絶望した顔が見たいし、決まるまで言わん」
「成る程、鬼ですね」
「詐欺師じゃ」
昼休みもそんなこんなで終了し、桜乃は午後の授業を当然ながら真面目に受けた。
午後の科目の進行度も、あまり青学とは相違ない…これなら大丈夫だろう。
ただ、問題のレベルが若干高めだという印象も強いので、油断は出来ないが…
(忙しい学生生活になりそう…)
午後の授業が終わり、桜乃は気を引き締めつつすぐにコートへと向かっていった…
「ふぅん…彼女がそんな事を?」
丁度彼女がコートに向かっている時、幸村は仁王から昼の桜乃の様子についての報告を受けていた。
柳は早速彼女に対する指導の準備を始めており、真田はきょろきょろとコートの周囲を見渡している。
「ま、転校したばかりでマネージャーも始めたんじゃ。誰でも不安にはなるじゃろうな…一応、ありきたりの言葉でよければフォローしといたが…」
「うん、有難う。俺達も全面的にバックアップするのは当然だからね…ウチは切原とか、とにかくアクの強い人材も多い分、大変だと思うけど…」
「そうじゃな…」
そんな会話を交わしている二人からかなり離れた場所…コートの隅の木陰で、話題に上がっている真っ最中の切原が何をするでもなく佇んでいた。
と、その向こう、飛んでくるボールから歩行者を保護する為のネットの向こうにぱたぱたと桜乃が走ってきて、切原に気付くと、ついーっとそちらへと方向転換する。
「あ、切原先輩…」
「ん? お、おう、竜崎か」
こちらに気付いて手を上げた男の不自然な様子に少女は僅かに首を傾げたが、そのままにこりと微笑んでネットぎりぎりまで近寄った。
「今日も宜しくお願いします、切原先輩。そう言えば、刺激が欲しいと言ってましたよね?」
「ん…」
がしゃ…
「ん?」
生返事を返そうとした切原が、ネットの隙間を通じて伸ばされた桜乃の両腕に捕らえられ、身体を抱き締められた。
「え…?」
ちょっと…何ですか、いきなりこんな艶っぽい展開は……!!
竜崎って、実はこんなに大胆だったのか!?
相変わらずこちらへ微笑む少女に、健全な青年がどきっと胸を高鳴らせたが、現実はそんなに甘いものではなかった。
「切原先輩、真田先輩からまた逃げていますねっ!? 真田せんぱ――――――いっ!! ここです―――――っ!!!」
「わ―――――――っ!!! 裏切り者〜〜〜〜〜っ!!」
切原が彼女の真意に気付いて声を上げたが、時既に遅し…
「でかした竜崎――――――っ!!」
ふははははっ!!と笑い声が聞こえてきそうな程に高揚している真田が、物凄い勢いでこちらへと疾走してきて、早速切原を桜乃の手から引き受けた。
「赤也っ! こんな処で油を売る暇があったら自主的に練習せんかっ! 感謝するぞ竜崎」
「竜崎〜っ、覚えてろよ〜〜っ!」
捕まってしまった怒りで桜乃に叫んだ切原だったが、普段温和な彼女もこの時ばかりは反論した。
「こーゆー仕事はすぐにでも忘れたいですっ! 女性から身体を密着させるなんて、ものっすごく恥ずかしいし、はしたないんですからね!?」
そういう見方からの責められ方は初めてであり、当然、切原は返す術を持たなかった。
覚えてろというなら、どう責任を取ってくれるんです?と尋ねてきた少女に、その時彼は、他に返す台詞があっただろうか?
「…スミマセン、忘れて下さい」
渋々と、いつもより力なく真田に付いて行く切原と、今までの経過を見ていた他のレギュラー陣は、暫くあっけに取られていたが、やがて幸村がぼそりと呟いた。
「…大丈夫かも」
「…そうじゃの」
あれだけの問題児を、あっさり一言で黙らせて服従させるとは…出来る!
「ふむ…一番の難敵と考えていた赤也だが…彼女は俺のやり方とは違う方法で、コントロールする能力を持ち合わせている様だ、興味深いデータだな…」
かきかき、とノートに記載する柳が、珍しく面白そうに笑っている。
他の部員達も驚いて見守る中で、桜乃は何事もなかったように幸村達の許へと走っていった。
それから、立海の男子テニス部を何かと支え、切り盛りすることになる桜乃の、記念すべき登校初日のことであった…
了
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