新たな居場所


 竜崎桜乃が立海大附属中学校に転校してから数日後のこと…遂にその日がやって来た。
 昼休み…
「それじゃあ、申し訳ありませんが、今度の日曜は部活をお休みさせてもらいます」
「うん、了解」
「みんなには申し伝えておこう」
「必要な事だからな、気にするな」
 青学から転校して、ようやく立海の校風に慣れてきた桜乃は、昼休みを利用して幸村のクラスに集まっていた男子テニス部の三強にある事を断っていた。
 少女が申し訳なさそうにお辞儀しているのに対し、三人は気にするなという感じで、表情が非常に柔らかだ。
 元々、レギュラー全員が可愛がっている子なので、彼らもそれに漏れず彼女には甘くなってしまっているのかもしれない。
「じゃあ、失礼します。今日の部活にはちゃんと参加しますから」
「分かった」
 幸村が頷いたことを見届けて、桜乃がクラスを後にしてから暫く後、銀髪の同級生、仁王が入室してきた。
「よ、お偉いさんがお揃いじゃの」
「ああ、仁王か、何か用?」
「いや、珍しくお前さん達がこういう場所で揃っとるのが目に入ったからの。何かあったんかと」
「今度の予算分配について話し合っていたところだ。先程、竜崎も来ていたのだが」
「竜崎が?」
 真田がいつもの様に腕組みをしながら説明した後に、柳が続いた。
「次回の日曜練習を休む旨を伝えに来たのだ。丁度引越しの日だからな、止むを得まい」
 住まう場所を移動する引越しは日をかけての大仕事である。
 それ故、三人は快く彼女の当日における部活動の不参加を受諾したのだ。
「ほう、決まったんか、引越し」
「ああ…そう言えば、引っ越し先の寮って…」
 幸村が話題を振りながらも、その全てを言おうとはしない。
「……お前が、手配していたのだったな…」
 結局締めた真田の言葉も、何処となく警戒している様な感じがある。
 一種の奇妙な緊張感の中で、唯一笑っていたのは問われた仁王のみだった。
「嫌じゃの〜、俺はただ、彼女にこの部屋はどうかと管理者に斡旋しただけよ。まぁ、品行方正な彼女じゃから、審査が通って当然じゃろうが? それに祖母が教師なんじゃし、俺が言わんでも大丈夫じゃろ」
「竜崎の品行方正な性格の陰で、お前が暗躍したように見えるのは、俺の目が腐っているのかな?」
 柳の問い掛けは心からの疑問と言うよりは糾弾や追及の類の色が濃かったが、詐欺師はそれすらそよ風の様に受け流して不敵に笑う。
「どうでもええことよ。結果として竜崎は学校から近くて設備も一番新しい、個室に入れたんだしなー。部屋も広いし、防音設備も完備。いい生活が送れそうじゃの」
「よく知ってるね、俺達でも知らない情報を。何処から仕入れたのか是非教えてもらいたいものだけど」
「ま、それは蛇の道は蛇ってことで」
 にっと更に深く笑った詐欺師は、そこでくるっと踵を返した。
「おっとそうじゃ、こうしちゃおれん。じゃ、また放課後な」
 そう言うと、相手の答えを待ちもせずにさっさと去ってしまった詐欺師に、三人が訝しげな視線を向ける。
「…結局、何をしに来たんだあいつは」
 真田の問いに、柳は考えうる限りで最も可能性の高い答えを出した。
「今更、部の活動内容を尋ねる訳もなかろう…おそらくは偵察だ」
「多分、竜崎さんについてのね」
 間違いないという確信があるのか、幸村はきっぱりと言い切った。

「おーい、竜崎」
「? 仁王先輩?」
 幸村達のところから移動し、自分の教室へ戻ろうとしていた桜乃の後ろから、仁王の声が聞こえてきた。
「何ですか?」
「っと。今、幸村達に聞いた。引越し、決まったんか」
 仁王を待って立ち止まった彼女が振り向くとほぼ同時に、軽く走ってきた男が追いついて立ち止まる。
 身長が高い上にテニスで脚力も鍛えている若者は、ステップの動き一つとっても非常に流麗で、見ている者の目を惹き付ける。
「はい、今度の日曜日に業者の方にお願いしました…と言っても、殆どお任せだし、荷物もあまり無いですから、そんなに大変じゃないと思いますけど」
「間取りとかはどうなっとる?」
「あ…教室に行ったら、鞄の中に入ってたと思いますけど」
「興味あるのう…見せてもらってええか?」
「別にそれは構いませんけど…仁王さんって、そういうの見るの、好きなんですか?」
「まぁの。ウチの親が建設業に関わる仕事をしとるせいかな…つい見てしまうんじゃ」
「ああ、成る程〜」
 その言葉を聞いて、桜乃はあっさり納得すると、仁王と一緒に自分のクラスへと向かった。
(仁王さんも、そういう風にお父さんの背中をちゃんと見てるんだなぁ…私も見習わなくちゃ!)
 普段、詐欺師と呼ばれ日常的に警戒されている男が意外な一面を見せたことで、桜乃は彼に対する評価を心の中で上げたのだが…
(本当に素直に人の言う事を信じる奴じゃの〜…まぁ、俺が見とる限りは、下手な奴に騙される様な事はさせんが)
 仁王は少女の心の中を見透かしながら、薄い笑みを浮かべていた。
 どうやら、彼の真意は評価を上げてもらう様な殊勝なものではなさそうである。
 彼らの、桜乃のクラスへの道すがら…
「お? 竜崎じゃんか」
「何やってんだ?」
 切原とジャッカルが廊下で談笑しているところに出くわした。
 銀髪の仁王と、長いおさげの竜崎が一緒に歩いていると、それだけで結構人目にはつく。
 同じ部活に所属している二人が、彼らの姿に気付かない訳はなかった。
「あ、切原先輩、桑原先輩、こんにちは〜」
「こいつの引越しが決まったらしいんでな、間取り図を見せてもらうところじゃ」
 二人に挨拶する桜乃の頭をぽんぽんと軽く撫でながらの仁王の言葉に、向こうの二人も興味をそそられたらしい。
「へぇ、俺も見てーなー…一緒に行ってもいい?」
「どうせ実物は見られないだろうからな。ま、単なる興味だが」
 無邪気に笑う切原は、一見したところでは年相応のやんちゃ小僧なのだが、一度怒らせたら相手がトラウマになる程に邪悪な本性を露にするという厄介な二年生だ。
 そのお目付け役であるジャッカルは、ハーフということもあって身体能力が他者と比べてずば抜けていいのだが、その代償に神様が『幸運』というキーワードを取り上げてしまったのかと思うほどに貧乏くじを引いてしまう、ちょっと気の毒な三年生である。
 切原のお目付け役というところが、更に彼の不幸っぷりを如実に示しているのだが、最近桜乃がマネージャーとしてテニス部に入ってからは、少しは負担も軽減されたようだ。
 『悪魔』の様な切原も、結局、他のレギュラー同様、「泣く子と桜乃には勝てない」らしい。
「いいですよ? じゃあ、一緒に行きますか?」
 別に断る理由もなく、更に二人を加えて桜乃はクラスへと戻った。
 驚いたのはそのクラスメート達である。
 立海の中でも有名な男子テニス部の、しかもレギュラーを三人も引き連れてクラスへ戻った桜乃を遠巻きに見つめながら、みんながざわざわとざわめく。
「えーと…間取り図は」
「すまないな…なんか、騒がせて」
「え? そんな事ないですよ。私なんかじゃなくて、皆さんが注目されてるんですからー」
 辺りの喧騒に居心地悪そうにジャッカルが詫びたが、桜乃は全く気付いていない様子で鞄をあさっている。
「…」
 もしかして、本当に気付いていないのか?
 自分達もそうだが、一番騒がれているのは多分…
 ちら、とジャッカルが仁王に目配せすると、向こうはん〜と天井を見上げつつぼそりと呟いた。
「…物凄い天然で、自惚れを知らん子じゃからのう…」
「…何か、それだけで泣けてくるッス」
 もう少し自己主張強くてもいいのに…と思う男達の前で、ようやく間取り図を見つけた桜乃が彼らにそれを差し出した。
「これです。私には勿体無いくらいの良い部屋ですよ?」
「どれ…?」
 三人がそこを覗き込むと、間取り図は予想以上の広さと部屋を持つ空間を記されていた。
「おお、キッチンがある!!」
「風呂、トイレも別なんだな、しかもリビングの他にも部屋があるって…まるでちょっとしたマンションだ」
「なかなか広々とした部屋じゃのう…」
 裏で手を回した仁王も詳細な間取りを知ったのはこれが初めてらしく、じっと熱心に見入りながらも、満足しているのかうんうんと深く頷いた。
「侵入ルートはここ……盗聴器を仕掛ける場所としては…」
「ちょ、ちょ、ちょっ! いきなり真面目な顔でナニ言ってんだ!!」
「そんなの仕掛けないで下さいっ!!」
 ジャッカルと桜乃の必死の抗議に、相手はへらっと緊張感の欠片もない笑顔で誤魔化す。
「嫌じゃの〜、一般的な盗聴犯罪者の手口をなぞっとるだけよ」
「やめんか!! 入る前から不吉なっ!!」
「分かった分かった…取り敢えず、メモっとこ」
(何に使うつもりなんだろう…)
 メモメモ…と自分の手持ちの手帳に細かく間取りを書き込んでいる仁王に切原が不審の目を向け、ジャッカルは気を取り直して桜乃に尋ねた。
「寮と言ったら、管理も厳しいんだろ? 門限とかそういうのは…流石に部活に支障は出ない範囲だろうがその辺はどうなってるんだ?」
 結構現実的な問題を提示した彼に、桜乃はうーんと唸りながら寮についての規約書を取り出して捲った。
「実は私も昨日受け取ったばかりですから、規約についてはまだ理解してないんですよ。えと、門限は…」
 門限、門限…と探している間に、切原が別の疑問を口にする。
「寮ってことはやっぱり男子禁制なんだよなぁ、ちぇ、遊びに行きたいけど、やっぱ無理かな?」
「あ、やっぱり門限は七時ですね〜。男子の入室も不可ってあります」
 当然の規約ではあったが、切原はそれでもマジ!?と吃驚する。
「イマドキ七時なんて、何処にも行けねーじゃんか!」
「塾に通う人は特例として認められるみたいですけど…私は特に予定はありませんから」
「ちょっと…」
 桜乃がちょっぴり残念そうに言っている脇から仁王が寮の規約書を取り上げ、ぱらりと捲ると、中の一文を読み上げた。
「…当寮では、学生の規則正しい生活を応援する為に、一階から三階全ての階に渡って最良の環境を整備しております。通路の監視カメラ、また、門限になれば部屋のカードキー認識による在室確認結果が管理会社に転送され、お子様の御在室を確認出来るシステムになっており…」
「うひゃ〜、流石に管理厳しいな…」
「つまり、男子の入室もチェックされるし、部屋にいなかったらカードキーが差し込まれてないって事だから、その時点でアウトって訳だなぁ」
 厳しいな〜と二人が頷きながら納得しているのを他所に、読むのを止めた仁王がさらっと桜乃に尋ねた。
「お前さんの階は?」
「四階の最上階です」

『……』

 聞き流した言葉を再度反芻して、ジャッカルと切原が同時に、あれ?と首を傾げた。
 ナニ? 今、心に過ぎったビミョーな違和感は…
「えーと…確か、今の説明では一階から三階ってあった様な…」
「…ですよね」
 ジャッカルの小さな呟きに、切原も同じぐらいの声量で答えると、ゆっくりと仁王へ視線を移した。
 そうだ、確かコイツが今回の寮への根回しの立役者だった…って事は、そういう規約を見越して、何か先手を打っていたっておかしくない…と言うより、彼の性格を考えたら、打っていない方がおかしい!!
「因みに仁王クン…四階ってどうなってるのかな?」
「屋上って事はないッスよねぇ…」
 青ざめている二人の背後では、同じ様に強張った表情の桜乃がこちらを見ている。
「竜崎を雨風に晒す様な無体が出来る訳ないじゃろうが、ちゃんとした部屋じゃよ、但し…」
 そこで一度言葉を切った銀髪の詐欺師は、ぱふっと規約書を閉じつつニヤリと笑い、こう締め括る。
「四階は当初、教師が入居することを想定しての造りじゃったから、そういう監視は一切無いがの。無論、カード認識機能もナシ」

(めっちゃくちゃ治外法権っ!!)

「じゃ、じゃあ何でそんなトコに生徒の竜崎が…!?」
「他に部屋は無かったし、青学の竜崎先生が赴任して彼女とルームシェアをする…という噂をちょっと」
「お前、そりゃ詐欺だろう!!」
「ん、俺、詐欺師」
(開き直りやがった〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!)
 とんでもない事実を知ったジャッカルががくがくと震えながら真っ青になり、冷や汗をだらだらと流し出した隣では、先程までは厳しすぎると不満を漏らしていた切原が、今度は逆の事を心配し始めていた。
「いや、でもそれって流石にマズイんじゃ…! いつでも帰れるとなったらやっぱ…ちっとは安全面も充実していた方が…」
「そ、そうそう!」
 ジャッカルも切原に同調し、仁王へと訴えの視線を向ける。
「面倒臭いのう、いちいち…のう、竜崎」
「は、はい?」
「お前さんはどうじゃ? やっぱり朝から晩までがっちり監視されとる方がええかの?」
「…えーと…」
 ちょっと考えた後、桜乃はまだ全てを理解していないのか首を傾げて逆に尋ねてきた。
「ええと…泥棒さんとか、強盗さんからは守ってもらえる訳ですよね?」
「まぁの、そういう面のセキュリティーは階に関係なく、建物全体のサービスじゃから」
「はぁ…じゃあ別にいいです。ちょっと遅く帰っても大丈夫なのは嬉しいですね」
 意外な彼女の発言に、切原達はぎょっとする。
 まさか、竜崎、自分達の知らないところで意外と悪い子してんのかっ!?
「スーパーとかの閉店間際の値引きって結構おいしいんですよねー! タイムサービスとか使えば、食費も結構浮きますし、やっとこれで割高の学食を止めてお弁当作れます〜〜〜。いつでも帰っていいって言われても、外は恐いし、九時過ぎると眠くなるし…寝る以外に何をするんです?」
「……」
「……」
「こーゆー子に下手な規約を付けても無意味じゃし、寧ろ勝手に自己管理してくれる分、不安はないぜよ」
 あっさりと言い切った仁王の向こうで、『可愛い後輩に俺達は何て黒い疑惑を…』と自己嫌悪に陥ってしまった二人が肩を落とす。
 何か…詐欺師の策略にまた引っかかってしまった気がする……
「御近所さんへのご挨拶は、向こう三軒両隣でしたよね?」
「最上階で隣もおらんから、ま、下の階の奴らだけでええじゃろ。菓子折りが良ければ印象は上がるから、ケチらんようにな。地獄の沙汰も金次第じゃよ」
「え…私、地獄行くんですか…」
 向こうの二人がかなり寿命を縮めている脇で、今ひとつ事の重大性を分かっていない少女と、全てを理解していながらそれを実行に移した詐欺師が、のんびりと呑気な会話を行っていた。



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