そして次の日曜日
 立海男子テニス部は、その日も桜乃を除く全員が集い、真面目に部活動に打ち込んでいた。
 午前中から陽気も良く、心地よい環境の中で運動をするというのは実に清清しいものだ。
「晴れて良かったですね。雨だと引越しも苦労が多かったでしょう」
「そうだね」
 ここにはいない後輩の事情を思い、柳生が言った台詞に幸村も笑って同意を示した。
「これだけ晴れやかな天気なら、心機一転、新たな気持ちで明日に臨む事も出来るだろうな」
 真田の言葉はやはり堅苦しいものではあったが、後輩を慮っての言葉であることには間違いない。
「竜崎の性格や一人暮らしに必要な物品の内容を検討するに、作業が三時までに終了する確率は九十五パーセント以上…」
「そんなのに性格が必要あるんスか?」
「お前の様に、漫画やテレビゲームなど、学生生活におよそ必要無い物を持ち込むような性格の場合、片付く時間は大幅に遅れると予想される」
「…すんません、ヤブヘビでした」
(図星か…)
 柳と切原のやり取りを聞きながらため息をつく真田の横で、丸井がはしゃぎながら挙手をする。
「お祝いにいこーぜ! 引越し祝い! ついでに宴会!」
「ふふ…楽しそうだけど、寮だからね…俺達男子が行っても無理なんじゃないかな」
「いや、大丈夫じゃよ」
 部長の言葉にすぐに仁王が答え、それには返された幸村だけでなく、他の副部長や参謀も注目する。
「どういう事だ?」
「まぁ詳しい話は置いといて、引越し当日のお祝いぐらいなら目を瞑ってもらえるじゃろ。みんなで竜崎のこれからの生活を激励しに行っても、罰は当たらんと思うよ?」
「…ふぅん」
 何となく顔色が優れない切原とジャッカルの様子をちらっと見た幸村は、そこでは何もそれ以上問うこともなく、仁王の提案に乗る意志を示した。
「まぁ、後輩の引越しを先輩が祝うのはおかしな話じゃないしね…いいよ、顔を見せておこうか。他に都合のある人は強制せずにあくまで希望者だけでいいと思うけど」
「お菓子買ってこ、お菓子!! ジュースも!」
「お前は食いに行くのか祝いに行くのか、はっきりしてくれ」
「両方!!」
 結局、レギュラー全員が希望者ということで、みんなは途中でお菓子などの買出しに店に立ち寄った。
 流石に丸井の様にいやしんぼという訳ではないが、やはり手ぶらと言う訳にはいかないだろう。
 それぞれが幾らかの出費をして菓子やジュースを揃えると、ビニル袋を手に提げて、彼らは仁王の先導に従い、桜乃の住むことになる寮を目指した。
「……ああ、あそこじゃ。でかい木が見えるじゃろ? あれが目印じゃよ」
「へえ、立派なオリーブだね。建物も新しそうだ」
 流石にガーデニングが趣味の幸村は、いち早く樹木の感想も述べて建物の外観を眺めた。
 西洋風の建物は壁がベージュで屋根は赤茶色、鉄製の門が誂えられており、公園に面している南側には大きなオリーブの木が数本、植樹されていた。
「でっけぇ〜〜」
 丸井が手を翳して面白そうにオリーブを見上げている間に、幸村達は部屋の再確認をする。
「部屋は四階だったね」
「そうだな、階段上がって一番手前らしい」
「よし、行くか」
 流石に設備がしっかりしている建物で、エレベーターまで備え付けられている…が、無論、彼らは階段を使用する。
 どんな時でもトレーニングを意識するというのがいかにも立海メンバーらしい。
 四階までなら、彼らにとっては軽い運動にもならないもので、部屋の前に着いた時にも全員、けろっとした表情だった。
 ぴんぽーん
 呼び鈴を鳴らして…やがてインターホンから声が届けられた。
『はぁい?』
「竜崎さん、引越し、終わった?」
『え!? もしかして、幸村先輩…?』
「引越し祝いに来たぜーっ!!」
 代わりに丸井が大声で答え、インターホンがすぐに切れると、ドアの向こうからぱたぱたと誰かが走ってくる音が聞こえた。
 がちゃっと扉が開かれ、ひょこんと顔を覗かせたのは、確かに桜乃本人だった。
「わっ! 皆さんも!」
「部活が終わったから、そのままお祝いに来たよ。お邪魔じゃないかな?」
「いいえ、整理もあらかた終わったところですよ。どうぞ、上がって下さい」
 にこっと笑った桜乃は扉を開け放ち、全員を中へと招きいれた。
「失礼する」
「お邪魔〜っ」
「お邪魔しますよ」
 みんながそれぞれ挨拶しながら中へ入ると、新しい家屋特有の匂いが微かに鼻腔をくすぐった。
 過去に住んでいた人間がいなかったか…いたとしても在住期間が短かったのだろう。
 通る壁も新品そのもので、傷らしい傷が見られない。
 廊下を抜けると広がるリビングに入り、予想以上の広さにみんなが感嘆の声を上げた。
「ほう…なかなかの広さだ。一人なら十分すぎる程だな」
「はい、窓からの眺めも良いし、部屋も綺麗で、いい所です」
 真田が笑って少女と話している隣では、きょろきょろと仁王がせわしなく天井やら壁やらを見渡し、また、他の部屋に通じるドアを見つめている。
「どうしました、仁王君」
「いや…ちょっと確認をの。これから竜崎が住むに当たって…」
 自分が彼女がここに来るように誘導した以上は、何らかの責任を感じているのかもしれないが、それにしても普段より随分念入りに部屋をチェックしている。
「どうしたの? 仁王」
 近寄ってきた部長に、仁王はこそっと小声で尋ねた。
「んー…部長としてどう思うかのう?」
「何が?」
「リビングと寝室の、どっちに付けた方がええと思う?」
「……答える前に、『何を』と尋ねさせてもらっていいかな?」
 にっこり笑いながら殺気を振りまいている幸村の背後では、何も知らない少女が『え?』と不思議そうにこちらを見つめている。
「はぁ…冗談が通じんのう」
「そういうジョークは命を懸けてやる程のものじゃないと思うよ」
 詐欺師の危険な動きをしっかりと部長が封じている脇では、ごく平和に引越しパーティーの準備が始められていた。
「紙コップとプレート回してくれー」
「えーと、ジュースはこっちに置いとくか?」
「色々買ってきたからな、取り敢えず幾つか出して並べよう」
 にぎにぎしく男達が準備を始めてから間もなく、彼らの前にはそれぞれのコップとプレートが置かれ、中央には沢山のお菓子が鎮座していた。
 こたつ台がリビングのテーブル代わりであり、彼らはそれを囲むように思い思いの場所の床に腰を下ろしている。
「よっし、じゃあ、幸村! 部長として一言、決めてくれぃっ!!」
「ふふ…あまり堅苦しい挨拶は抜きでいこうか。竜崎さん、引越しお疲れ様」
 コップを手にした幸村は、本当に嬉しそうな笑顔で桜乃にねぎらいの言葉をかける。
「思えば、君が青学にいたら、立海では経験出来ない楽しい経験や行事があったかもしれない…俺達とテニスをしたくて君がここに来たのなら、青学にいた君の未来を俺達が閉ざしてしまったことになるのかもしれないな。けど、ちゃんと責任は取るよ。立海を選んで、俺達と一緒にいることを決めてくれた以上は、青学では絶対に出来ない経験と、実りある時間を俺達が君に約束してあげる。竜崎さん…」
 にこりと笑い、幸村のコップが高く掲げられる。
「改めて、立海へようこそ!! 乾杯っ!!」

『かんぱ―――――――いっ!!!!』

 次々とコップが掲げられ、威勢のいい掛け声が上がった。
 紙コップで洒落たグラス音は無かったものの、みんなが各々コップの縁を軽くぶつけ合って一気に中身を飲み干してゆく。
「いや〜〜っ! めでてぇめでてぇ!!」
「マジで竜崎が来てくれたって感じだな、これで!!」
「立海の学び舎にいる間は、私達が中学を卒業しても長いお付き合いです。宜しくお願いしますよ」
「お前さんとは、俺でも退屈させんぐらい面白い学生生活が送れそうじゃの」
「へへ〜、俺はまだあと一年中学生やるからよ。学校でも宜しくな!」
「赤也の今の勉強態度では、一年で済まなくなる可能性もあるが…まぁ、俺達もお前の先輩として微力ながら力を貸そう」
「もし困ったことがあれば、俺達が卒業した後でもいつでも相談に来るといい。必ず、何らかの形で力になってやろう」
 心強く、優しい先輩達の歓迎を受けて、桜乃の瞳にじわりと涙が浮かんだが、彼女は必死にそれを耐えた。
 折角のお祝いが湿っぽくなってはいけないと、必死に笑顔を浮かべてみせる。
「あは…有難うございます! 入学してすぐにこんなに素敵な先輩達を持てて、凄く嬉しいです。こちらこそ、宜しくお願いします!」
「おう! 泣くなよおさげちゃん!!」
「まぁ食え、何は無くとも食え!」
 どんちゃんと、アルコールも入っていないのに、ここまで騒げるのは最早才能である。
 防音設備が完備されていなければ、早速他の部屋から苦情が来ただろう。
 そうしている内に、設置されていた電話が鳴り出した。
「あれ?」
 誰だろうと思ってそれを取った桜乃は、話し始めてすぐに笑顔を浮かべる。
「あ、おばあちゃん?…うん、うん、終わったよ、引越し……うん、今ね、先輩達が引越しのお祝い、してくれてるの…うん、そう」
 自分の我侭を許してくれた祖母に、桜乃は偽りの無い笑顔で答えた。
「うん…凄く良い先輩達だよ……大丈夫、私、ここで頑張れるよ」
 暫く話していた桜乃は、受話器を置いた後に、幸村達へ振り返って声を上げた。
「おばあちゃんが、お寿司取りなさいって! 私がお世話になるご挨拶に御馳走してあげるって!!」
「やった〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 意外な差し入れに、丸井がぴょんっ!と跳ね上がり、他のメンバー達も戸惑いながらも笑顔で顔を見合わせる。
「マジ!? ラッキー!!」
「いいのですか? しかし…」
「それはええの…俺ももう少しここにいたいと思っとったトコよ」
 そして桜乃が注文した寿司が大量に届けられて、また大騒ぎ。
 非常に珍しい事には、幸村や柳、真田でさえも、今日この時ばかりはメンバーや桜乃と肩を叩き合って声を上げて笑い、年齢相応の騒ぎ振りだった。
 他の男達が珍しいと目を見開いて見入った程だ、滅多な事ではないのだと伺い知れた。
 賑やかな宴は結局、夕方過ぎまで続き、みんなが帰宅する頃にはすっかり日が落ちていた。
「すっかり長居しちゃったね、ごめん」
「いいえ! 物凄く楽しかったです!」
「そう? なら良かった、俺達も凄く楽しかったよ……弦一郎、今頃照れてももう遅いよ」
「む…い、いや…それは…」
 いつも自分を厳しく律していた男が、喜怒哀楽を露にした事が今更ながらに恥ずかしくなったのだろう。
 居心地悪そうにしていたが後悔はしていないらしく、自分も楽しかったと言ってくれた。
 それから他のメンバーも礼を述べて、彼らは桜乃の部屋を後にする。
 散々食べたお菓子とお寿司のお陰で、外の冷気にあっても彼らの身体は温かかった。
 いや、その熱は食事のお陰だけではなかったかもしれない。
「た〜のしかった〜〜〜!」
「珍しいものも見られたッスからね〜〜」
「その視線を止めんか、赤也!」
「ふふふ」
 宴の余韻を楽しみながら幸村が微笑んで歩いている隣に、すいっと銀髪の男が寄ってきて並んで歩く。
「? 仁王、どうしたの?」
「ん、ちょっとな」
「…そう言えば、ジャッカルと切原に聞いたけど、彼女の部屋に関しては自由度がかなり高いらしいね…諸刃の刃になるかもしれないよ?」
「じゃから、それは俺達がたまに行って彼女を守る為よ…不審者の威嚇とチェックに」
「横暴だな、外部から見たら俺達も立派な男子だし、不審者だと思われても不思議じゃないんだよ」
 そう諭す幸村に、仁王がすっと差し出したのはビニル袋…桜乃の部屋を訪れた際にお菓子を入れていたものだったが、今はお菓子ではない何かが入っていた。
「? 何?」
「全部で五つ入っとったんだが…」
「?」
「竜崎の部屋の各所から見つけた盗聴器と隠しカメラ…彼女に教えてやるべきかのう…」
「っっっ!!!!」
 仁王の爆弾発言に、他の男達が一斉に注目し、同時にびたりと足が止まった。
 もしや…彼があの部屋でやたらと間取りなどを気にしていたのは、自分が仕掛けるのではなく、既に仕掛けられていた物を除去する為に…!?
「な…っ、何でそんな物が大量にっ!」
 真田が問うた当然の質問に、全てを見通しているらしい詐欺師は袋の中の盗聴器を弄りながら答えた。
「ウチみたいな私立のお嬢様の私生活は、こわ〜い変態の格好の餌食になりかねんのじゃ。寮に女生徒が引っ越して来るって事が知られたら、裏で前もって仕掛けられることもあるってのはよく聞く話よ…」
「それを知ってて、彼女を寮に入れたのかよ!!」
 ジャッカルに責められても、相手は全く動じない。
「どの道引っ越すんなら、せめて俺達の目が届くところがええと思ったんじゃ。下手に中途半端にガードが固けりゃ、守りたくても手が届かん。実際今回の件も、もし男子禁制の下の階で起こっとったらどうなっとった?」
「う…」
「じゃ、じゃあまさか、それ仕掛けたのは、立海の関係者?」
「いや、その情報を仕入れた外部の奴じゃ。まぁ大体正体は掴んどるから三日もあれば潰せる」
「アンタ、マジで何者ッスか!!」
 カンベンして〜〜〜〜っ!と震えながら怯えまくっている切原の隣で、柳と丸井が顔を見合わせる。
「…おさげちゃんって、どんな星の下に生まれたんだろぃ…」
「お前にしては珍しく詩的な物言いだな。直感だが、土星だろうが冥王星だろうが彦星だろうが、竜崎の人生は何かと賑やかなものになりそうだ。占星術についてのデータは無い」
 みんなが注目する中、仁王は袋を軽く振り回す。
「竜崎に教えて自警を促すのも手よな。まぁ、怯えて部屋に帰れんとなると、今流行りの何とかホームレスになるかも…」
「やめて…平和な学生生活を送らせてやろうよ」
 世の中、知らない方が幸せな事もある…例え、自分に関わる事であっても。
 きっと心の中で血涙を流しているだろう幸村が、目を伏せて青ざめた顔で決断を下した。
「彼女の私生活に過度に干渉しない程度で…やむをえないね」
「了解ナリ」
 桜乃の引越しが終了したと同時に、彼らの新たな戦いの始まりになったことは言うまでもない…






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