部長の珍しい要望が何の目的があって出されたのかは誰も知る由はなかったが、午前中の授業が終了した時点で、レギュラー全員と桜乃は、言われた通りに部室へと向かった。
「来たぞ部長。何事じゃ?」
「早く用件済ませてくれよぃ、俺もうお腹ぺこぺこなんだからさ〜」
みんなが弁当箱やパンを片手に部室を訪れると、そこには既に来ていた幸村が、同じく弁当箱をテーブルの上に置き、更にあの重箱をロッカーから取り出していた。
「む? それは何だ? 精市」
「凄い数の段だな…何か祝い事でもあったのか?」
真田や柳の質問に、幸村はにこっと笑って、桜乃へと右手を差し出した。
「いや、これはね、彼女の差し入れ。桜餅だよ」
「マジで!?」
相手の言葉に、丸井がにゅっと首を突き出し、それから桜乃へと目を向けた。
「は、はぁ…ちょっと作り過ぎちゃって…御迷惑かもですが」
「全然全然!! 作り過ぎなら大いに結構!! じゃあ早速、いっただっきまー…」
「はい、フライング」
完全に動きは読んでいるとばかりに、重箱へと突進した丸井の頭を幸村がぺしっと軽く叩いて諌めると、彼は改めて桜乃へと目を向けた。
「夜の睡眠時間まで使って美味しい差し入れを作ってくれたんだけど、彼女、代わりに今日のお弁当、作って来ることが出来なかったんだって。だからこれは俺からの提案」
きょとんとしている桜乃にみんなの注目が集まり、更に部長の提案が伝えられる。
「みんな、桜餅を貰う代わりに、彼女に少しずつでも昼食を分けてあげてほしいんだ。ちょっとした物々交換だよ。ついでにみんなで昼食を食べるのも良いかと思ってね…どうだろう」
幸村の提案に先ず反応を示したのは、桜乃本人だった。
「い、いえっ! そんな…却って申し訳ないです、皆さんのご飯をそんな…」
そんな事をさせる訳には…と辞退しようとしたのだが……
「のった―――――――――――っ!!!」
一度はフライングを幸村に阻止された丸井が、大声で第一声をあげると、続いて切原も先輩の勢いに乗じた。
「俺も乗るッスよ!! 竜崎は昼飯をゲット出来て、俺達は美味い桜餅をゲット出来るんなら、乗らない訳にはいかないっしょ!!」
「ええっ!?」
いいんですか!?と少女が驚いている間に、ジャッカル達も賛成の声を上げる。
「そりゃあいい。貰いっぱなしだと落ち着かないが、こちらからも何かを出してトレードということなら、遠慮もしなくて済みそうだ。俺も是非参加させてくれ」
「その通りですね。どちらにとっても利があり害がない、理想的な取引です。私も御相伴に預かりましょう」
「はは、面白そうじゃの。竜崎の手作り料理の美味さはもう十分に分かっとるし、たまにはリスクのない駆け引きも良かろ」
「え…え…」
次々とトレードの相手が増えていく状況を桜乃が見つめている間、真田と柳は幸村が開けた一番上の重箱の中身を覗き込んでいる。
「ほう…見た目も非常に美しいな。実に風流だ」
「これだけの量を作るとなると大変だっただろう。こちらの食事を分けても釣り合うかは分からんが…是非、協力しよう」
(え〜〜〜〜〜〜〜!!)
何だか恐れ多い事になっちゃってるんだけど!!
挙動不審になってしまった桜乃が、はた…と発案者の幸村と視線が合うと、向こうは屈託のない笑みを返して頷いた。
「良かったね…みんなも有難う」
部員達に賛同の礼を述べた幸村に、全員がいいってことよ、と答える。
「じゃあ、全員の了解が取れたところで昼食にしよう。折角こんなに綺麗な桜餅を作ってくれたんだから、明るいところで食べたいね…コート脇で集まって食べようか」
「さんせ―――――い!!」
「何か、遠足みたいッスね。面白そうッスけど」
「よし、じゃあ移動しよう」
「精市、重箱は俺が運ぼう」
「すまない、弦一郎。じゃあ、宜しく頼むね」
そして、レギュラー達と桜乃は雲一つない晴天の空の下、のどかな春の訪れを感じながらの昼食会となった。
「じゃ、俺は各おかずとおにぎり…で、色を付けてみかん一個じゃの」
「わぁい! 有難うございますー」
桜餅が配られ、空になった重箱の一つを弁当箱代わりにして、桜乃はみんなからそれぞれおかずやご飯を分けてもらい、非常に充実した昼食を手に入れていた。
「すっごく元を取れた感じがします」
既に空箱の中にはこんもりと盛られたおかずの山。
「一番豪華なお弁当になったね…結構みんなサービス心旺盛だなぁ」
でも良かったね、と幸村が言ってくれた隣で、桜乃はしげしげと滅多に見ることが出来ない物体を眺めている。
「こんなに貰えるとは思っていませんでした…」
「男子の食事量は、女子のとはかけ離れているから…同じ割合を分けるとしても、そこからもう違うんだよ」
確かに。
桜乃がきょろっと辺りの男性陣の弁当箱を見ても、大きさが自分がいつも使用しているものの倍は余裕でありそうだ。
しかも、中には弁当に加えてパンなどを買い込んでいる豪傑もいるし……
「私も一応テニスやっていますけど…やっぱり皆さんとは運動量が違うんですねぇ」
まく…とおかずを一口食べながら感嘆している桜乃の視界では、丸井や切原が物凄い勢いで食物を胃袋の中に詰め込んでいる。
交換の代償に手に入れた桜餅は、当然最後のデザートとしてとってあるらしい。
「君は寧ろ痩せている方なんだから、もう少し積極的に食べてもいいと思うよ」
「はぁ…あら? 幸村先輩、向こうから誰か来ます…あ、二年生の方ですね」
校舎から数人の生徒達がこちらに向かって歩いてくる様子が見えて、桜乃が全員に注意を促した。
見覚えがある、確か彼らも非レギュラーの男子テニス部員だ。
「本当だ、何だろう」
はくん…とサンドイッチを食べる幸村の前で、数人の部員達が真田と何事かを会話し、その後で真田が幸村に声を掛けた。
「俺達がコートで集まっているから何事かと思って来たそうだ。一緒に食事をしたいと言っているが、どうする?」
「そうか…流石に目立っちゃったかな。でも一緒に食べるのは大歓迎だよ」
「えーと…じゃあ場所を作りましょう」
円陣を組んでいたみんながぞろぞろとその円を広げて体勢を整え始めたが、実はそれだけでは終わらなかった。
確かにレギュラー一同が昼休みにコート脇に集まっている光景は、同部の部員達には興味をそそられる光景であったらしく、それから後にも続々と部員達が集まってきてただの昼食会と分かると、今度は彼らの全員がそれに加わってきたのだ。
最後の方では数十人単位の人だかりとなり、当然それだけの人数が集まれば騒ぎも賑やかなものになってくる。
「何だかすごいことになったね」
「…人ですか? おかずですか?」
「両方」
最早、語る言葉を失くした様に、桜乃が呆然と目の前の重箱を眺めている。
おかずの山が更に積みあがり、もう向こうの光景が見えない…
当然、レギュラー以外の部員達が桜餅の代償におかずを置いていった結果だ。
「…バベルの塔ならぬおかずの塔だね」
「これはもう、一人で片付けられる量じゃないですよ…」
「蝦で鯛を釣ったのう、竜崎」
感心しているのは幸村だけではなく、他の男達も桜乃の前の物体に注目している。
「でも残すのは勿体無いです、これもみんなで食べましょう」
「じゃあ俺貰う」
「俺もー」
名乗りを上げたのは、やはり丸井と切原だった。
「俺もまさかここまで人数が膨れ上がるとは思わなかったからね…でも、桜餅は凄く好評だったみたいだね」
「はぁ…おかげさまで完売御礼です」
何とか全員に行き渡ったのはラッキーだった、と胸を撫で下ろした桜乃は、崩されていく目の前のおかずオバケを見つめた。
自分だけではおそらく消費するのに数日を要しただろう量だが、多分彼らにかかれば一日ともつまい。
「しかし、これは餅も餡も非常に良い塩梅だ…こういう季節に沿った菓子は特別に美味に感じるな」
「うむ…それに小倉餡と桜餡の二種類を準備しているというのも、気が利いている」
一方では、どうやら食事を終えたらしい真田と柳が、桜餅へと手を伸ばし、その味を楽しんでいた。
和菓子には結構うるさいと評判の柳も手放しで褒めている事からも、桜乃の腕の高さが伺える。
「そ、そうですか?」
「また作ってきたら、教えてくれよな! おさげちゃんのお菓子ってマジで美味いから、トレードでも何でも応じちゃうぜ〜」
「あはは、有難うございます」
レギュラー達が礼を述べている向こうでは、相変わらずテニス部員達が大騒ぎしている。
殆ど、花見のノリの勢いだ。
「しかし…少し騒ぎすぎやしないか?」
ちょっと困惑の表情で様子を伺っていた真田が幸村に進言したが、部長である彼は彼らを止める意志は見せなかった。
「いいよ、こうしてみんなで騒ぐことなんてあまりないからね。騒ぐと言っても何かを壊したりとか、無茶してなければ今日は目を瞑るよ」
「ふむ…お前がそう言うのなら、俺は構わんが…」
雰囲気を楽しんでいる部長は余裕の表情で、それを見た桜乃はくすくすと笑みを零した。
「皆さんって、本当に好かれてるんですねぇ」
「ん?」
どういう事だ?と尋ねる真田に、桜乃は恥ずかしげもなく言った。
「だって、ここに皆さんがいるってだけで、こんなに沢山の部員の皆さんが集まるんですから。よっぽど慕われてないと出来ないですよ、こんなこと。実力もあって全員の面倒をしっかり見ている、何よりの証ですよね?」
「う…」
臆面もなくそう言われると、こちらもどういう顔をしていいのか分からなくなり、真田がどもる。
「そう褒められると少しくすぐったいね」
「でもやっぱりそうだと思います」
こればっかりは譲れません!と胸を張る少女に、レギュラー一同が苦笑い。
「…ま、確かにやるだけやってきたっていう気はするけどな」
「後はお前さん達の番じゃよ。竜崎も、切原をしっかり支えて、これからも部員達をまとめていかんとな」
ジャッカルや仁王の言葉に頷きながらも、桜乃は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「分かっているつもりですけど…やっぱり寂しいです。私も、皆さんには本当にお世話になりましたし…皆さんのお陰で、私、テニスがもっと好きになって少しは上達も出来たんですから…」
先輩として、これ以上嬉しい言葉もないかもしれない。
みんなが感動しているだろう中で、部長の幸村は次期部長がほぼ確定している二年生エースに目を向けた。
「…切原も、竜崎さんにそう言われるぐらいに頑張らないとね」
「う……ちょっと引っかかるけど、まぁ、心がけるッス」
何となくあさっての方向を向いて言葉を濁す後輩に、いつもの様に厳しい視線を向ける真田だったが、今日に限っては何故か薄い笑みを浮かべていた。
「ふ…引っかかっても全然構わんぞ。もしたるんでいたらまた俺がお前をみっちりと指導してやるだけの話だからな」
「や、やだなぁ、何言ってるんスか。高校と中学ともなれば、校舎も違うしテニス部の活動も…」
違う筈…と言いかけた切原だったが、それはすっぱりと柳の言葉で切り捨てられた。
「来年度から、中・高の合同練習が設けられることになった。今までのように常にべったりという訳にはいかんが、それでも部をしっかりまとめているかお目付けをするぐらいは造作もないぞ、赤也……」
「いい!?」
ざぁっと顔色が青くなっていく切原とは対照的に、桜乃はぱぁっと笑顔をほころばせた。
「本当ですか!?」
「うん。毎日は流石に無理かもしれないけど、これまでと近い形で会う事は出来そうだからね…そんな訳だから、竜崎さん」
にこっと笑って、幸村が楽しそうに桜乃に一言。
「これからも、マネージャーの仕事と美味しい差し入れ、宜しくね」
「もうなんっでも作りますー!!」
何でもリクエストして下さいっ!!と縋りつく勢いで大喜びの桜乃とは対照的に、部長になる切原は絶望を形にした表情で突っ伏していた。
以前からそうなるように三強が根回しを進めていた事を知っていた詐欺師は、切原のその反応を見て至極楽しそうである。
「…楽しそうですね、仁王君」
「おう、俺達が卒業間近だとあんだけゴネて引きとめようとしとったのに、裏が分かればあの調子じゃ。可愛い後輩じゃの、これからもからかい甲斐がありそうじゃ」
愉快愉快と笑っている詐欺師の向こうでは、ジャッカルが何となく腑に落ちない顔をしていた。
「どうしたんだぃ? ジャッカル」
「…いや…寂しいと思っていたのは確かだが、またこれからもアイツとの縁が続くと思うと、ちょっと一抹の不安が…」
「あーまぁ、お前は確かになぁ…けどさぁ、今はそれを忘れてもいんじゃね?」
「ん?」
「ほい、あれ」
丸井が指差した先には、心から嬉しそうに笑う桜乃の姿があった。
「あの子にあれだけ喜んでもらえてんだしさ。めでてぇ春だ、辛気臭ぇ話はナシにしようぜぃ」
水を差すのは野暮ってもんだ、と赤毛の男は笑う。
おそらくコイツも、高校生になってからも自分をこれまでと同じ様に悩ませてくれるんだろうが…
「…そうだな」
まぁ、今は言わないでおいてやるか。
人のいい若者は、賑やかな騒ぎの中、やれやれと笑いながら頷いた。
向こうでは、まだ納得できない次期部長が思い切り不満をぶちまけていた。
「何だよ何だよ! そーゆーコトになってたなんて、俺全然知らなかったッスよ!? あ〜〜〜〜! 哀愁感じて損した―――!!」
「まぁまぁ、切原先輩だって本当は嬉しい癖に」
「バッ…! 何ハズいコト言ってんだよ竜崎〜〜〜!!」
くすくすと笑って指摘するマネージャーに突っかかるものの、切原の顔が何となく赤い。
どうやら、当たらずといえども遠からずという事か。
「…この落ち着きのなさでは、やはり俺達がお目付けをしておかんとな」
「ふふ、そうだね…でも、俺は本当にいい友人と後輩を持ったって思うよ。これからもみんな宜しくね」
部長の言葉に否やの返事がある筈もなく…
様々な『始まり』を告げる春
今年の春は、立海男子テニス部にとって、特別な味わいがある始まりを迎える季節になりそうである……
了
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