おさげのお姫様


「春と言えばひなまつり」
 或る晴れた日の昼休み、のんびりと教室で食後の時間を過ごしていた桜乃の許に、丸井が遊びに来て開口一番そうのたまった。
「…いきなり何なんですか?」
「いや、おさげちゃんとこってひなまつりとかちゃんとやんのかなーって思って」
 立海男子テニス部のレギュラーを務める三年生が、わざわざ一年生の桜乃の処を訪れ、世間話にまで興じている姿に、他の生徒達が何事かと注目している。
「やんないの?」
「ウチは毎年ちゃんとやりますよ? でも今は寮に住んでますから、今年は丁度前日の二日に家に戻ろうかと…そういうの、おばあちゃんがすごく律儀で綺麗に並べるんですよ」
「もしかして、あのデカイ階段みたいなヤツ!?」
「…五段飾りって言うんです」
 確かに言いたい事は分かるが、階段はあんまりだろう…まるでお雛様達が部屋に入れてもらえず虐待されているかの様だ。
「五段飾りかぁ…へぇ、竜崎先生ってしっかりしてんだな〜」
「イベントは思い切り楽しむタイプなんですよ。しっかりとひなあられに菱餅とか作ったりして…私がお菓子作りが趣味なのも、おばあちゃんの影響…」
 言いかけた桜乃が、はた…と前の男の様子に気付いて口を閉ざした。
 物凄く何かを期待している瞳をキラキラと輝かせた若者は、視線が合うとすぐにこちらへと身体を乗り出してきた。
「遊びに行ってもいい!? 二日って日曜だったよな!? 丁度部活も休みだし」
 このパターンは、彼の人となりを考えると……多分、いや十中八九…いや十中十…
「…わざわざお菓子のためにですか?」
「いやいやいやいやいやいや、別にそういう理由じゃ〜〜〜……ちょっとはあるかもしんないけど、まぁ、小さい事は気にせずに」
 やっぱりそれが本音の様だ。
「嘘でも『祝ってあげる』とでも言えないんですか? もう…」
「俺、正直者だから」
「はいはい」
 お菓子が絡んだ話では、丸井とまともに議論しようとしても無駄である事を既に学んでいた桜乃は、くすくすと苦笑しながら頷いてみせた。
「大したおもてなしは出来ませんけど、来ちゃダメってことはないですよ。でも、そこまでしてお菓子に餓えてるんですか…」
「バレンタインデーの在庫はとっくに消費したし、ホワイトデーには逆に貢がなきゃだし、次のイベントは五月の子供の日だし…空き過ぎてるよぃ」
「いや、別に国民的行事にこだわる必要はないかと…まぁ、いいですけど」
 何かと理由を付けてお菓子を食べる口実を探している若者は、とても自分より年上とは思えない。
 わざわざ神奈川から雛人形を見る為に東京まで足を伸ばすとは、結構な物好きでもある。
(それでも納得しちゃうのは、いつも元気にはしゃいでいる雰囲気の所為かな…丸井さんだって十分イベント好きだと思うけど)
「楽しみだな〜、じゃあ、日曜は邪魔するな、シクヨロッ!!」
「はい」
 三月二日の休日の訪問を約束して、丸井は満足した様子で桜乃の教室から飛び出して行った。


 その日の放課後…立海男子テニス部部活動内において…
「えーと、今日の練習はコート全体を使用して、グループごとの勝ち抜き戦で…」
 当日の練習内容を桜乃が確認して、コートに正しく部員が配置されているか確認して回っていると、そこに彼女の姿を見つけた幸村がすたすたと歩いてきた。
「あ、竜崎さん」
「はい?」
 くるっと少女が呼ばれた方へ振り向くと…
「ひな祭りに呼んでくれてどうも有難う」

 がっしょん!

 思わぬ相手の言葉に、桜乃はよろけてコート脇の金網に派手にぶつかってしまった。
「竜崎さん!?」
「だっ、大丈夫です〜! ち、ちょっとつまずいてしまいました…」
 何とか誤魔化して体勢を立て直し、向き合ったところで、幸村だけでなく副部長の真田も彼女に気付いて歩み寄ってくる。
「ああ、竜崎。今度の二日はお前の家の催しに呼んでくれるそうだな。俺の家は男ばかりで、あまりよく雛人形というものを見たことがないので非常に楽しみだ。精市達の家にもあるにはあるそうなのだが…」
「ふふ、ウチの妹が弦一郎達を直接招く訳じゃなかったからね…女の子のイベントなのに兄の俺が便乗するのもおかしいし、正直、他の家でのお祭りは初めてで楽しみだよ」
 呼んだ覚えはないんですけど…と思いつつ、一つの可能性を感じて桜乃はそれを尋ねてみた。
「そ、そうですか…も、もしかしてレギュラーの皆さん、全員…?」
「うん、誰も欠席の意志はないみたい」
 来るのは丸井だけだと思っていたのに、どうやらレギュラー達全員が参加する事は既に決定事項らしい。
 おそらく震源地は…
「……」
 視線を横に逸らすと、丸井が呑気にてってってーとラケットを肩に乗せてコートの外を闊歩していた。
(確かに、丸井さん一人だけとは言ってなかったよね…うん)
 それにしても招く側の人間が知らない間に、招かれる人間がこんなに増えるイベントなんて前代未聞だ。
 まぁ、自分がとても尊敬して親しんでいるレギュラーの皆さんなら、大歓迎なんだけど…
(…ウチのお釜で足りるかなぁ…食事の準備…)
 取り敢えず、彼らが来る事は実家に教えておいた方がいいだろうなぁ……


 そしてひなまつりの前日に当たる二日の日曜日…
「しかし、女子の家にこれだけの男子が押しかけるというのは、正直どうなんだ?」
「既に向かっている時にそれを言うのもどうかと思うぜよ、参謀」
 すたすたすたすたと立海軍団が桜乃の家の最寄り駅から歩いている光景は、擦れ違う人々の視線を少なからず集めていた。
 別に変な格好をしている訳でもなければ、奇行に走っている訳でもない。
 普通に歩いて普通に会話を交わしているだけである…のだが、とにかく目立つ。
 中学生とは言えもうすぐ卒業して高校生になる年長組で、それぞれが小洒落た格好をし、全員が眉目秀麗な若者達であれば、否が応でも人目についてしまうのだ。
 何かの雑誌のモデル達が集合場所に向かっている、と説明しても、十分に通じるだろう。
「前もって竜崎さんが先生に連絡はしてくれているから、向こうも準備はしてくれてる筈だけど…やっぱり緊張するな」
「……」
 微笑みながら緊張の欠片も見せない部長の隣では、彼の代わりであるかの様に、緊張感も露な副部長が口をへの字に引き結んで無言を守っていた。
「真田副部長、どうしたんッスか?」
 切原の問い掛けにも、なかなか答えようとしない相手に、親友である幸村がくすりと笑った。
「まぁ、責任を感じるのは当然だけどね…その気がなかったとしても、俺達が竜崎さんを立海に引き抜いたのは紛れもない事実なんだし」
「む…う…」
 図星を突かれて真田が呻くと、成る程なーと丸井が頷いた。
「箱入り娘と駆け落ちした野郎が、初めて彼女の実家に挨拶に行くようなもんかぃ?」
「そういう質問は断固拒否する!!」
 くわっと恐い顔で怒鳴る副部長の背後で、仁王と柳生がぼそぼそと小声で話し合った。
「なかなか上手い例えじゃ…と言うか、実際ソレに近いしの」
「問題は、婿が一人ではなく八人いるという事ですが…あまり突っ込むと副部長が気の毒です。やめておきましょう」
 むすっと更に不機嫌になってしまった真田の隣で、柳がくんっと顔を上げて先の一軒の家を指差した。
「ああ、あそこだな。竜崎は昨日の内に帰宅していると言っていたから、待ってくれていると思うが…」
「うおう、でけぇ家だな〜…もしかしておさげちゃん、本当に箱入り娘なんじゃないのかい?」
「ひとりっこならトーゼンでしょ」
 即答した切原だったが、それからジャッカルに視線を向け、暫く沈黙した後に言い直した。
「…多少の例外はあるかもしれないッスけど」
「なんかスッゲーやな感じだぞ、オイ」
 びきっと交差点マークをこめかみに浮かべながらジャッカルが言っている間に、桜乃の家に向かって丸井がぴゅーっと弾丸の様に飛んでいく。
「おっさげちゃ〜〜ん!! 遊びに来た〜〜!!」
「…『お菓子ちゃーん、食いに来たー』…さぁ、正解はどっち?」
「仁王君、正解が分かっていても、敢えて言わないのが大人の対応というものです」
(こいつらを本当に連れて来て良かったのだろうか……)
(下手な行動を起こしたら、速効で俺が殴って気絶させてでも黙らせよう…)
 そんな事を参謀や副部長が心で自問自答している間にも彼らの歩は進み、全員が竜崎家の門をくぐって玄関へと到着した。
「お邪魔致します」
 丁寧で凛とした幸村の声が玄関から奥へと響くと、すぐにぱたぱたとスリッパの音が聞こえてきた。
「はぁい…あ、皆さん、いらっしゃい!」
 奥から現れたのは、自分達を呼んでくれた桜乃本人だった。
 今も何かの調理を行っていたのか、いつものおさげにエプロン姿である。
 これもなかなか普段見られないレアな格好であり、来てから早速男達はお得感を味わっていた。
「やぁ、お呼ばれされたよ。少し早かったかい?」
 幸村の言葉にふるっと首を横に振った少女は、嬉しそうに彼らを歓迎しながら、後ろを振り向いた。
「いいえ、もう準備出来てますよ。おばあちゃーん、立海の皆さんが来たよー!」
 彼女の呼びかけから少しして、玄関に竜崎先生が現れた。
「御無沙汰しています、竜崎せんせ…」
 かっこ――――――――ん!!
「いったぁ〜〜〜〜〜いっ!!」
 真田が挨拶を終えない内に、竜崎スミレは手にしていたすりこぎで、桜乃の額を叩いていた。
「お客様の前でそんなに大声で怒鳴るんじゃないよ! 全く…少しはしとやかに行動せんか、こういう日ぐらい」
「ううう…家庭内暴力だよう…」
 目の前で展開された家族の過激なコミュニケーションに、立海の面々が例外なくびくびくびくっと僅かに怯んだが、当の竜崎スミレはすりこぎ片手に飄々と彼らを迎えた。
「おお、立海の。久し振りだね、桜乃から話は聞いてるよ。遠くからよく来たね」
「…お邪魔します」
 正直、挨拶よりも桜乃の額が気になるのだが、幸村はかろうじてそれを言いつつ彼女の様子を伺った。
「大丈夫?」
「うう…慣れてますから…」
 頷いた孫に、祖母は渋い顔で愚痴を零す。
「全く…外に出て見聞を広めろとは言ったが、勝手に決めて強引に出て行きよって…そんな不良娘に育てた覚えはないんだがねぇ」
「不良じゃないも〜〜〜ん!」

(すみませんっ! こんな良い子をたぶらかしてっ!!)

 無論、そんなつもりではなかったが、部員全員が心の中で思わず詫びた。
 しかし、聞こえる訳もなく、彼らはそのまま居間の方へと通された。
「うひゃあ〜〜〜〜〜!! すっげーキレー!!」
「これは見事だ」
 丸井が瞳を大きく見開き、柳も笑みを称えつつそう言った視線の先…
 居間の奥に据えられた雛人形の五段飾りが、彼らを迎えていた。
 人形の前のテーブルには所狭しとちらし寿司やひなあられ、菱餅の類が並べられていたのだが、珍しいことに丸井は今日はそれらよりも雛人形の方へと先に興味を向けていた。
 そう言えば、彼も男兄弟ばかりで、こういう物を見るのは初めてだったのかもしれない。
「ち、近くで見ていい!?」
「いいですよー」
 案内した桜乃の一言で、他の男達も五段飾りの前へと移動し、顔を寄せてその精巧な造りを興味深そうに眺め始める。
「ほう…こういう物についての知識はさっぱりじゃが、見事なもんよ。細かいところまでよく出来とる」
「結構年季が入ったものではないですか?」
 眼鏡の縁に手をやりつつそう述べる柳生に、桜乃はこくんと頷いた。
「おばあちゃんのお母さんの代からのものなんですよ」
「四代に渡って家族を見守ってきた雛人形達か…新しい物のきらびやかさはないが、それ以上に刻まれた年月に培われた風格が感じられる…良いものだな」
 ぬいぐるみや昨今の女性が好むような人形の類には理解を示せない真田も、この雛人形には素直に感嘆の意を示した。
「真田先輩は男兄弟はいらっしゃるんですよね…じゃあ、五月人形はあるんですか?」
「ああ、鎧兜のな…しかし…」
 頷いたものの、何故かあまり嬉しくない様子で真田は腕を組み、彼の代わりに幸村が答えた。
「彼のおじいさんとお父さんとお兄さんと弦一郎の分の鎧兜が四体…ずらっと並んでいるのを見た時には流石に恐かったな…」
 それは流石の幸村でも確かに恐いかもしれない…!
「な…何か出てきそうですね…揃えてもらうのは有難いことですけど」
「飾らない訳にはいかんのだが、アレを見て二度とウチの祝いの席に来なくなった奴らもいるからな…夢に出て来たとかで」
(何処まで人を威圧するつもりなんだこのヒト…)
 でもちょっと興味あるなーと切原が考えていると、丸井やジャッカルも彼と似たような感想を述べた。
「…今度は真田の家に行くか、五月」
「ちょっと見たいな…タダでお化け屋敷が体験できると思えば」
「聞こえているぞお前ら…」
 人の家をお化け屋敷呼ばわりとはいい度胸だ…と真田が殺気を漲らせたところで、タイミングよく竜崎スミレの声が掛かった。
「ホレ、みんな座って好きに食べるといい。今日のお客はアンタ達だけだから、遠慮はいらないよ」



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