「やり〜〜〜〜〜〜っ!!」
 雛人形の魔力から解放されたように、丸井が本来の目的であった御馳走を得ようとテーブルの前に陣取ると、続いて他の男達も思い思いの場所へ座った。
「桜乃はもう少しこっちを手伝っとくれ」
「はぁい」
 そして祖母と孫が居間から姿を消し、男達はそれぞれ目の前の御馳走を取り分けていたのだが…
「…ん? 何じゃこれは」
 不意に、五段飾りの脇に視線を遣った仁王が、興味深い何かを見つけて手を伸ばした。
「何だ?」
 柳の質問に、仁王は一冊の分厚いアルバムを見せ、早くも一ページ目を捲りつつ答えた。
「アルバムじゃの、竜崎の昔の写真の様じゃ」
「見たい見たい見たい〜〜〜〜!!!」
 今日という日は、丸井の珍しい姿を何度も見ることが出来る貴重な日だったかもしれない。
 何より食欲を優先させる男が、雛人形に続いて今度はアルバムの方へ興味を示し、ちらし寿司を放ったまま仁王の持つそれへと特攻をかけたのだ。
「こ、こら、勝手にそういうモノを見るのは…」
「別に隠している感じでもなかったし、お披露目なんじゃないスか? こういう場所に置いてるって事はそういう事でしょ」
 真田の制止の声もこの時ばかりは無力であり、幸村までもが面白そうに覗き込む。
 結局、男達が円陣を組んで一冊のアルバムを覗き込むという奇怪な光景がその場で展開された。
 アルバムは当然と言うべきか、最初のページから進むに従い年を追っている。
 赤子の桜乃が産着にくるまれている姿の次には、この五段飾りの前で座っている一才児に成長し、それからもすくすくと育っている彼女の姿が写し出されていた。
「やっぱり目元が今の彼女のままだね」
「この時はまだおさげじゃなかったんだ…けどじゅーぶん可愛いぜぃ」
「めんこいの〜」
 眼福眼福〜とアルバムの中の少女を堪能していた男達だったが、ある一ページを見ておや、と全員が同時に反応を示した。
「ははぁ…どうやらここから竜崎さんはおさげになった様ですね」
「小学生より前…幼稚園みたいだな」
 柳生の言葉にジャッカルが答える中、ページは以降も捲られていったが、それからはずっとおさげの桜乃の姿だけが残されていた。
 流石に少し不自然さを感じたのか、柳が眉をひそめて首を傾げた。
「いつも同じ髪型だから疑問に思う事はなかったが…ここまで徹底していると却って気になるな。女子はもっと髪型を変える事に積極的だと思っていたが…」
「俺の妹も確かに、カタログを見たりして研究しているな…あれだけ長いと、色々とチャレンジも出来そうだけど…」
 幸村がそう言ったところで、再び竜崎スミレが居間へと入って来た。
「おや? 何してんだい、まだ全然手をつけてないじゃないか」
「あ、失礼…丁度今、これを見ていたんですが」
 真田がアルバムを示すと、相手はああ、と納得した様に頷いた。
「なかなか面白いだろう? 小さい頃は何かと病弱で、今もそんなに身体が強い訳じゃないんだが、まぁ、元気にここまで育ってくれたのは嬉しいことだね」
「病弱…?」
 柳生の繰り返しに、スミレは過去を思い出しているのか感慨深げに答える。
「感受性が豊かな分、外の環境に敏感でよく熱を出しては寝込んだりねぇ。もし小さい頃から丈夫だったら、越前みたいに早くからラケットを握らせてやっても良かったが、やっぱり家の中で過ごすことが多かったんだよ」
「え…マジ」
 知らなかった事実に丸井が神妙な面持ちになる。
 それって、やっぱり…寂しかったんじゃないのかな…
「……そうですか…あ、それと竜崎先生」
「ん?」
 これを機会に、とばかりに、幸村はもう一つの疑問を投げかけてみた。
「…桜乃さんは、幼稚園からずっとおさげなんですか? 他の髪型の写真が見当たらないみたいですけど…」
 髪型の話になり、スミレは一転、楽しそうな笑みを浮かべる。
「ああ、それかい? それにはちょっと裏話があってねぇ、流石に私の孫だよ」
「は?」
 どういう意味だろうと真田が怪訝そうな顔をして、彼女に続きを促す。
「実は幼稚園の時から、桜乃は異常にモテる子でねぇ、園の中でも一番の器量良しだったんだよ」
「ほう」
 今の仁王の相槌は、意外、という意味ではなく、おそらくは『やはり』という同意に基づいたものだろう。
「まぁ人気者だったから、ひな祭りとかのイベントにも園児達が遊びに来たんだが、そこで桜乃を巡って男の子達が大喧嘩を始めちゃってね」

(幼稚園児で痴話喧嘩!?)

 ぎょぎょっと驚いている男性陣の前で、スミレはしみじみとした口調で当時の事を思い出しながら笑う。
「それはもう凄い騒ぎで、桜乃自身も驚いて大泣きしちゃってねぇ…またそんな事が無いように、それからあの子にはおさげをさせてなるべく地味に見せようとしたのさ。大人になるまでは、おさげのままでいる様に言い聞かせてね。あの子はあの日の事は覚えていないだろうけど、律儀に守っているんだからやっぱり心の奥底には記憶があるんじゃないのかねぇ」
(ひえええええええ…!!)
(あの地味おさげの裏に、そんな武勇伝があったとは…!!)
 丸井とジャッカルがだらだらと心の中で冷や汗を流していたが、きっと他の男達も似たようなものだろう。
 幼稚園児の頃から男の心を鷲掴みにしていた少女は、今、そんな自覚など欠片もないままのんびりとした学生生活を過ごしている。
 それはそれで幸せかもしれないのだが…
「だから、外に行かせるにしろ変な虫がつかないといいと思っていたんだけど…」
「…!」
 ぴくんと幸村の肩が揺れ、彼はスミレに遠慮がちに声を掛けた。
「あの…竜崎先生……竜崎さんのこと、なんですが…」
「ん?」
 彼女が立海に来たのは確かに自分達が大きな原因だ。
 だから自分達は精一杯彼女の力になり、心細いだろう一人暮らしの学生生活を支えていければと思っている。
 しかし、その努力は…果たしてこの厳格な保護者を納得させられているのだろうか…?
 今も、桜乃を青学に戻そうと考えてはいないのだろうか…
 そう尋ねようと、どんな言葉で切り出そうかと思っていたら…
「…今更返品するなんてのはナシだからね」
「いえ、返すつもりはこれっぱかりもありませんから」
 結構ストレートな言葉で勝手に答えが返ってきて、思わず幸村も直球で返してしまった。

(やっぱりスゴいな、この教師)

 皆が色んな意味で感動している中、幸村に続いて柳が今度は質問する。
「しかし…そこまで髪型を固定させる必要性があるのですか? 無意識の中での選択とは言え、あまり自由を奪うと、竜崎が少し気の毒な気も…」
「…立海にいる間は、お前さん達が孫を守ってくれるもんだと思っているが…正直、おさげの方がお前さん達にも都合がいいと思うよ?」
「は…?」
 そこに丁度、最後のちらし寿司の皿を運んできた桜乃が入ってくる。
「おばあちゃん、これで最後だよー」
「はいはい、お疲れさん…そうだ、桜乃」
「はい?」
「折角だから、隣の部屋に行っておさげを解いて、少しめかしておいで。紅を引くぐらいは出来るだろう」
「ええ!? で、でも私まだ中学生で…」
「今日だけだよ、折角のお客様が来たんだから少しはお洒落して着替えておいで。こないだあげた服があっただろう、あれでいいから」
「あ…う…うん」
 まだ少し恥じらいを見せていた桜乃だったが、相変わらず強引な祖母には結局逆らえず、そのまま再び居間を後にする。
「…まぁ、論より証拠だよ。もしあの子に下手なお洒落を今からさせたら、何人の男の人生が狂うか分かりゃしない」
「そ、そりゃ幾らなんでも大袈裟すぎるっしょ…ねぇ? 真田副部長」
「む……う、む…」
 切原にそう尋ねられた真田は、どう返していいものか分からず、視線を横に逸らせて曖昧な返事のみに留めた。
 実際、髪を解いている姿はこれまで何度か目にしているが、そこまで気合を入れておめかしした桜乃の姿は見たことがない。
 しかし、髪を解いただけでも十分に自分の胸を高鳴らせてくれたあの娘なら、そのまさかもありうるかもしれん……
 それから暫くは、皆が何となく言葉を発しづらい空気が漂っていたが……
「あのう…」
 びくっ!!
 聞こえてきた渦中の人物の声に、レギュラー達の肩が敏感に反応した。
(何でここまで戦々恐々としなきゃならねーんだよぃっ!!)
 俺、美味しいお菓子とか御馳走とか食べに来た筈なのに、何でまだ箸もつけずにこんなに緊張してるんだ〜〜〜!?
 丸井が頭を抱えてぶんぶんと振っている間に、いよいよ桜乃が入室してくる。

『!!!』

 彼女を見た瞬間、彼らの動きが見事に止まった。
 艶やかな黒髪…おさげではない姿は見ていた筈だった。
 しかし、うっすらと淡い桃色の口紅を引き、エプロンを外して純白のワンピースを纏った少女は、かつてない衝撃を男達に容赦なく与えていた。
 おさげというイメージがあった分、その衝撃は何倍にも増幅されているだろう。
「え、と…今日は皆さん、わざわざ遊びに来て下さって、有難うございます…」

(誰!?)

 声無き大声が一斉に上がる中、桜乃は硬直している男達に気付かず、その場に正座して三つ指をつき、静々とお辞儀をした。
「どうぞ、ゆっくりとくつろいでいって下さい」
 そうは言われても、最早くつろぐどころではない。
『ちょ…ちょっと待て…竜崎…か?』
『顔の構成、声、体格から、彼女であることは間違いない…心配するな弦一郎。この場で正常な意識を保てているのは彼女だけだ、俺を含めた全員が混乱している可能性は百パーセント…』
 真田が強張った顔で隣にひそりと呼びかけている向こうでは、確かに錯乱している丸井がジャッカルの腕をぶんぶんと力強く引っ張っていた。
「な、なに!? どこ!? ここどこ!? 日本!? 竜宮城!? お姫様が舞い踊ってくれんの!?」
「……すまん…ちょっと日本語忘れた」
 仁王や柳生はかろうじて平静を保っていたが、銀髪の詐欺師はまじっと桜乃を見つめつつ何となく悔しそうな声を出す。
「……認めたくないが、負けじゃな…俺でもまだここまで欺く事は出来ん」
「確かに……いや、しかし何と美々しい…」
 紳士はその心のままに少女を賞賛しつつ、せわしなげに眼鏡に指をかけた。
 二年生の切原は脳内で自分の姉の場合と比較していたが、どうしても納得できないとばかりに首を振った。
「女って…こんなに化けんの!? ってか、ここまで違ったらもう詐欺っしょ!?」
「……」
 幸村は何かを言おうとしていたのか、それとも何も言うつもりはなかったのか、ただ無言で桜乃を見つめ、そして祖母へと視線を向けてゆっくりと頷いた。
「…納得しました」
「この竜崎スミレの孫だからね、磨けば光るのは当然だよ」
 確かにこの姫君には多くの男性が惹かれるだろう…しかもこれでまだ中学生とは…!
「おさげの方が守りやすいだろ? まぁ、今日は無礼講だしね、特別に解禁だよ」
「?」
 彼らの会話の意味を唯一理解していない桜乃は、不思議そうにきょとんとした顔で首を傾げるばかりだった……


 それからようやく宴が開かれたのだが、おそらく満足に味を理解出来た男達は少なかっただろう。
 食べる前からあれだけの精神的ショックを食らってしまったのだから無理もなかったかもしれない。
「今日は本当に有難うございましたー」
「い、いや…」
「こちらこそ…びっくりしたけど楽しかったよぃ…」
 見る度に桜乃だとは分かるのだが、どうしてもいつものおさげが邪魔をして受け入れるのに苦労する。
「びっくり…?」
 何のことだろうと訝しむ桜乃に、幸村が微笑んで答えた。
「珍しく、髪を解いていたからね…それに口紅の所為かな、凄く色っぽかったよ」
「はう…そ、そうですか?」
「でも、明日からはまた元に戻るんだろう?」
 部長の問い掛けに、桜乃はこくんとすぐに頷いた。
「はい、やっぱりあれが一番落ち着きますから…髪も邪魔にならないし」
「ふふ…そうだね。それが一番いい…今は」
 思わせぶりな台詞を残して、幸村は他のみんなを連れて玄関を出る。
 そして、見送りに出ていたスミレに一礼し、改めて礼を述べた。
「今日は有難うございました」
「…桜乃はお前さん達に会ってから、随分と変わったみたいだよ。引っ込み思案だったのが、今はマネージャーまでこなすとは、なかなかどうしてお前さん達もやるじゃないか」
「はぁ…」
 当の桜乃は一歩遅れて今ようやく玄関から出て来たところで、彼女がいないままに青学のテニス部顧問と立海テニス部部長の話は続く。
「彼女はテニスでは天才的な素質には欠けるが、努力を惜しまない子だからね。それなりに力にはなれると思うよ、それと…」
「はい?」
「これまでは私がどんなに言っても男性の前で好んでお洒落をすることはなかったんだが…お前さん達には随分と心を開いているみたいだねぇ…実は一番いい所を選んで行ったのかもしれないね」
「竜崎先生…」
「だから返品はナシだよ」
「では一生ウチで引き取りますから」
 にっこり笑って、幸村は桜乃の祖母に来た時以上の直球を放った。
(本気だ!!)
(今の絶対に本気だ!!)
(てか、俺達はこれからどうしたら〜〜〜〜〜!!)
 彼女を守りたいけど、恋路を邪魔する訳にはいかないし…でも個人的な意見としては思い切り邪魔してみたいし…
 と言うより、あんな姿を見せられたら、夢中にならない訳にはいかないし…!!

 何人の男の人生が狂うか分かりゃしない…

(少なくとも、八人分の人生はちょっと狂っちゃったかもしれない……)
 桜乃の祖母が言っていた言葉の真意を、立海のレギュラー全員は心から理解し、反論など出来よう筈もなかった……






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