ただ願うことは
美しい春の訪れと共に…
立海大附属中学に於いて今年も無事に卒業式が執り行われ、三年生は高校へと巣立っていった。
新たな学び舎にて、彼らはまた己の道をひたすらに邁進し、自身の道を作っていくのだろう。
過去を振り返ることもなく、ひたすらに前を見つめ……ている筈が、
「全っ然シチュエーションが変わってないんスけど…」
「何か文句ある?」
憮然とした表情で言い放った新三年生の部長・切原赤也の隣で、新高校一年生・幸村精市がにこやかな表情で答える。
二人は中・高合同練習に於いて、それぞれのメンバーを率いている立場であるが、今彼等がいるコートには、以前とほぼ変わらぬ面子が揃って練習に打ち込んでいた。
「合同なんだから、見知った顔がいるのは当然の事だよ?」
「いや、見知った顔『しか』いないんスけど…」
切原の指摘通り、目の前のコートには、かつて自分が先輩と呼んでいた三年生レギュラーの面々しかいない…いや、もっと遠くには非レギュラー達も揃ってはいるのだが…
卒業式が終わり、今現在は春休み期間中…それでも立海テニス部は決して練習の歩みを止めたりはしない。
今日も朝から全員でトレーニングなどを順次消化しているのだが、切原にとっては過去の光景が同じ様に広がっているとしか思えないのだ。
「中・高合同なら、他の高校生の先輩方はどうしたんスか?」
「彼らは高校のコートで適宜やっていると思うよ。新入生の俺達がいきなり向こうの邪魔しても悪いから、当面は俺達はこっちで合同練習」
「…そういう風に向こうの部長からのお達しッスか?」
「いや、俺が決めた。この間向こうの部活に挨拶に行った時に、先輩方と試合してね…向こうが文句言えない程度に捻じ伏せておいたんだ」
(どんだけ手酷く負かしたんだろう…)
春休みの時点でもうそれだけ手を伸ばしているのなら、学期が始まったら高校の男子テニス部はほぼ間違いなく彼の掌中に落ちるだろう…次期部長も勿論この男だな。
まぁ、実力至上主義のウチなら誰も文句はないだろうけど…
「赤也、こんな所で油を売っている暇があるのか?」
「い…!」
何度聞いても、どれだけ学年が上がっても、この人の声にだけは一生慣れないだろう。
思いながら切原が振り返ると、そこには黒色の帽子を被った、真田弦一郎が仁王立ちになって自分を見下ろしていた。
「真田ふくぶ…じゃない、真田先輩!?」
「お前も部長になった以上は、これからは自分の事だけを考える訳にはいかんぞ。寧ろ、他の部員に目を向けて指導していかねばならん」
「う…っ…それ言われるとプレッシャーっすね…」
「何を情けない…部長の名が泣くぞ」
困ったものだ、と真田が眉をひそめたところで、そこにくすくすと小さな笑みを含んだ声が聞こえてきた。
「大丈夫ですよ、真田先輩。切原『部長』、ちゃんと自覚してますから」
「ん…?」
真田がそちらへと振り向き、幸村も彼に倣ったところで、二人は一人の女子の姿を認め、表情を和らげた。
「やあ、竜崎さん」
「元気そうだな」
「はい、幸村先輩と真田先輩も…」
そこに立って笑っていたのは、中学二年生となり、益々闊達に男子テニス部を切り盛りする手腕を発揮している竜崎桜乃だった。
トレードマークの長いおさげを揺らしながら走り回る可愛い姿は、今やこの部の名物になりつつある。
素直で優しい性格も、他の男子生徒を注目させる大きな要素になっているのだが、如何せん、天然で超絶鈍感である事に加え、あの立海メンバーレギュラー陣が『兄貴分』として控えている為、色恋の噂は一つとしてなかった。
それが彼女にとって幸か不幸かは彼女自身が知るところであるが…今のところはそういうコトに対する希望すらもない様である。
「…赤也が迷惑をかけていないか?」
「いいえ? それどころか、それぞれの部員のプレースタイルや弱点を全て記憶する為に頑張ってらっしゃいますよ。今のところ、遅刻もすっかりなくなりましたし…」
真田の質問に答える桜乃の言葉がこそばゆいのか、切原が渋い顔をしながらぐにぐにと背中を動かし、そんな彼に幸村が嬉しそうに笑う。
「凄いね、立派に部長でお兄さん、だ」
「今まで先輩方がしてくれてたコトっすけど、いなくなったらこっちがやるしかないっしょ…けど、マジで竜崎がいてくれて助かったッス、もし俺一人だったら間違いなく夜逃げしてたッスよ」
「…少しは俺の指導も活かされているようだな、竜崎」
そこに、元参謀の柳も会話に加わって、マネージャーに声を掛けた。
桜乃のマネージャーとしての手腕を磨き上げたのは他ならぬ彼であり、今も自分で判断し辛いところがあれば、彼女は柳に教えを仰いでいる。
「この体勢になったばかりですから、戸惑うことも多いんですけど…高校の棟に行ったら先輩方がアドバイスを下さると思うと、少しは気が楽になります……でも、甘えてばかりでもいけませんね」
「いや、闇雲に突っ走ってもそれは往々にして良い結果にはならない…俺達でよければいつでも力になるから、遠慮はするなよ…赤也もな」
「はいッス」
そんな平和な話をしている内にやがて太陽も高く昇り、この日の部活動は無事に終了した。
如何に立海と言えど、休みの日に全日分の時間を奪う程に鬼畜ではない。
期間中は午前中のみの練習となり、後の過ごし方は個人の自由意志に委ねられるのだ。
「なぁなぁ、これからどーする? どっか行かない?」
「それもええのう、今日は俺も暇じゃし…柳生はどうじゃ?」
「特に構いませんよ」
部が終わると元レギュラー達が集まって、何処かに遊びに行こうかという話題が持ち上がり、そこにいた丸井がコートの片づけをしていた桜乃に声を掛けた。
「おさげちゃーん、これから俺達と遊びに行かね? 天気もいいし、息抜きに〜」
いつもならすぐに元気な返事が返って来るのだが、何故か今日の彼女は伏目がちになり、やや頬を染めつつ小さな声で断ってきた。
「あ…え、と……すみません、今日はちょっと、先約がありまして…」
「何だぁ、そーなの? 残念…買い物?」
「いえ…ちょっと所用が」
「ふーん」
ちぇーっと唇を尖らせる丸井の隣で、同じくその様子を見ていたジャッカルがまあまぁと笑いながら丸井の肩を叩いて慰める。
「はは、まぁいいじゃないか。竜崎にも予定ってモンがあるだろ。しかし何だな、アイツにしては珍しく秘密主義だな、今日は」
「……俺らに内緒で誰かとデート」
ビシッ!!!
「…なーんちゃって」
メンバー一同の殺気が生じたコトに気付きながらも、仁王がふーんと横目で桜乃を見つめつつ軽く言い放った。
「ば、ば、馬鹿なコトを言うな仁王っ!! 竜崎がまさかそんな…っ!!」
落ち着こうと思っているらしいが、見事に失敗している真田のどもりながらの発言に、銀髪の若者はしれっとした表情で言い返す。
「いやぁ、例えよ例え。俺達に内緒で何処か行こうとしとるのは間違いないじゃろ? しかも、何となく顔も赤かったしのう…年頃の娘なら、その理由は十分に考えられんか? 確証はないが」
「けけけけけどっ! そんな素振りは全くありませんでしたよっ!?」
必死に否定しようとしている切原の顔も青ざめている。
「俺が観察していたこれまでの彼女の行動を見る限り、そういう可能性は極めて低いと思うのだが…如何せん、女というものは男にとっては理解不能の一面があるコトも事実だ…」
否定は出来ん、と言う柳に、ぎゃ〜〜〜〜!と丸井が頭を抱えて苦悩する。
「ナニ!? マジ!? マジなのそれ!? 嘘だ〜〜〜!! おさげちゃんが他の誰かに取られるなんて、俺ぜってー認めねぇからな!?」
「いや、あくまでも予想ですから…仁王君も、あまり意地の悪いコトを言わないで下さい」
「とか言いつつ、思い切り動揺しとるじゃろ柳生…手に汗かいとるよ」
「う…っ」
どよどよどよ…と円陣を作った彼等が思い切り動揺している向こうで、片づけを終えた桜乃が不思議そうにそちらを見ながら挨拶する。
「あのう…お先に失礼しますね」
「お、おう…」
「じゃ、じゃあな…」
丸井達が胡乱な答えを返すのを、また不思議そうに首を傾げて見つめながらも、桜乃はぺこんとお辞儀して足早に走り去って行った……何処かに急いで向かうようだ。
そういう目で見てしまうと、誰かとの逢瀬を待ち望み、慌てて向かう乙女の姿に見えてしまうのだから不思議なものである。
彼女の姿を見送り、暫くの間動けなかった男達だったが、先ず行動を起こしたのは今まで発言を控えていた幸村だった。
「…ごめん、一緒に出掛ける話、今日はパス」
「へ…」
「え…き、急用?」
切原や丸井が呆然として見守る中で、彼はいそいそとバッグを抱えて桜乃が出て行った方向へと足を向けた。
「うん…今出来た」
『尾ける気満々っ!!!』
しかし、自分達も興味があるのもまた事実…
元部長の一言を受けて、次々と男達が今日の予定について撤回を申し立てながら後を追う。
「や、やっぱ俺も今日のところはやめとこーかな〜…部長としてやんなきゃならないコトがあるみたいッスから」
「少々興味深いデータのサンプルを採取に…」
「む…だ、大丈夫だとは思うが、休みは気が緩みがちになるからな。しっかりと指導すべきところは先輩として責任を持たねば…」
「楽しみじゃのう…もし当たっとったらどうやって潰してやるか…」
「見守るという選択肢は無いんですね…」
「お、おいおい…見境いなしってのはあんまりだろ」
「何だよぃ、じゃあどっかの馬の骨に可愛いおさげちゃん渡す気かぃ?」
かくして、何も知らない妹分の桜乃の後を、ぞろぞろと尾ける男達の奇妙な行動が始まったのである。
桜乃が立海から出て何処にも寄り道をする事無く、何処かを目指して歩いてゆく、その少し後を、気付かれないように立海の若者達が追いかける。
その道を辿れば辿るほどに、或る一つの可能性が男達の頭に浮かんでいた。
『なぁ…もしかして彼女、神社に向かってないか?』
『お前もそう思うか?』
ジャッカルと真田がひそひそと囁くのを聞いた他の者達も、特に異論を唱える様子は無い。
自分達が辿っている道を真っ直ぐ行くと、先にあるのは敷地が広く町内の憩いの場ともなっている神社ぐらいしかない。
そう言えば…
「確か、そろそろ花祭りの時期だよね」
春の花である桜や藤が咲き誇るこの季節、神社にも屋台などが立ち並んで地域の人々が集まる祭りが執り行われることを思い出した幸村が言うと、柳が背後で頷いた。
「ああ、今日から始まっている筈だ」
更にその後ろでは、屋台と聞いた丸井が、当初の目的を脇に置いて爛々と目を光らせている。
「何だ、祭りに来ただけかぃ」
「しかし、でしたら別に私達に内緒にする必要もないのでは…?」
「…デートコースとしては悪くないッスよね」
メンバーの不吉な発言に、最早親の気持ちになっている真田が心底不安げな表情を浮かべる。
「ま、まだまだ子供だろうが…そういうのは早すぎるのではないか?」
「二歳しか違わんじゃろ、お前さんと」
仁王が突っ込みを入れながらこそこそと更に行動に移る。
「ほれ、早くせんと見失うぜよ…」
「あんまり近づくと気付かれるッスよ、仁王先輩」
「そんなヘマをする俺じゃあないんでな…慣れとるし」
「何故」
さりげなく…しかしはっきりとした意志をもって行動する男達は、一部の通行人の奇妙な視線を受けながら、更におさげの少女の後を追う。
柳の言う通り、今日からの祭りの為か、神社が近くなればなる程に人の姿が増え、石段前になると動くのにも結構苦労する程の人ごみが出来ていた。
そして、桜乃が人ごみの向こうで神社の石段を軽やかに駆け上がっていったのを確認し、疑惑は確証へと変わった。
「やっぱり神社か…」
「今のところは一人だけど…境内で待ち合わせか?」
「…何か俺達、完全にデートだって決め付けてないか…?」
そんな言葉を呟きながら、彼らも石段を登り始める…が、相手に気付かれないように少しの距離を置き、その間にも多くの人間がいたことからすんなりと上がる事は出来ず、結果、彼等が境内に着いた時には、桜乃の姿は見失われていた。
「しまったな…見失っちゃった」
「いや、けど出入り口はこの一箇所だけじゃろ? ここに来とるのが確実なら、散って探せばええ話よ」
「そうですね」
幸村がきょろっと辺りを見回している脇で、早速詐欺師が提案をし、紳士が頷く。
チームワークは非常にいいのだが、その向く先が如何せん、あんまり感心出来るものではない。
「じゃあ、みんなそれぞれ分かれて探そうか」
「…見つけたらどうするつもりなんだ? 精市」
「それはその時考えるよ…彼女の人選眼を疑う訳じゃないけど、もしデートだとして相手がろくでもない男だったら……考えるだけじゃすまないけどね」
暫しの沈黙をおいての最後の一言が異常なまでに鬼気迫っており、真田や柳は心からデートではないようにと願ってしまった。
この、全てにおいての万能男からしてみたら、そこいらの男は大体が格下…下手な見方をしたらろくでもないのだ。
「…性格が悪い男じゃなかったら、おさげちゃんに近づかないコトを条件に、こっそり逃がしてやるぐらいはいいかも」
「だよなぁ」
「武士の情ってヤツっすね」
丸井の発言に、ジャッカル達もしみじみと頷きつつ、境内の各所へと散らばって行った。
彼らはスポーツに打ち込んでいるだけあって、通常の人間よりは動体視力は優れている。
自分達の観察眼をもってすれば、あの目立つ長いおさげもあるし、桜乃を見つけるのは容易いだろうと思っていたのだが、事態はそう上手くはいかなかった。
辺りは変わることもなく人ごみが増し、賑やかな声があちらこちらで響いている。
のどかな景色の中で広がる平和な祭りの姿は、こういう雑用がなければもっと楽しめたのだろうが…
「おっかし〜な〜〜、全然見つかんないってどういうコト?」
「その前に、見る度にお前の両手が食い物で塞がっているのはどういうコトだ…?」
辺りをきょろきょろとせわしなく見回す丸井の両手には、きっとその最中で買ったであろう焼きイカやたこ焼きがバッチリ確保されており、しっかりと相棒のジャッカルから突っ込みを受けていた。
「いーじゃんか、ちゃんと目は動かしてるんだし、出入り口もチェックしてるしさぁ」
「…で? 結果は?」
「取り敢えずまだ帰ってはいない、それは確実だぜぃ。けど、肝心のおさげちゃんの姿は一向に…」
「幸村達からもまだ連絡も受けていないしなぁ…」
再度携帯を確認するも、やはりメールも着信履歴も見当たらない…
という事は、彼らもまだ桜乃の発見には至っていないという事だ。
「バレた…?」
「いや、悪いが彼女がそこまで敏感だとは思えない…っつか、バレたらあの子なら確実に分かり易い反応するぞ、きっと」
「うーん…」
そうしている内に、他の場所を探していた仁王と柳生が人の波と一緒に流れて傍に来た。
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