君より先に
一月十四日は、竜崎桜乃の誕生日である。
当日、桜乃はいつもと同じ様に朝早くに学校へと向かっていた。
(誕生日…かぁ…)
勿論自分のことなので、今日という日を迎える事が出来るのは素直に嬉しいのだが、その反面少しばかり悩む事もあった。
(う〜ん…自分から誕生日を言うのって、ちょっと気が引けるところもあるんだよね。こっちにはそのつもりはなくても、プレゼントやお祝いの言葉を強制しているみたいで…)
それに、この時期はいつも学校が始まったばかりということもあって、クラスの友人なども全員何かと忙しい。
そんな時に、そういう私事を言うのもどうなんだろう…?
「うーん……」
普段なら、そこで『自分からは誕生日については言わない』とあっさりと決める少女なのだが、今年は思い切りをつけるのに、少し時間が掛かっている様だ。
その原因は、先程から彼女の脳裏に浮かんでいる複数の男子達だった。
(…でも、あの人達にはちょっとだけ、言ってもらいたい気もするなぁ…)
あの人達、というのは、これから彼女がすぐに会う事になるであろう、立海の男子テニス部レギュラー達である。
中学入学時には青学の生徒だった自分が、今、立海の生徒になっている大きな原因の一つに、彼らとの出会いがあった。
テニスを通じて知り合う事になった彼らは、出会った当初からおっちょこちょいな自分に対しても非常に良くしてくれていた。
まるで妹の様に可愛がってくれる立海のメンバー達に自分も心から懐き、その気持ちが乗じて、或る留学問題が持ち上がった時に桜乃は遂に一つの大きな決断を下した。
何と、青学から立海へ転校してしまったのである。
スポーツだけでなく学力も相応のレベルである立海への編入試験はかなりの難関だったものの、桜乃はそれを努力と根性で乗り越え、祖母の賛成も勝ち得、晴れてこの学校の生徒になることが決まった。
これにメンバー達が喜ばない筈もなく桜乃は彼らの大歓迎を受け、そのままテニス部のマネージャーに就くコトになり、今に至っている。
最初こそ不安も大きかったのだが、そこは彼らがしっかりとフォローしてくれたこともあり、桜乃はへこたれず日々少しずつでも成長していた。
そう、立海メンバーは桜乃にとって只の先輩というだけではない、非常に大きな心の支えとなっている『お兄ちゃん』達なのだ。
(プレゼントとかなくていいから、せめて皆さんからは『おめでとう』って言ってもらいたいなぁ…でも、もし言ったら絶対に気を遣わせちゃうだろうし…う〜ん)
おねだりとかそういう風に思われることなく、お祝いの言葉だけ貰うにはどうしたらいいんだろう…
かなり高レベルな事を考えていた桜乃だったが、残念ながら登校中は良いアイデアが浮かぶ事もなく、そのまま部室へと到着してしまった。
「…あら?」
そんな桜乃に、部室の扉の貼り紙が目に留まった。
『本日、レギュラーに限り、気を引き締める為に朝練中の一切の発声、発言を禁じる。尚、レギュラー以外の者も、テニスに関する話題以外での発言は慎むように』
「……?」
この筆跡の文字から推測するに…真田副部長のものだろう。
二度ほど繰り返し読み、桜乃は急な話ではあったものの、特に疑問に思うこともなく頷いた。
(成る程…確かに、年明けで気が緩みがちになってる時期だものね…正月ボケを直す為にやっているのかも)
でも、こういう計画があるなんて聞いてなかったな…と思っているところに、彼女の背後から元気な声が掛けられる。
「お、おはよー竜崎」
「あ、切原先輩」
「何やってんだ、部室の前でぼーっとして」
レギュラーで唯一の二年生である切原赤也は、コートの中ではその闘争心が剥き出しになり、暴力的な一面を見せる事もあるのだが、普段はおちゃらけて腕白な若者である。
そのおちゃらけ振りの所為で、副部長である真田からはしょっちゅう苦言と鉄拳制裁を受けているのだが、彼もまた桜乃にとっては頼り甲斐のある先輩だ。
「お早うございます…あの、これを見ていたんです」
「ん…あ」
桜乃に示された貼り紙を見たところで、不意に彼の表情が変わった。
(あれ…?)
何とはなしに、桜乃が違和感を覚える。
普段なら、こういう指示を見たら真っ先に『げっ、何だよコレ。マジにやんの!?』と言い出すのが常の若者が、何故か今日に限ってはそのまま無言を守っている。
そして、何となく居心地悪そうに脇へと視線を逸らしたのだ。
「あー…」
「? どうしたんですか?」
「あ、いやいや、何でもない。じゃあ、今から俺は喋らないってコトで」
「はぁ…」
それが貼り紙の指示である以上こちらが文句を言うコトでもなく、桜乃は言われるままに頷いた。
(何だろう…気にはなるけど、切原先輩は前もって言われていたのかな?)
だから、こういう反応なのだろうか…?
多少の不自然さは感じたものの、桜乃は相手にそれ以上質問することもなく、そのまま朝練の準備を始めると、コートへと向かって行った。
マネージャーはテニスそのものに興じることはないものの、なかなかの肉体労働でもある。
コートの整備の手伝いから、駆け回ってそれぞれの部員の体調管理に、出来る限りの生活指導。
不都合な問題が起こればその解決…とにかく何かと忙しい。
「今日は二年生の前原先輩が、風邪でお休みだそうです。予定していた午後の試合の組み合わせの変更はこれでどうですか?」
「…うむ。特に問題はないだろう、そのまま進めてくれ」
そんな彼女が部活動中に最も世話になっているのは、参謀と呼ばれている柳蓮二である。
常に冷静沈着で物事を理論的に考える能力に長けた若者は、桜乃にマネージャーとしての心構えと必要な知識を教えてくれる、非常に優秀なアドバイザーだった。
「他に質問はないな? では、失礼する」
「はい、有難うございました」
ぺこっと礼をして柳の後姿を見送りながら、桜乃は改めて今日の朝練のいつもと違う風景を見つめた。
確かに…レギュラー達が皆一様に無言だ…
テニスについての話題は変わらず話し合っているのだが、それでも口数がめっきり減っている。
まるで、余計な事を喋るまいと警戒している様に。
しかしそれも貼り紙の通り、気を緩めない為の策なのだろうと桜乃は疑問には思わなかった。
そうしている内に、あっという間に朝練の時間は終了し、彼らはぞろぞろと部室へと戻っていく。
桜乃は彼らが着替えをしている間は無論中には入れないので、コートの片付けの確認などを行っていたが、やがてそれも終了し、遅れて部室へと向かう。
その時…
「…ん?」
何やら部室の中から話し声が聞こえてきた。
『…じゃあ、予定通りに』
『りょーかい、まっかせろいって』
『くれぐれも…ようにな』
詳しい内容は分からないが、レギュラー達の声だという事はすぐに理解し、桜乃は何気なく部室へと足を踏み入れた。
「お疲れ様でーす、皆さん、何を話して…」
テニスの話題じゃないみたいだし、もう無言の時間は終了したのかな…?と思いつつ入った桜乃に、ざわっと若者達がかつてない反応を示した。
いつもなら朗らかな雰囲気の中で迎えてくれた彼らが、今日に限って桜乃の姿を確認した瞬間、極限まで緊張を高めた様に映ったのだ。
「え…」
何…?と疑問に思った桜乃の耳に、真田の号令が飛んだ。
「散れっ!!」
ザッ…!
その間、僅か一秒。
改めて桜乃がその場を見た時には、号令をかけた真田を含めた全てのレギュラーが部室から消えてしまっていた。
「ええ―――――っ!? 忍者ごっこ!?」
思わず叫んでしまったが、確かにそう思ってしまうぐらいに俊敏な速さでの退却。
まぁよく見たら部室の窓が開けられているので、そこから飛び出していったのが正解なのだが…
(な、なに…? 何が起こっているの…?)
どうして彼らは、自分を見た瞬間に逃げるように去っていったのか…
考えても考えてもどうしても理由は分からない、朝練の間は特に何の変わりもなかったのに…普段より無口な点を除けば…
(……何か、怪しい…)
この時初めて、桜乃は彼らの異変に疑問をもったのである……
疑問を持ったとは言え、彼らとはそもそも学年が異なり、授業中にそれを解決する事は物理的にも不可能である。
その為桜乃は、取り敢えず放課後までの間で最も時間的な余裕がある昼休みに、三年の棟へと向かっていた。
もしかしたらあの時は説明出来なかった問題があったのかもしれないし、このままもやもやした状態というのも気持ちが悪い。
(まぁ、どうしても言えないって事なら、無理に問い詰めることはないけど…あ! 切原先輩と桑原先輩!)
ジャッカルが切原のお目付けである事もあって、この二人の組み合わせはよく見る。
彼らは、丁度通り道にある家庭科室の傍で、何から白い布を抱えて話し合っている様子だった。
随分と大きく、長さもある布だ…何に使うつもりなのだろうか…?
「綴りは大丈夫ッスかね」
「間違いない、確認したからな。折角のことなのに間違っていたら良い笑いものだし…」
いつになく真面目な二人の様子を伺いながら、桜乃がこそっと声を掛けた。
「こんにちは、桑原先輩、切原先輩。それって何ですか?」
『ぎゃ―――――――っ!!!!!』
「きゃあああああっ!」
声を掛けた途端、二人揃って飛び上がりながら大声で叫ばれてしまい、思わず桜乃も便乗して叫んでしまう。
「なっ、なっ…何でここにアンタがいるんだよ竜崎―っ!」
「こここっ、これはその…何でもない何でもない! ただの家庭科の提出分でっ!」
「……」
この慌て振りを見て、誰がそれを信じると言うのだろう…そもそもこの二人、学年すら違うのに、同じ課題などある訳もない。
「…随分と大きな布ですね、何かの衣類には見えませんけど…手伝いましょうか?」
じとーっと見つめる妹分に、こそこそこそ…と早くも二人は及び腰で後ずさりまで始めている。
「いやいやいやいや、アンタの手を煩わす程じゃねーから…は、はは…」
「ま、まぁ世の中色々とあるんだ…それじゃそういうコトで」
そして二人ともが同時に反転し、だーっしゅ!と逃げ去って行った。
声を掛けようにも、もうかなりの距離を引き離されており、桜乃にはどうにも出来なかった。
「…怪しい」
何なんだろうあの白い布…大きくて、結構な長さがあって…綴りとか言ってたけど。
(…横断幕?)
部活の試合の時の…なら、別に私に隠すようなものじゃない筈だし彼らがコソコソ作る必要も無いし…と思っていた桜乃の脳裏に、あり得ない話だが二人が何処かのアイドルのコンサートに行っている姿が思い浮かんでしまった。
「あ、何か今、物凄い精神汚染、受けちゃった……」
今のは忘れよう、見なかったことにしよう、記憶から抹消しよう、と呟きながら、桜乃はそれでも更に歩を進め、三年の教室へと向かっていく。
すると今度は程なくして、調理室に差し掛かり、彼女はそこでまた意外な人物たちを見た。
「あれ…丸井先輩と柳生先輩…」
この二人の組み合わせは珍しいなぁ…と思っていた桜乃は、その男達の装いを見て更にびっくり。
(きゃ、お二人ともエプロン着けてる!)
シンプルな単色のエプロンだったが、二人ともそれを身につけた状態で何かを話し合っている。
その姿はかなりレアであり、桜乃は正直、声を掛ける事も忘れて暫しの間見蕩れてしまった。
あんな場所で話しているという事は、何かを作っているということだろうか…?
それにしても、先程の二人といいこの二人といい、いつもと違う行動をとっているのは本当に何の意味があるのだろうか?
そんな事を漠然と考えていた時、家庭科室の中で柳生と話していた丸井が不意に視線を動かし、窓の外でこちらを見ていた桜乃と視線が合った。
「あ」
「!」
彼に続き、柳生も彼女の存在に気付いて微かに身体を揺らせ、動揺している事が伺えた。
『……』
三人ともが、数秒そのままの状態で固まっていた。
そうしている間に先ず丸井が動き出し、すたすたすた、と調理室の前方のドアへと近づいていく。
てっきり、それを開いて迎えてくれると思っていたところが…
がちゃっ!
「…え?」
開けるどころか、彼は無情な音をたててそのドアの鍵を施錠してしまったのだ。
「ええ!?」
何で!?と思いつつ桜乃がドアの取っ手に手を掛けてがちゃがちゃと開けようとしたのだが、やはり鍵の所為でびくともせず。
彼女がドアと格闘している間に、今度は丸井はだーっと後方のドアへと猛ダッシュをかけ、そちらの鍵も容赦なく、がちゃっ!
「えええ!?」
律儀に桜乃が彼の後を追いかけ、そちらのドアにも手を掛けてがちゃがちゃしていると、更に丸井は脇からカーテンを引き出してしゃ〜〜〜〜〜っと全ての窓にそれを掛け、視界を遮ってしまった。
『ええええ〜〜〜〜〜〜〜っ!!??』
どうして〜〜〜〜〜!?と混乱する桜乃の声が聞こえてきたが、丸井は窓に背を向けてふ〜っと額の汗を拭う。
「あー、あっぶねーあっぶねー、うっかりバレるトコだったぜい」
「流石に少し、可哀相なのでは…」
大丈夫でしょうか…と不安げに向こうを見遣る柳生だったが、丸井は構わずにくい、と稼働中のオーブンを指差した。
「俺らの所為で計画ご破算にする訳にはいかねーだろい? いいからちゃんと見とけよい、失敗は許されねーんだから」
「はぁ…しかし、昼休み中には片付かないでしょう、コレ」
「午後の俺は盛大に腹を壊す予定」
つまり、授業中にトイレとでも言って抜け出すつもりか…
「…滅多にないコトですから、それは先生方も心配なさるでしょうね」
「おう、俺の身体張った生き様をよく見とけ」
見てはおくが、見習いたくはないな…と心から思う紳士だった。
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