「うう〜〜〜、皆さんがおかしいよう〜」
 どう考えても普通の対応じゃない…やっぱり自分に何か原因があるのだろうか…
 不安と猜疑心に苛まれながら、桜乃はとことこと三年の教室に向かって歩き続ける…と、今度は職員室の前で、銀髪の若者の後姿を見つけた。
(あ、仁王先輩だ)
 あの括られた後ろ髪にあのほっそりとした体型…間違いない。
 先程調理室で見かけた柳生と、ダブルスの相方を組んでいる男だ。
 彼も他のメンバーと変わりなく自分には優しく接してくれているのだが、桜乃はその時ちょっとばかり声を掛けるのを躊躇った。
 何しろ、優しい性格ではあるが、彼は別名『コート上の詐欺師』でもある厄介な人物。
 そんな彼が他のメンバーでもああいう状態だったのに、果たして自分の質問に簡単に答えてくれるだろうか?
 声を掛けた瞬間、その身体能力を活かして逃げられてしまうかも…
「…あ」
 しかし更に歩を進めると、どうやら彼はその場を動くに動けない状態らしい事が分かった。
 おそらくは三年の担当であるだろう教師から、何かを話し掛けられているのだ。
(あ、ラッキー!)
 これなら、彼が先生と会話を終えたすぐ後に声を掛けたら、間違いなく捕まえることが出来る!
 はぐらかされるかもしれないけど、そこは自分がしっかりと注意していたらいいし…
 よし、と心の準備をした後で、桜乃はぴとっと仁王の斜め後ろにスタンバってみた。
「!?…」
 ん?と背後に気配を感じた仁王がちろ、と振り向くと、そこにはあの一年の少女がこっそりと立っているのが見え、彼はくす…と唇を微かに歪める。
 どうやら詐欺師は、早くも向こうの目的を察知した様だ。
「―――なので、このプリントを資料室に持っていってくれ」
 一方、仁王に声を掛けていた教師はそんな二人の様子に気付く事もなく、自分が抱えていたプリントの山を相手へと差し出しながらそう言っていたのだが、仁王はそれに答える代わりに、ふいっと背後の桜乃に問い掛けた。
「のう竜崎、タバコを吸って悪くなるのは、どの臓器じゃったかのう?」
「え…は」
 既に気付かれていた事にびっくりした桜乃だったが、相手のさり気ない問い掛けに、思わず素直に答えてしまう。
「肺(はい)」
「そういう訳で後は任せたぜよーっ!」
「ちょっと仁王先輩―――――――っ!?」
 教師が戸惑う間に、仁王はぴゅーっと二人の場所から見事な瞬発力で逃げ出してしまっていた。
 引き留めようとしたところで、既に相手の姿は何処にも見えず…
「……君、仁王君の後輩かね?」
「……ハイ」
 はぐらかされるところまでも行き着けず、その上足止めまで喰らってしまった桜乃だったが、結局、素直な少女はそのプリントを資料室まで運んだのであった。
 そうこうしている間に、昼休みの時間も刻々と終わりへと近づいていく。
「あうう…こんだけレギュラーの皆さんにお会いしているのに、一つも理由が聞けないなんて…でも、次こそは〜」
 何しろ最初から会いに行こうと思っていた方々は、レギュラーの中でも真面目な方々だもの、はぐらかすコトもないだろうし、きちんと聞けば答えて下さる筈!
 うん!と頷いて桜乃がようやく三年の棟に辿り着き、教室を入念に見て回ると、その一室の後方窓際に目的の男達を見つける事が出来た。
 しかも、丁度三人揃っている。
 言うまでもなく、部長の幸村、副部長の真田、参謀の柳…立海三強の面々だ。
 よーし!と意気込んで彼らの許に向かおうとしていた桜乃だったが、その姿はいち早く柳に気付かれるコトになってしまった。
「あれは、竜崎」
「え」
「む、まずいな」
 いつもならすぐに身体を向けて彼女を迎えてやる筈の先輩達も今日に限っては様子が違った。
「うわ、困ったな…絶対にアレ、問い詰める気満々だよ」
「ううむ…」
 幸村と真田が、本当に困った、という表情で顔を見合わせる。
 かと言って、あからさまに避けるような態度を取ったら、それこそ自分たちの関係に亀裂を生んでしまうかもしれないし…
 どうしよう、と考えていた二人に、徐に柳が声を掛けた。
「止むを得んな…二人とも、すまないが…」
「え…?」
「ちょっと向こうを見ながら、右目だけを閉じてくれないか?」
「?」
 柳が指差したのは、教室の正面の黒板。
 そちらに向けて右目を伏せるというのに、何の意味があるのかは分からないが…
「…別に、いいけど」
「むぅ…こうか?」
 何だろうと思いながら、二人が柳に言われるままにばちっと右目を閉じた…瞬間、

『キャ―――――――――――ッ!!!』

 教室を揺るがす女子生徒の悲鳴が響き渡った。
 勿論…二人の滅多に見ない『ウィンク』を目撃した教室内にいた女子のものだ。
 教室の後方から前方に向けてのものだったので、目撃者多数。
「え…」
「何…だ?」
 何かヤバイ雰囲気だ、と二人が感じた時には、彼らは殺到する女子達に囲まれてしまっていた。
『ウィンクよ!? 幸村君がウィンクしたわ!』
『ちょ、私マジで見ちゃった! 痺れる〜〜〜っ』
『真田君もいつも硬派だからすっごい新鮮!』
『ねぇ、今の誰にしたの!?』
『私よね?』
『あら私よ!』
『もう一回やってみて〜〜〜〜っ!!』
 当人達が硬直している間に周囲は勝手に大騒ぎ…
 騒がれるのも確かに不本意ではあるが、何より二人にとって一番納得出来なかったのは、その現場をよりによって桜乃に目撃されてしまったという事だろう。
「…っ」
 二人だけではなく、桜乃もその瞬間を見て見事に固まってしまっていた。
 嘘…っ!!
 まさかあの二人が……あんな軟派な行為をするなんて…!!
 残念ながら、彼女には二人に頼んだ柳の言葉など聞こえていなかったので、真実を知る由も無い。
 が――――んっ!!と頭を殴られた様な衝撃を受けた少女は、最早彼らに問い質す様な余裕もなく…
「うああああ〜〜〜〜んっ! 幸村先輩も真田先輩もフケツ―――――ッ!!」
と、叫びながらぱたぱたと走り去って行ってしまった。

『えええええっ!!??』

 哀れなのは、全く非がないのに誤解を受けた二人である。
 大のお気に入りであった桜乃にそこまで言われ、殆ど灰と化した様な幸村達の隣では、淡々と柳が頷いていた。
「…よし、これで何とか詰問は回避出来たな」
 それで納得出来る道理など、幸村にも真田にもある訳がなく…
「蓮二―――――っ!! きっさま〜〜〜〜〜っ!!」
「回避どころか……男として最低の誤解を解かなきゃいけなくなった俺達の気持ちも考えてよね…」
 自分が最も忌み嫌う類の男性と看做された事で、真田は当然の如く怒り狂い、幸村も頭を抱えふるふると震えながら、声のトーンがかなりやばいトコロまで低くなっていた。
「何でああいういかがわしい真似を俺達にやらせるのだーっ!  やるなら貴様が勝手にやって誤解でも六階でも受ければよかろう!?」
「普段の俺がやっても誰も気付かないだろうしな…」
 最早、狂乱寸前の真田にも、柳は相変わらず冷静に答えるばかり。
 それからも暫く教室は賑やかなコトになったのだが、それを桜乃が知る事はなかった…


(あ〜あ…今日はレギュラーの皆さんから避けられちゃうし、私もついムキになって幸村先輩達に酷いコト言っちゃうし…ダメダメな一日だったわ…)
 放課後、桜乃はくすんと鼻を鳴らしながら部室に向かっていた。
 あれから暫くは心が治まらなかった桜乃だったが、午後の授業を受けている間に徐々に頭も冷めてきて、冷静に考える事が出来る様になっていた。
 大体今改めて考えてみたら、どんなに頑張ったって二人がああいう真似をするのは無理だし、何の理由も確認も取らないままに相手を糾弾するのは良くない事だ。
(確か今日は放課後の練習の前に、ミーティングの時間があったから…着替えはまだだよね、よし)
 ここは一つ、素直に謝って、それから改めて理由を聞けたら聞いてみよう…
 そう思いつつ少女が部室前に辿り着き、さてドアを開けようとしたら、先に彼女の気配を感じたらしい人物が先手を打ってそれを開いた。
 柳生だった。
「あ、柳生先輩?」
「すみません、竜崎さん。まだ貴女をお入れする訳にはいかないんですよ。ちょっと外で待っていて下さいませんか?」
「え…? どうして…」
「申し訳有りません」
 問われても理由は語らず、ただ謝罪の言葉を繰り返して、柳生はぱたんとドアを閉めてしまった。
「……」
 まだ…先輩達の異変は続いていた。
 そう言われると桜乃は中に踏み込む訳にもいかず、その場でじっと佇んでいた。
(何してるんだろう…何か物音は聞こえるけど、私にもお手伝い出来ないのかな…)
 よくよく耳を澄ませてみると、中からがたがたと椅子や机を引き摺る音や、誰かがせわしなく駆け回る音も聞こえてくる。
 そうしている内に、そこに切原とジャッカルが来た。
「あ、桑原先輩、切原先輩」
 声を掛けると、向こうは昼間とは一転、余裕の笑みで歩いてきたが、彼女が何かを言う前に、声を掛けてきた。
「おー、竜崎。すまないな、お前はまだ入れないんだ」
「ちょっとここで待っててくれよ」
「え…?」
 きょとん、とする桜乃の前で、彼らはあっさりとドアを開けて中に入り、それを咎める声は中から起きた様子はなかった。
 つまり…自分一人が部室に入れないのだ。
(どういう事だろう…もしかして、本当に私、皆さんから遠ざけられてる…?)
 こんなにあからさまに拒絶を受けた事は、初めての事だった。
 昨日までは、あんなに皆で仲良く話したり、テニスに打ち込んでいたりしたのに…いつの間にか、私だけ今日になってその輪から外されている、私を外して何かをしようとしている。
 何でだろう…私、何をしたんだろう…?
「……」
 不安が心を押し潰しそうになっているところに、今度は仁王と三強が揃ってやってきた。
「おう、竜崎。駄目じゃぞ、まだ入ったら」
「もう少し待っていてね」
 仁王と幸村が、やはり彼女の足を押し留める発言をして、彼らもまた部室の中へと桜乃を置いたまま入っていった。
「……」
 ぱたん…と閉じられたドアが硬質な壁を思わせ、それが彼らとの距離を示している様な錯覚が少女を襲った。
(……どうして?)
 どうして、私が入る事は出来ないの?
 私が、何か皆さんの気に入らない事をしちゃったのかな…?
 それならちゃんと謝る、謝りますから…!
 でも、何が悪かったのか分からなかったら、謝りたくても謝れないのに。
「…どうしよう」
 一人きりだと、こんなにも心細くて、こんなにも何も考えられなくなってしまうんだ。
 本当に彼らは、私にとって物凄く頼りになる、心の拠り所になる人達だったんだ。
 でも、こんな形でそれを思い知るのは嫌…!
「……っ」
 思わず涙ぐみそうになって顔を手で押えた時、中からドアが開かれ、幸村が顔を覗かせた。
「竜崎さん?」
「っ…幸村先輩…」
「もう入っていいよ」
 いつもと変わらない笑顔で優しく微笑みながら、幸村が桜乃の手を引いて、部室へと彼女を誘う。
 そして桜乃が一歩、部屋に踏み入ると…

『ハッピーバースデー! 竜崎―っ!!』

 ぱぱぱんっ! ぱぱぱぱぱんっ!!
 小さな破裂音が幾つも重なる中で、鮮やかな様々な色彩の雪が舞う。
「っ!!」
 心の底から驚く桜乃の目に、紙吹雪の中でクラッカーを手にこちらを笑って見ているレギュラー達が映った。
「え…」
 部室の天井には、白地の布に『HAPPY BIRTHDAY』と綴られた横断幕。
 机の上には、見事に重ねられた三段重ねのケーキ。
 何となく昼休みに何処かで見た物で、立ち寄った場所に関連がありそうな物…
 きょろきょろっと何度も部室の様相を見つめ、そして改めてメンバーを見ると、いつもと変わらない…全く変わらない笑顔を浮かべてくれる彼らがいた。
「へっへー! ビックリした!?」
「見慣れた部室でも、飾ってみると結構イイ感じだろ?」
 切原とジャッカルが飾り付けを自慢したら、丸井と柳生が机上のケーキへと視線を移す。
「こっちだって頑張ったんだぜい!? 俺達のおさげちゃんへの感謝をぎゅ〜っと詰め込んでみた!!」
「菓子作りもなかなか楽しいものでしたね」
 仁王は、空になったクラッカーを振り回しながら床に散った紙吹雪を笑いながら見つめている。
「ま、驚かせるのは俺の役目じゃ。最近は音だけの物もあるらしいが、やっぱりこういうのは派手さと後片付けの面倒さも含めて楽しむもんじゃろ?」
「……」
 まだ心の動揺が治まらずおどおどしている桜乃の肩にぽんと手が掛けられ、振り向くと、幸村が立っていた。
「今日が誕生日だったよね、竜崎さん。おめでとう」
「あ…あの…そう、ですけど…」
 私の誕生日だけど…私の誕生日ぐらいで、何でここまでして…?
「皆が何か驚かせる事をしたいと煩くてな…あ、まぁ、別にこういう事なら構わんが」
 真田も理由は何かと付けているが、この計画については異論はなかった様だ。
「お前は転校してきてから、ずっと頑張っているからな。今日のミーティングの時間は全てお前の誕生日パーティーに費やす事にしている。ゆっくりと英気を養ってくれ」
「あ……」
 言葉を失ってしまった桜乃は、それから何度も彼らの顔を見つめ…やっと一言だけを伝える事が出来た。
「…皆さん…有難うございます」
 とても嬉しい、感謝で心が破裂しそうな程に嬉しい…
 叫びたい程に嬉しいのに、あまりに感情が高まると、人は声さえも出せなくなるのだろうか…
「え…?」
 ぼろっと少女の瞳から涙が零れ落ちるのを見て、幸村が微かに動揺に肩を揺らしたが、相手はすぐに首を振りながら涙を拭いた。
「あ、ち、違います! あの、とても感動しちゃって…こんなに素敵な誕生日、初めてだから…私、てっきり皆さんに嫌われたんじゃないかって、思って…」
「嫌う!? 何でっ!?」
 今度は桜乃の言葉を聞いた丸井が、ぎょっとした顔でそちらを向く。
「だって…今日は皆さん、何か様子が変だったから…」
「変? いつも変なのは仁王先輩だろ?」
「月夜ばかりが夜じゃないぜよ、赤也…」
 けろっとした顔で凄い失礼をかました後輩に、へーえと視線を逸らしつつ仁王が嫌な釘を刺す。
 その傍らで、相手の意図する処に気付いた柳生がああ、と頷き、申し訳なさそうに愁眉を示した。
「そうですね、思えば貴女から見たらあまりに不自然だったかもしれません…しかし、どうしても私達が先手を打ちたかったものですから」
「先手…?」
 ようやく涙を止めることが出来た桜乃が、こし…と目を擦りつつ尋ねると、首を傾げて幸村が答えた。
「いや…もしかしたら今日君に会って話した時に、『君から』誕生日の事を聞かされるかもしれないって思ってね…それは嫌だったんだ。君を祝うのは『俺達』が先」
「!」
「だって悔しいじゃないか。言われて気付くなんて、こっちが負けたみたいでさ。一番乗りは譲れないな」
 勝負ごとではないのだが、どうしても負けん気を引っ込める気はないらしい。
 そうか、だから朝練で会わないといけない時にも、予防線としてああいうお達しを出していたのか…テニスの話題のみに会話を制限していたら、誕生日の話題など上らないから…
「後で、お前に部員それぞれから贈り物も準備している。俺達がお前を嫌っているという確率はゼロだ、それこそあり得ない」
「もっと前から準備を始められたらよかったのだが、どうしても丸井の奴らがケーキの出来たてを主張したのでな…不安を煽ってしまったのならすまなかった」
 柳や真田も桜乃に詫びつつ、気を取り直して彼女の誕生日を祝うように促し、少女もそれにこくんと頷いた。
「あ、いいえ……もういいんです、全部分かりましたら…私こそ…」
 そして、桜乃は幸村と真田の方へ振り向いてぺこんと頭を下げた。
「幸村先輩と真田先輩に、『フケツ』なんて言っちゃってすみませんでした」

『その話、是非詳しく聞きたいんだけど!!』

 途端、三強以外のメンバーが興味も露に桜乃に迫り、詳細を聞き出そうとした。
 仁王などはぬかりなく、既に携帯のボイスメモ機能まで作動させてしまっている。
「さて、ケーキ食べる前にちょっと軽く運動しておこうかな」
「そうだな…」
 誤解を受けていた二人が淡々と言いつつがっちりとラケットを握り、嫌なオーラを漂わせた。


 無論、桜乃にとっては楽しくも賑やかなパーティーになった事は言うまでもないのだが、メンバー達にとってはちょっと大変だったかもしれない……






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