その日の放課後、桜乃は幸村達元レギュラー達と、とある大型デパートの一階にいた。
 あの昼休み、桜乃が頼まれたのは、放課後に直接店の物を見てメンバーにアドバイスをするという事だったのだ。
 彼らが立っているのはホワイトデーを睨んでデパート側が特設した、各店が用意したプレゼントを売り出す臨時即売場の手前であり、傍には洒落たカフェも準備されている。
 中で休んでいる客もいる様だが、やはり彼らの目を引くのは、そこでプレゼントを選ぶ人達の群れだった。
 個人で来ている女性や男性もいれば、カップルで覗きに来ている人達も…様々だ。
「うわ、多いですね〜…全員で回ったら大変そうです」
 素直な感想を述べた桜乃に、幸村が不思議な返事を返す。
「うん…だから後は宜しく」
「ほえ?」
 何を?と振り仰ぐと、幸村を含めたメンバー達が一斉にぞろぞろと傍のカフェに移動を始めたのだ…切原を除いて。
「え? え? え?」
「最初は赤也だな…あまり困らせるなよ」
「分かってますって」
 真田の注意を軽くいなし、切原が笑っている間に、もう他の先輩達は店の中に入ってしまっていた。
 これって、一体…
「…あ、もしかして切原先輩が代表して回るんですか?」
「違う違う、俺は俺が買う分を選ぶんだよ」
「え…」
「俺が選んで買い終わったら、次はジャッカル先輩の番…一人二十分が持ち時間だからな、あまりグズグズしてらんねーぞ竜崎」
「えええっ! 一人ずつ回るんですか〜!?」
 今初めて耳にする事実に桜乃は思い切り驚いたが、向こうはそれを待つ素振りもなく、ずるずると相手を引きずって行く。
「こっちの方が全員、好みのヤツをある程度は選べるだろ? カップルで来ている奴もいるしさ、知らん振りしてたらそんな目立たねぇって」
「カ、カップルって…そんな」
「いいからほらほら、行くぞ」
 かぁ、と赤くなる少女を連れて、構わず切原はプレゼントの並んだ店の通りを歩いて行った。
 こういう協力の仕方になるとは思っていなかった桜乃だが、こうなった以上はそれに付き合うしかないだろうと心を決めた。
 別に無理な事ではないし、こうして店を回るのも確かに楽しいし…ちょっとだけ、カップルの気分も楽しめるし…
(や、やだ…私が皆さんとカップルだなんて、図々しい…でも、今日だけは役得でいいよね、お手伝いのお礼ってコトで)
 えへ、と心の中で密かに笑う桜乃に、早速切原が質問を投げかけてきた。
「なー、女性ってどんな形のが好き? やっぱちまいモンが良いのか?」
「あ、はいはい、そうですねぇ…小さいだけじゃやっぱりダメですよ、それは…」

 そして彼らが仲良く店内を回りだした時、他のメンバー達はカフェの一画を陣取って、それぞれ飲み物を頼んでいた。
「上手くいったね、擬似デート計画」
「そ、そういう言い方はやめんか、精市」
「二十分のみだがな…まぁ、暫し語らうには良い時間だ」
 三強の男達が喋っている一方では、他のメンバーが向こうの二人の様子を伺っている。
「おお、いい感じ…早く回ってこーいっ」
「しかし…竜崎はやっぱり何も分かってないんだろうなぁ」
「ま、煩悩から最も遠く離れとるからのう…」
「お兄さんの買い物の付き合いという感じなんでしょうね」
 ちょっと安心するような…がっかりするような……


 そして二十分きっかりで、切原の買い物及びデートタイムは終了し、続いてジャッカルに交代。
「すまないなぁ、どうにもこういうのはよく分からない…いっそお前が選んだものでもいいんだが…」
「…桑原先輩、そんなだと将来、恋人さんにお尻に敷かれちゃいますよ?」
「うっ…! や、やっぱりそうか?」
「ここは一つリーダーシップを取る練習だと思って。ほらほら、ついて行きますから」
「お、おう…」

 次は、ちょっと誇らしそうな顔でご機嫌になって戻ったジャッカルと、丸井が交代。
「ん〜…げっ、これっぽっちでこんなにすんの!? だってこれ原価は…」
「ま、丸井先輩っ、詳しいからって店の前でそんな事言ったらダメですよ!」
「う〜〜……俺だったら同じ金額分、十円チョコの方がいいけど…」
「恋人さん、泣いちゃいますよ」
「そか…おさげちゃんがそう言うなら止めるか」

 可愛い包装紙に包まれた贈り物を袋一杯に抱えた丸井と、柳生が交代。
「出来たら、こういうお菓子と一緒にお茶のセットもつけたいところですけれどね」
「あ、いいですね、素敵なティータイムを過ごせそうです」
「因みに、竜崎さんのお好みの銘柄などはありますか?」
「私? 幾つかよく買うのはありますけど…今回の予算だとちょっと無理かも」
「ええ、あくまでも参考までに、ですよ。良い機会ですから是非お聞かせ下さい」

 満足そうな紳士と帰ってきた桜乃は、今度は詐欺師に拉致られてフロアを徘徊。
「ただやるんじゃつまらんのう…何かサプライズ的な物を忍ばせるのもいいのかもしれんな」
「サプライズですか……指輪とか小物をこっそりと? でもそれだと結構高くなりそうです」
「…………請求書」
「…とことん修羅場がお好きな様で…」
「何言うとるんじゃ、本当に修羅場にしたけりゃ口に出せるようなヤワな物は入れん」

 仁王の荷物の全てにしっかり包装がされた事を確認した桜乃は、続いて柳と合流、そして出発。
「では、行こうか? 待っている間に大方の店の傾向と人気商品はパンフで確認しておいた」
「わ、流石…じゃあ、柳先輩の買い物はすぐに済みますか?」
「いや、こういう物の写真はプロが撮ったものだけに看板に偽りがある事もある。特に気になる処を選んでおいたので、そこをゆっくり確認しながら見回ろう」
「ふわ〜〜〜…本当に、計画性ばっちりですね」
「……まぁ、折角二十分許されているのならば、わざわざそれを早めることもないからな」

 きっちり秒針も合わせて二十分経過したところで、柳と真田が交代。
「…何だこれは、フランス語か?……量り売り?」
「ええと、一応申し上げておきますと、それ、一粒の値段です」
「なにっ!? チョコの分際でこんなに高いのかっ!?」
「分際って…ここ、ベルギーの有名なチョコ専門店のお店ですよ。ちょっと今回は縁がないですね」
「ううむ……外国に住むとは物入りなのだな…気の毒に」

 まだ何か誤解している様な真田だったが、それを解けないままに幸村に交代。
「お疲れ様でした、竜崎さん。悪いけど、もう少しだけ頑張って」
「そんな、お安い御用ですよ。私だって十分楽しめているんですから」
「そう? 嬉しいね、そう言ってもらえると」
「…よく考えたら、このイベントが終わって少ししたら、もう先輩方は卒業ですから。私が出来ることは何でもして差し上げたいんです」
「そう………でもちょっとだけ、『先輩』を卒業したいとも思うな」

 そして、幸村の最後の呟きは桜乃に聞かれないままに、全てのメンバーの擬似デートは終了を迎え、彼らはそれぞれの贈り物を抱えて彼らの家へと戻って行った。


 ホワイトデー当日
「じゃあね、竜崎さん、また明日―」
「うん、また明日ね」
 全ての授業が終了した後、桜乃はクラスメート達と同じ様に鞄に教科書などを詰めて部室へ向かおうとしていた。
 今日は、元レギュラーの先輩達は上手くホワイトデーの仕事は果たせたのだろうか…?
(まぁ、見る限りではそんなにおかしいモノは選んでなかったし、女の私から見ても問題なかったから、顰蹙は買わないと思うけど…)
 どうなんだろう…と思いつつ、とことこと廊下を歩いていると…
『えーっ!! 本当なの!?』
『うーん、多分本当だと思うけど、人づてだから…』
(あれ…? 何の話かしら)
 少し先の曲がり角の向こうから、女子の声が複数聞こえてきた。
 何だろうと思いつつそれに耳を澄ませてみると…
『幸村先輩達がナンパ待ちしてたぁ!?』
『だから幸村先輩かは分からないけど、それらしい人達がデパートのカフェにいて、順番で一人の女性とデートしてたんだって。お姉ちゃんは別のフロアのバイトだったから、よく見えなかったらしいんだけど…』
『ウソ〜〜〜! どんな女性とデートしてたのよ! あの人達を順番待ちまでさせるなんて〜〜!!』

(とんでもないコトになってる〜〜〜〜〜っ!!)

 きゃ〜〜〜〜っ!!と心の中で悲鳴を上げ、桜乃はくるりと方向転換。
 まさか顔を見られるだけでバレる筈はないのだが、流石にあの会話の中を通って行くには勇気が要り過ぎる。
 桜乃は早速別の道を通って、部室へと向かった。
「…あら?」
 入ると、そこには後輩達に部を委ねた筈の幸村達が久し振りにそこに揃っていた。
 桜乃が入って来るのを見た若者達は、待っていた様にそちらへと身体を向ける。
 どうやら桜乃が目的だったらしい。
「ああ、来たね、竜崎さん」
「あのっ…皆さん、大変なコトが…」
「ん?」
 やはりまだ彼らは知らないのか…と思いながら、桜乃は先程耳にしたばかりのいかがわしい噂を説明した。
 自分の事は何処まで明らかになるか分からないが、向こうの言い分では、幸村達の素性についてはかなり近いところまで迫ってしまっている。
 バレたとしても、ちゃんと説明して時間が経てば騒ぎは収まるだろうが、やはり彼らへの影響というのは軽視出来ない。
「どうしましょう…皆さんに悪い噂が立ったりしたら、高校での生活にも影響が出るんじゃ…」
「ふーん…別に噂なんて気にしないけど、君に影響があるなら放ってもおけないな」
 別に大きな問題でもないという様に、幸村は軽くそう言うと、そのまま顔を仁王へと向けた。
「何とか出来る?」
「そうじゃな、ちょっとアリバイ工作したら噂程度ならすぐに消えるじゃろ。俺にまかせんしゃい」
「よろしくね」
(ア、 アリバイ…?)
 またこの人は何を仕出かしてくれるんだろう…と不安に思っている桜乃に、ところで、と改めて幸村が声を掛けた。
「この間は本当に有難う、君の見立てのお陰で、プレゼント好評だったよ」
「いいえ、皆さんのセンスも良かったからですよ。でも、喜んでもらえたなら何よりでしたね」
「うん、でね…はい、君にはこれ」
「?」
 そう言いながら幸村が差し出してきたのは、ふんわりと膨らんだ形の薄い桃色のラッピング袋だった。
 小さな子供の頭ぐらいの大きさのものだ。
「ホワイトデープレゼント、俺達全員から…受け取ってくれる?」
「わぁ! いいんですか!?」
「勿論だ。お前には随分と世話になったからな」
 ぱぁーっと笑顔を輝かせる桜乃に、最近ようやく良心の呵責から逃れつつあるらしい真田が答える。
「あの時と同じ物をやるのも芸に欠けるからな…一応、俺達で考えてみたのだ」
 幸村からそれを受け取りながら、桜乃は柳にも嬉しそうに一礼。
「嬉しいです! 本当に有難う」
 もしかして、皆さんの手作りのものですか?と聞かれると、他のメンバー達が照れながら肯定の笑顔を見せる。
「あ、あまり変な形でも笑うなよな」
「一応、命には問題ない事は確認しておいたからよい」
「見てくれはちょっと悪いけどな、結構力作なんだ」
 切原や丸井、ジャッカルに続いて、仁王や柳生達も苦笑い。
「ま、お前さんにはこれもサプライズかのう…面白い経験じゃったが」
「非常にやり甲斐がありました。気に入ってくれたら嬉しいですね」
 きゃ〜〜〜!!と大喜びの桜乃を見る事が出来て満足そうな先輩達は、部室に来た用事は済んだものの、このまますぐに去るのは惜しいと思ったらしい。
「…ちょっと打って行こうかな」
「そうだな、俺もそういう気分だ」
「あっ! じゃあ俺とやりましょ! 先輩達が来なくなって何か物足りなかったんス」
 もう部は切原含めた後輩に任せたものの、今日だけは昔のように全員でテニスに興じてみようか…
 久し振りに集まったかつてのレギュラー達は、元気に活動するマネージャーの姿を見ながら、懐かしいボール音の中で楽しい一時を過ごしていた……


 当日夜…
 帰宅後、早々に夕食を済ませてシャワーを浴びた桜乃は、パジャマ姿になったところで先輩達から受け取ったあのプレゼントを開封していた。
「何を下さったのかな…あ、マシュマロだ」
 白くふわふわした小さな雲達が、ビニルの中に詰められていた。
 確かに、全員の手作りだったらしく、大きさや形もまちまちだ。
「丸井先輩が指導したのかしら……結構上手く出来てる」
 ぱくっと一粒食べて……あら、と桜乃の瞳が大きく見開かれる。
「…チョコ入ってる」
 思い出す、いつか彼らに話したホワイトデーの贈り物の意味。

『チョコマシュマロは本命に…』

(…………うわ)
 シャワーから上がって、ようやく冷めてきた頬が再び真っ赤に熱くなる。
(皆さん、イイ男過ぎます)
 こういうコトされたら…女性は堪りませんよ。
(本当に、振ってばかりじゃなくて、早くいい恋人さんが見つかったらいいのに…でも)
 相変わらずの鈍感娘だったが、今日だけは、ほんの少しだけ恋の魔法に掛かったのだろうか。
 もう一つマシュマロを口に含みながら、桜乃は小さな罪悪感を感じつつ呟いていた。
「も…もうちょっと先でもいいかな…」
 恋人が出来たら、やっぱりその人を大事にしたくなるだろうし、こっちも邪魔したらいけないから……一緒に遊んだり出来なくなるかもしれない。
 それって…ちょっと…ううん、かなり勿体無いかも…
「……ちょっとずつ食べよ」
 勿体無いから、この贈り物は大切に少しずつ…
 二つ食べたところで、桜乃はビニルの上を再びきゅっと結んだ。

 そしてその美味しい贈り物は、全て無くなるその日まで、毎日桜乃にささやかな幸せを与え続けていたという。






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