しばらくあって……
「…そういえば、桜咲はどうしたのかな?」
「少し気晴らしに外にでも出掛けているのかもしれんが、確かに姿が見えないな…楽しんでいるなら問題ないが」
「俺はそれより赤也がいないのが気になる…」
三強がようやく二人の不在に気付いたのは、彼らがこっそりとそこを抜け出してから一時間弱のことだった。
普段であれば、ものの三分としない内に異常に気がついていただろう、特に真田の切原センサーに関しては。
しかし、流石に今回はいつもの様にはいかなかった。
何しろ常に満員御礼状態のフロアーの中で、ひっきりなしに客の応対に追われていたのだから。
普段、テニスコートの中では神業の如き動きを見せる若者達も、こういう時はただの中学生。
しかも名目が執事喫茶ということで、普通の店より、より優雅で洗練された動きや対応を要求される分、神経も使う為、他の場所に目を遣るゆとりはいつもより持てなかったという事実は否めない。
「俺達揃ってお客さん達の相手をしてたからね…裏方まで見に行くゆとりもなかったし」
「二人いない…一緒に行動しているのなら、赤也が傍にいることで不貞の輩は遠ざけられるだろう、問題は…」
柳の発言の数秒後、真田がしかめっ面で締めくくる。
「あいつが桜咲に良からぬ事を教えていないといいのだが…」
事実は桜乃の方が切原を誘ったのだが、三強はそんな事を知る由もない。
こういう時には、本人達の日頃の行いが如実に出てくるものなのだ。
「………」
そんな三人を見ていたジャッカルが、虚ろな声で背後の詐欺師に声を掛ける。
「おい、教えなくていいのか? 桜咲の方が赤也を連れてったって」
「教えん方が面白そうじゃろが」
けろっとした答えを返す仁王は、その声音と同様に楽しそうな表情を浮かべながらきゅっきゅっきゅっ…と洗い終えた皿を磨いている。
実は、仁王は偶然にも桜乃と切原のやりとりを陰から覗いていたのだが、そんな彼らを止めることもなく、そのまま好きなように行かせてやったのである。
元々止める理由がなかったというのもあるが、やはりそこにある一番の理由は、面白そうだったから、という詐欺師による独断と偏見だろう。
「…別に仁王に断らなくても、お前が今からでも幸村達に教えたら?」
丸井の尤もな発言に、ジャッカルはぶるぶると首をこれ以上ない位に派手に横に振った。
「…今更そんな事話したら、今度は俺が攻撃の矛先向けられるじゃねえか」
「あー…どっちにしろ仁王の思うツボって奴ね」
最初に仁王に止められた時、迂闊にそれを実行した時点で負けは決まっていた様なものか。
「弱味も特に握られてもいねぇのに、どうしてこういう役回りばっかかねぇ…一度お払いに行けば?」
「頷いてしまいそうな自分が凄くイヤ…」
ぐすん…とジャッカルが相棒の忠告に鼻を鳴らしていたところで、傍観者に徹していた柳生がふと入り口の方を見て、おや、と声を上げた。
「ああ良かった…どうやらお戻りの様ですよ」
「ん?」
振り返ると、入り口を通って、ようやく見慣れてきた膝上ニーソ姿の後輩と、執事スタイルで決めているもう一人の後輩が戻ってきたところだった。
出ていった時と同様に紙袋を持ってはいたが、中はおそらく空だろうと分かる程、見た目にも重さは感じられなかった。
「ただ今、戻りましたー」
「やぁ桜咲。やっぱり外に行ってたんだね、何か面白いものはあったかい?」
ひとまずは無事に戻ってきた後輩を労いつつ幸村が声を掛けると、向こうは朗らかな笑顔で答えてくれた。
「はい、大繁盛でした!」
「…繁盛?」
なにその単語…と思う幸村達の前で、桜乃はぴらっと空になった紙袋を見せた。
「学園祭に来たお客さんだけじゃなくて、持ち場を動けないスタッフの皆さんに、飲み物と軽食の移動販売をやってみたらことのほか好評で、すぐに完売しましたー」
「なにそのマッチ売りの少女作戦!?」
「因みに…」
休んでいるかと思ってたのに!と驚く部長達の前で、少しやつれた表情の切原が挙手し、更なる追加報告。
「後ろの方々も売り上げに貢献したいということで…一応、メイド喫茶じゃないって事は断ったんスけど…妄想の力って、パネぇっすね」
「え…?」
促されて改めて入り口の方を見ると、彼女達についてきたらしい男子達の群が、どっと押し寄せて来ていた。
「えー? ここー?」
「ここで彼女、ウェイトレスやってんだって」
「へぇ〜」
『って、予想外の収穫〜〜〜〜〜っ!!??』
どひゃーっとレギュラー達が驚いている中、ひそひそとジャッカルが切原と密談を交わす。
「どうすんだよ! またワケの分からないおさわり作戦が展開されちまうじゃねーか! 幸村が怒り狂うぞ!?」
「しょーがないじゃないっすか!! あいつがどーしても俺らの力になりたいって、やたら可愛い顔でねだるんだもん! こっちはあいつが男だって自分に言い聞かせるので正直精一杯だったッスよ!!」
「お前もかなりテンパってんな…」
ぼそっと囁かれた丸井の言葉を受けて、かくっと切原は観念したように項垂れて言った。
「よく考えたらあいつ一人にさせなかったらいいって事でしょ…? 午前中のことだって、真田副部長もずっとあいつにつきっきりだった訳じゃないし…」
「まぁ…まだ慣れないトコも多かったし、そんな余裕はなかったのは確かだな」
そこは確かに、とジャッカルも同意。
「外について行った時も俺がすぐ後ろにいたら変なコトする奴はいなかったし、こうなったらメイドと執事の同伴ってことでやったらどうッスか? どの道アイツが外で宣伝してくれたお陰で野郎の客はまた来るだろうし、中に引っ込ませる手はもうないッスよ」
「…己で逃げ道を塞ぐとは、豪胆なのか無自覚なのか…」
いつの間にか隣にいた柳が気の毒そうに桜乃の方を見詰めていたが、他の先輩達は切原の提案に何故か一斉に色めきたっていた。
「あっ、なーる。じゃあ俺らの誰かが常に傍にいることにしたらいいんだ!」
「面白そうじゃの、俺がやるぜよ」
「いえいえ私が…」
早速その場の争奪戦が執事達の中で展開されようとしている中、真田が頭を抱えて真剣に悩む。
「…収益が上がるのはいい…いいんだが…何かこう…心に突き上げる何かが…っ」
あいつは男だぞ!? 例えどんなに可愛くてもっ!!
なのに、何で男子どもがこうもより集まって変な宴の様なコトに…!
「…真田先輩が、何だか変です」
「うーん…」
心配そうにそう言う桜乃に、幸村がぽり、と頬をかきながら苦笑い。
「……君が男の子だったのは間違いだったかも」
「え?」
振り仰ぐと、優しい幸村の困った様な笑顔がこちらを覗き込んできていた。
「本当にね…女の子だったら、きっと放っておかなかったのに。絶対に恋人にしたがっただろうな。弦一郎もそうだし、俺達も」
「え……ええっ!?」
麗しいテニス部部長の大胆な発言に、桜乃が大いに驚いて声を上げた。
嘘…っ
まさかそんな…先輩達が私にそんなコト…
ゆら…っ
大声を上げた後、不意に桜乃の視界が陽炎の様に揺らいだ。
「え…・」
「桜咲…?」
目の前にいる幸村の姿も、水面を介している様に揺らいでおり、その声も朧気なものになっている。
そこで、ようやく桜乃は思い出した。
(あ…そうだ、ここは夢…!)
覚えている様で忘れていた。
ここは現実ではない、夢の中の世界なのだ!
それを思い出したところで、桜乃は嫌な予感に囚われた。
つい先程の幸村の言葉に、激しく動揺してしまった後でこんなコトになってしまっている…それだけショックを受けたということだ。
ということは、まさか、まさかこの展開は…
「嘘、やだ…醒めちゃうの…!?」
折角、お客さんも一杯集めて貢献できたと思ったのに…そうしたら、あの人達と今度こそ試合が出来ると思ったのに…こんな所で終わってしまうの…!?
「やだ…幸村先輩っ!? 皆さんっ!?」
もう少し、あともう少しだけ…っ!!
願う気持ちも空しく、向こうの姿は更に揺らぎが激しくいびつなものになり、段々と周囲が不自然な光に包まれてゆく。
そして最後は己の声もかき消され、桜乃は眩しい光に目を閉じた…
「あ〜も〜…良い夢だったのか悪夢だったのかよく分からないなぁ…」
結局、野望は野望のまま、夢は夢のままに終わってしまった。
夢から覚めた後は、いつもの現実。
本来の女性の姿へと戻った桜乃は、立海の女子の制服を纏って、部室へと向かっていた。
「はぁ…やっぱり、今度行われる海原祭のせいであんな夢を見ちゃったのかなぁ…確かに今回は執事喫茶をするって事は決定していたし…」
そういえば今日はその予定について大詰めの会議が行われるのだった。
故に、今日の朝練は休止、レギュラーのみ集まってのものになるのだが、マネージャーである自分も現状を常に把握するという意味で参加の意志を伝えていた。
(それにしても、夢の中で男子になるなら、それこそそのまま私も執事になるのが普通なんだけど、どうしてわざわざ女装するシナリオになってしまったのかな…)
確かにあれは切原先輩のせいではあったけど、夢の中なら自分の無意識にも責任の一端があると思っていいだろう。
もしかしたら、夢の中で男になった自分に対する自己嫌悪の表れだったのか、それとも女子である自分の無意識の中での自己主張だったのか…
(…どっちにしろ、あと少しだったのに…)
もう少し、男子の自分として振舞えたら、彼らと試合が出来たのに…
そう思いつつも、夢を思い出すことで桜乃の頬はついつい緩んでしまう。
「…でも、女の子だったら良かったって言ってもらえたしなぁ…」
あれは夢の中の話。
だから、自分がそこまで言われる程に、レギュラーから女性として見られているという事実には繋がらない。
きっとあれも、自分の願望が夢の中でああいう形になって出てきたものだろう。
それでも、夢であってもああ言われたなら、女として生まれてきて良かったかな、と思う。
(まぁいっか、現実の学園祭も頑張ろう…夢の中の勝負結果は分からなかったけど、繁盛はしていたみたいだし、あれが正夢だといいんだけどなぁ…)
そう思いつつ、桜乃は部室に着くといつもの様に数回のノックの後、かちゃりとドアを開けてそれを開いた。
先に見える場所には既にレギュラー達が揃っており、彼らが入室してきた桜乃を見るのとほぼ同じタイミングで、切原が彼女に声を掛ける。
「おー、来たか竜崎。今度の学園祭、お前男装してウェイターやることになったぞ」
「…………え?」
何だろう、今の、今朝の夢を彷彿とさせる様な台詞…
あれはまさか、本当に正夢だったのか…それとも逆夢か?
どうやら竜崎桜乃の学園祭騒動は、夢の中だけでは終わらない様である…
了
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