それから数日後のこと…
 幸村達が昼休み、何とはなしに集まって庭園でまったりとした時間を過ごしていた時だった。
「あ、竜崎じゃんか」
「おお、本当だ」
 切原が足を止めたと同時に顔を向けた先を見て、ジャッカルもそうだと頷いた。
 あの一年生のマネージャーが誰かと親密そうに談笑していた。
 相手が男性だったら男達の反応も異なったのだろうが、幸いと言うべきか同じ立海の制服を着た同級生らしい女生徒達である。
「何の話をしてるのかな…」
「あまり邪魔してもいかんじゃろ…っと、どうやら話は終わったようじゃな」
 丸井を止めようとした仁王だったが、その発言とほぼ同時に、向こうの女生徒達は桜乃の傍から手を振りながら離れていく。
 話が済んだのか、その場に一人桜乃が残されたのを良い事に、早速切原達が相手に向かって歩いていった。
 特に用事という用事はなかったのだが、可愛がっている妹分の姿を見るとつい寄っていってしまうのは既に彼らの習性となっているらしい。
 或る程度近づいたところで声を掛けようと思っていた切原達の前で、ふと、それまで笑顔だった少女の顔が曇り、その小さな唇からは微かな溜息が漏れた。
「?」
 何か厄介ごとか…?と訝しんだ若者達の前で、彼らに気付いていない様子の少女は、ぽそりと呟いた。
「チョコレートに気持ちを込めるって……大変なのね…」

『!!?』

 途端、切原と丸井の二人ともが硬直する。
「? 二人とも?」
 彼らより少し遅れて歩いてきた他の男達は桜乃の呟きが聞こえなかった様子で、幸村が切原達に呼びかける。
 それにゆっくりと振り返った彼ら二人共の眼球が、これ以上はないと言う程に見開かれており、流石の神の子も多少引いた様子で尋ね直した。
「…どうしたの、鬼にでも遭った様な顔して…」
「鬼ならしょっちゅう遭っとるじゃろうが」
「何か言いたそうだな仁王…」
 誰の事を言っているのか大体察したらしい真田が詐欺師に低い声で尋ねたが、そこでタイミング良く切原達が答えを返してきた。
「い、いや…何か、竜崎の様子がヘンで…」
「何つーか…カンペキ恋する乙女になっちまってんだけど…!」

『……』

 その時の幸村達の表情を言葉に表すとするなら、『何ソレ?』が一番的確だったかもしれない。
 しかも、頓狂なものでなく、殺気すら込められている感じがする。
 先程までは言葉の応酬が始まりそうだった真田と仁王ですら、今はそんな事など忘れた様子で切原達…そして桜乃の方へと鋭い視線を向けていた。
「…何だって?」
 永久凍土もかくやという冷えた口調でそう言いながら、幸村が二人に近づく。
「どういうコト?」
「いやだから…」
「さっきさ…」
 自分達が悪い訳ではないのに相手の纏う気に圧され、切原と丸井は震えそうになる身体を必死に抑えて、聞いたばかりの少女の呟きを相手に教えた。
「気持ちを込める…?」
「それは…別に本命だからという訳ではないのではないか? 彼女は真面目な性格だ、義理であろうとなかろうと、おざなりに贈り物をする様な子ではない」
 切原達に比して、真田と柳の反応は比較的冷静なものだった。
 いや、二人のみに限らず他のメンバー達も似たようなものだ。
「相手の名前を仰っていたのならまだしも、それぐらいで本命がいると決め付けるのはやや尚早という気もしますが…」
 柳生も眼鏡に触れながらそう返したが、丸井がそれでも桜乃の方を指差して食い下がる。
「け、けどさぁ…何か、いつもより表情がおかしくね? 悩んでるっつーか、物憂げっつーか…ただの義理であんな顔するか?」
「んん…」
 改めて問われたところで、仁王がこちらにまだ気付いていない様子の桜乃を眺め、ふむ、と頷いた。
「確かに…まだ俺らにも気付いちょらんし、心ここに在らずってトコロかのう…赤也達の言う事もあながち無視も出来ん様じゃ」
「でしょ?」
 やっぱり何かおかしいですよ、と訴える二年の後輩の脇を抜けて、幸村がいよいよ桜乃の方へと近づいてゆく。
 ここで色々と憶測で物を言っても仕方がない、と結論づけたのか、彼は迷いなく彼女へと歩を進め、それがやがて相手に気付かれるところになった。
「あ…幸村先輩…皆さんも」
「こんにちは、竜崎さん。こんな所で散歩かい?」
「え、ええ…」
 おかしい…
 ほんの少しの挨拶を交わしただけで、早くも幸村は相手の異変に気付いた。
 普段なら、屈託のない笑顔を浮かべてくれる少女が、今日はいやに余所余所しい…まるで、自分達に出会ったのが不都合な事態だったとでもいう様に動揺している。
 もしかして、何か隠し事でもしているのか…一体何を…?
 一瞬、幸村達の脳裏に、バレンタインにチョコを贈る本命の相手、という言葉が浮かんだが、確定ではないので今はひとまず置いておく。
「何だか元気がないみたいだけど、何かあったの?」
「い、いいえ、別に何も…」
 ふるっと相手が首を横に振り、先輩の言葉を否定した時だった。
 ふわん…
「…ん」
 微かな香りを感じ取り、幸村がくん…と小さく鼻を鳴らした。
 甘い香り…これは…
「…チョコの香りがするね…君からかな?」
「え…そうですか?」
「うん、多分」
「え、ホント?」
「どれどれ?」
 桜乃が何を隠しているのかはさておいて、幸村の台詞に反応した他の男達も、それを確かめるべく彼女の周囲を取り囲んだ。
 くんくんくんくんくんくんくんくん…っ
「こら――――――――――――っ!!!!」
「み、皆さんっ!! 教育的指導ですよっ!!!!」
 流石に真田と柳生はそこには加わらなかったが、彼ら二人が止めるまで、メンバー達は大いに幸村の台詞の真否について検証した。
 明らかに異質な光景に周囲の生徒達の視線が集まっていたが、彼らの驚異的な集中力のお蔭か、それを気にする者は一人もいない…或る意味凄い。
「お、本当だ、甘い匂いするー」
「結構はっきり香るなー」
 切原や丸井が納得している中、当人の桜乃は声も出せない程に真っ赤になって俯いていた。
「服だけじゃなく、身体にも少し染み付いとるようじゃな…お前さん、随分と長い事、チョコを弄っとるじゃろ」
「あ、はぁ…まぁ…」
 返事が曖昧なのは、まだ何か隠したいことがあるからか、それとも単に羞恥の為か…
 何処まで詐欺師が読んだのかは分からないが、彼が無言で相手を見下ろしている脇から、柳が客観的な分析を行った結果を述べた。
「それより…少々顔色が悪い様だ、竜崎」
「え…そう、ですか?」
「ああ、明らかにそれと分かる程ではないが、聊かお前の反応に遅れが見られる…ちゃんと睡眠は取れているのか? 食事は?」
「睡眠はちゃんと取っています…あ、でも確かに最近は食欲がちょっと…」
 はぁ…
 頬に手を当てて、物憂げに溜息をつく少女の仕草は、確かに何処か色っぽさを感じさせるものだった。
 潤み、弱った瞳、いつにも増して白い肌、気だるげな表情と雰囲気…
 男が見たらどきりとするその仕草に、若者達はしかしそれだけではなく、危機感さえも覚えてしまった。
 何だ、この子のこの姿は…
 確かにこれは…一見すると恋する乙女のそれにも見える!
 果たしてそういう対象がいるのかいきなり聞く訳にもいかず、已む無く幸村は当たり障りのない質問でその心の内を探ろうと試みた。
「大丈夫かい? 何か悩み事があるなら相談に乗るよ?」
 勿論、日常生活上の悩みがあれば、その言葉の通り相談に乗るつもりだった若者だったが、やはり懸念していた通り、彼女が胸の内を明かしてくれることはなかった。
「大丈夫です、多分ちょっと疲れているだけだと思いますから。じゃあ、失礼しますね、また後ほど部活で」
「あ…うん」
 強く引き留める理由も見つからず、若者達はマネージャーが歩き去ってゆく後姿を眺めるしかなかった。
「…かなり強い残り香じゃったのう…ありゃ相当長い時間、チョコレートを扱っとるよ…そうじゃろ、丸井」
「うん…俺でもそうそうそんなに匂いつかねーもんな」
「そこまで熱心に手作りのチョコレート作成に勤しんでいる、ということですか?」
「そ、そんじゃやっぱりアイツ…」
 誰か、特別に想う男が…?と言おうとした切原が咄嗟に口を噤んだ。
 背後から、振り返らなくても伝わってくる殺気に気付いたのだ。
(うわあああああ!! 最後まで言わなくて良かったああぁぁ!!)
 下手に口にしていたら、イップスで済んでいたかどうか…
 神の子の怒りは帝王のそれより遙かに恐ろしいのだ。
「…まだ確定じゃないけど、一応先輩としても気をつけてあげてた方がいいよね。もし意中の人がいたとして、俺達の眼鏡にかなう人物なら許してもいいけど…」
(嘘だ!嘘!! ぜってー嘘だ〜〜〜〜っ!!)
 そんな殊勝なコト、微塵も思ってない癖に…下手な一般人だったら全力で潰す気の癖に〜〜!と思いつつも、それをはっきりと口には出せない悲しい立場。
 切原は他のメンバーも同様の感想を抱いているのだろうと確信しつつも、それ以上の発言は結局出来なかったのである…





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