『おさげ』の子


 とある春の某日
 立海大附属中学から高校へと進学を果たした、一年生・仁王雅治と、中学時代に彼の相棒であった柳生比呂士は、授業の合間の休憩時間を利用して、一つの机を挟んで向かい合う形で座り、何かの書類を埋める作業を行っていた。
「は〜、必要事項とは言え面倒じゃのう」
「仕方ありません。これを書いておかないと後々の部活動に支障が出ますからね」
「それもそうか……おっと、すまん柳生、消しゴム貸してくれんか」
「ええ、どうぞ」
 彼らが今それぞれ向き合っている書類の正体は、高校になってからの部活動の希望調査票であり、第一から第三希望までを記載し、その他、本人の意見・要望について記載する項目がある。
 よくある話だが、中学や高校などでは部活動への新入生の誘致は行われるのが常だが、その募集人数にも限度というものが存在する。
 希望する生徒には極力その希望する場を与えてやりたいと思うのは人としても教育現場の人間としても当然の感情なのだが、利用する敷地の面積の問題や、使用する機材の数量的な問題などで、どうしても彼らの声に答えてやれない場合があるのだ。
 そういう事態に備え、希望調査票には一つの部活動ではなく複数のそれを書き込む欄が設けられており、最悪、最も希望する部活に入れない事態が生じた時は、希望順位を下げる形でその生徒に配慮するのである。
 配慮の形は部で様々。
 全員に平等という形で、希望者を集め、ジャンケンやくじ引きで決める部もあれば、同じく集めたところで軽い選抜試験を行い、その結果から選出される部もあった。
 そして彼ら二人が第一志望に書いている、『男子テニス部』に於いては……
「……希望調査票に書かれた過去の実績を第一審査とし、通過した生徒に実技の試験とは、流石に高校になってもテニス部の人気は高いのですね」
「ま、名実共に全国でも有名校じゃからのう…高校からウチに来る編入生も結構おるし、中学でレギュラーだったからと言っても気は抜けんの」
「全くです」

『へー、テニス部って女子にもモテんの? 俺、希望出してみようかなー』

 二人が机に向かっていた正にその時、廊下から男子生徒の明るい声が聞こえてきたが、彼らはほんの僅かにも鉛筆を走らせる速度を落とさなかった。
「……ああいう下らん輩は、間違いなく脱落するから論外として」
「そうですね」
 詐欺師と呼ばれ、普段はおちゃらけた態度を取る事もある仁王だが、かつてレギュラーを張っていたテニスへの情熱は偽りではない。
 生半可な気持ちでテニスをやろうとする人間への容赦ない一言を口にした相棒に、柳生も今回は嗜めるような行動は起こさなかった。
 それに、自分達の部参入が決まるか否かの重要な書類を書いているところで、余計な雑念を入れたくないというのも本音だったのだが、タイミング悪くまた別の男子が二人を見つけて声を掛けてきた。
「なぁなぁ、二人とも…」
「あ、申し訳ない。今丁度重要な書類を作っているところでして…急ぎでなければ後ででも宜しいでしょうか?」
 至極丁寧に断りを入れてくれた柳生にその場は任せて、仁王は無言で相変わらず鉛筆をかりかりかりかりと走らせている。
 一方、話掛けて来た生徒は、二人が書類を作っているところだとは気付いていなかったらしく、様子を知ったらあっさりとその場を退いてくれた。
「おっと、何かやってたのか、邪魔して悪い。大した事じゃないからさ、また後でな」
「ええ、そうして下さると助かります」
 その会話が打ち切られてから、相手の生徒はすぐに近くにいた別のクラスメートを掴まえ、今度は彼に向かってお喋りを始めた。
「なぁなぁ、聞いたか? Bクラスの加藤がさぁ、中等部のあのおさげの子に告ったんだってさ」

『詳しく!!』

 自分達の入部が掛かった書類も即座にそっちのけで、仁王と柳生の二人は一度は追っ払った相手に再び人食いザメの如く食いついた。
「何ですって…? おさげの子に…?」
「今、えらい不吉な言葉が聞こえた気がしたんじゃがのう…」
(ひいぃぃぃぃぃっ!!!)
 ゴゴゴ…と地の底から響くような効果音が非常に良く似合う、陰を背負って迫り来た魔人二人に、その哀れな生徒は心の中で悲鳴を上げた。
 心の中で留まったのは彼らに遠慮した訳ではなく、声も出せない程に慄いてしまったからだろう。
 このままでは食われる!!と思ったかどうか定かではないが、彼らの魔手から逃れるには早々に知っている情報を与えるしかないと本能で悟った男子学生に、更に不幸が訪れた。
「よーい、柳生、仁王。何してんだよい」
「何だ、深刻な話か?…って、そこだけえらい暗いなオイ」
 二人と同じ、中学生時代にテニス部レギュラーだった丸井ブン太とジャッカル桑原が、廊下から彼らを見つけて入室してきたのである。
 当然二人は仁王達が聞きつけたクラスメートの発言を知る由も無かったのだが、流石に生来の不幸癖が染み付いてしまっているジャッカルが、早々に場の重く暗い空気を読んで無意識に身構えた。
「? 何かあったの?」
「ウチの高校生の誰かが、竜崎に告白したらしいんじゃ」
 呑気な丸井の質問に仁王が答えると、彼らもまた一気に温和だった表情を激変させた。
 その変わり身たるや見事なものである。
「なにっ!? 誰だ!?」
「ぬあにぃ!? おさげちゃんに!!?? ウソだ!」
「しかし、先程彼は確かに…」
 騒ぎを聞いていた同じ教室内の学生達の心の声はまるっと無視で、丸井達がぎゃんぎゃん騒いでいると、また更にそこに新顔登場。
「どーもっス先輩方。ありゃ? 集まって何して…」
 中学三年生に進学した切原赤也である。
 中学生の彼が今時分にここにいるのは、彼が男子テニス部の部長に就き、今後の高校生達との合同練習などのスケジュールについての資料を届けたついでだったのだが、今回はそれが災いした。

『お前に聞きたいコトがある!』

「ぎゃ〜〜〜〜〜〜っ!!」
 挨拶もそこそこに彼ら四人から一斉に鬼気迫った顔で詰め寄られたら、切原でなくても悲鳴を上げるだろう。
 もしここに彼が最も恐れている真田弦一郎がいたら、冗談ではなくショック死していたかもしれない。
「な、ななな何スかっ!? 俺、今日はまだ何もしてないッスよ!?…多分」
「その何もしてねぇのが問題なんだよいっ!! お前って監視役がいながらおめおめおさげちゃんを〜〜!」
「俺らが卒業した際、幸村達からもじゅ〜うじゅう聞かされとった筈じゃな…竜崎に近づく輩には容赦するなと」
「はぁそりゃ確かに…え!?」
 丸井と仁王の糾弾に、まだ怯えつつも呑気に頷いた後、はた、と切原の瞳が大きく見開かれる。
「何スかそれ! どういう意味!?」
「ですから何者かが竜崎さんに告白したと…」
「有り得ないッスね!!」
 迫られていた筈の切原が、先輩達の説明を聞くと俄然勢い良くその話を否定した。
「ホントかぁ?」
「たりまえッスよ」
 まだ疑いの目を向ける丸井に、切原はふんぞり返って断言した。
「だって俺らが知らないのに!!」

(お前ら、何者だよ…)

 周囲の奇異の視線を物ともせずに、その元レギュラー達は後輩の台詞を受けて、ふむ、と思いなおした。
「確かに…のう」
「噂も何も聞いてないもんなぁ俺達…柳の奴も何も忠告してなかったし」
 仁王とジャッカルがこそこそと軽く話し合い、取り敢えず原点に立ち返ってみようと全員が一致したところで、彼らの視線は一斉に話の出所だった生徒に向けられた。
「もう一度お話を聞かせて頂けますか…?」
 一見したら丁寧な物言いだが、明らかに彼らの雰囲気は穏やかなそれとは程遠い。
 自分がこのクラスに編入された事と、この話題を仁王や柳生の前で振ってしまった自分の迂闊さを恨みながら、その生徒はもう一度繰り返した…当初の発言にやや補足を付けて。
「や、だから…Bクラスの奴が、狙っていたウチの中学三年の女に告白したって…」
「……ん?」
「……三年?」
 そのキーワードを聞いた瞬間、すっと五人が纏っていた禍々しいオーラが薄くなった。
「三年? 二年じゃないのか?」
「そのおさげの子、竜崎さんという方では?」
 ジャッカルや柳生に再度確認されて、男子は自分の知っている限りの知識を再度頭の中で確認しながら応えた。
「い、いや…? 名前は竜崎かどうかは知らないけど…三年なのは多分間違いないと」

『……』

 彼らの口にしていた『竜崎』という娘は現在中学二年生…ということは、飛び級が存在しないここ日本では、既にその時点で告白された女性という対象からは外れてしまっている。
 という事はつまり…?
「なーんだ、おさげちゃん違いかぁ」
「心配して損したぜよ」
「じゃあ別にどうでもいいや」
「流石にひやりとしました…」
「俺らもそうだけど、幸村達の事を思うとなぁ」
「いなくて良かったッスねー」
 それまでの緊迫感は何処へやら。
 彼らはもう全ての興味は失ったとばかりにわらわらわら…と場から散っていったのである。
 そして残されたのは、まだ事態が飲み込めていない、哀れな生徒一人だけだった…



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