王様の人生ゲーム(前編)


「よし、では次の練習試合はウチのコートでこの日に行う予定とする」
「うん、異議なし」
 或る祭日、立海のレギュラーメンバー達は、氷帝学園のテニス部部長・跡部景吾に呼びつけられる形で、彼の邸の中にいた。
 煌びやかな客間には、重厚な色合いの卓と、それとセットの椅子がずらりと並べられており、そこに氷帝、立海双方のテニス部レギュラーが座っている。
 普通の中学生ではありえない光景だが、それを可能にしているのが跡部という男の存在だった。
 何しろ日本屈指の大財閥の御曹司であり、この年齢でありながら自由に出来る金の単位も尋常ではない。
 では常に金に糸目をつけずに散財しているかというと、否。
 無駄に使うという事ではなく、本当の金の使い方を知っている、というべきだろう。
 彼の両親も大事な一人息子とは言え、彼を富豪の子供にありがちな愚鈍に育てるつもりは毛頭なかった。
 この跡部家に生まれた男児であれば、将来世界に通じる若者に育ってもらいたい、いや、自分達が育てるのだ。
 幸い、彼の両親もまた、ラッキーのみで今の地位を手に入れた成金ではなかったらしい。
 兎に角、幼少時から徹底した帝王学やマナーを叩き込まれたお陰で、跡部は右も左も分からない、与えられることだけに満足する様なドラ息子になる事はなかった。
 寧ろ、中学生でありながらその存在感はそこらの大人を食う程であり、金に目を眩ませる様な卑しい行為も一切見せない。
 何より、幼い時に異国で過ごし、日本人の観念とは少し離れた処で生活してきた所為か、その闘争心、ハングリー精神は特記すべきものがある。
 まぁ、彼本人の資質によるところも大きいだろう。
 今は生徒会長という立場で学園内の生徒達を牽引する一方、殆ど日本にいない両親の代わりに、国内の跡部コーポレーションの大まかな動きを把握し、指示を出すという業もこなしている。
 将来が楽しみな様な、恐ろしい様な…そんな中学三年生だ。
 そんな彼は今日、立海のレギュラーと氷帝のレギュラーを集め、翌月に控えた双方の練習試合についての予定の詰めを行っていたのだった。
 彼の邸に集まることになったのは、これだけの人数を収容出来て、周囲を気にせずに会議を開ける場所として非常に好都合であったことと、丁度この日、立海が他校との試合で都内に出ていたというタイミングがあったのだ。
 勿論、この日も全勝で試合を終えてきた立海側は、今はもう制服に着替えて悠然と疲れた素振りも見せずに会議に参加していた。
「物品は特にそちらで必要な物以外は気にしなくていいぜ。あらかたウチで揃っているだろうからな」
「うん、それはよく分かってるよ。君の処だからね」
 この男に限って抜かりなどある筈が無い、と立海の部長である幸村も疑いなく相手の言葉を信じた。
 氷帝も立海も、関東圏ではもう一つの学校、青学と同じくテニス強豪校で知られている。
 『英雄、英雄を知る』ではないが、実力が伴う相手には相応の興味をもって臨むのが人として当然の心理であり、更に実力が近い分、公式試合でもよく顔を合わせる事もあり、彼らは他校同士でありながら、実はよく見知った仲だった。
 どちらの部もレギュラーが自身の実力に自負がある事もあり、そういう点からも彼らは似たところがある。
 二人がそれぞれ頷き合ったところで、タイミング良く客間のドアが開かれ、向こうから跡部邸のメイドと、彼らと同年代の一人の少女が入って来た。
 立海のマネージャーでもある竜崎桜乃だ。
 元々青学の一年生、祖母は青学テニス部の顧問という彼女もまたテニスに近い存在だったのだが、本人がテニスを詳しく知り、ラケットを握るようになったのは中学に入学して以来。
 そして最近、立海のメンバーに気に入られ、交流を深めていく内に、青学から立海へと転校を果たしてマネージャーになった、なかなか行動力のある少女である。
 尤も普段は、おっとり大らかで、そんな大胆な素振りは微塵も見せない素直な子なのだが…
「皆さん、お茶が入りましたよ〜」
「ああ、ごめんね竜崎さん、有難う」
 にこにこと相変わらず朗らかな笑みを浮かべている少女は、マネージャーという立場であると同時に、立海のメンバー達にとっては一服の清涼剤でもある。
 部長の労いの言葉を受けながら、桜乃はいいんですよと微笑みながら、メイドを手伝う形で氷帝、立海の生徒達に紅茶を提供した。
「跡部さん、お疲れ様です」
「ああ…しかしお前も律儀な奴だな…別に手伝わなくてもいいと言ったのに」
「いいんですよ。今日のお話は私が口を出すものではありませんし、お手伝い好きなんです」
「………立海に飽きたらいつでもウチに来ていいんだぜ」

『よくねぇよ』

 何言ってやがる、と早速立海側が凄んで帝王の野望を阻止。
 最近桜乃が立海に転校し、マネージャーとして他校のテニス部と交流を持つ様になってから、氷帝の跡部が彼女に興味を持っているというのは一部で知られていた。
 青学にいた時にはただの観客の一人であった為に殆ど見る事も話す事もなかったのだが、マネージャーとして知り合い、色々と部活動について話し合う内に、跡部もまた彼女に並ならぬ興味を抱くようになっていたのである。
 今の処は強引な手法で氷帝に引きずり込むような真似はしていないが、勿論、立海側は目を光らせてその阻止に当たっているのだった。
 因みに桜乃本人は、自分にそこまでの価値があるとそもそも思っていないので、周囲でそういう動きがある事自体分かっていない。
 知らないというのは、ある意味幸せなコトなのだ。
 会議の後の一時の見た目のどかなティータイムもぼちぼち終わりに差し掛かり、桜乃は再びティーカップを厨房へと戻しに行った。
 残ったのは、互いの学校のレギュラーメンバーのみ。
「…ところで、幸村達はこれからどうするんだ?」
 まだ昼過ぎの時間帯ということで、幸村は跡部の台詞を受けて、窓の外を眺めた。
「そうだね…折角来たし、少し外の街でも見ていこうかな。別にきっちりした予定は立ててないんだ」
「そうか、ならお前らもちょっと付き合っていかねぇか?」
「? 何?」
「これ」
 そう言って、跡部が自分の足元から持ち出し、卓上にでんっ!と置いたのは…

『人生ゲーム』

『………………』

 立海メンバー達が目を丸くして言葉を失っている向こうでは、氷帝の面子もまた、彼らと似たような表情だった…という事は彼らにとっても初体験か。
 どうやら氷の帝王殿は、冗談でもからかっている訳でもなく、本気でこれをやろうと誘っているらしいが…
 暫く沈黙を守っていた立海メンバー達は、ほぼ同時に跡部へと顔を向けて一言。

『友達いないの?』

「凍てつかすぞ、てめぇら」
 びきっと交差点マークを浮かべながら跡部が速効突っ込み…気を取り直して言った。
「そうじゃない。最近貰ったものなんだが、どうにも一人でやっても面白くなくてな…大人数でやれば楽しいと言われて二十人ぐらいでも出来るものを特注したはいいが、それだと今度はメイド達が遠慮して勝とうとしねぇし。お前らなら、やり方も知ってるんじゃねぇのか?」
「そりゃ知ってるッスけどね」
「一人でやってても空しいだけだろうが…」
 言われて、豪華な私室で跡部がたった一人で人生ゲームに興じている姿を想像してみると…かなり寒い。
 切原とジャッカルがぞわっと身震いしたところで、忍足が苦笑した。
「まぁ……世俗には疎いトコロもあるからなぁ、跡部は」
 富豪の子息で幼少時から庶民からは隔たった場所でセレブな生活をしてきた若者であり、しかも一人っ子だったとあれば尚更だ。
 世間では普通に知られているものであっても、上に立つ人間は知る必要のない事だと切り捨てられる事も存在する。
 知らない事が幸せなのかと問われたら、それに答えるのは難しいかもしれないが。
(パーティーゲームの代表格みたいなものなのにな…それも知らないのか)
 ここで跡部に同情したら、相手は間違いなく激怒するだろうし、そもそも同情するという類のものではない…だからやらない。
 しかし、相手が知りたいと思っている事なら、害がなければ教えてやってもいいかもしれないな。
 幸村の思いと立海のメンバーのそれはそう隔たったものではなかった様で、特に断りを入れる男達はいなかった。
 但し、若干名、やさぐれた者達の呟きは聞こえてきたが。
「流石、日本のおフランスのお貴族様達は違うッスね〜」
「パンがなけりゃケーキ食べる生活してんだぜい、きっと」
「みんな貧乏が悪いんじゃ」
「誰がマリーアントワネットだ」
 食うか、と一応突っ込んでおいてから、跡部は全員に確認の意志を採った。
「じゃあ、全員参加ってコトでいいな」
 まぁやってみるか、と全員が思っていたところで、はいっとイベント好きの向日が手を上げた。
「跡部、折角そういうコトするならさ、何か面白い見返りもつけた方が盛り上がるんじゃねーの?」
「見返り?」
「ああ、一番にゴールした場合のご褒美というヤツですか」
 ありがちですね、と言いながら、氷帝二年生の日吉もすぐに思い至るところを見ると、結構乗り気の様だ。
「ご褒美か、面白い…しかし、誰が賞品を決めるのかが今度は問題だな」
「……じゃあ、アレならどうじゃ? 王様ゲーム」
「王様ゲーム?」
 それは何だ?と訝し気に尋ねる真田に、仁王は唇を微かに歪めながら説明した。
「ん、ゲームで勝ったヤツが王様になってのう、その場の誰かに命令をするんじゃ。ま、王様の言う事は絶対じゃから拒否権は無しの完全遂行……これなら燃えるじゃろ?」
 確かに、それなら今から賞品を調達するという手間も省かれるし、良いアイデアかもしれない。
 跡部も、詐欺師のその提案には早速乗り気の態度を示した。
「それはいいな…人生ゲームと王様ゲーム…二つの遊びを楽しめるという訳だな。よし、仁王、準備を整えたいから少しやり方について教えてくれ」
「了解ナリ」
 それから仁王と跡部が頭を突き合わせて話している間、氷帝側では寝こけていた芥川を向日達が『朝ですよーっ!!』と必死に起こしに掛かっており、立海側では帝王に入れ知恵をしている詐欺師の様子を見つめていた。
「…何か、流れのままにやる事になったはいいが…」
 真田が、急に不安げな面持ちで柳に振り返った。
「アイツが噛んでいるとなると、とてつもなく不安になるのは俺だけか?」
「いや、心配ない…俺達含めて全員そうだ」
「それは尚更心配なのではないでしょうか、柳参謀」
 人生ゲームだけかと思っていたら、何やら奇妙な方向へ話が…
「…まぁ、しょうがないよね。命令の内容によるけど、ここは死ぬ気で掛かろうか」
 流石に部長の幸村は、既に達観の境地に達している。
「まさか人生ゲームで、本当に人生賭けるコトになるとは…」
 ぽつりと呟かれたジャッカルの言葉は、確かに真理だった……


「じゃあ、ちょっと変則的にルールを決めた。先ず、人生ゲームをやる。これは特別なルールは無しだ。その時の一位が当然、その回のキングになる」
 形が成ったのか、跡部はそれから全員にルール説明を始めていた。
「キングが引くのは罰について書かれた箱の中のクジ。例えば、何番のヤツが何をする。何番のヤツが何番のヤツにこういう事をする…そういった命令が書かれている箱だ。その番号については、ずっと同じ番号だとつまらねぇから、毎回人生ゲームが終わった後に、キング以外の奴らは番号を決める為のクジを全員で引く」
 成る程、それぐらいなら十分に理解出来る…と聞いていた若者達は一斉に頷いた。
「つまり、キング以外の人間には、毎回何らかの罰ゲームが当たる可能性がある訳だね…で、その肝心の罰ゲームのクジはどうやって準備するの?」
「お前らがそれぞれ書くことになる。それなら公平だろう?」
 幸村にそう答えた後、跡部はびしっ!とピースサインの形で二本指を突き出した。
「書く罰ゲームは二種類だ。甘い罰と厳しい罰、それぞれの箱を作ってどちらを使うかはその時に選ぶ事にしよう…では、罰の内容を配る紙に書いてくれ」
 彼に言われるままに、全員が一時無言になって紙を前に集中…
「…考えるのは面白いけどさぁ、これって、自分が当たった時のコトも考えた方がいいよねぇ〜?」
 ようやく起きたらしい芥川は、ぐるぐるとペンを器用に回しながらぼそりとそう言った。
 確かに、人にそれが当たるだけではなく、キングになれなかったらもれなく自分にも自分が書いた罰が当たらないとも限らない。
 そこは駆け引きの妙…もしかしたらこれは仁王のアイデアなのかもしれない。
「そうですね…ちょっと心情的にも控えたくなりますね」
 あまりきつい罰だと申し訳ない気もする…と鳳が苦笑していると、隣の宍戸がそうか?と言い返してきた。
「そんな甘いコト言ってると、これからの試合で気力負けしちまうんじゃねぇのか? ここは一つキツイやつを敢えて書くってのも…」
 そう言っている目の前から、丁度そこに座っていた幸村や真田達の声が聞こえてきた。
「…弦一郎は、厳しい罰の方はもう書いた?」
「うむ。まぁ多少素人には難しいレベルというところに留めておいた。ゲーム如きであまり多くを望むのも悪いからな」
「へぇ、どんなの?」
「『ナイフ一本のみで入山して三日間生き抜いてくる』」

『……………』

 先程まで朗らかに話していた氷帝軍団が、無言になると同時に真っ青になった。
「ひ、控えた方がいいですね!」
と鳳が蒼白になりながら再確認し、
「たかがゲームだしな!!」
と、乗り気だった宍戸までもが前言撤回。
 幾ら名前が人生ゲームでも、本当にジャッカルの台詞通り人生を棒に振るつもりはない!
 向こうでは、流石にそれはマズイと思ったらしい幸村が、陰が入った笑顔で真田に迫っていた。
「もう少し、常識を考えてから書いてよ…」
「な、何かまずかったか…?」
 どこがまずかったのか今ひとつ分かっていないらしい真田と幸村のやり取りを見ながら、忍足と向日が溜息をついていた。
「俺達もまぁちょっとは常識ハズレなところはあるけど……相変わらず向こうはそれ以上にブッ飛んでるよな〜」
「コッチが日本のおフランスなら、向こうは東洋のガラパゴスやろ…今後の進化が楽しみやなぁ…」
 楽しみ、と言いながら顔は全然楽しみじゃない忍足がそう言って、また暫くの後、ようやく二つの準備されたクジ箱に、それぞれ「厳しい」、「甘い」クジ紙が搭載された。



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