レインコートの中で
今、立海大附属中学 男子テニス部副部長・真田弦一郎は、コンビニで時間を潰していた。
外は、土砂降りの雨
時折、鳴っていた雷鳴はもう遠ざかっていたが、それでも外は薄暗い。
なぜ、こうなってしまったのか?
一、 早朝の天気予報で午後の降水確率が十パーセント未満だった。
二、 部室を出る時にはまだ晴れていたため、置き傘を持っていかなかった。
三、 コンビニから自宅までは、まだかなりの距離があった。
四、 全部
さて、正解は…
「全く…ついてない時にはそれが重なるものだな」
コンビニの中で、誰に言うともなく真田は呟き、眉をひそめる。
(予報で降水確率は十パーセント未満だったし、部室を出るときにも晴れていたのに、いきなりこれだ…参った、ここから家まではまだかなりの距離があるし…)
不幸が重なってしまった副部長は、仕方ないと息をつく。
自分一人の身体なら濡れて帰ってもいいが、手にしている鞄とその中身は流石に心配だ。
小雨なら無理をしてでも帰りたいところだが、外はバケツをひっくり返した様な大雨…しかも、大抵はそれ程に長く続くものではない筈なのに、まだ止もうという気配すらない。
「…ふむ」
こうなった場合、通常、一般人はコンビニに寄ったことを機会に雨具の調達を考える。
傘とかレインコートの類は、普通のコンビニならある程度の数は常備しているのだ。
しかし真田の場合、それについても少しだけ不幸が混じっていた。
見てみると、既に傘の類は売り切れており、レインコートが数着分残っているだけ。
しかもレインコートのサイズはLまでが全て完売で、LLサイズしか残っていない。
これを不幸と取るか、幸運と取るのかは本人の気持ち次第である。
(まぁ、無いよりは余程マシだ。大は小を兼ねると言うし、これで凌いで帰るか…)
迷い無く、真田はポジティブ思考でレインコートを取ってレジに並ぶと、ついでにホットの緑茶のペットボトルも購入した。
コンビニに駆け込む前に少しだけ雨に濡れてしまい、それが身体の熱を奪っていると感じたのだ。
この程度で風邪を引くことはないと思うが、念の為、身体を内から温めた方がいい…
「有難うございました。こちら、このままお使いになりますか?」
「はい」
コンビニの店員が気を利かせてくれて、レインコートを収納していた袋にシールが貼られ、ペットボトルだけが小さなレジ袋に入れられて真田に手渡された。
それらを持って真田は一度外に出ると、店先でレインコートを袋から取り出した。
広げてみると自分が予想していたより結構大きいサイズだが、背に腹は変えられず、仕方なく身につけてみる。
「む…やはりな…」
身長は結構あるので裾で地面を引きずることは無いが、やはりバランスの悪さは否めない。
特にLLともなると身体の横幅も考慮されており、見た目はかなりだぶついてしまっているだろう。
しかし、それでも真田はあくまでポジティブに物事を考えた。
「ふむ…しかし鞄とバッグは濡れずに済みそうだ」
袖に腕を通さずに胴のところでそれらを抱える形にすると、丁度良く鞄の雨除けにもなる事に気付いた真田は早速それを行動に移した。
緑茶は少し考えて、ここでは飲まないことにする。
結構コンビニに長居してしまったし、更に店先まで借りることが心情的に憚られたのだ。
コンビニの店員から見たら、気にならない些細なことかもしれなかったが、真田は結局自分の意志に逆らわず、そのまま雨の中に足を踏み出した。
踏み出した途端に、耳元に聞こえる雨を弾く音。煩いほどに。
(これは当分止みそうにないな…天気予報も当てにならんか、たるんどる)
いつまでもあの店で待ちぼうけを食うより、やはりこれが正解だったのだ、と思う。
コートの薄い膜を通して伝わる雨の散弾の力を感じながら、真田は暗い道を歩き出す。
雲が天をすっぽりと覆い隠し、まるで夜に近い暗さで、更に豪雨という目隠しも加わり、辺りの状態も把握するのに一苦労だ。
(やはり、他に歩いている人も殆どいない、か…)
誰も彼もが、何処かで雨宿りしたり、屋内に入って様子を見たり…余裕がある人はタクシーなどを利用しているのだろう。
しかし、中には自分の様に雨具を利用して歩いている人もいれば、雨具も無く、全速力で走りぬける人もいた。
その時、真田の身体のすぐ脇を、水音も激しく走り抜ける人影があった。
「す、すみません! 通ります」
「ああ……え?」
脇を通り抜ける際にこちらに呼びかけてくれた相手に、真田は反射的に返事をし…その後姿を見て思わず呼び止めた。
「りゅ…竜崎か!?」
「えっ!?」
雨の中で振り向いた相手は、確かに腰まであるおさげをしており、呼びかけられた名前にも反応を示した。
視界が暗くても、これはもう間違いようがない。
「真田さん…?」
「やはり竜崎か…・と、いかん、こっちへ来い」
「え…?」
下手に足止めをしては、当然雨具を持っていない相手は雨に晒されることになり、真田は慌てて少女の手を引いて近くの家の軒下まで誘導した。
かろうじて雨を避けられる場所に来ると、二人は改めて互いの顔を見る。
真田は僅かに髪と服が湿っている程度だが、桜乃は可哀想な程に濡れねずみの状態だった。
冷たい雨に打たれて走っていた所為か、唇も青みがかり、いつも健康的な薔薇色の頬も真っ白だ。
「どうしてこんな所にいるんだ、竜崎?」
気の毒な相手の姿に愁眉を深めた真田に、少女は屈託なく笑う。
どんな時でもポジティブな態度を見せるところは、彼女も目の前の男子とそう変わらない様だ。
「あー…友人に誘われたイベントがあったんですけど、雨で中止になっちゃって。これから帰るところなんです」
「何処かで雨が止むまで待てんのか? 駅までは結構あるだろう、それに駅についてからも…」
「あ、向こうの駅にはおばあちゃんが迎えに来てくれるって言ってましたから…あまり遅くなってもいけないし、走って行ったら大丈夫かなーって…」
それは前向きではなく、無謀というものに近いのでは…?
はぁ…と息を吐いて、真田がせめてもの苦言を呈する。
「…今のお前の姿を見たら、到底大丈夫とは思えないのだがな」
「はあ…ちょ、ちょっと途中で雨が強くなっちゃって…う」
不意に襲ってきた悪寒に、桜乃が腕を組んでぶるっと身体を震わせる姿を見て、流石に真田もそれ以上の説教は差し控え、急いで自分の手にしていたペットボトルを差し出す。
「そんな姿では寒くて当然だ、ほら、これを飲め」
「はい…?」
「まだ十分に熱い。少しは身体が温まるだろう」
殆ど強制的にボトルを押し付けると、真田は自分のテニスバッグをレインコートの中で開く。
「あの…真田さんは…」
「俺はいいから、全部飲め」
促されるままに、桜乃はボトルを開けて口を付けた。
付けた後で気付く、自分が口を付けた飲み物に彼が手を出す訳がないことを。
(うわ…恥ずかしいコト聞いちゃった)
真っ白な頬に少しだけ朱が差し、桜乃は顔を隠すように俯いて中身を飲んだ。
あったかい…
自身の身体が予想以上に冷えていたことを、流れ込むお茶の熱が教えてくれる。
五臓六腑に染み渡る…というのはお酒を褒める時の言葉だっただろうか…でも、今のこれが正にそんな感じだ。
「ふぁ…」
身体に戻ってくる温もりに、ほう…と息をついた時、ふわ、と自分の頬に柔らかな感触が生まれる。
「え?」
見上げると、真田がバッグから出したタオルを自分の濡れた頬に押し当てていた。
苦言を呈していた時の厳しい視線とは違い、こちらを気遣ってくれている、とても優しい瞳。
「すまんな、新品ではないが、濡れたままよりはましだろう」
「わ、だ、大丈夫ですよ、自分で…」
「ほら、動くんじゃない、じっとしていろ」
「う……」
ぽんぽんと軽いタッチで肌の水滴をふき取った後には、タオルを広げて濡れた髪に軽く押し付けて水分を取ってやる。
真田の行為はぶっきらぼうにも見えたが、指先には細心の注意が払われているのが桜乃にはよく分かった。
厳しそうに見えるが、実際は、彼は非常に心配りが出来る人間なのだ…多少鈍いところもありはするが。
恐がる人も多いと聞く、しかしそれは、今彼が見せている優しい瞳を知らないからだろう…
「…えへへ」
その秘密を自分は知っているんだと思うと、嬉しくて笑みがこぼれてしまい、桜乃は真田に訝られてしまった。
「…何だ? いきなり」
「いえ…真田さん、優しいなって」
「なっ…い、いきなり何を言い出す!」
怒っているように見えるが、それも一種の照れ隠しだ。
「だって本当のコトですもん…私、知ってますよ、真田さんが優しいこと」
ちゃんと、知ってますからね、と言う後輩に、先輩の男子は視線を逸らして押し黙る。
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