ふれあう温もり


 真田弦一郎
 立海大附属中学 男子テニス部副部長
 性格は厳格にして剛胆
 テニスの腕も全国レベルにおいてトップクラス
 風紀委員長も務める、自他共に認める難攻不落の男…
 但し、弱点…竜崎桜乃


「―――…今日の練習内容は以上となる」
「では、各自蓮二の伝えた通りに、練習を開始するように!」
『はいっ!!』
 その日も、立海のテニスコートでは厳しい真田の声が響いていた。
 見た目中学生とは思えない身長と、鋭い瞳を持ち、大人ですら屈服させてしまう程の威圧感…
 武道の腕もかなりのものと噂される男は、部員達の中でもある意味畏怖の存在として認識されている。
 近づきがたい雰囲気を持っており、事実、彼の親友である幸村や柳、レギュラー以外は、用件がある時を除いて話しかけるという事はあまりないのだ。
 真田はそれについて特別な感情を持つことはない。
 用件もないのにわざわざ話しかける事を強制するなど、愚の極みであると考えているからだ。
 周囲がどうあろうと、常に自身は確固たる意志を持たねばならない。
 立海男子テニス部のモットーも同じだ。
 しかし最近、そんな彼の鉄の意志を揺るがせる『事件』が起きた。
 正しく言えば、『事件』という、一人の存在である。
「弦一郎」
「何だ? 精市」
 いつもの様に指示を出した後、帽子を被り直してラケットを持ち、非レギュラー達の指導に向かおうとしていた時、彼は親友でテニス部部長でもある幸村に声を掛けられた。
「お客様が来たよ」
「客?」
 ふふっと楽しそうに笑っている幸村の方へと振り返ると…
「真田さん、お久し振りです!」
「っ!!」
 幸村の隣に、朗らかに微笑む一人の少女が立っていた。
 竜崎桜乃だ。
 青学の女子一年生で、竜崎スミレの孫。
 男子テニス部に限って言えば、青学と立海は往年のライバル。
 互いの実力は認めてはいるが決して退く事は認めない、厳しい言い方をしたら敵同士とも言えるだろう。
 しかし竜崎桜乃は、祖母が男子テニス部の顧問であるとは言え、二つの部の関係についてはほぼ外野に等しい。
 また、テニスを嗜むとは言え、最近ラケットを握り始めたばかりなので、レベルもほぼ初心者と同等、正直テニスの技術に関しては注目すべき点は無きに等しい存在だった。
 しかし。
 夏に出会った縁が基で、彼女は立海のメンバーから非常に気に入られる存在となり、今もその縁は良い先輩後輩という関係で結ばれている。
 今や、青学の男子テニス部の面々よりも彼らの方が親しい間柄と言っても過言ではあるまい。
 桜乃も一応女子テニス部に在籍してはいるが、部が休みなどの時には同校の男子の応援ではなく、わざわざ足を伸ばしてここまで見学に来てくれる程になっていた。
 最初から浮ついた気持ちからの訪問ではなく、彼女が『テニスの見学をさせて下さい』と懇願した事から始まった事だが、今や見学だけでなく、レギュラー達が直にテニスの指導を行うこともある。
 それは偏に、桜乃のテニスに対する熱意を彼らが認めたが故の計らいであった。
 桜乃もそんな男達の優しさに触れて、決して自惚れることなく純粋に彼らに感謝し、よく懐いた。
 驚くことにその懐いた対象の中で、特に彼女が慕っている相手が真田なのだ。
 誰からも敬遠されがちな男であり、見た目も厳格であるにも関わらず、桜乃は真田を見ると物怖じもせずに近寄っては声を掛けていく。
 実は、最初は桜乃も強面の真田が苦手だったのだが、相手が見た目とは裏腹に非常に優しい心根の持ち主であると知った時、彼女の中で何かが変わったらしい。
 それからは、まるで兄を慕う妹の様に、真田の後ろを邪魔にならない程度で歩いては、彼に指導を願うようになったのだ。
 さて、その対象となった真田だが、元々が頼られた以上は必ずそれに対して答えるという律儀な性格。
 面倒であるとか、邪魔であるという意識はなく、乞われるままに彼は指導を行った。
 どんな人間であっても、人に慕われて悪い気はしないものである。
 真田も、桜乃の純粋で素直な心に触れていく内に、彼女を憎からず思う様になったのは自然の成り行きだった。
「き、来ていたのか…?」
「あ、今着いたところなんです。お元気そうですね、真田さん」
「ああ…その、お前も、元気そうだ」
 先程まで部員達に檄を飛ばしていた毅然とした態度は何処へやら、真田は急に落ち着きを失い、せわしなく視線を動かし始める。
 桜乃へと目を向けるも、まるでそれが罪深い行為であるかの様にすぐにそれを逸らしてしまう男に、桜乃本人はいつもと変わらぬ笑顔を向けた。
 心底、慕っているのだろう、畏れの色が微塵も感じられない。
「彼女、前の練習試合で二年生といい勝負をしたらしいよ」
 にこ、と笑う幸村も、自分の事のように喜んでいる様子だ。
 常勝不敗がモットーの立海テニス部に於いては、学年の違いなど関係なくひたすらに勝つことを求められるが、他校の、しかも女子の竜崎にも同じ条件を押し付ける事はない。
「ちょっと、最後で競り負けちゃったんですけど…駄目ですね、スタミナが続かなくて」
 はぁ…と反省しながら頬に手を当てた桜乃だったが、その右手の中指に痛々しい包帯が巻かれている事に気付いた幸村が目を見開く。
「どうしたの? その指」
「!」
 よく見ると、包帯を巻かれていない他の指も何となく発赤している印象を受ける。
 同時に気付いた真田も同じ様に驚いた表情を浮かべたが、当人はけろっとした顔で答えた。
「あかぎれなんです。そんなに酷くはないんですけど…冬になったら水も冷たくなりますから、どうしても…」
 そんな事を話している間に、傍を歩いていた丸井が桜乃の来訪に気付いてダッシュでこちらへと駆け寄ってきた。
「あ、おさげちゃんだ!…って、どうしたの!? 怪我!?」
「こんにちは、丸井さん。大丈夫、軽いあかぎれです」
「それって大丈夫じゃないじゃんか! あかぎれって結構痛いんだろぃ?」
「もうすぐ治りますよ。今年は他のお手伝いをする分、洗い物の片付けとかは減らしてもらうようにしましたから」
 成る程、家事の手伝いの所為もあるのか…
 テニスをする以上は、自分の手の管理もしっかりやるべきだが、そういう事情があっては或る意味やむをえない部分もある。
(この子の事だ、毎日何らかの形で家事に携わっているのだろうな…)
 真田が思う脇で、幸村も偉いね、と桜乃にねぎらいの言葉を掛けている。
「おさげちゃん、かわいそ〜。こんなちみっこい可愛い手なのに…えいっ!」
 にぎっ!
「きゃ」
「!!」
 丸井が両手で桜乃の右手を包み込んで軽く握った瞬間を目撃し、びしっ!と真田の心に亀裂が生じる音が響いた。
 それと同時に、彼の表情が一気に不機嫌なものに変わる。
「さっきまでラリーしてたからさ、あったけーだろぃ?」
「あは、そうですね」
 真田の周囲に立ち込める暗雲に全く気付く素振りも無く、丸井はにぎにぎと桜乃の手の感触を思い切り楽しんでいる。
「ほんっとに小さいな〜…それにすげぇ柔らかいし。でもやっぱ冷てーから、あまり無理しちゃ駄目だぞぃ?」
「はい」
「……丸井、いい加減に次のメニューに移れ。まさか暇とは言わんだろうな」
 遂に堪えきれなくなったのか、真田が地を這う様な声で相手に忠告した。
「げ、真田」
 相手の気分を敏感に察知した丸井は、ちぇっと舌を鳴らしながら桜乃の手を離す。
 向こうにどれだけ自覚があるのかは知らないが、真田が桜乃の事を非常に気に掛けている事実は周囲のレギュラーには既にお見通しなのだ。
「なーんだ、保護者がちゃんといるんじゃん。ちゃんと責任取ってみてやれよぃ」
「自宅での家事は範疇外だ」
「お前が家政婦の真似事出来るとは思ってねーって、フォローの話だよぃ。真田が身体張って、しっかりあっためてやれっての」
「なっ…」
 言葉を詰まらせ激しくうろたえる親友を眺めていた幸村が、仕方がないなという顔で、代わりに丸井に忠告した。
「人には得手不得手があるものだよ、ブン太。弦一郎と話している間サボろうとしても駄目だからね。町内マラソン追加されたくなければ…」
「行ってきま〜〜〜すっ!!」
 優しい笑顔で容赦なくスパルタメニューを提示した相手から、丸井がダッシュで逃げ出した。
 流石、部長の貫禄である。
「…丸井さんって、足、速いですね」
「こういう時は特にね」
 くす…と笑って、幸村は真田へと顔を向けた。
「折角来てくれたんだけど、手がこれだからね…どうしようか」
「ふむ…」
 真田は少し考えた後に、首をゆっくりと横に振った。
「…下手に力をかけると、また患部に悪い影響を与えるかもしれんし…何よりお前が辛かろう。今日は見学だけにしておけ」
「でも、殆ど治っていますよ?」
 ぴら、と両手の指を開くようにして広げてみせた少女は、瞳の奥で『練習したい』と訴えていたが、それでも真田は首を縦に振らなかった。
「…駄目だ。軽い気持ちで事を起こしては、どんな大事が生じるかも分からん。お前の気持ちも分かるが、今日は止めておけ」
「…はい」
 ちょっとだけ残念そうな顔をしたが、結局桜乃はこの時も素直に真田の言葉に頷いた。
 意固地にならず、素直に人の言葉に耳を傾けるというのは、実際には難しいことだ。
 彼女が相手をそれだけ信用しているという証でもあるのだろう。
「…」
 残念がる桜乃に、真田が困惑した様な表情を浮かべる。
 彼女の為を思っての忠告だったが、相手の表情を見ているとこちらの胸も苦しくなるような…何とも形容しがたい気持ちに支配されそうになる。
「…その…」
「弦一郎、じゃあ、今日は彼女を連れて部員達を指導するといいよ」
「え?」
 脇から口を挟んだ幸村に、何を言い出す、といった表情の真田だったが、桜乃本人は部長の言葉にぱっと表情が明るくなる。
「他の人の試合を見るのも為になるし、弦一郎の指導を併せて見学したら、それなりに実りのある時間になるだろう。それに、ラケットを持たなくても、フォームぐらいは確認出来るんじゃないかな」
「む…」
 相手の意見は全くその通りであり、論破する隙がない。
 いや、無理に論破しようというつもりはないが、しかし…いいのだろうか?
 自分が彼女を連れて、一緒にいるなど…
「お前は…」
「お願いします、真田さん!」
 どうする?という言葉を言い終わる前に、相手に答えを返されてしまった…
「……」
「じゃあ、頼んだよ、弦一郎」
「せ、精市…?」
 彼女の希望を聞き届けたとばかりに、発案者の部長本人はさっさとベンチを離れて行ってしまった。
 こうなると、行動に移す他はない…いや、嫌ではないし、寧ろ嬉しいと言っていいのだが…
(どうにも、慣れんな…)
 これまでまともに女子と接してきたことがないだけに、どうにもやり辛い。
 同じ人間と思えばいいのだろうが、どうしてもその肉体的相違を考えると、普段の発言も相手にとっては無茶なものになりかねないのだ。
 内容は考えてはいる…が、発言に際しても、下手に厳しく言ったら相手が傷ついてしまうのではないかと、また更に気を遣ってしまっているのだ。
 こればかりは今までに経験がないので、如何ともし難い。
「真田さん? どうかしましたか?」
「い、いや、何でもない…では、行こうか?」
「はい、宜しくお願いします」
 ちょこちょこと自分の少し後ろを付いてくる少女の姿に時々目をやりながら、真田はコートの脇を歩き出した。

「もどかしいね」
「どうした? 精市」
 ゆっくりとこちらに歩いてきつつため息をついた親友に、参謀の柳が声を掛けた。
「調子が悪いのか?」
「いや、俺じゃないよ…弦一郎」
「ふむ?……ああ」
 相手の言葉を受けて、コート脇を歩いているもう一人の親友と、彼の後ろの少女の姿を確認すると、それで全て合点がいったとばかりに参謀は深く頷く。
「竜崎が来ているのか…弦一郎も因果だな、好きな人間が苦手とは」
「分かってないのは本人だけだね、きっと」
 ふふ、と笑いながら、幸村は少しずれてしまった肩のジャージを羽織りなおすと、そのまま視線をあの二人に向ける。
「手ぐらい繋いであげたらいいのに、気が利かないな」
「弦一郎の頭の中では、女子に触れる事自体がそもそも意識に昇っていないだろうからな…まぁ、自分で抑えている面もあるだろうが、難しいぞ」
「何処までも武士なんだから…」



真田main編トップへ
サイトトップヘ
続きへ