傍にいること


 バレンタインとデーいう行事に対し、ホワイトデーというお返しをする日がある。
 この国では専ら、女性に対し男性がバレンタインのプレゼントのお返しを行うこと。
 知ってはいるが、これまでの人生の中、義理以外で返したことがなかった真田は、試しに同じクラスの女子にさりげなく本命の相場を聞いてみた。

『まぁ、三倍返しは基本でしょ? 女性にとって最近はもうホワイトデーありきのバレンタインだから』

 その後三日間、真田は見事に欝になった…


「世間一般では確かに、男には辛い時期だよね」
「向こうが勝手に期待してるんだし、そんなに深く考えなくてもいいんじゃないか?」
 朝錬の最中、部活の仲間である幸村やジャッカルは、部室内でもうすぐ訪れるホワイトデーについての見解を述べていた。
 最初にそれを彼らに問うた真田は、最初に受けたカルチャーショックからまだ脱却出来ていないのか、随分と沈んだ表情をしている。
 まぁ、練習時間にはそんな態度はおくびにも出さないので、流石にそこは弁えているらしい。
「しかし、見返りを求めて贈り物をするなど、あまりにさもしい行為だと思うが」
「無論、誰しもがそんな事を考えている訳ではないでしょう。私も、そんな事は思いたくありません」
「俺達は立海テニス部の看板を背負って立っとる訳じゃし、そんな俺達にプレゼントすること自体がステータスになっとるのかもしれん。そして、お返しを貰うこともな」
「嘆かわしい…それでは贈る気持ちそのものがまやかしではないか。贈った物より、より高価な物を期待して手を伸ばすなど、逆に贈られた側にしてみれば迷惑極まりない!」
「弦一郎、深く悩むことはない。本当に三倍返しを各人にしていたら、俺達全員、物凄い額の負債を抱えることになるだろう」
 柳も今回のイベントについては、素直に世間の風潮に従うつもりはないらしい。
 それも尤もな話だ。
 まだ中学生でもある彼らには当然、自由になるお金は限りがある…それもかなり低い値で。
 何処かの富豪のやたらとテンションが高いテニス貴族は別として、ごく一般人である自分達はしっかりと財布の紐を締めなければ。
 それに、貰うチョコの数が両手の指の数で足りたらそれなりに吟味する品物にも幅が出るものだが、三桁の数のプレゼントとなると俄然話は違ってくる。
 殆どが立海内の学生からのプレゼントなので、向こうもこちらの懐事情について理解してくれているのは不幸中の幸いと言えよう。
 しかし、だからと言って『あげない』という選択肢は選べないのが真面目な男達の哀しさだった。
「それは…分かっている」
 柳の言葉に対し、理解を示す真田だったが、どうにも表情が暗い…
「分かる分かる。懐が一気に寒くなる焦りと心細さ」
「そういう丸井君は、やはり今年もあの手ですか」
「そう」
「あの手って…どの手ッスか?」
 柳生に何処か誇らしげに胸を張っている丸井に、切原が興味の視線を向ける。
 正直、少しでも出費が抑えられる作戦があるのなら是非教えてもらいたいものだ。
「へっへ〜、俺がお菓子作りの名人ってのを忘れてもらっちゃ困るよぃ? やっぱ一番は手作りだろ!」
「材料費だけで済みますからね」
「そのとーりっ!! 自分の口に入らないモンにまで高い経費を払うつもりはないっ!!」
 堂々と宣言する先輩に、切原は今度はややげんなりした顔を向けた。
 確かに手作りと言うと、非常に好感度アップのアイテムには違いない…筈なのだが。
(…経費削減が第一目的なんて、愛情があるのかないのか分かりにくいアイテムだな…)
 無論、もらう側の女子にはそんな裏事情は話さないのだろうが……
「芸は身を助く、だね」
 そこは素直に丸井を評価すると、幸村は仁王へと振り返る。
「仁王はどうするの?」
「………内緒」
 ずず〜〜〜っと緑茶をすすりながら、仁王はテニス雑誌を眺めつつさらっと流す。

『……』

 「仁王らしいね」と笑う幸村を他所に、他の部員達は警戒の視線で詐欺師を遠巻きに見つめていた。
(ナニ? 今の沈黙)
(いや、知らない方が幸せかも!)
(けど、知らないなら知らないで、脳内に危険な妄想が〜〜〜〜っ!!)
 みんなが慄いている一方では、真田は腕組みをしながら遠い目をしていた。
(あの娘が、三倍返しなどという下らん風潮に乗る様な人間とは思えんが……仕方、ないか)
 会った時に、何が欲しいか聞くぐらいはしておこうか…


 会った時に聞いておこう…と思っていたら、その会う対象の人間が放課後に早速やって来た。
「こんにちはぁ」
「お、竜崎」
「お久し振りです」
 コートの脇で軽い休憩をとっていたジャッカルが、一人の少女の来訪に気付いて彼女の傍へと寄った。
 三年生と一年生という差はあるが、それにしても身長差はかなりのものだ。
「桑原さん、お元気そうですね」
「ああ、お陰さまでな。お前も、風邪とか引かないように気をつけるんだぞ?」
「はい、気をつけます」
「…後輩がお前みたいに素直な奴ばかりだったら、先輩という立場は天国なんだろうな」
「そんな事は…」
 相変わらず後輩の素行に泣かされているらしいジャッカルに、どう声を掛けようかと悩んだ桜乃は、コートがいつもと少しだけ様子が違うことに気付いた。
「…真田さん達がいませんけど…どちらに?」
 三強だけでなく、仁王や切原達も姿が見えない。
「ああ、今は丁度部室に篭っている。今度の休みにちょっと他県の学校と大きな練習試合があるんで、その打ち合わせにな。俺と丸井はまぁいつもの様にダブルスってコトで、早々に抜けられた訳だが」
 そんな事を話している間に、早速桜乃の来訪に気付いたらしい丸井が、遠くのコートからこちらに向かってダッシュで駆けてきた。
「おっさげちゃーん!! おひさっ!!」
「あは、こんにちは、丸井さん。今度試合があるそうですね、頑張って下さい」
 少女の激励に、丸井はこくこくと何度も首を縦に振ったが、少しだけ残念そうな顔をして肩を竦めた。
「遠出をするから、おさげちゃんは見学は無理かなぁ…まぁ、必ず勝ってくるから安心してろって」
「楽しみですね、期待しています。幸村さんや真田さんも出るんですか?」
 ジャッカルと丸井を交互に見つめながらの質問には、ジャッカルが答えた。
「ああ、後は組み合わせだが、結構長く掛かっているみたいだな」
「ふぅん…」
「まぁ、大体は最初の三試合でケリはつくから、ウチでシングルス1と2が出る幕は殆ど無いんだよ…それはそれでつまらないと真田が愚痴を零すこともあるんだ。あれで結構、闘争欲は強いんだぜ〜〜」
「いつも毅然としてますけどね」
 にこにこと笑顔で笑いながら会話を交わしていた桜乃は、程なく部室のドアが開かれるのを見て、そちらを指差した。
「あ、終わったみたいですよ?」
「お、そうだな」
「どういう組み合わせにしろ、俺の見せ場はバッチリだけどなっ!」
「あはは…」
「…あ、そう言えばおさげちゃん。今度のホワイトデーにはさ、ここに来られるの?」
「え?」
 不意に問われた内容が、これまでの話題とかけ離れていた為、つい桜乃は聞き返してしまった。
「だ・か・ら、ホワイトデーだよ。おさげちゃんも俺達にくれたじゃんか。お礼したいんだけどさ、当日は来られる?」
「あ、そんなに気にしないで下さい。いつもお世話になってるほんのお礼ですから」
 ひらっと手を振って断った桜乃だが、当然それであっさりと引っ込む丸井ではない。
 他の女子だったら『そお?』の一言で終わったかもしれないが、普段から可愛がっている少女に対してはしっかりと食い下がった。
「そーゆー訳にはいかないって。俺ちゃんと考えてんだからさ、おさげちゃんが都合の良い日に来たら、その時にやるって」
「うん。俺達もアンタには何かと助けてもらっているし、受け取ってもらえた方がこちらとしても気は楽なんだが…」
「そ、そうなんですか…? それじゃ、それも楽しみにしていますね? でも残念ですけど、当日はちょっと部活動があるのでそっちに行かないと…」
「分かったー、じゃあ、ここに来る日を教えてくれよぃ、その日にちゃんと持ってくる!」
 そんな事を話している間に、部室から出て来たレギュラー達が、ぞろぞろとこちらに向かって歩いて来た。
「あれ? 竜崎さんだ」
「おう、久し振りじゃのう」
「御無沙汰しています」
 みんなが桜乃の姿を見て親しげに声を掛けることからも、どれだけ彼女が彼らに気に入られているかがよく分かる。
「竜崎…?」
 ただ一人だけ、真田は彼女を見るとせわしなく視線を動かし、何かを考え込んだ様子だったが、今は彼女は他の部員達から色々と声を掛けられており、彼の様子には気付いていない。
「幸村―、おさげちゃん、ホワイトデーには来られないんだってさ」
「そうなんだ、残念だね。でも、その日じゃなくても、竜崎さんにはちゃんと感謝の気持ちを込めてプレゼントするつもりだよ」
「桑原さんからも、さっき伺いました。お気持ちだけで十分嬉しいのに…」
「お前さんは、もう少し我侭になってもええと思うよ? 奥ゆかしさも美徳じゃがの」
「うーん…」
 きっと、贅沢とか、我侭を通すとか、そういうことを知らないのだろう。
 桜乃はまるで理解出来ない様子で、逆に困ってしまっている。
「……ね?」
 幸村が、そんな桜乃を見て、真田に振り向いて笑う。
 こんな子もいるんだよ?と目で語られ、真田は居心地悪そうに視線を逸らせた。
「…まぁ、な」
「? 何ですか?」
「いや、こっちの話だよ。じゃあ竜崎さん、後で今度ここに来ることが出来そうな日を教えて。その日に合わせて俺達もプレゼント、持って来るから」
「はい」
 会話が切りのいいところで終わり、幸村達がコートへ向かった後で、真田一人だけが桜乃の傍にまだ残っていた。
「…真田、さん…? 何か…」
「い、いや…少し…お前に聞きたいことがあってな」
「はい?」
 彼女がここに来たら、聞いてみよう…そう思っていた男だったが、彼女を前にすると途端に言葉が継げなくなってしまった。
 別に珍しいことではなく、真田は桜乃を前にするといつも大体はこんな調子なのだ。
 テニスに関する指導や固い話であればまだまともに会話する事は出来るのだが、話題が恋愛などに関わるものになった途端、男は語る言葉を失ってしまう。
 この少女の前では尚更に。
 不器用な男ではあるが、心根の優しさは相手に十分理解されており、受け入れられてもいるのだが、まだまだ普通の恋人として振舞うには時間が必要の様だ。
「その…ホワイトデーのことだが」
「はい」
「…その…お前は、どういった物が欲しいのかと、思ってな…あまり高価な物は無理だが、出来る限りで応えたいと、思う…」
「!…」
「何か……希望は、あるだろうか?」
「……ええと」
 促され、暫く考えた後に、少女はぽんと手を叩いた。
「今度の試合…」
「ん?」
「今度の試合で、勝ってほしいです」
「…え?」
 贈り物と言うにはあまりに抽象的過ぎる返答に、真田が首を傾げていると、更に相手はにこりと笑って付け加えた。
「それで、お話してほしいです、その日の試合の事!」
「…試合の、事を?」
「はい、私、一緒には行けませんから、聞きたいです」
「そんな事で…」
 その程度のものが贈り物になりえるのだろうか…と疑問に思った男だったが、それ以上の追及は出来なかった。
 コートの向こうに先に行っていた仲間達が、自分を呼ぶ声が聞こえたのだ。
「あ、皆さん、待っていますよ?」
「う、うむ…」
 呼ばれた以上は、行かねばなるまい。
 後ろ髪引かれる思いで、真田はコートへと足を走らせる。
 ほんの少しの安堵と…ほんの少しの未練を胸に抱えて。
(やはり、竜崎は贈り物の見返りを望むような人間ではなかった……それは嬉しい筈だ、なのに何故だろうな、何とはなしに寂しい気持ちになる)
 あまりに相手に欲がないと、却って物足りない…
 相手が誰でもいいという訳ではないが、もし桜乃だったら、彼女が少しばかりの駄々をこねても、きっと自分は喜んで叶えてやっただろう。
 彼女の力になること、彼女の望みを叶えることを何より嬉しいと感じながら……
「ふ…」
 知らず、苦笑する。
 あんなに自分が嫌っていた行為を、好きな女性には望んでしまっているとは…どうかしている。
 これが恋する気持ちというのならば、正に複雑怪奇、理解出来ない。
(それでも、この気持ちを手放す気にはなれないが…な)



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