Best Shot of KISS
「真田さん、ご入学おめでとうございます!」
「ああ、有難う竜崎」
その日…春風薫り、桜が舞い散る美しい日に、某所にてとある行事が執り行われていた。
立海大附属高校入学式
三月まで同校の附属中学三年生だった真田弦一郎は、その日めでたく高校生へと進学を果たし、式の全てを終えた後に校舎外で一人の少女と語らっていた。
自分の入学をわざわざ祝いに来てくれたその知己は、いつもと変わらない笑顔で、おさげを揺らしながらこちらを見上げてきている。
「折角の休日なのに、わざわざ来てくれたのか」
「えへ、だって折角の真田さん達の入学式ですもん! 見逃す訳にはいきませんよ」
「そ、そういうものか…?」
「そういうものです…それに前もって言ってたじゃないですか、ちゃんとお祝いしに行きますよーって」
「む…それは、まぁ…」
勿論、それは知っていたし……楽しみにしていた事も事実だ。
真田の目の前に立つ少女・竜崎桜乃は、立海の生徒ではない。
都内にある青春学園の中学生…彼女は今年二年生に進級した。
他校の人間でしかも県が異なる事もあり、流石に毎日会う事は叶わないのだが、それでも彼らはこれまでも割と頻回に顔を合わせる機会を持てていた。
その絆を取り持ったのは『テニス』
立海も青学もテニスの実力が全国的にもトップクラスの強豪校であり、去年の全国大会では決勝戦にて激しい戦いを繰り広げた因縁ある関係。
勿論桜乃は女性なので二校の男子テニス部に直接的な関係はないのだが、彼女の祖母が青学のテニス部顧問であったことが、少女と立海メンバーの仲を取り持つ一つの切っ掛けになったのだ。
しかし、それはあくまでも切っ掛けに過ぎない。
出会ってから彼らが更に親睦を深めていけたのは、桜乃が実力は伴わなくともテニスに対して非常に熱心だったということと、その気立てが良かったという事にも拠るだろう。
テニスを「口実」に寄っていく様な人間を見抜けない程に、メンバー達は愚鈍ではないのだ。
何事に対しても熱心に取り組む桜乃の姿勢は男達からも好意的に受け取られ、機会があれば立海に足を運び、自分達の練習内容を熱心に見学していた桜乃を、男達は非常に可愛がっていた。
中でも特にこの真田弦一郎という若者は、出しゃばる事無く相手を立て、細やかな気配りが出来る、今時珍しい大和撫子の様な少女に、ひとかたならぬ好意を寄せていた。
これまで女子とは滅多に話すこともなかった奥手の若者は、普段から厳格で知られ、見た目から畏怖の対象になる事も少なからずある。
しかし、桜乃も最初こそ戸惑ってはいた様だが、機会を重ねる毎に真田の厳しさの奥にある優しさに気付いた様で、今ではすっかり彼に懐いていた。
「高校生ですかぁ…うふふ、いつもの真田さんと変わらないのに、やっぱり何処か雰囲気が違いますね。うーん…頼りがいがあるのはいつもの事ですけど…何が違うんだろ」
「そ、そんなに褒めても何も出んぞ」
くすぐったそうに身体を揺らしつつ、真田が視線を横に逸らす。
こうして彼女から注目されて、褒められているだけで、どうにもならないぐらいに嬉しいと感じてしまう。
落ち着け、と心で念じても、まるで効果が無い。
(い、いかん…今日は、今日こそはと決めてきたのに…)
自分にとっての一大決心を心に秘めていた若者は、それを実行する為にも、と落ち着くべく一、二度深呼吸を繰り返した。
そんな彼の思惑には気付かずに、桜乃はきょろりと辺りを見回した。
「そう言えば、今日はこれから他のメンバーの皆さんと何処かに出かける予定だったんですよね? ええと、皆さんはどちらに…?」
「あ、ああ…その、向こうで中学の後輩たちと話している筈だ…俺は少し抜けてきた、お前がここに来ると聞いていたからな」
そしてこっそり付け加えると、メールでそれを知らされた事実を自分はまだ彼らには伝えていないのだ…或る目的を果たす為に。
「まぁすみません、わざわざ…じゃあ、お待たせするのも悪いですから、行きましょうか?」
早速他のメンバーの処へ向かおうとした桜乃を、真田が少し慌てた様子で引き止めた。
「ちょっと待ってくれ…その」
「? はい?」
「行く前にお前に話があるのだ…多分、あいつらと合流したら話す機会がなくなるだろうから…今の内に聞いておきたいことがある」
「はい…何でしょう?」
いつにも増して改まった聞き方だな、と思いながらも、桜乃は素直に相手と向き合い、耳を傾けた。
「お前は…お前にはその…誰か…」
「?」
更にどもりだし、視線までも定まらなくなってしまった若者に、少女は不思議そうな目をして次の発言を待った。
空いていたのはほんの数秒の間だった筈だが、真田にとっては目に映る桜の花吹雪の数を全て数えられそうな程に長く感じられ、それが却って焦りを生む。
しかしここまで来ると、もう言わない訳にもいかなくなっていた。
どの道、決めて来ていたのだ…今日、この日に言うことは。
朝に決心してきた自分を奮い立たせるように、若者はいよいよ言葉を続けた。
「……付き合っている人は…いるのか?」
「え…?」
あまりに唐突な質問に一瞬戸惑ってしまった桜乃だったが、その質問の意図する処を知って言葉を失った。
そういう質問を異性にするという事は…余程、場を読めない人間でないのなら、おそらく…
「あっ、そのう………い、いません…けど」
真田の動揺が今度は少女にも伝染したように、桜乃はやや俯き加減で答えた。
それに対し、男は少しだけ安堵したような表情を見せる。
「そ、そうか、いないのか……その、俺も…いなくてな」
言い終わったところで、若者は自分の発言に心の中で頭突きをかました。
そうじゃないだろう!!
何を好き好んで不幸自慢の様な展開に持っていっているのだ俺は!!
そうじゃない! 言いたい事はそうじゃなくて…っ!!
「ああ、いやその…つまり…!」
焦って相手の様子を伺って見ると、幸い向こうはこちらを軽蔑する様子はなく、大人しく聞き入ってくれている。
ここで何とか話を上手く持っていかないと…
「その、俺は…お前と知り合ってまだ一年と経っていないが…こういう事を言うタイミングがよく分からん。早いのか、遅いのか…しかし、これだけは間違いないと言える」
「…………」
そこで一度言葉を切り、すぅと息を吸い込んで、真田は右手を差し出しながらゆっくりと言った。
その時彼が出来ることは、自分の声と手が震えないように必死に抑えることぐらいだった。
「お前が好きだ……もしお前も同じ気持ちでいるのなら、俺と付き合ってはもらえないだろうか…?」
「!…」
真田の告白を聞き終えた瞬間、桜乃の顔が見る見る赤くなり、瞳までもが潤んでくる。
もじ、と身体を恥ずかしそうに揺らしながら、少女は一度視線を下に向け…そしてそろりとそれを相手へ再び合わせると…
「…はい」
はにかみながら微笑み、自分の右手を相手の差し出されたそれへと静かに乗せた。
「……私なんかでいいのなら…喜んで」
「…っ」
少なからず期待はしていたが、現実で成就した事が一瞬信じられず、真田は硬直した。
その男の金縛りを解いたのは、続けての桜乃の一言だった。
「あの…よろしくお願いします…弦一郎、さん…」
「!」
名を呼ばれ、どきりと胸が大きく高鳴ったことで真田の中の何かのスイッチが入り、彼はそのまま自分の手に乗せられていた相手の小さなそれをぎゅ、と握る。
そして少しだけ力を込めて相手を引き寄せ、彼女が目の前に立ったところで、真田はゆっくりと顔を相手のそれへと近づけた。
何をするつもりなのか…今はそれを問う方が野暮と言うものだ。
勿論桜乃もその目的については既に察しており、その上で瞳を閉じて受諾の意志を示した。
やけに喉が渇くのを感じながら、胸の奥で打たれる早鐘を感じながら、真田は更に顔を相手に近づけてゆく。
そして目的を果たすまで、あと数センチ…という処で、
『真田先輩――――――――っ!! 何処ッスか〜〜〜〜!?』
「っ!!」
「きゃ…っ」
突然、聞きなれた知己の叫び声がその場の空気を粉々に破壊した。
その声で、真田は屈めていた腰を咄嗟に戻し、桜乃は小さな悲鳴を上げて瞳を開きながらくるっと後ろを向いた。
「……」
「……」
二人ともが今更気恥ずかしさに無言になっているところに、そこに真田の後輩でもある切原がとたたたーっと走ってきた。
「あーいたいた! 何してるんスか先輩!? 皆待ってるッスよ?…って、ありゃ、竜崎?」
「こ、こんにちは、切原さん」
そこで初めて桜乃が来ている事を知った若者は、数秒前までの彼らを知る筈もなく無邪気に彼らの傍に走り寄って来た。
「おー、来てくれたんだサンキュー! あ、もしかして先輩出迎えてくれてたんスか?」
「ま、まぁな…そこで偶然会ったのだ」
まさか『桜乃に愛の告白をしていました』と暴露する訳にもいかず、真田は腕組みをしながらそう断った…が、明らかにいつもよりも仏頂面。
切原には何の罪もないのは分かっているのだが、どうしても一番イイところを邪魔されてしまった恨みが消えてくれない。
あと五秒…あと五センチだったのに…っ!
そんな先輩の心の声を完全に無視して、切原はこれから全員で遊ぶ予定にはしゃぎまくっている。
「じゃあ二人とも行きましょ! 幸村先輩達も待ってるんスから。竜崎、今日はこれから一緒に付き合えるだろ?」
「はい…」
「おーし行こうぜっ!!」
真田の不機嫌を薄々と感じ取りながらも、桜乃は切原に危なげない返事を返し…早速待っている先輩達の処へ戻ろうと背を向けた彼の目の触れないところで、きゅむ、と真田の袖を握った。
「…!」
は…とその感触に真田が振り返ると、照れながらもいつもと同じ明るい笑顔を浮かべてくれる桜乃が、じっとこちらを見上げてきていた。
「…行きましょう、弦一郎さん」
「……」
まだ陽射しも見えない早朝、真田はぼんやりと目を開き、むくりと布団から起き上がった。
午前四時…いつもの彼の起床時間だ。
流石に幼少時から同一時間での起床を繰り返していると、骨の髄まで染み込んでいるらしい。
(…夢、か)
ふぅ、と息をつきながら自身の髪をくしゃりとかき上げる。
(夢の中でぐらい、実行させてくれんものか…)
折角の良い夢だったのに、と思いながら真田は布団から起き出した。
(…まぁ、告白が成就しただけでも喜ぶべきことかもしれんが)
そう、確かに良い夢だった…あの日、彼女が自分の恋人になってくれた事実をなぞる夢。
しかしその後、後輩に邪魔されてキスが未遂に終わった事まで忠実になぞったのは、妄想も出来ない己の堅物さ故なのか…
しかし、何故あの日の夢を…と思ったところで、真田は一つの事実に気付いた。
「ああ…」
そうだった…今日は俺の…
「……何かを期待しているのか、俺は」
彼女が自分の恋人になってから初めてのこの記念日に…何を…
自嘲の笑みを浮かべかけたところで、真田はふと不安に駆られてその笑みを打ち消した。
(…成就出来なかった事まで忠実に再現してくれた夢を見るなど……少々不吉という気がしないでもないが)
「ちーッス!! 真田先輩、お誕生日おめでとーございます!ってコトで、今日は皆で放課後に遊びに行きましょ!!」
(不吉な…っ!!)
登校して早々に、真田は己の懸念が当たりそうな予感を覚えていた。
そう、今日は五月二十一日、真田弦一郎の誕生日である。
その記念日、真田はホームルームを終えた後の休憩時間、早速切原の襲撃を受けていた。
「…遊びに?」
訝し気な表情を隠そうともせずにそう答えた真田に、切原はにこにこと無邪気に答えた。
「折角ですから皆で近くのゲーセンに行こうって話で。ほら近くに新しく出来たでしょ? 俺も興味あるし、近くにはファミレスもあるから遊んだ後でそこで何か食べてもいいかなーって!」
「…俺はげぇむというものには縁もなければ興味もないのだが」
「クレーンゲームとか、慣れてない人が遊べる物もあるッスよ! 何事も経験経験!」
「…ファミレスはちゃんとした食事を摂るには好ましくないのでは」
「キャンペーン中ですから色んな種類のモノあるッス! 和食も充実!」
「…そもそも、部活動後にそういう場所に寄るのは不謹慎だろうが」
「幸村先輩が『たまには羽目外すのもいいじゃない』って全員に召集かけてくれましたー」
「……」
それはつまり、殆ど強制召集と同義語ではないのか…?
自分の誕生日のイベントだというのに、その主賓の自分が強制召集される…?
かなりの理不尽さを覚えていた真田に、更に追い討ち。
「あ、ついでに竜崎にも連絡とったら参加するって言ってましたよ。是非来たいって」
(予感的中っ!!)
悪い予感ほどよく当たるというが…何でここまで…!!
「貴様はどうしてそれだけの判断力と行動力がありながら、そういう類にしか活かそうとせんのだ…」
「何かまずかったッスか?」
わなわなと震える真田の言葉に、きょとんと相手が応じる。
非常にまずかったが、それを面と向かって説明する訳にもいかなかった。
実は真田は、今日、こっそりと桜乃に個人的に連絡を取り、少しの時間でも共に過ごす事を画策していたのだ。
折角の記念日ぐらい恋人と共にいたいというのは、どんな人間であっても願うものである。
願っているのなら早々に予約しておけば良かったのに、という意見もあるだろうが、そこはそれ、この純情気質の男。
恋人になったとは言え奥手な性格は相変わらずで、『連絡を…いやしかし、相手の誕生日ならまだしも自分の誕生日に呼びつけるというのはどうなのか…』と悩んで悩んで日々が過ぎ…当日に至ったというのが真相であった。
切原も切原だが、真田も真田である。
「じゃー、先輩も参加ってことでいいッスよね。久し振りに竜崎にも会えるし嬉しいでしょ? 先輩もアイツのこと、かなり気に入ってましたもんねー」
「…………まぁな」
その場で思い切り『桜乃は俺の恋人だ!!』と喚き散らしたい衝動を何とか抑えつつも、真田の組んだ腕がぶるぶると震えている。
結局、堅気な男は恋人との逢瀬の夢を打ち砕かれ、放課後の強制召集に応じることになってしまった。
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