誘われ桜花
「あ、真田さん、見つけましたー」
「ん?」
とある春の日…
立海大附属中学を卒業し、新たに立海大附属高校へと入学を果たしたばかりの真田弦一郎は、某他校の敷地内にあった桜の下に腰を下ろしていた。
別に不法侵入を果たしている訳ではなく、彼が今日ここにいるのにはちゃんとした理由があった。
「竜崎か」
「立海の皆さんに聞いたら『真田さんなら桜がある所にいるだろう』ってお聞きしたので…午後からも試合があるんですよね?」
「ああ」
強面の相手にも少しも臆することなく動じることなく、そのおさげの少女は笑顔を浮かべて話している。
そんな少女に、トレードマークでもある黒の帽子を被った若者は、少し首を傾げながら相手に質問を返した。
「何か俺に用か? 青学の方もまだ試合は済んでいなかった筈だが」
「ふふ、今は何処の学校も昼食の時間ですから大丈夫ですよ。真田さんはご飯はもう食べたんですか?」
「ああ、軽くな。これからも試合があるから、あまり重い物を食べる訳にもいかんだろう」
「ですね」
相手の説明に、確かに、と少女は頷く。
今日は世間では日曜日…しかし関東の複数の学校のテニス部にとっては、有意義な他校との練習試合の日でもあった。
関東近郊の中でも特にテニス強豪校と名高い、竜崎桜乃の母校である青学と、真田弦一郎の母校である立海もまた、同じくその試合に参加していたのである。
桜乃は今年から中学二年生であり、今回の対象である高校生枠とは直接的な関係はないのだが、中学から世話になった先輩達が参加しているということもあって見学に来ていたらしい。
こうして真田と知己になっているのも、去年、彼が三年生だった時に、青学と立海の因縁に縁る形で知り合ったのが始まりである。
ライバル校同士ではあるが、そもそも性別も異なり、敵視する理由も皆無である桜乃に対しては、真田もごくごく普通の応対であり、桜乃もそれについては同様だった。
それどころか、桜乃もまだまだ未熟とは言え、熱心にテニスに打ち込んでいる事を知っている真田を初めとする立海の面々は、彼女に対し軽く指導をしてやったりもしているのだ。
これについては学校関係なく、桜乃の人となりを好ましく思っているが故の気遣いだろう。
更に言うと、この真田弦一郎という男は、立海のメンバー達の中でも特にこの少女を気に入っている様子なのだ。
桜乃も彼の事は立海のメンバーの中で一番慕っており、周囲に言わせると『もういい加減、恋人だって言えよ!』と真田に喝を入れたい程だそうだが、生来の純情ぶりが災いしてか、当人はなかなか一歩を踏み出せないらしい。
今も、一応の挨拶が済んでからもその場に留まっている桜乃に、どう声を掛けていいものか考えあぐねているらしく、ちらちらと帽子の下から彼女の様子を見ては視線を逸らしていた。
「真田さんは、桜がお好きなんですね。この時期になると、よく学校でも昼休みに桜のある場所に行く事があるって、他の方々が仰ってました」
「っ! そ…そう、だな…咲き誇るところも、散り際も、見事なまでの美しさだ」
桜という単語から『桜乃』を連想してしまっただけでこのうろたえぶり。
別に深い意味を込めて相手に尋ねた訳でもなかった桜乃は、きょとんと相手の動揺振りを不思議そうに見ていたが、やがて思い出した様にぽんと手を叩いた。
「あ、そうでした、真田さん」
「ん?」
「宜しければ、これどうぞ?」
そう言って桜乃がポケットからごそりと取り出したのは、花柄の絵がプリントされた紙ナプキンの、小さな巾着だった。
その上部は細く淡い色合いのリボンで結ばれている。
「これ?」
反射的に受け取った真田の掌の上では、その袋は更に小さな物に見えた。
しかも、彼の見た目からもその柄物の少女趣味満載のグッズは、明らかに似合っていない…のだが、桜乃は全く気にしていない様子で笑っていた。
「開けてみて下さい」
「?」
言われるままに真田がリボンを解き、巾着を解体すると、中からほんのりとピンク色の物体が姿を表した。
桜の花弁の型に抜かれ、焼かれたクッキーが数枚。
「む…」
「えへへ、作ってみました。甘さはちょっと控えめにしましたけど、丸井さんからは好評でしたよ」
「ほう…」
どうやら他の面々に自分の居場所を尋ねた際に、彼らには分配を済ませていたらしい。
「貰っていいのか?」
「勿論です。クッキーだったら、そんなにお腹にももたれないかなって…」
「そうだな、問題はないだろう」
折角の相手の好意…何より気に入っている少女の手作りともなれば、堅物と名高い真田でも嬉しく思うものである。
先ずは一枚…と指で摘まんで持ち上げ、さくりと軽い音をたてながら食べてみると、舌の上でクッキーの固い感触が解けていくと共に、自然な甘味が広がっていった。
やたらと砂糖を入れて甘味を強調している市販の菓子は正直苦手だが、これなら十分に味わいながら食べられる。
それに…
「…不思議な風味だな」
「あ、ちょっとだけ桜の香料を加えてみたんです。本当にちょっとだけなんですけど」
「ああそうか…言われてみれば」
決して前に出しゃばる事無く、隠し味に徹しているからこその、この旨味か。
成る程、と納得しながら、真田が薄く笑いつつ桜乃を見上げた。
「美味いな…丸井が褒めるのも頷ける」
「そうですか? 良かった」
「…」
雅な桜を背景に、にこっと嬉しそうに笑う桜乃の顔をまともに見た真田が、思わず俯いて帽子のつばに手を遣る。
表面上は上手く誤魔化せたかもしれないが、途端に上がってきた脈拍数は如何ともし難く、火照りさえ覚えてきた顔面の対処に、彼は大いに困ってしまった。
(ば…ばれておらんだろうな…)
帽子を被っているのだから陰になっている分赤みは隠せる筈だと思いつつも、どうしても不安で顔が上げられない。
しかし、こうして俯いているばかりなのも、いずれは相手に疑問を持たせることになってしまう。
どうしたものか、と悩んでいた若者の視界に、ふと、先程貰ったばかりのクッキーの残りが飛び込んできた。
(そうだな…これなら…)
新たな一枚をまた摘まみ、口元に運ぶ。
食べているという理由をつけたら、もう少しの間は顔を伏せていてもおかしな疑いはかかるまい。
全てを一気に食べるのは何となく勿体無い気がして、数枚は残しておこうと思っていたが、あと一枚ぐらい食べるのは問題ないだろう…
そうしている内に自然と顔の火照りも治まる筈だと思いながら、真田はゆっくりと咀嚼し、二枚目のクッキーも腹の中に納めた…ところで、ふと気がついた。
「ん…」
腰を下ろしていた為に、自分の服の上にクッキーの小さな欠片が幾つか落ちていた。
勿体無い、と思いつつも流石に拾う訳にもいかず、真田は何の気なしに、ぽんぽんと軽く欠片が載っていた自分の両腿をはたいてそれらを落とす。
そんな行為をした後で、そろそろ顔の赤みもましになっただろうかと考えていた若者だったが…
「…っ!?!?」
いきなりの不意打ちがきた。
テニスに留まらず、剣道などに於いてもかなりの腕前を誇る真田だったが、今回の不意打ちには全く反応出来なかった。
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