「り…竜崎…?」
「うふふ」
戸惑い、再び動揺する若者の様子にはまだ気付いていないのか、桜乃は嬉しそうに笑っていた…彼の膝の上で。
何の前振りもなくちょこんと膝の上に乗られてしまった若者は、どうしていいものか分からず、声を出すことも思いつかず、暫し両腕を持て余すように中途半端に上げていたが、やがて何とか声を絞り出した。
震えているのは勿論彼女が重い訳ではなく、心の動揺が如実に反映されてしまった為だ。
「…そ、の…何を、している?」
「え…?」
これがもし、もし他の人間だったなら、彼は間違いなく文句の前に蹴りどかしていただろう、ついでに『たるんどる』の名言もおまけでつけたかもしれない。
狼狽しつつも相手の行為を何とか冷静(?)に受け入れ、理由を聞こうとしたのは、やはり相手が桜乃だったからだ。
好きな人には強気に出られない、そして意味不明の行動でも、起こしたのが彼女なら何か相応の理由があるのだろうと、好意的に見てしまうのだ。
それは別に真田という人間に限らない反応だっただろう。
そんな真田の慌てようも、背を向けていると分からないのか、桜乃はきょとんとした顔で振り返って応えた。
「座ってます」
「いや…それは分かっているのだが…その、どうして、俺の膝の上に…?」
「え?」
当然と言える男の疑問に対し、桜乃が逆に『どうして?』と言いたげな顔で再度振り返った。
「だって…真田さんが『座れ』って…」
「なにいっ!?」
思わず、『それは何処の真田さんだ!?』と続けたくなった若者だったが、勿論、そんな『真田さん』が傍にいる筈もない。
そう考えると、彼女が指している真田さんというのは自分に他ならない訳で…しかし無論、自分はそんな台詞は一言も言っていない、何かの記憶障害を持っていない限りは。
「お、俺が!?」
更に慌てる真田に、ようやく桜乃も徐々におかしい雰囲気に気付き、首を傾げながら更に詳しく説明した。
「え…だって、今さっき、『ここに乗れ』って足を…」
叩いたでしょう?
「………」
叩いた。
確かに叩いたんだが…それはそういう意味ではなく、あくまでクッキーの破片を払う動作に過ぎなかったのだが…
まぁ、そういうボディーランゲージと言うか、ジェスチャーも世の中には存在してはいるが…
まさかそんな意味にとられるとは思わなかった、とある意味感心しながら、真田はようやく納得し、落ち着くことが出来た思考で桜乃に弁解した。
「いや、確かに叩きはしたが……それは、クッキーの欠片が落ちていたから払ったのであって、だな…」
別にそういう意味ではなかったのだが…
「え…」
「…」
「…」
見下ろす真田と振り返っている桜乃が、互いを至近距離で暫しの間凝視し合っていたが、自分の思い違いに気付いた桜乃が一気に顔を赤くしていった。
「〜〜〜!!!」
羞恥の余りに瞳さえ潤ませ、手を口元に当てながら、桜乃が慌てて真田の膝から立ち上がろうとする。
「ごっ、ごめんなさいっ!!」
物凄く恥ずかしい、大胆な勘違いをしてしまった!と恥じ入る桜乃だったが、彼女の姿を見ていた若者が、不意に手を伸ばす。
ぎゅう…っ
「!?」
「…っ」
自分から離れていこうとした桜乃の身体を、真田が伸ばした手で捕らえ、そのまま膝の上に座らせる。
彼の逼迫した表情には、自分が起こした行動でありながら無意識に拠るところも大きかったのか、驚きの色も混じっていた。
何故、自分はこんな真似を…?
離れようとしているのなら、そのままにさせてやればいいものを。
「さなだ…さん?」
「あ…いや…これは、その…」
離すべきなのだろうかと悩みながらも、自分の腕はそんな意志に反して彼女を手放そうとしない。
その腕が彼女の身体に触れているのを直に見て、真田が今更ながら、自分の起こした行動の理由に気付いた。
恐かったからだ。
膝から立ち上がろうとする少女の姿が、まるで何処か、二度と手の届かない処へと飛び去ってしまう鳥の様に見えた事が恐ろしかった。
桜の花弁の舞い散る青空に消えていくなど有り得ないと分かっているのに、どうしてもこの手に捕えて触れて、安心したかった。
今もしっかりと彼女の身体を拘束している感触が腕に在ることが、こんなに嬉しくて安らげる。
知らずにいれば心穏やかでいられただろう。
しかし、知ってしまった今となってはもう引き返せない。
「…あの?」
一向に動こうとしない相手に、桜乃が声を掛けたが、やはり真田は腕を解こうとはせず、言葉だけが返って来た。
「別に…い、嫌だとは言ってないだろう。座りたければ、そのままで構わんぞ」
「!」
「…お前が嫌なら…手放すが」
その台詞の後に、心の中では『拒んでくれるな』と願った男に対し、桜乃は暫く無言でいたが、やがて手を伸ばして己を抱き締めている彼の腕を遠慮がちに握った。
「…!」
「あの…私は、真田さんのご迷惑じゃなければ…このままでも…」
「そ、そうか…」
心の声が聞こえた筈はないだろうが、相手が望みを叶えてくれたことに感謝しながら、真田は安堵して桜乃の身体を改めて抱き締める。
微かに感じる甘い香りは、咲いている桜のものではないだろう。
くらくらと眩暈すら感じながら桜乃を抱く真田に、少女がはにかんだ声で囁いた。
「もっと…早く来たら良かったです」
「?……ああ」
彼女が意図するところを察して、真田が笑い、そ、と少女の頭を優しく撫でた。
「だが、まだもう少し、時間はあるだろう?」
「はい」
午後の試合が始まるまで、もう少しこのままでいよう。
そう言う一方で真田は、今度は試合という名目ではなく、個人的に桜乃と会うべく約束を取り付けようと必死に考えていた。
図らずも踏み出せた一歩を、このまま戻す訳にはいかない。
出来たら、もっと踏み出したい…この子と一緒に。
(しかしどう誘ったらいいのやら…)
あまり先に送ると他人行儀に戻ってしまいそうだし、かと言って早すぎるのも不自然と思われてしまいそうな…
「…」
どうしたものかと見上げた真田の目に映る、美しい桜の花々…
(…ああ)
そして何かを思いついた真田は、一人、笑みを浮かべていた。
後日、まだかろうじて散っていない桜の下を、睦まじく歩いて花見を楽しむ彼らの姿があった…
了
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