「桜乃!?」
「!…弦一郎お兄ちゃん」
真田が保健室に飛び込んだ時、妹の桜乃はそこのベッドに横になってはいたが、意識はしっかりしていて、然程辛そうな様子はなかった。
「あら真田君」
「妹が世話になります」
女性の保健教員に一礼をした後で、真田が改めて妹へと顔を向ける。
「驚いたぞ、授業中に倒れたそうだな」
「ん、もう…内緒にしてって言ったのに…」
「馬鹿者、身内に遠慮などするな」
相手の意識がある事を確認して、内心ほっとしていた真田だったが、それでも厳しい表情は崩さずに枕元へと寄って上から覗き込んだ。
「全く…無茶をするものではないぞ。調子が悪ければ早めに休むものだ」
「ごめんなさい〜…でも、今日は本当に気が付かなかったの」
布団を顔の下半分まで引き上げながら、桜乃はううう、と申し訳なさそうに謝った。
「朝からちょっとあったかくてふわふわして喉が痛くてぼーっとしてたんだけど…」
「気付け」
それだけ自覚症状があったら十分だ、と真田が渋い顔をして注意するのを保健教員が笑いながら見ていた。
「新しい環境に来て少し疲れたのかしらね、真田さん。今日は早めに帰った方がいいんじゃないかしら」
「すみません〜」
「いいのよ…でも丁度良かったわ、真田君」
「はい?」
「私はこれから会議があるから少し席を外しちゃうけど、いいかしら。妹さん、見ていてくれる?」
「あ…はい」
構いません、と断り、教員を送り出した後、真田は近くの椅子を引き出してきて、妹の枕元に腰を下ろした。
「今の気分はどうだ?」
「うん、ちょっと熱っぽいけど大丈夫よ?」
「そうか、なら…」
『ち――――っす!! 見舞い一丁お届けにあがりました―――――っ!!!!』
ほのぼのとした兄妹の会話も最早そこまで。
見事なハモリでそう叫びながら保健室に殴り込みをかけてきたのは、他でもない、他のテニス部レギュラー達だった。
「……因みに今の俺の気分は最悪だがな…」
「お、お兄ちゃんの方が顔色悪いみたいだけど…」
わなわなと震える真田を、大丈夫?と気遣う桜乃の枕元に、どわっとメンバー達が寄って来て、辺りを取り囲む。
「大丈夫かい、おさげちゃん」
「倒れたんじゃと? 可哀想にのう」
「早く良くなって下さいね」
わらわらと集まって労いの言葉を掛ける友人達に、真田がまだふるふると怒りに震えている。
「相変わらずか弱いんだね、桜乃ちゃん、気の毒に…」
「そう思うんなら静かにそっとしといてやれんのか?」
ひくひくと顔を引きつらせながら真田が幸村に物申したが、これでも保健室という場所を弁えてかなり我慢している。
本当は、全員をその場から叩き出したい程の衝動を必死に抑えているのだ。
その間に、桜乃はメンバー達を全員見回しながら上半身を起こしていた。
「すみません、皆さんにまでご心配を…」
「ああ、そのまま楽にしてくれ。ふむ、少し顔が赤いな…彼女、熱があるのか?」
病人の顔色を確認し、柳は隣に控えていた兄の真田に尋ねた。
「む…そう言えば。桜乃、熱は?」
「あ、まだ計ってなくて…ここに来て皆ばたばたしてたから…」
「そうか、どれ…?」
ぴと…っ
何の躊躇いもなく、真田は桜乃の顔に自分のそれを近づけると、互いの額を軽く合わせた。
『!!』
メンバー全員が硬直する中で、彼はそのまま一秒後には額を離しつつ、そこに手をやってふむと頷いた。
「三十八度五分…か」
「ふわ〜…ぼーっとしちゃう訳だね」
「…もしもし副部長」
のほほんと話す兄妹に切原が割り込みながら手にした耳内式体温計を差し示した。
勿論、保健室の備品である。
「今の時代、こういう文明の利器もあるんすけどね」
「用意するまでもない、こちらの方が早いしな」
「早いったってそれじゃあ大体の目安でしか……試しにぴっとな」
ぴっ…
「え?」
興味本位で、切原が桜乃の耳で体温を測り、そのデジタル表示を覗いて見ると…
『38.5℃』
「……すげぇ」
「いやもう何か、色々とすげえ」
「犯罪の域でしょ、もうこれって」
兄妹愛もここまで来ると言葉もない…と丸井とジャッカルも加わって感心していると、何か文句があるのかと真田が睨む。
「そんなに羨ましいなら、お前らに熱が出た時にでもしてやろう」
「……」
「……」
「……」
背筋も凍る一言で三人が固まってしまった一方、真田は妹の容態を気に掛ける。
「桜乃、この熱では午後の授業を受けるのは辛かろう?」
心配する兄の言葉に、桜乃はちょっと考えて残念そうに頷いた。
「うん…そうだね。先生や友達にも心配かけちゃうし、今日は早めに帰ろうかな」
「え? 帰るの?」
「送ってく」
「俺も俺も」
次々上がる挙手に、無論、兄が頷く筈もなく……
「俺が連れて帰る!!」
真田の鬼気迫る宣言に、『ちぇーっ』と全員が渋い顔。
「ダメだよ皆、正攻法でいっても弾かれるだけなんだし」
「正攻法じゃなくても打ち返すに決まっとろうが!」
にこやかな幸村の台詞に真田が律儀に返していると、桜乃が慌てた様子で彼を止めた。
「お、お兄ちゃん、大丈夫よ。私、一人でも帰れるから…」
「そういう訳にもいかんだろう」
「でも…」
このままだと堂々巡りになりそうな雰囲気の中、暫く顎に手を当てて様子を見ていた仁王が、ぴ、と桜乃を指差した。
「桜乃、ちょっとスタンダップ」
「…はい?」
「いいから」
「???」
言われるままにゆっくりと立ち上がった少女に、詐欺師は次なる指示を出す。
「はい、扉まで歩いて」
「?…」
何をするんだろうと思いつつ桜乃はそちらに向かって素直に歩いたのだ…が、
「あれれれ…?」
ふりゃ〜〜〜っとどう見ても右に左に危険極まりない蛇行運転。
故意ではないところが、更に恐怖感を煽っている。
「…車なら即廃棄処分じゃよ」
「桜乃、諦めろ」
「あううう〜〜〜…」
苦笑いを浮かべて兄の提案を受け入れるよう勧める詐欺師と、兄の一言に、桜乃は悔しがりながらもその忠告を受け入れるしかなかった……
「では、お前の鞄を受け取ってくるから、ここで待つように」
「はい…」
「…絶対に手を出すな」
『信用ゼロかい、俺ら』
真田が妹の荷物を受け取りに行く為に一時席を外すと、桜乃ははぁと溜息をついて寂しそうに笑った。
「またやっちゃいました…」
「また…?」
不思議な言葉に、幸村含めた全員が注目する。
「…私、小さい頃から身体が弱くて…しょっちゅう寝込んでいたんですよ。その度にお兄ちゃんには看病してもらって迷惑掛けて…」
肩を落として俯く桜乃は、いつもより随分と小さく見える。
「昔、テニスの大会の日にも熱を出した事があって…結局、お兄ちゃん、大会休んで傍についててくれたんです。出ていたら優勝出来たのに…あの時は本当に悔しくて、申し訳なくて」
くしゅん…と鼻を鳴らす娘の言葉に全員が静かに聞き入った。
「少しでも迷惑掛けないように、自分の身ぐらい自分で守ろうって、護身術は教えてもらったりしてましたけど…相変わらず風邪とか引きやすくて。なかなか、お兄ちゃんみたいに健康でいる事は難しいですね」
「いや、それはやめといた方が」
「しっ、切原君」
切原が茶々を入れたのを柳生が嗜めた脇で、幸村がよしよしと桜乃の頭を撫でる。
「大丈夫だよ、弦一郎は迷惑だなんて思っちゃいないから。身体のことも焦らずに、少しずつ強くしていけばいいんだ」
「…強く…なれるんでしょうか」
「なれるさ」
力強く頷き、保証すると、幸村はもう一度頭を優しく撫でると、メンバー達に目配せして、保健室を後にした。
丁度、午後の授業の予鈴が鳴ったところで、皆が外の廊下で互いの顔を見回す。
「お兄ちゃん離れはまだ先だね」
「ま、いい兄貴だって事は認めるしかないけどな」
幸村と丸井がそんな事を言って苦笑していると、保健室の閉められた扉を振り返りつつ切原がぼそっと言った。
「女はそんなに強くなる必要なんてないでしょ? そりゃあ丈夫なのに越したことはないけど…何かスポーツでもやったらすぐに元気に…」
『!!』
「…へ?」
先輩達が瞬時に反応して自分に注目したのに対し、切原はただ訳も分からないままに佇むばかりだった……
結局、桜乃を家まで一緒に連れて帰ることにした真田は、部活動も休み、彼女の世話をすることになった。
夕食の支度も、当然、今日は桜乃の代わりに真田が行うことになったのだが…
「美味しい! お兄ちゃんも、普段はやらないけど結構料理上手なんだもの。本当に何でもこなしちゃうんだから凄い」
「なに、只の真似事だ。お前の腕には及ばん」
桜乃には鶏雑炊に湯豆腐、野菜の煮物といった完全和食の夕餉だったが、彼女は自室の寝床から起き上がり、運ばれたそれを美味しそうに食べていた。
謙遜しながらも、妹から褒められて真田もまんざらではない様子。
「クラスの皆がね、お兄ちゃんが優しくていいなぁって羨ましがってたの。私も嬉しくて、つい自慢しちゃった」
「む…そ、そうか?」
「うん!」
早めに家に戻り、ずっと横になって休んでいたからか、桜乃の顔色は保健室の時よりは良くなっているように見える。
貴重な兄の手料理を味わいながら、桜乃はひとしきり彼との会話を楽しんでいたが、その内全てを食べ終えてしまった。
「は〜…ご馳走様でしたぁ」
「食欲があれば大丈夫だな、安心した」
そう言うと、真田は桜乃の頭をさわりと撫でて、再び横になるように促した。
「さぁ、食べたら早く寝ることだ」
「うん…」
そう桜乃が答えた時だった。
りーん…
「? あら? 呼び鈴…」
「客人か? この時間には珍しいな……行って来る」
今はまだ他の家族も帰っていないので、真田が応対するしかなく、彼は妹の部屋を出ると急いで玄関に行って扉をがらがらと開いた。
『ち―――――っす! お見舞い第二弾―――――っ!』
がらがらぴしゃっ!!
誰であるかを確認するまでもなく、真田は瞬時にこめかみに青筋を浮かべると同時に扉を閉める。
『わ〜〜〜〜っ!! 横暴だ〜〜〜〜〜〜〜っ!!』
扉の向こうから複数の若者達がぶーぶーと文句を言ってきたが、真田は更に鍵まで掛けた。
あのノリで妹に会わせようものなら、彼女は間違いなく病状が悪化してしまう!
「やかましい!! 塩を撒く前にとっとと帰れっ!!」
すると今度は扉の向こうから、笑みを含んだ落ち着いた言葉が届けられてきた。
『弦一郎、冗談だってば。今度はお見舞いの品を届けに来ただけだよ』
「…? 精市?」
『病に伏してる女性の部屋に上がるつもりはないよ。届け物を渡したら帰るから、それだけ受け取ってくれないかい?』
「……」
少しだけ考えたが、真田は最終的にそれは認可することにした。
幸村の言葉は信用に足るものだし、見舞いの品すら受け取らないというのは余りに了見が狭すぎる。
病気の妹の枕元で、賑やかに騒ぐことをしないのなら、そのぐらいの願いは聞いてもいいだろう。
「…仕方ない」
受け取るぐらいはいいかと思い、真田は鍵を解き、再び扉を開いた。
そこには確かにメンバーが揃い、一番前に立つ幸村がかなり大きく、膨らんだ紙袋を抱えていた。
「ごめんごめん、はいこれ、桜乃ちゃんに」
まさかそこまで大きなものとは考えていなかった真田は、少し驚きながらそれを受け取った。
袋の上部はばっちりとホチキスで止められており、中身までは窺えない。
「随分大きいな」
「花束だからね、結構大きくなっちゃったけど取り扱いに注意して。飾る前に彼女に見せてあげてよ」
「そうか…すまん」
花束とはありきたりではあるが、園芸好きな部長なら十分考えられる。
それに、桜乃も花は好きだから、これは喜んで受け取ってくれるだろう。
「確かに彼女に届けよう」
「頼んだよ。じゃあ、桜乃ちゃんにお大事にって伝えてね。また明日学校で」
「ああ」
皆が一礼をして見舞いの言葉を述べると、彼らは大人しく帰って行った。
本当に、見舞いの品を届けに来ただけだったのか…
真田は扉を閉めた後、その袋を抱えて再び妹の部屋へと戻っていった。
「あれ? 弦一郎お兄ちゃん、お客様、誰だったの?」
「精市達だ。お前に見舞いの品を、とな。ほら」
差し出された袋に、桜乃も驚いた表情を浮かべつつそれを受け取った。
「わ、随分大きいねー」
「花束らしい、お前が見た後で花瓶にでも飾ろう…どれ、その間に食器を片付けるか」
袋を桜乃に渡し、食器を持って一時台所に引っ込んだ兄を見送ると、彼女はわくわくしながら袋を開けた。
そこには、確かに見事なグラデーションを見せる美しい花束と…
「…あれ?」
花束とは似ても似つかない物体が一つ…こっそりと密かに入れられていた。
「……わわ、ラケットだぁ」
明らかに新品だったが、持ち出して軽く握ってみるとしっくりと手に馴染む…女性用だ。
よく見ると、ラケットのガットの部分に小さなメッセージカードがテープで貼り付けられていた。
『体力を付けるのに、テニスはいい運動になるよ。俺達がいつでも教えてあげる。 追伸…』
「うわぁ…」
初めての自分だけのラケットを持って、桜乃は目をキラキラと輝かせた。
そこに、食器を台所に置いた真田が戻ってくる。
「桜乃? 花束は…」
「お兄ちゃん!! 私、テニス始める!」
「なにぃ!?」
驚愕する兄に、桜乃は嬉しそうにラケットをぶんぶんと振ってみせた。
「テニスで身体鍛えるの、皆さんが部活以外でもいつでも教えてくれるって!」
(謀られた〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
そういう事か!!と今更彼らの策略に気付いたが、既に妹はやる気満々で手遅れの状態だった。
(恨むぞ精市〜〜〜〜っ!!)
花束を隠れ蓑にしおって…!と内心怒り心頭の真田に、あ、と桜乃が思い出した様に付け加えた。
「あとね、お兄ちゃんに皆さんから伝言が…」
「伝言?」
「うん、追伸で…『弦一郎はいい加減、妹離れしたら?』って」
「……」
その一秒後、真田は今日一日だけで積もり積もった怒りが遂に爆発した。
「離れられん状況を作りだした原因が誰にあると―――――――っ!!??」
「きゃーっ! お兄ちゃんっ!?」
過保護の兄と、妹を狙うメンバー達の新たなバトル勃発の記念すべき日であった…
了
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