ぬくぬくこたつ
『こたつっていいよ、ほかほかだし話も弾むし気持ち良いし。冬はあれがないと始まらないって感じなの!』
クラスメートのそんな一言が、始まりだった。
「お兄ちゃん、こたつ買っていい?」
「は?」
冬も近くなった或る日の夜、いきなり自分の部屋を訪ねてきた妹の桜乃がそうのたまった。
立海大附属中学三年生の真田弦一郎は、その夜も夕食が済んだ後に自室に入り、真面目に勉強に取り組んでいたが、訪ねて来た妹の言葉に鉛筆を持つ手を止めてそちらを見遣った。
「こたつ?」
「うん!」
実は、妹の桜乃が言った通り、この真田家にはこたつというものは存在していない。
かなり広い屋敷であり、それだけに冬の寒さは厳しくなるので相応の暖房の設備は整っているのだが、そこに「こたつ」という選択肢は最初から無かったのだ。
因みに、真田の自室にはちゃんと暖房が設置されており、少し離れた部屋の隅っこには、今時珍しい火鉢も置かれている。
暖房にさえ目を遣らなければ、昔ならではの光景である。
「…必要があるのか?」
「とってもあったかいんだって!」
「いや、それぐらいの知識は俺にもあるが」
力説する妹に、幾分か戸惑いながら真田は座ったまま身体もそちらへと向けた。
「大体俺にそれを訊いてどうする? そういう大きな物を購入する場合は、親に伺いを立てるのが普通だろう」
「お父さんとお母さんは、お兄ちゃんがいいならいいよって」
(しっかりせいっ!! 真田家の大人達っ!!!)
何で子供である自分に最終決定権をあっさり譲るのだ…と言うか押し付けるのだ!と心の中で檄を飛ばす真田に、桜乃はねぇねぇと必死にねだる。
「お友達と学校で話していたら、す〜っごくあったかくて気持ち良いんだって! あれを知らないなんて人生の半分は損してるって!」
「そんな物で半分埋まる様な軽い人生など生きておらん」
ふんっと軽く鼻息でその意見を吹き飛ばした真田は、意外にも妹の今回のおねだりに対しては乗り気でないらしい。
「師匠はこたつを不吉な箱だと毛嫌いしているからな…堕落を招くからという理由で我が家にもこれまで入れなかった。お前の部屋にも暖房はあるのだし、寒ければ火鉢でも使えば良かろう」
因みに真田が師匠と呼んでいるのは、自分に武道や剣術を指南してくれている祖父の事である。
「ウチも文明開化しようよぉ〜〜〜」
ぶんぶんと両手を振り回して相手の言葉に反論した桜乃は、む〜っと唇を尖らせて相手の胸元に目を遣った。
「お兄ちゃんはいいじゃない、すぐそこにあったかい肉あんかがいてくれるんだもん」
「俺が連れて来た訳ではないぞ」
そう言われた兄の浴衣の胸元からは、小さな三毛猫が頭だけ出してぬくぬくと真田の身体で暖を取っている。
最近この家で飼い始めた子猫は何故か真田によく懐き、気が付いたらいつの間にか彼の傍に寄り添っている事が多く、今日の様に寒さが厳しい日には胸元に避難することもしばしばだった。
「ううう、こたつぅ〜〜〜」
尚も粘る妹に、やれやれと真田は渋い顔をしていたが、仕方がないと遂に折れた。
まぁ大体この家に於いては、妹の願い事に真田が折れる確率は九割以上。
それは普段、桜乃があまり我侭を言わない良い子である事と、真田自身が彼女をこの家で一番可愛がっているからである。
有り体に言うと、重度のシスコン。
「仕方のない奴だな…では、条件付きで許可しよう」
「条件? なに?」
即座に反応した桜乃に、真田は人差し指を立てながら条件付きの許可を出した。
「居間などの家族が集まる場所にそれを置くのは難しい、やはり師匠の意見を無視する訳にもいかんからな。しかし、お前の部屋に私物として置く分には構わんだろう。師匠もお前には甘いし、それなら問題ない筈だ」
「本当!?」
「ああ」
「有難う! 弦一郎お兄ちゃん大好きーっ!」
「う…っ」
きゅ〜っと抱きつかれた兄が、途端に身体をコンクリ化させてしまった。
厳格な男だが、可愛い妹からの感謝や好意の言葉には何より弱い。
苦手という訳でもなく純粋に嬉しいのだが、それを素直に出すことが出来ない…所謂ツンデレ気質なのだ。
「ち…ちゃんと条件は守るのだぞ?」
「うん!!」
かくして、真田家の影の支配者(?)である真田の許しを得て、桜乃は無事にこたつを入手する権利を得たのであった……
それから約一週間後の事…
「わ―――――いっ!! こたつ〜〜〜〜っ!!」
その日が配送日だと知っていた桜乃は、学校から大急ぎで帰宅し、念願のこたつの到着を見て大はしゃぎだった。
兄に許可を貰ってすぐに買いに走ったのは良かったが、流石に大きさと重さから自分での持ち帰りは不可能であり、素直に自宅への配送サービスを利用したのである。
着いていた荷物を早速自室に運んで、桜乃はこたつのセッティングを始めた。
セッティングと言っても原理は至極簡単なものだし、専門的な知識も必要ないので、彼女は難なくこたつをあるべき姿へと組み立てていった。
梱包材も部屋から撤去して、三十分も経たない内に見事にこたつがスタンバイ状態。
こたつ台は木目、こたつ布団はベージュの、シックな典型的形状のものであるが、念の為に家族全員の人数でも余裕で入れる程度の大きさだ。
「出来た出来た…よし、スイッチ・オン!」
ぱち…と温度調節のダイヤルを入れて、いざこたつの中へ!
「よいしょ…っと」
こたつ布団を捲って中へと潜り込み、十分も経過しない内に…
「ふわ〜〜〜〜〜〜…」
既に桜乃はこたつの魔力にとりつかれ、こてんと頭をこたつ台の上に乗せて恍惚の表情を浮かべていた。
そこに、何か珍しいものが来た、と、子猫も桜乃の部屋に入ってくる。
「あ、三毛ちゃんもおいで、気持ち良いよ〜」
捲った布団の中に潜っていった三毛も、それから一向に中から出て来ようとはしなかった。
やはり、童謡が示す通り、猫に対しても抜群の威力を誇るものらしい。
暫し、至福の時を過ごしていた桜乃だったが、それから間もなく彼女はこたつの別の魔力を知る事になった。
「うう〜〜〜、出られなーい。お夕飯の支度もあるのに〜〜〜」
まるで魔物に捕獲されてしまった様に、見えない網に捕われてなかなか抜け出す事が出来ない。
結局、彼女はこたつの魔力から逃れてその場を離れるまで、実に五分の無駄な時間を費やしてしまったのであった。
「ほう、こたつが来たのか」
「うん! もうね、凄いの。ほや〜ってして、足元がぬっくぬくで、友達が言ってたことがよく分かったわ」
夕食時にも当然その話題が挙がり、真田は桜乃からこたつの到着を聞かされていた。
「それは良かったな」
「お兄ちゃんも来る? 三毛ちゃんも気に入ってたよ?」
妹が嬉しそうに話す様子を、同じく嬉しそうに聞いていた真田だったが、その申し出に関しては苦笑して首を横に振った。
「いや、如何に身内とは言え、女子の部屋に男子が踏み入るのは悪かろう。お前のものなのだから、遠慮せずに使えばいい」
「う〜…そう?」
ちょっと残念、と思いながらも、桜乃はその場では兄の意志を受け入れて、それ以上の無理は口にしなかった。
それから夕食の時間も終わり、片付けも済み、明日の食事の仕込みも終わったところで、桜乃は入浴を終えて再びこたつの中へと潜り込んでいた。
「う〜〜ん、やっぱり気持ち良いな〜〜」
桜乃と並んで、三毛もこたつ布団からにょっと頭だけ出して、全身骨抜き状態である。
「暖房と違って足元があったかいから助かる〜…今日はここで宿題やろーっと」
そして、桜乃はこたつに入ったまま、しっかりと宿題をやり始めた。
確かに、足元が暖かいと身体の血の巡りが良くなる影響か、いつもよりはかどっている気がする。
「うーん…と、これでいいかな」
予定の範囲を終わらせて、勉強が一段落してから桜乃はそこで一休み…
「……」
ちっちっちっちっちっちっち………
時計の秒針がやけに大きく聞こえてくる静かな部屋の中で、桜乃はん〜〜とこたつでくつろぎながらも、何となく落ち着かない様子だった。
(なんかしっくりこないなぁ…あったかいし、気持ち良いのに落ち着かない…)
そこで桜乃はあっと何かに気が付いて急いでこたつから出ると、ぱたぱたぱた…と一度部屋から出て行って、暫くして再び戻って来た。
手に、みかんを盛った籠を持った状態で。
「みんなこたつにはみかんだって言ってたから、これが足りなかったのかな…」
そして再びこたつでみかんを食べつつ冬の情緒を満喫し始めたのだが…
十五分後…
ちっちっちっちっちっちっちっち……
「……」
やはり、ぴんとこない様子でこたつで首を傾げている少女の姿があった。
三毛はごろごろと喉を鳴らして、至極ご満悦の表情だ。
一体、何が悪いんだろう…と思っていた桜乃はうーんと頭を捻って考える。
「別にあったかいのはいい事だし、問題ないんだけど…何か落ち着かないなぁ…寂しいって言うか…あっ!」
そうか、そういう事か…!
「う〜〜…でも…」
一つの答えに至りながらも、桜乃はそれから更に思い悩む顔を浮かべていた……
「…で?」
次の日帰宅した真田は、自分の部屋に入ったところで足を止め、むすっと不機嫌な表情も露に中にいた先客に声を掛けていた。
「何でお前がここにいるのだ…? しかもこたつごと」
「だって〜〜〜」
てへ、と笑う妹は、何故か真田の個人の部屋で、こたつに入って台の上に教科書を広げ、宿題をこなしている最中だった。
布団の一方の端から、三毛が顔だけ出してすやすやと眠っている。
「自分の部屋でこたつに入っていても寂しいしつまんないんだもん。やっぱりこたつって言ったら団欒でしょ」
「知らん」
何を言っているのだと、半ば呆れながら真田は中に入り、取り敢えずは手にしていた鞄などを自分の机の脇に置くと、改めて桜乃の方へと向き直った。
「で? わざわざ俺の部屋にまでこれを持ち込んだ訳か」
「うん。だって、約束では居間には置けないじゃない?」
「そうだな」
「でも私の部屋に置いても、お兄ちゃん、私の部屋には来てくれないでしょ?」
「女子の部屋だからな」
「だから私がお兄ちゃんの部屋に来ようかと」
「そこに至る発想の飛躍が分からん」
今にも『持って帰れ』と言い出しそうな兄の様子に、桜乃は必死に相手の足に縋りついた。
「あーん! ちょっとだけいさせて〜、お兄ちゃんも一回ぐらいこたつに入ってくれてもいいじゃない! 可愛い妹を追い出したりしないよね?」
ね?ね?と見上げてくる妹のおねだりビームをモロに受けてしまい、真田は咄嗟に視線を逸らしつつ、何とか苦言を述べる…但し、述べるだけ。
「し、仕方のない奴だな…邪魔はするなよ?」
「うん!」
喜ぶ妹とは裏腹に、兄は背を向けながらかなり真剣に苦悩の表情を浮かべていた。
(し、しっかりしろ弦一郎っ…最近、やけに桜乃に甘くなっている気がする…いや、別に悪い事をしている訳ではないのだが…いやしかし…っ!!)
妹の世話を始めて十年近くなり、兄は新たな悩みに突入している様である。
それはさておき。
その後夕食を済ませると、仕方なく真田は妹に乞われるままに自分も同様にこたつに足を入れ、取り敢えずはぬくもりつつ、桜乃と一緒に宿題を始めてみた。
「…お兄ちゃん、これ、この答えで合ってるかな」
「どれ?」
ぬくぬくぬくぬく……
「桜乃、その色のペンを貸してくれるか」
「はい、どーぞ」
ぬくぬくぬくぬく……
「……」
「……」
真面目でそれなりに優秀な二人なので、宿題を済ませるにもそんなに時間を必要としない。
一時間もしたら、二人とも全ての科目の宿題をやり終えてしまっていたのだが、それでも彼らはそのままこたつの中で何をするでもなくぼーっとしていた。
「気持ちいいよね〜〜」
「…で、出られんぞ。どうしてくれる」
至福の感覚に戸惑いながらもなかなかそれから離れられない兄に、桜乃がうふふ〜、と嬉しそうに笑う。
「私の勝ちだね!」
「勝負なのか!?」
「気分の問題です! でもやっぱりここに置いている方がいいなぁ、お兄ちゃんと一緒に勉強出来るし、分からないとこもすぐに聞けるもん」
「うっ…」
確かに…この状況はなかなか自分にとっても好ましいものではあるが…
しかしそれでも果たしてどうなんだろうかと部屋の主が悩んでいる脇では、呑気にこたつで暖を取っている子猫がふわ、と小さなあくびをしていた……
「へぇ、こたつが来たの」
「はい、あったかいですよ〜」
「いいよな〜こたつ。けどウチはリビングにあるからあんまり寝てると親がうるさくてさ」
某日、桜乃は立海における先輩であり、同じく兄の親友達でもある、男子テニス部レギュラー達にも、自宅のこたつについて語っていた。
長いこと耳にはしていたが、なかなか経験出来なかったユートピアを実感出来たのが非常に嬉しかった様だ。
頷いて微笑みながら聞いていた部長の幸村は、それは良かったね、と共に喜んでくれた。
「結構ああいうモノがあると家族が自然と集まったりするんだよね…やっぱり君のところも全員でくつろいでいるの?」
「あ、いいえ」
桜乃は全員じゃない、という意味で首を横に振り…
「ウチはお兄ちゃんの部屋に置いて、専ら二人で使ってますよ」
『!!!!!』
瞬間、その場の空気が一気に冷え込んだが、桜乃は全く気付いていない。
「…ふ、二人?」
「あ、正しくは二人と一匹ですね。ウチの三毛ちゃんも大体そこでごろごろしてます〜」
切原の確認に、桜乃は寧ろ猫の寝姿を思い出して、うっとりと回想に酔っている。
しかし、メンバーに言わせてみたら猫はこの際どうでもいい。
二人!? この子と真田が…二人でこたつ?
(なんって羨ましい!!)
全員がそんな心の叫びを上げていたところで、話題の中心でもあった副部長が部室内に入ってくる。
「! 桜乃、来ていたのか」
「あ、お兄ちゃん」
優しい兄を見て、桜乃が早速そこにぱたた〜と走って行き、それから二人は何かを仲睦まじく話し込み始める。
そんな彼らの様子を少し離れた場所から眺めていた他メンバー達が、こそこそと皆で頭を突き合わせた。
「…幾ら兄貴だからって、良い目見すぎッスよね、副部長」
「止めとけ、男の嫉妬ほど醜いもんはないぞ」
切原の文句に、ジャッカルが、はぁと溜息をつきながら諭したが、他のメンバーも切原ほどではなくても、向こうの二人が気になる様子だ。
「でもいーなー、こたつでのんびりか〜。俺んトコって弟二人いるからのんびりっていうよりドタバタって感じなんだよな」
「こたつか…確かにええのう」
仁王も丸井の言葉の後で同意の言葉を漏らすと、隣では柳生が首を傾げてぼそりと呟く。
「しかし意外でしたね、あの真田副部長がこたつを使用されるとは…ああいう物は受け入れないタイプと思っていましたが」
「間違いなく、妹御の誘いがあったな…」
自分にはどれだけ厳しくしても飽き足りない男だが、妹が絡むとその鉄の意志も何処へやら。
まぁ、自分より明らかに病弱で華奢な女性の身内なら、気持ちは分からないでもない。
多少…いや、かなり、程度に過ぎた部分はあるにせよ。
そう柳が分析している脇で、沈黙していた幸村がにこりと笑う。
「本当に、仲が良いよね」
しかし、その笑顔の中に別の意味が含まれている事実をメンバー達は敏感に感じ取った。
『…「邪魔しに行こう」って、聞こえましたけど』
『奇遇だな、俺もだ』
ひそひそ…と話し合う切原とジャッカルの予想が正しかったという事は、その日の夕方に明らかになるのである…
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