お兄ちゃんの特別合宿(後編)
25Bコートに到着した桜乃は、ようやく兄に再会出来ると喜びに胸を躍らせながら、彼と彼の仲間である先輩達の姿を探していたのだが…
「え? 君は?」
「……」
そこに居たのは立海のジャージを着た男達ではなく、青が基調のそれを纏った見知らぬ若者達だった。
周囲を見ても、立海の面子は一人として見当たらず…
ようやく会えると期待していただけに桜乃のショックは大きく、一気に襲ってきた疲労感で彼女はその場にへろへろへろ、と座り込んでしまった。
「ちょ…大丈夫?」
温和そうな細目の若者が声を掛けてくれて、桜乃は何とか再び立ち上がる…が、どうしても落胆は隠せない。
「すみません…ちょっと、肩透かしを食らいました〜」
「?…誰だい? ここは男子の合宿所だった筈だけど」
「あ、ええと…ん?」
相手の質問に答えようとして顔を上げた桜乃は、彼のジャージ姿を見たところではた、と何かに気付いた。
「?」
(あれ…このジャージ、見覚えある……ああっ!!)
思い出した! この人達…立海を下して優勝した学校のものだーっ!!
流石に全国大会の決勝戦は桜乃も観戦しており、当日は必死に彼らに声援を送っていたのだ。
結果は準優勝に終わってしまったが、彼らの全ての力を出しきった表情を見ていたら、不思議と悔しさよりも心から『良かった』と思う気持ちが強かった。
欺瞞と言われるかもしれないが、自分にとってのあの大会でのヒーローは…やっぱり立海なのだ。
「…ええと…もしかして青学…の?」
優勝校の名前を思い出しながら相手に確認すると、その若者はすぐに頷いてそれを肯定してくれた。
「うん、そうだよ」
(この人は確か…仁王さんと戦ってたなぁ。こんなに優しい顔していてあんなに強いなんて…ちょっと幸村さんっぽい?)
「不二―?」
「ああ、菊丸」
そこに割り込んだ声と共に、やんちゃそうな顔立ちをした若者が現れ、不二の隣に立った。
(あ…丸井さん達と試合していた人…だよね?)
「…ん? 誰かにゃ?」
「今、それを聞いていたところだよ」
そう不二が答えている間に、他の部員もその場の来訪者に気付いてぞろぞろと寄ってくる。
「あれ? 女の子がここにいるなんて珍しいね…って、初めてじゃないか?」
菊丸とペアを組んでいたもう一人の若者が不思議そうに見つめている脇では、眼鏡をかけた長身の男がざっと桜乃の全身を上から下まで眺めて何かを考え込んでいる。
「身長から計算するに……少々体重が少なすぎる…予想される骨格は…」
(な、何か身の危険を感じる…っ!)
女性としても人間としても…と桜乃が感じていると、同じくその場に集まってきた内の一人が明るい口調で桜乃に問い掛けてきた。
「アンタ、誰? 俺達に何か用?」
「あ、あのう…」
「チッ、相変わらず礼儀のなってないヤローだ」
「んだとやんのかマムシ!!」
「ああ!?」
桜乃が答えるより早く、尋ねてきた相手とバンダナを頭に巻いた男が戦闘モードに突入し、少女は一人取り残される形になってしまった。
(…答えるべきなのかなー)
向こうの人、もう喧嘩に夢中で聞いてないみたいだけど…
そうしている内に更に人数が増えていき、眼鏡を掛けた生真面目そうな顔立ちの男が輪に加わってきた。
「君は誰だ? 練習場に何か用が?」
青学のテニス部部長、手塚国光である。
全国大会では真田と戦い惜敗した男だったが、鬼気迫るあの試合は、今だに語り草となっている。
実の兄と戦った相手は、当然桜乃も記憶に深く強く留めており、彼を一目見た瞬間、彼女は相手の事を思い出していた。
「手塚様…!」
「ん…?」
自分の事を知っているのか?と微かに訝る表情を浮かべた手塚の周りで、他の男達が唖然とする。
『様!?』
今時、そんな敬称を付けるなんて、何処のお嬢様!?
彼らが驚きながらこちらを見ているのにも気付かず、桜乃は手塚に注目していた。
(間違いない…お兄ちゃんと戦った人…でも、あの時は…)
勝負の世界の話とは言え、兄がこの男と戦った時は苦渋の決断を強いられていた。
『勝負は勝負だ。しかし結果として、あの男を真剣勝負とは別のところで苦しめてしまった』、と呟いていた兄の言葉が忘れられない。
「…スミマセン」
ふかぶか〜〜っと足に顔がつきそうな程に腰を曲げて一言。
「何故!?」
手塚ですら突っ込ませた桜乃の謝罪は、無論他の男達にも衝撃を与えた。
「ど、どうしたの、君!」
慌てて河村が彼女に声を掛けたが、少女は、あう〜と心底申し訳なさそうな顔を浮かべていた。
「うう……兄に代わり深くお詫び申し上げます〜」
「…俺は何をされたんだ?」
「さぁ」
言われない事の方が余程怖い、と手塚が真剣な表情で不二に尋ねたが、相手もそれに対する答えは持っていなかった。
そこで副部長の大石が、桜乃の言った台詞からキーワードを見つけ出す。
「兄? 君、誰かここの関係者の家族?」
「はい…」
「良かったら聞かせてもらえるかな? 誰かを探しているなら力になれるかもしれないし」
「いいんスか? 大石先輩」
脇に立っていた、白い帽子の少年が相手に確認する。
他のメンバーと比較して背が低かった為に気付くのが遅れてしまったが、その子についても桜乃は覚えがあった。
(…幸村さんに勝った人…? え、うそ、こんなに小さい…私と同じ学年だって聞いてはいたけど…)
コート上でしか見ていなかったから、こんなに間近で会うのは初めて…
まじ、と今度は彼の方へと視線を移している間に、大石は少年…越前に答えた。
「彼女が首から提げているのは確か、面会者に配布される許可証だよ。怪しい人じゃなさそうだ」
取り敢えずは納得したのか、越前が黙して桜乃へと視線を戻すと同時に、ほぼ全員の視線も彼に倣った。
(う…こうなったら流石に隠す訳にもいかなくなっちゃったなぁ…でも、もういい加減にお兄ちゃん達に会わないと、お弁当無駄になっちゃうし…)
そう考えて、桜乃は遂に自分が誰の家族であるのか明かす事を決めた。
「は、はい…大石様。私は桜乃…真田桜乃、です。真田弦一郎の妹です…」
「……え?」
『……………』
微妙な空気がその場を支配する中で、大石は気を取り直して改めて尋ねる。
「ご、ごめん…誰の妹って…?」
「立海大附属中学三年生、真田弦一郎の妹です。全国大会の決勝戦、拝見させて頂きました。青学の皆様、優勝おめでとうございます。今後の皆様の更なるご研鑽をお祈り申し上げます…」
静々と一礼しながら祝辞を述べた桜乃の前では、彼女の台詞で一気に混沌の嵐に投げ出された若者達が為す術もなく呆然と佇んでいた。
妹!?
あの真田弦一郎の!?
こんなに清楚で細い娘が!?
(ウ・ソ・だ〜〜〜〜〜〜っ!!!)
失礼とは分かっているが、どうしてもそんな叫びが止められなかったメンバー達だった。
(何だか分かる様な分からない様な!!)
と菊丸が動揺し、
(言動はいかにもな感じだけど、見た目はまるで違うDNAだろ!?)
と桃城が突っ込み、
(と言うか、妹いたの彼!?)
と、河村が基本的な疑問を心で呈した…実際に口に出さなかったのは勿論桜乃への気遣いだ。
「真田に妹がいたとは初耳だったな…中学生か?」
「今年、同じ立海の中学校に進学しました」
「ほう」
淡々と変わりなく話す手塚にとってみれば、桜乃は単純に知己の妹に過ぎないのだろう…一番普通の対応と言える。
越前に至っては、『本当なの?』といかにも疑っている視線で桜乃を見つめていたが、手塚と同じく淡々と受け答えている彼女の対応を見ると、やはり真実と認める他はないのだろう。
「あのう…お兄ちゃんに会いに来たんですけど、ご存知ありませんか?」
「ああ、彼らは少し前に全員で何処かに移動してしまった…入れ違いだったな」
「そうですかぁ」
やっぱり、とかっくんと項垂れた桜乃だったが、手塚の次の一言が彼女を救った。
「しかし、もう間もなく昼食の時間だ。メンバーは全員、一度は自室に戻るから、先に部屋で待っていたら会えるだろう。本館にある彼の部屋を訪ねたらどうだ?」
「あ…そうなんですか!?」
一縷の望みが繋がった事で、ぱっと桜乃の晴れやかな笑顔が咲き綻ぶ。
(良かったぁ、そのまま何処かで昼食だったら、部屋に行っても無駄足かもって思ってたけど、絶対に戻る保証があるなら会えるよね!?)
そう思ったところで早速彼女はきょろっと辺りを見回した。
「ええと、じゃあお兄ちゃんの部屋がある建物に…」
そう言う少女に、大石がまだ多少混乱しながらも、見えている一際大きな建物を指差した。
「あそこだよ。受付に聞いたら部屋の番号を教えてもらえる筈だから…あ、多分許可証が要るから失くさないようにね」
「そうですか…本当に色々と有難うございました…あ、そうだ、これを…」
「?」
そして、桜乃はここでもクッキーを人数分振舞ってから、更に軽くなった荷物を抱えてとことこと建物に向かって歩き出した。
「お邪魔しましたぁ〜」
「大丈夫? 重そうだけど」
「全然平気ですよー」
貰ったクッキーを手にしたまま不二が相手を気遣ったが、向こうは確かに少しは足取りが軽くなった様子で建物へと歩き去って行った。
「…可愛いのににゃあ」
「あの真田の妹かぁ」
「礼儀正しいところは流石って感じだけど…」
そして全員が感じたささやかな疑問。
『普段、真田はどういう接し方をしているんだろう、あの子に…』
もしかしたら、薙刀でも習わせているんじゃ…と思っているところで、彼女が消えたその場所に新たな客が現れた。
「おい、手塚」
「ん?…跡部?」
「聞いたか? 今日は昼休みの前に全員を集めて何やら連絡事項があるらしい。中学生は全員、外の集会場に一時集合する様にとの事だ」
跡部が忍足達と共にそこを訪れ、一つの情報を提供してくれたのだ。
集会場へ行くには、元々氷帝がいた場所からはここは丁度通り道に当たるので、ついでに教えてくれたのだろう。
そうでなければこの男がわざわざ自分から足を運んでくる筈がない。
「そうか…分かった。教えてくれて有難う」
「いや…ん?」
ふと、彼の視線が相手方が手にしていたクッキーの包みに留まる。
「それは…あの女、ここにも来たのか?」
それがあの娘の置き土産であったことを覚えていた跡部は、きょろ、と辺りを見回して桜乃の姿を探す。
何気に気になっているらしいが、突っ込んだらどうなるか分からないと冷静に判断した忍足が黙っている間に、手塚がおや、と相手の反応に目を向けた。
「お前も会ったのか?…ああ、集合が掛けられているのなら、真田が部屋に戻るのも遅くなるな…済まない事をしたか」
「仕方ないよ、僕達も知らなかったんだし…それにどの道部屋には戻るだろう」
不二のフォローは確かに的を得ている。
「真田…?」
意外な人物の名前を聞き、跡部の眉がひそめられる。
何でこんな処であいつの名前が…?
「あの女と何の関係が…」
「妹なんだって」
さらっと言った越前の暴露に、びた、と跡部の身体が固まった。
妹…?
「…誰が?」
「このクッキーくれた人」
「誰の?」
「あの立海の怖い副部長サン」
「………どうせつくならもっとバレにくい嘘を」
「だって本人が言ってたもん」
そして集会場に彼らが赴くまで、その場は一時騒然となった…
一方、自分の所為でそんな事になっているとは露ほどにも思っていなかった桜乃は、本館の受付で真田の部屋を尋ね、無事にそこに辿り着いていた。
「はー、ちゃんと壁に案内板があったら助かるなぁ…迷ってもいつかは着けるもんね…よし」
彼女が前にしている扉…の横にあるプレートには、しっかりと『真田弦一郎 立海大附属中学』と記載されている。
各扉に付随しているカードリーダーに情報を読み込ませ、かちゃりと扉を開けて入ると、洋風のシックにまとめられた部屋が目に映った。
「わ…意外と広い」
個室である事にも驚いたが、その内装もかなり贅沢に作られている。
窓は大きく日当たりも良く、テレビや椅子、机は言うに及ばずネット環境完備…ベッドは大きく真田ぐらいの高身長の男性でも問題ない。
確かに人がいる生活感は感じるものの、それが目立たないのはやはり兄がきっちりと整理整頓を徹底しているからだろう。
「うん、綺麗にしてる…じゃ、待っている間、ちょっと私もお手伝いを〜」
荷物をその場に置いて、早速桜乃は部屋の掃除に取り掛かる。
床から机から、果てはベランダやバスルームに至るまでを素早く手際よく掃除する姿には全く淀みがない。
それでも、全てを掃除し終えた頃までには結構な時間が過ぎた筈なのだが、いまだに兄がこの場を訪れる気配はなく、流石に桜乃も不安になってきた。
「ま、まだ来ないのかなぁ、お兄ちゃん…」
気になって、桜乃は掃除を終えると再び扉へと向かってそれを開き、ぴょこ、と顔を覗かせた。
その目の前の廊下を、すっと通り過ぎる人影…
「う?」
「…?」
思わず出してしまった声に向こうも気付き、足が止まる。
振り返った相手は、見たことも会った事もない、初対面の若者だった。
「あ、こんにちはー」
目が合ってしまった以上、挨拶は人間関係の基本である。
しかし桜乃の挨拶を受けながらも、男はすぐにはそれを返さず、じっと相手を見つめていた。
男は短髪で長身…瞳が鋭く、冷たい印象。
視線の鋭さだけなら兄である真田も負けてはおらず、かなり畏れられている事は知っている。
しかし、視線の奥に控える瞳の抱く冷たさは、兄とは全く逆のものだった。
真田を熱血漢としたら、この男は冷血漢…あくまでも極端な印象に過ぎないが。
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