(あれ…? 何か粗相しちゃった?)
相手の鋭い視線に違和感を覚えた桜乃がおどおどとしている間に、若者は桜乃が顔を出している扉の横のプレートを確認する。
『真田弦一郎』
「…」
確認して、その若者は再び前に視線を戻しながらきっぱりと断言した。
「真田弦一郎、強制退去決定」
「ふえええええっ!!!???」
どう見ても自分が原因としか思えない相手の決定に、桜乃が大慌てで取り縋った。
「うわああああんっ! どどどどどうしてですかぁ〜〜〜!?」
「合宿中に女を連れ込む様な輩には、ここに留まる資格などない。お前も早々にここから出て行け」
どうやら家族ではなく友人か何かの関係と思われた様だが、当然桜乃にとっては迷惑な誤解そのもの。
ここで引き下がっては自分だけではなく、兄にも迷惑を掛けてしまう!
「あの!! 私、妹です!! 家族の面会でここに来てます〜!」
「…妹?」
桜乃の必死の訴えに男は足を再び止めて、彼女を上から見下ろした。
華奢で大人しそうな少女は、しっかりと自分の裾を掴んでこちらを上目遣いで見上げており、それは明らかに動揺の所為で潤んでいる。
細身な身体と面立ちは、どう見てもあの頑健な男とは重ならない…
まだ半信半疑の様子だった男の耳に、突然、何者かの大声が響いてきた。
『あ―――――――――っ!! おさげちゃんだーっ!!』
「!?」
はっと桜乃が廊下の向こうを振り返ってみると、丁度集会が終了して自室へと戻って来たらしい立海メンバーが揃っていた…勿論、真田の姿もある。
「さ…桜乃…っ!?」
「桜乃ちゃん…?」
愕然とする真田の隣では、同じく幸村が眉をひそめて少女を改めて確認していた。
絶対に来ないだろうと思っていた子の姿が、何故あんな処に…しかも、彼女が縋っている相手は、あれは…
「うげ…」
思わず声を上げたのは、中学生の中で最も早く相手の底知れなさを実感していた切原だ。
「…徳川カズヤ…だったな」
柳が淡々と相手のフルネームを確認する様に呟いている間に、桜乃は一度徳川の手を離し、真田の許へと走り寄ると、迷わず彼に抱きついて行った。
「うあぁぁん、弦一郎お兄ちゃんっ!!」
「桜乃!? どうした、一体…!」
その場面だけでも結構な騒ぎなのだが、更に最悪なコトに新たなギャラリーが増えてきた。
『あれ? あの子…』
『真田の妹だよにゃあ……にしてもちょっと密着度、高くない?』
青学の越前と菊丸の声が聞こえると、続いて氷帝の跡部や向日の声も混じってくる。
『……どう見ても男女の修羅場なんだが…本当に兄妹なのか?』
『先輩と女を巡っての三角関係かぁ…やるなぁ、真田も』
どうやら、集会を同じく終えた青学と氷帝の面子も、各自の部屋に戻って来たらしい。
「ごめんなさい、お兄ちゃん! 何か、私の所為で大変なコトに…」
「なっているのはよく分かる…」
取り敢えずギャラリーの誤解は後で痛い目に遭わせてでも解くとして、どうしてあの高校生が桜乃と一緒にいたのか、という理由が知りたい…
「…俺の妹に何か?」
例え先輩であっても、大事な妹に変なちょっかいを出したということであれば容赦しない…と、ぎらっと睨みつける姿は流石に皇帝の風格。
「よく分からないけど、私がここにいたからお兄ちゃんが追い出されるって…」
「なに?」
「妹…本当に…?」
言い逃れる為の虚偽ではなかったのか…
改めて徳川は立海の方を見遣ったが、真田のみならず他のメンバー達も一様にきつい視線をこちらに向けてきている。
他人ではあるが、桜乃が彼らにとっても守るべき対象なのは真田と同じなのだ。
「彼女は真田桜乃…弦一郎の妹だよ。一体誰だと思っていたのかな…ねぇ、徳川先輩」
口調は穏やかだが、心中は決してそうではないだろう幸村の問い掛けに、徳川は全く動じる事もなくきっぱりと答えた。
「情婦」
ぴしっ!!
「わーっ!! 真田そこまでっ!」
「手ぇ出したら今度こそマジで追い出されますってばーっ!」
これだけ長く付き合っていたら、仲間もすっかり慣れたものである。
相手の頭の中で何かが割れた音を聞いた瞬間、ジャッカルと切原が早速彼の身体を押さえつけて宥めたが、当人は全く収まる気配を見せなかった。
「離せ!! せめて一刺し!!」
「ラケットじゃ無理だって!!」
実の妹をいかがわしい女性に見られた事が余程気に障ったらしい…まぁ身内としては当然の反応とも言える。
「…で、どっちが養子なんだ?」
「何だか先輩のことが他人に見えないな」
何気なく人の心を抉るような言葉を、ここまで軽く言ってのけるとは…
自分に通じる何かを持っているのかな?と思いつつも、そう言う幸村の笑顔もまた、何処か陰が滲んでいる気がする。
そんなメンバーを、一歩離れて傍観しているのは日和見主義の詐欺師と紳士だった。
「情婦って…フツーの高校生で言わんじゃろ? せめて恋人とか…」
「フツーの人間ならこの場にいないでしょうという突っ込みは今更でしょうねぇ」
そんな賑やかで危険な現場に、更に外野が乱入。
『あー!! おったで!? あん子やろ!? クッキー配っとるって行商人!!』
『あ…ホンマに女の子や』
『結構むぞらしか子ばい…何ばしとっちゃろか?』
あのコテコテの方言の一団は…と皆がその学校名を思い出すより早く、内一人のやんちゃ小僧がいきなり突進してきたかと思うと、よりにもよって桜乃に激しくタックルをかましてきた。
『ちょっ…待ちーや金ちゃんっ!! 何かヤバイ感じがするであそこ!!』
それは、その場の異様さを感じた傍の若者が止める隙も暇もない程の物凄いスピードで。
「ねーちゃん!! ワイにもクッキーくれーっ!!」
「きゃ…っ!」
どさっ…
鉄砲玉の様な少年の突撃に、桜乃はあえなくダウン…もとい、あっさりとその場で押し倒されてしまった。
「…え?」
『……………』
例え、少年本人には全くその意志がなかったとしても、見た目はどうしても『女子を襲う若者の図』。
「あっ…あのう…」
他の全員が硬直してその図を凝視する中で、真っ赤になって桜乃が声を掛ける。
一方、押し倒した当人はきょろっと大きな目を相手に向け…はっと何かを思い出して仲間達の方へと振り向いた。
「小春――っ! ワイ、女の子押し倒したで、これで文句ないやろ!?」
「…………」
文句のない筈がない…
それまでは徳川にのみ激しい敵意を見せていた真田が、ゆらっと不気味なオーラを漂わせてその少年の傍に立った。
緊急事態につき、ターゲット変更…
「えーと…つかぬ事を伺いますが、あの女の子と真田のご関係は?」
何だか物凄くヤバイ雰囲気だと思いつつ、白石がひきつった笑みで仁王に尋ねると、向こうは視線を逸らせて厳かに合掌。
「…実の兄妹じゃ。赤城の月も今宵限り…」
「金ちゃん、逃げて〜〜〜〜〜っ!!!!」
「へ?」
言ったところで、最早手遅れ…
「本当にケダモノの檻かココは―――――――っ!!!」
最早、暴走する真田を止められる者は誰一人としていなかった……
騒動が落ち着いた後…その場にいたメンバー含めた人員全てが、黒部コーチの部屋に呼ばれていた。
「ううう…ぶたれたぁ…テニスやのうて、ゲンコツで思い切りぶたれたぁ…あのオッサン嫌いや〜〜〜」
「はいはい」
頭に大きなコブを作った遠山がべそべそと千歳に泣き付いている傍ら、白石は呆れ返った表情でそんな仲間を見下ろしていた。
「当たり前やろ! 目の前で妹押し倒されたら、普通の兄貴でも発狂するわ…真田に殺されんかっただけでもめっけもんやで!」
「何で押し倒したらアカンねん」
「…………」
知ってはいるが教えたくもない…と苦悩の部長が背を向ける。
四天宝寺がそんな事をやっている間に、コーチは現場にいた代表の徳川から概要を聞いた後で、はぁ、と小さく息を吐いた。
「成る程、大体の経過は分かりました。家族の来訪は許可されている以上、妹さんを責める事は出来ませんね」
「……コーチ、質問です」
「何か、徳川君」
「騒動ではありましたが乱闘の様な暴力事件もなかったのに、わざわざコーチの部屋にまで呼ばれた理由は?」
「ぼーりょくあったやないか! ワイの頭見てみい!!」
証拠のコブを見せようと遠山が声を荒げたが、千歳がそんな少年を止めた。
「やめた方がよかばい…どう考えても見た目こっちの方が重罪やけんね…」
「?」
結局、自分はまだまだ子供であることを暴露してしまった遠山が一時発言を止めた隙に、問われたコーチがくるっと背を向け、はぁーと再び溜息。
「敷地内で謎の行商人がクッキーをばら撒いていると通告がありましてね…流石に前例がなかったので、この際現場にいた全員を呼んだほうがいいだろうと判断しました」
「相変わらず無駄に凄いですね、ウチの監視体制」
嫌味なのか、それとも本心から感心しているのか、徳川の口調は淡々としていて掴みどころがない。
(そりゃあ前例なんかないだろうよこんな事件…)
身内の面会に来ただけの只の少女が、謎の行商人に間違われた上に情婦扱い、とどめに見ず知らずの少年に押し倒されたなんて…
『…本人は至って呑気やけどなぁ』
『合宿開始早々、ここをここまで賑わせた伝説になるぞ、あの女…』
あくまでも傍観者として呼ばれた氷帝の帝王達も、寧ろ面白いものを見せてもらったといった様子で前を見据えている。
その反対側の場所には青学の面々。
『…けどまぁ、実際には真田サンが拳骨で済ませたのも、他の立海のメンバーが暴走を上手く止めてたからだよな〜』
『アレまともに放置してたら絶対に死人出てたと思うにゃあ…』
『何かの映画みたいだったッス…』
『しかもそれで立海は全員が無傷とは…データの更新が必要だな』
テニス以外の処では絶対怒らせるまい…と改めて誓った青学の面々だった。
そんな中、コーチが立つ場所の前に立たされているのは、当然、騒動の元凶にもなった立海メンバー…その中でも真田と桜乃が彼の真正面に並んで位置していた。
「まぁ暴力と言っても揮われたのは遠山君への諌めの拳骨ぐらいですし、真田君の心情を慮るところも多々あります。始まったばかりの合宿で、いきなり全員の士気を失速させる真似も控えたいのでね、今回は不問ということにしましょう」
「あ、有難うございます…!」
「………」
悪いコトをした訳ではないのだが、自分の所為で兄が追い出されるかもしれないと危惧していた桜乃は、一番の不安が払拭された事で深く頭を下げながら感謝の言葉を述べた。
しかし、脇に立つ真田はむすっと不機嫌な表情を隠しもしない。
そんな兄の心情を察してか、コーチは徳川に軽く注意をした。
「しかし徳川君も、女性にいきなりああいう発言は控えた方がいいですね…何を根拠にそう言ったのかは知りませんが」
「主に顔です」
「…………・・」
即答した若者に桜乃が唖然としている隣で、真田の身体が小刻みに震えている。
(ブッ潰す…!!!)
絶対に、第一コートからこいつを引き摺り落として、踵で踏みつけてやるっ!!と真田が固く誓っていると、コーチが部外者である筈の桜乃に再度きろりと目を向けた。
「さて、桜乃さん…でしたね」
「はい…」
「…不問とは言いましたが、今回貴女が原因で騒動が生じたのは事実ですから、これからは一つペナルティーを課します」
「はい…?」
「な…っ、桜乃は何も…」
ただ、自分に内緒で来ただけで…しかもそれは家族間の問題でもあるし、と言い募ろうとした真田が口を開く前に、コーチはそのペナルティーについて語っていた。
「難しい事ではありません。これからここに見学に来る時には絶対に一人では出歩かない様にして下さい…後は、来る時には必ず連絡を入れるように」
「え?」
「貴女に悪意がないのは分かっていますが、また同じ騒動が生じないようにね…来た時に付き添いを願う相手は知己でもお兄さんでも構いませんが」
「え…そうですか? うーん…でもいつもお兄ちゃんの邪魔したら悪いし…」
「じゃあ俺が」
「いやいや、俺が」
「や、俺だってば」
次々挙手する立海の男達を押し退けて、真田が桜乃の手をしっかりと握りながらコーチに宣誓した。
「俺が責任を持ちます!!」
「では宜しく」
『ちっ…!』
「…何か今、やけに力強い「ちっ」が聞こえたッスよ…」
「知らない振りした方がいいぜ、越前…」
「何と戦ってるんだ、真田…」
越前や桃城、大石がそんな呟きを漏らしている間に、その場はコーチの一言で一応の決着を見た。
「宜しい…解散にしましょう」
そして、ぞろぞろと部屋から出てきた立海メンバーは再び真田の部屋に向かいながら桜乃をぞろりと取り囲んでいた。
この合宿所に来て初めての面会には、真田のみならず他の男達も感激していた。
「トラブルはあったけどさぁ、おさげちゃん来てくれておにーちゃん嬉しいっ!」
「すみません、ご迷惑をお掛けしました…」
良かれと思ってやった差し入れが、こんな事態を引き起こすなんて…と反省している桜乃に、真田が渋い顔で忠告した。
「全く…何事もなかったから良かった様なものだぞ」
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
素直な妹が謝罪したすぐ隣で、代わりに幸村がぼそりと真田に痛い一言。
「…そもそも君が桜乃ちゃんに面会の件を内緒にしてなければ無かった騒動だけどね…」
「う…」
核心を突かれて真田が口篭ったが、それについてはもういいと桜乃が笑った。
「いいんです、私はここに来る事が出来るって分かっただけで嬉しいですから…お兄ちゃん、これからもここに応援に来てもいいよね? やっぱりずっと会えなかったら寂しい…」
「う…」
んぺと…とくっつかれて、真田が動揺しつつ目を逸らす。
「し…仕方ない。迷惑にならない様、節度ある行動を心掛けるのだぞ」
「うん!!」
「なーんじゃ、桜乃。寂しいんなら俺に言ってくれたらいつでも傍にいてやるぜよ?」
「あっ、ずりー、抜け駆けはナシっすよ先輩」
「フェアではありませんね、仁王君」
ぞろぞろぞろ、と妹に言い寄ってくる仲間達から自身が堤防になりつつ、真田が怖い顔でしっかりと彼女に念を押す。
「だがここに来る時には、絶対に! 例外なく! 俺に連絡を寄越せ!!」
「う、うん…?」
戸惑う桜乃が彼らと兄の部屋に向かっているその背後では、他校の面々がそんな男達の姿をつぶさに観察していた。
「面白ぇな…真田は見事なシスコンだし、他の奴らもいつもの立海とは大違いだ。どんな奴なのか更に興味が湧いてきた…あの妹」
「…知らんで、ミイラ取りがミイラになっても…」
跡部は口元に手を当ててほくそ笑み、明らかに『暇潰しにこれからちょっかいを出してやろう』と言わんばかりの態度だったが、そんな帝王の隣では忍足が視線を逸らして痛烈な一言。
「…気持ち悪いッス」
「蓮二から聞いた話だが、真田は立海のメンバーにも妹がいることを最近まで内密にしていたらしい…彼女に近づいたところで奴の攻撃を受ける可能性、二百パーセント…」
「そう言われると恐いもの見たさでやってみたくなるよね…」
そんな他校の会話があった事には果たして気付いたのか、それとも完全に無視していたのか、立海がそれ以上他校に関わる事は無くその日は終わったのである…
そして以後、桜乃が合宿所を訪れた日はどうなったかと言うと…
「あ! 白石、カルガモーッ!」
「んー? ああ、来とったんか、彼女」
四天宝寺がコートに立っているその向こうの道を、真田が悠然と歩いてゆく。
そしてその男のすぐ後ろを、妹がちょこちょこと付いて歩いている。
どうやら、入り口のところまで真田が迎えに行ったところらしい。
あれから真田は己の言った言葉通り、桜乃の連絡を受けたら必ず、正門に彼女を迎えに行っている。
妹を連れて並んで歩く姿がカルガモの親子を連想させるということで、彼らはいつからかそういう通称で呼ばれているのだった。
しかも、立海のジャージの色そのものも、カルガモのそれに似ているので、呼び名が定着するのにそう時間は掛からなかった。
「なかなか微笑ましかねー」
にこにこと笑いながらそう言った千歳に、白石は少しげんなりした顔で語る。
「…二人だけならなぁ」
確かに微笑ましいんやろうけど…
彼がそう言っている傍から、向こうのカルガモ兄妹の周囲に新たなカルガモ達が出現。
勿論、同じ色のジャージを着ている他のメンバー達であった。
「……カルガモの雛の養育権を巡る内部抗争かぁ」
「最近は、別の種類の奴らも参戦しとるからなぁ…セキセイインコとか」
「あー青と白と黒のねー」
殆ど異種格闘技戦やね…と傍観する彼らの視界の向こうでは、賑やかなカルガモの一団がそれでも仲良く一羽の雛を連れて歩いていた。
了
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