限定カイロ
一月一日…元旦。
ぱんぱんっ!
某所の神社にて、賑わう人ごみの中、立海大附属中学三年生の真田弦一郎は実に厳粛な面持ちで柏手を打っていた。
昼前だが、早朝という訳でもない今の時間になっても、参拝客は減るどころか一層増えていっている。
(今年も、一年恙無く過ごせるように…家族も災いなく安泰であるように…)
ぶつぶつと小さく祈念の言葉を呟いていた真田だったが、その頭の中に、願い事に誘われた様に様々な懸念が湧いてくる。
(そして今年こそ立海テニス部の全国制覇を成し遂げて…いやそれより先に赤也、あいつの怠け癖は何とかならんものか! 神仏に頼るものではなかろうが、あれは最早性根の域をも越えている…!)
思う程に眉間の皺が増えてゆき、隣の参拝客すら慄かせる程の真田の気合いの入れ様だったが、果たして神に願いが届いているのかどうかは定かではない。
そんな彼の脳裏に、ふ…っと或る願いが浮かんだ。
そうだ、出来たら…願えるものであるのなら…
(もう少しだけ…あの娘と…)
最後の願いは、ほぼ無意識の内に心の中だけでのみ呟かれ…
そんな若者もやがてはっと我に返り、自分のその行為に少し焦りつつもしっかりともう三度、礼を済ませてその場を離れた。
(ううむ…あの程度の賽銭で願うには少々我儘が過ぎた様な…)
賽銭の話どころではなく、そもそも金で解決出来る問題でもないのだが、まぁ世の中の一般人が初詣で願うのも、殆どはそういうものだろう。
「…ふぅ、しかし少々暑いな」
冬の季節とは言え、今日は元旦にふさわしくめでたい程の快晴。
先程まで人ごみの中にいて、更に漆黒のコートを纏っている事もあり、冷たい風も真田を苦しめるには至っていない様子だ。
普段鍛えている分、熱を生む筋肉量もかなりのものなのだろう。
「さて…」
呟き、真田がちらりと腕時計を見る。
今日の予定は、いつもの様に朝の鍛錬をこなした後にこの初詣を済ませ、他レギュラー達とテニス部部長の幸村精市の家に集まる事になっている。
部員としての繋がりだけではなく仲間としての絆も非常に深い彼らは、元旦から早速集まって皆で新年を祝うのだ。
いや…実は今年はレギュラーだけではない。
「…」
ふと、集まる予定の面子を思ったところで…
ぽんっ
「ん…?」
不意に背後から背中を軽く叩かれ、反射的に真田が振り向いた。
今のは誰かがぶつかったのではなく、明らかに意図して叩いたものだ。
そして振り返った先で彼が見たものは…
「む! り、竜崎?」
ほんの数瞬前、自分の脳裏に思い浮かべていた少女の姿だった。
今日は流石に制服姿ではなく、しっかりと寒さに備えて着込んだ私服姿である。
振袖姿ではないのは、この後彼女も幸村宅に向かう予定を考えてのことだろうか…
クリーム色のコートに下は膝下までのスカートに黒タイツと、制服姿に見慣れている真田にとっては、それも十分に珍しいもので目の保養になった…絶対に言わないだろうが。
「ふふ、やっぱり真田先輩だったんですね」
驚く若者の前で柔らかく微笑んでから、その少女…竜崎桜乃は居住まいを正して深くお辞儀をした。
「あけましておめでとうございます、真田先輩。今年もどうぞ、宜しくお願い致します」
「あ、ああ、おめでとう。こちらこそ、宜しく頼む…」
何とか平静を装いつつ返事を返した真田だったが…
「…」
桜乃の目の前でそわそわと落ち着きなく身体を揺らす様は、到底装いが成功しているとは思えないものだった。
そんな彼の姿を受け、徐に桜乃はきょろっと辺りを見回しながら…
「……もしかして、誰かとデートでした?」
「っ!?!?」
瞬間、真田硬直。
そして更にその次の瞬間には、ずざざっ!と滅多に見せない後退姿を披露していた。
「んなっ…なっ、なんっ…!!??」
本当は『何を言うのだ』と問い返したかったが、動揺が過ぎて呂律が回らない。
そんな慌てるばかりの真田に対し、桜乃は相変わらずのほほんとした様子で首を傾げていた。
「あら違いましたか……慌ててらっしゃったから、てっきり恋人さんとでも一緒なのかと…」
「違うっ!!」
今度こそ真田が大声で否定した。
「そ、そういう関係の人間が俺にいる訳なかろう! ここには一人で来ている。ま、まさかお前とここで会えるとは思っていなかったから…多少動揺しただけだ」
「はぁ、そうなんですか?」
「…………何だその疑問詞は」
「いえ、いる訳ないというのが意外で…あんなにモテてるのに、真田先輩」
「……は?」
「よく練習中でもきゃーきゃー言われてるじゃないですか」
「………」
「………」
「………」
唖然とする相手に、桜乃が眉をひそめて確認した。
「…もしかして、気がついてなかったんですか?」
「………全く」
「…流石にそれは鈍感過ぎるんじゃ」
「し、仕方なかろう!! あまり騒々しい女子は苦手なのだ、妙に疲れる…それに」
「…それに?」
「!…な、何でもない」
問い返されたところで真田がはっと我に返り、首を横に振って話題を変える。
「そ、れよりお前は今から初詣か? 見たところ、来たばかりの様だが…」
「はい、ちょっと着替えに時間が掛かってしまって…晴れてると思ったのに、意外と寒いんですね」
「ああ…気温は結構低くなるという予報だったからな」
「…真田先輩、あったかそうですね」
じーっ…
「まぁ…黒のコートだからな」
じーっ…
「熱と光を吸収する分、多少はましに…」
じーっ…
「……」
真っ直ぐに何かを期待する様な視線で見つめられ、真田がむずむずする気持ちを抑えつつ身体を揺らすと、そこでようやく桜乃も自分の行為に気がついた。
「あ、すみません! ええと、じゃあ私、お参りに行ってきます!」
「あ、ああ…気をつけてな」
労いの言葉をかけ、少女が参拝客の列の方へと歩いて行く姿を見送った後…真田はがくりと肩を落として一人落ち込んでいた。
(しまった…動揺のあまり、つい…)
初詣早々…しかも祈願したばかりと言うのに、早速失敗してしまった。
こういう時、相手に言うべきだったのは『気をつけて』ではなく、『俺も一緒について行こう』という台詞だった筈なのに!!
(…もう少しだけ近づきたいと願ったばかりだのに…この調子では、今年も去年と同じか…)
神に願ったところで、自身が変わらなければ何も変わらないのだろうことは理解している、しかし…
(…年初め早々に会えたから、ご利益をらしくもなく期待してしまったな)
あの娘にいつの間にか心を奪われて、取り返せないまま年を越した。
奪われた心の代償に、あの娘の心を求めるのは、それは我儘か…
「…まだ少し、待ち合わせには時間があるな」
思いを振り払おうと、再度腕時計を見た真田だったが、ついまた桜乃が向かっていった列の方を見てしまう。
今からでも、同行すると言ってみようか…いや、しかしそれはまた不自然なのでは…
落ち着けず、列に向かう決心もつかない真田が立ち往生している隣を、見知らぬ若者達がすーっと通り過ぎてゆく。
「結構混んでんじゃん。マジで行くのかよ〜」
「いいじゃんか、たまの事だしさ。それにあんだけぎゅうぎゅうだと、隣がカワイコちゃんだったら話しかけるチャンスにもなるしラッキーじゃん。新年の運試しってやつだよ」
そして、その場には、嫌に殺気立った若者が一人残された…
「……」
真田if編トップへ
サイトトップへ
続きへ