「あら、真田先輩?」
「ま、まだ多少精市の家に行くまでに時間があるのでな。特に用事もないので、良ければ同行させてくれ」
 ふと背後の気配を感じた桜乃が列の中振り返ると、いつの間に来ていたのか、やや呼吸を乱した状態の真田が真後ろに立っていた。
 呼吸の乱れは勿論、桜乃に追いつく為に人の波を掻き分けていった事にもよるが、一番は、桜乃が誰かに如何わしい事をされるやもしれないと勝手に心配した真田が、これまた勝手にやたら気合いを入れてしまった事に依るものである。
「はい、構いませんよ? 何かお願い忘れがありました?」
「いや、そういう訳でもないが…と、また狭くなってきたな。大丈夫か竜崎」
 周囲の人の波から守るように、真田が何気なく伸ばした腕で桜乃を囲む。
「はい…あ」
 その腕に触れた桜乃が急に嬉しそうに笑って、ぎゅ〜っとそれに縋りついてきた。
「り、竜崎!?」
「あったか〜〜い!」
 どうやら真田の腕を覆っていた例の黒コートから、熱と光を十分に吸収した恩恵を分けてもらっているらしい。
「こ、こら、竜崎…」
 うろたえる若者の声も今は聞こえていないのか、桜乃は温かいコートの熱を求めて尚真田の腕に縋りつき、すりすりと頬ずりまでしている。
「う〜〜、人の中にいてもやっぱり寒くて…はー、ほかほか…」
「〜〜〜〜」
 はしたないと叱る気持ちも悉く萎え、代わりに『可愛い』と思う気持ちを持て余している。
 人生で初の感情に振り回され、微妙な顔をしていた真田だったが、流石にそれだけされると向こうが本当に寒がっているのはよく分かった。
 何とかしてやりたいが、これだけ人が周りにいると自分がコートを脱ぐ動作も難しく、迷惑になるだろう。
「…仕方ないな」
 身動きがなかなか取れなくともこれぐらいなら出来るだろう…と、彼はコートの前を開けるとその両端を持ち、中に桜乃を抱き包むような格好を取った。
 不意に後ろから感じた大きな温もりに、驚いた桜乃が背後を振り仰ぐ。
「わ…さ、真田先輩…?」
「き、今日だけだぞ。新年早々風邪をひかれては困る」
「〜〜〜」
 振り仰ぎ、自分を見つめていた少女の顔が、見る見るうちに真っ赤になってゆく。
(うっ…!)
 それを間近で見てしまった若者の胸が、どきんと激しく高鳴った。
 もう知っているつもりだったが……やっぱり、可愛い…
「あ、有難うございます…」
 自分の顔が赤くなったのが分かったのか、桜乃は恥ずかしそうにその顔を急いで俯け、真田から隠した。
 しかし、今度はその姿勢で彼女の白いうなじが露わとなり、男の視線をまたこれでもかと刺激する羽目になってしまったのだが。
(ど、何処に目を遣ればいいのか分からん…!)
 視線を彼女の首筋に向けては慌てて境内の方へと逸らす行為を繰り返していたところで、ふと真田の耳に桜乃の呟きが聞こえて来た。
「やっぱり…モテますよ、真田先輩」
「…え?」
「女の子にこれだけ優しいんですもん…こんな事されたら、誰でも嬉しく思うに決まってるじゃないですか…でも気をつけないと、誰にでも優しいと『この人は私が好きなんだ』って勘違いする子も出てくるかもしれませんよ?」
「…!!」
 違う!と、思わず叫びそうになってしまった。
 何とかそれは堪えたが、誤解を解いておかないといけない事が、相手の発言の中に色々と盛られている気がする。
 そもそも自分はこういう事をしてやる女子の知り合いなど彼女以外にいないし持つ気もない、それに優しいと言われるよりも寧ろ、普段は真逆のことを言われている、思われていることぐらいは自覚している。
 仮に、万一そうだとしても、自分の気持ちは決まっているのに…
 どうしよう、一体何処から…と考えている内に…
(……ん?)
 ふと、気がついた。
(え…?)
 それなら、もしかして…
 まさか、と思いながら尋ねてみる。
「…その、お前も…嬉しく、思うのか?」
 ぴくん…
 その言葉が終わるか否かというタイミングで、桜乃の肩が動揺を示す様に小さく動いた。
 そして、真田の目の前で、白かったうなじさえもがうっすらと朱に染まってゆく。
「それは、まぁ……私も、『女の子』ですから…」
 最後の言葉は殆ど消え入りそうなものだったが、『YES』ということは十分分かった。
「…なら…」
 いきなり核心に近い質問だったが、もう尋ねずにはいられなかった。
 もし尋ねずにいたら、これから先、悶々とした気持ちのまま過ごす事になる、それこそ自分には耐えられない苦行だ。
 返ってくる返事が何であるのか…期待と不安で、真田の喉が渇き、動悸も激しくなっていた。
「…お前は…『俺がお前のことが好き』と…思っているのか?」
「それは…」
 一度、口を噤み、桜乃は少しの間を置いて小さく首を振った……横に。
「…だって、勘違いしたら迷惑じゃないですか、真田先輩に…好きでもない人に一方的に迫られても嫌でしょう? 大丈夫、私は勘違いしてませんから…分かってますから」
 努めて明るく振舞う声だったが、端々が小さく震えているのが分かる。
「……」
 違う、な…お前の本当の答えは、横に振られた首ではなく、『言葉』でもなく、その『声音』だろう?
 ようやく見えたお前の心をそのまま放っておく程…俺は無欲ではないぞ?
「ああ……確かに勘違いは困るな」
「!」
 再び桜乃の小さく震えた身体を、抱き包む腕の力を込めながら、真田が彼女の耳元に唇を寄せて囁いた。
『俺が…誰にでもこんな事をしていると勘違いされてもらっては…困る』
「…!!」
『そして…』
 小さく身を捩った相手の身体を逃がすまいと更に力強く捕えながら、真田は続けた。
『…『俺がお前のことが好き』だというのが、勘違いだと思われるのも、非常に困る』
「!!」
 がくん…っ!
「っ!? おい…!?」
 急に膝を曲げ、脱力してくずおれそうになった少女の身体を間一髪で捕え、真田が声を掛けた。
 色好い返事を期待していたが…この反応は予想外だった。
「竜崎…!?」
「ずるい、です…真田先輩…」
「え…」
 支えた少女がゆっくりと振り返り、瞳を相手のそれと合わせた瞬間、今度こそ相手の男は視線を逸らせなくなった。
 潤んだ瞳と上気した頬、白く煙る呼気を漏らす唇…
 これまで一度も見た事がない艶やかな表情を向けながら、桜乃は拗ねた様に…しかし明らかに照れながら文句を言った。
「そんな事、いきなり耳元で言うから…力が抜けちゃいました…」
「す、すまん…その…移動するか?」
 立てないままならここに留まるのは辛いだろうかと、動悸が治まらないままの真田が必死に気遣ったが、対して桜乃はふるるっと首を横に振って断った。
「いいです…このままこうして」
 一度離した手を再びそろっと男の腕に乗せ、小さく願う。
「…抱いてて下さい」
「!!!」
 男にとっては正に据え膳という状況だったにも関わらず、石の様に固まってしまい、動けるようになってもようやく元の様に抱き包む格好を取るのが精一杯だったのは…周囲に人がいる事を考えると良かったのか悪かったのか…
「そ、そうか……その…それで」
「?」
「…お前の答えを…聞いていないのだが…」
 声色でほぼ確信を得られているにも関わらず、やはりしっかりとした返事を貰わないと落ち着かないのか、真田が再び不安げな声で尋ねる。
「……これからもこうしてあっためてくれるって約束したら、答えてあげます」
「ん…?」
「…今日だけなんでしょ?」
 確かに少し前にそう断りを入れていた自分の発言を思い出し、男は思わず苦笑した。
「……お前も結構意地が悪いな」
「ふふふ…」
「…良かろう。相手がお前なら、安い物だ」
 ふっ切れた様に笑う若者に、はい、と答えた娘は、相手の腕に手を乗せたまま言った。
「私、真田先輩…弦一郎さんのことが大好きです」
「!!」
 ようやく望んだものを得られた幸福に真田は夢見心地になり、それから再び社に着くまで、ずっとその幸せを噛み締めていた。
 桜乃がようやく参拝出来たところで、相手に振り返る。
「…何かまたお願いしないんですか?」
「いや…俺はもういい」
 願ったこと…早速叶えてもらったからな…





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