(改めて見ると…馬鹿馬鹿しさ極まりないな)
自分の教室に戻って、真田は改めて桜乃から没収したブロマイドを見つめていた。
周囲の生徒は、まさか彼がそんな物を見ているとは夢にも思わず、誰も注意を向けていない。
真田の見つめるカードには実にグラマラスな女性達がきわどい水着姿で思い思いのポーズをとっていたのだが、根っから堅物の真田にとっては、何ら心動かされるものではなかった。
それはそれで少し不健全な気もするが……
(…後で焼却場で処分するか)
何の未練もないとばかりにそれを再びポケットに戻したところで、丁度教室に戻って来たクラスメートの男子が、他の級友達にある事実を告げた。
「なぁ聞いたか? 竜崎先生、結婚するんだって」
「ウソ、マジ!?」
「誰とっ!?」
いきなり騒がしくなった隣のグループの傍で…真田が彫像と化していた。
(……竜崎先生…が…?)
結婚…する…?
呆然とする彼の耳に、更に信じられない言葉が届けられてきた。
「それが、どっかの資産家とだって」
「うわ、玉の輿かよ〜」
「しかもさ、大して相手と会ってもいないのに、さっさと決めちゃったってさ。やっぱ女は金の力に弱いのかねぇ」
「いや、そりゃ男もだろ」
(金…資産家…?)
そんなモノが…結婚を決めた理由…?
真田の頭の中に、これまでの桜乃の姿が鮮明に甦ってくる。
いつも輝きに満ちていて、朗らかで優しくて…誰よりも生徒を理解してくれていた人。
いや……生徒ではなく…俺を理解してくれていた…そう思っていた。
なのに、貴女は…そんな、そんなものに心を惑わされたというのか…!?
貴女という人は、本当はそんな人間だったのか!?
貴女は……俺を…裏切ったのか!?
『…遊ぶことも恋をすることも、大人になるには大事なコト』
これが貴女の言う大人になる為の手段なら…俺はそんなものなど認めない!!
「俺は…」
沸々と湧き上がる激しい感情が、己に教えてくれた。
自分がどれだけ…竜崎桜乃という女性を……
「失礼します」
「? 真田君…?」
放課後になり、真田は職員室に入ると真っ直ぐに桜乃の机に近づき、そこに座っていた彼女に上から声をかけた。
「…少しお時間を頂きたい」
「え…?」
何事かと思う間に、桜乃は相手に腕を掴まれて、半ば強制的に立ち上がらされていた。
「ちょっ…」
戸惑う相手にも構わず、真田は桜乃を連れて職員室を後にすると、ずんずんと廊下を脇目も振らずに歩いて行く。
「ちょ、ちょっと、真田君!? どうしたの?」
「……」
今は、相手の困惑する言葉すらも、真田の神経を逆なでするだけだった。
何も言わず、断りもせず、彼は一つの部屋…風紀委員室へと桜乃を連れて行くと、無理やり彼女をそこに入れて自分も入室し、がちりと鍵を掛けた。
「っ…真田、くん…」
「……俺は…貴女を尊敬していました」
「え…?」
いきなり、ドアを後ろにしたままそう告げた若者に、桜乃が首を傾げて眉をひそめる。
「…・常に前向きで、生徒に優しく……俺にも同じ様に声を掛けてくれる貴女を尊敬していた…なのに、貴女は…」
その気持ちを、裏切った……!!
「あの…真田君…何を…」
相手の瞳の中に本気の怒りを感じ取った桜乃だったが、どうして彼がそういう感情を抱いているのか理解出来ずに動揺するばかりだった。
彼はどうして…いきなりこんなコトを…
そんな彼女の態度に、更に真田は苛立った。
「年下だから…生徒だから、何も知らないとでも…?」
まだ分からないのか…自分が何に対してこんなに心が荒れているのか…原因は、紛れも無く貴女にあるというのに…!!
貴女に対して、汚らわしい質問はしたくなかった…しかし、もう…!
「…本当、なのですか?」
「え…?」
「…金目当てに、結婚するというのは本当なのか!?」
「ちょっ…」
どんっ!!
その大きな身体で、真田は桜乃の両肩を掴むとそのまま壁へと押し付けた。
ああ、こんなに小さくて細い身体だったのか……この身体を…貴女は他の誰かに触れさせるというのか…?
俺はこんな…こんな不本意な形でしか、触れられないというのに!!
「俺は…っ…俺は貴女に…っ!」
こんなに想っていた…生徒と教師という立場に隠れて見えなかったけど…好きだった。
それなのに、俺にはもう嫌われる道しか残っていない…貴女とせめて最後に正面から向き合おうと決めた時、それしか道は残されなかった。
覚悟はしていたが、こんな結末、あまりに酷い……
「……憧れていたのに…っ」
肩を押さえながら顔を伏せ、搾り出すような声で真田は告白した。
師の幸せな門出は笑って祝うのが教え子の務め…ならば、俺は間違いなく破門だ。
こんな、彼女を惑わせるだけの言葉しか、それしか言わず、責めてばかり…
「さ、なだくん…ちょっと…落ち着いて、ね…」
何となく話が読めてきた…と、桜乃は自分を放してくれない男に、静かに呼びかけ、優しく諭した。
「あの…私、結婚なんかしないよ…?」
「……え?」
今…何て…?
顔を上げた真田に、桜乃はちょっと困った表情を浮かべつつ言った。
「相手もいないのに、出来る訳ないじゃない…って、あまり悲しいコト、言わせないで」
「し…しかしっ…確かに竜崎先生が…」
「あの…多分、それって露崎先生の間違いよ……ほら、地理の非常勤講師で、今年四十を迎える…お金目当てかは知らないけど…」
「……っ!!」
という事は…彼女は、別に何処にも嫁ぐ訳ではなく…?
金に目が眩んだ訳でも、自分を安売りした訳でもなく…全くこの話とは無関係!?
「……あ…っ」
がばっと肩を離すと同時に、真田は桜乃から距離を置いて離れた。
自分は…何という濡れ衣を相手に…!
しかもそればかりか……心の奥に溜めていた想いを、こんな形で!
「お……俺、は…っ」
「…真田君…?」
「詫びの仕様もない…!! 俺、は…貴女に何という事を…っ」
噂を真に受けて……貴女を疑って…あろうことか糾弾まで…っ!
流石に冷静さを失ってしまいながらも、真田は必死にそこに留まりながら桜乃に続けた。
「…し、しかし…俺は、本気…です」
「…!」
「俺は……貴女から見たら、ただの生徒に過ぎない…かもしれませんが」
恋をするなら……貴女としか、したくない……
「真田君…」
一歩、こちらに踏み出そうとした桜乃に、真田は軽く手を振ってそれを止めた。
「今は、一人にして下さい……さもないと、俺は…貴女に何をするか分からない」
一度解き放った想いは、まだ心に渦巻いて、貴女を求めている…
こんな感情に不慣れだった自分は、それを抑える術を知らない…だから…出て行って…
「……いいよ」
「っ!!」
真田の忠告を聞いて…その上で桜乃は相手に向かって再び踏み出した。
「…私もね…本気」
「竜崎…先生…?」
惑う真田の胸に、ぽふん…と桜乃は身体を預けた。
「…さっきの事は、気にしないで……それだけ想われてるって事、とても嬉しかった…」
「……!」
その言葉が引き金になった様に、真田は桜乃の身体をきつく抱き締めた。
小さく、細く、柔らかな身体……もう、触れる事は許されないと思っていたのに…
「あ…真田、くん…」
少しだけ苦しそうに名を呼んだ相手に、真田は優しくその前髪をかき上げて、顔を覗き込んだ。
綺麗…? それとも可愛い…? どう言えば…伝えられる…?
「あ、あまり見ないで…恥ずかしいよ」
「…我慢して下さい…年上でしょう」
「それって関係ない…」
言い返そうとした桜乃の唇を自分のそれで塞ぎ、真田は一切の抵抗を封じ込める。
相手の言葉を最後まで待つことも我慢出来なかった。
幼い頃から、心も身体も鍛錬してきたのに…何故こんなに我慢が効かないのか…
水が欲しい…もう喉が焼け付くように渇ききっている…
けれど今は、水よりも、貴女の唇が欲しい…貴女の心が欲しい…!!
「ふぁ…っ…あ…ダメ…ッ、もうっ…」
唇から離れたら頬に、そして額に…そして、また唇に…
いつもの泰然としている男からは想像も出来ない程に情熱的な…まるで貪るようなキスの嵐に、桜乃の心が翻弄されそうになる。
(真田君…)
尚も獣の様に飢えている男に、桜乃は優しくその髪の中に指をさわりと差し入れて、そっと彼が求めていた言葉を囁いた。
「……大好きだよ…真田君」
「っ!!…竜崎先生…」
口付けだけでは満たされなかった心が…今はこんなに優しい何かに溢れている…
「俺…も…」
愛している…貴女だけを…
熱い囁きは、確かに桜乃の許へと届けられた……
それからの立海大附属高校にて…
「たまには職員室で食べないのですか?」
「え? もしかして邪魔だった?」
「そ、そういう意味ではありません! その…先生同士の付き合いというものは、大丈夫、なのですか…?」
「大丈夫、他の時間でちゃんとやってるから」
真田はあれから、風紀委員室が開いている時には桜乃と一緒に食事を摂る様になっていた。
短い時間ではあるが、それが今の二人に許された密かな逢瀬である。
「ところでね、真田君…」
「はい?」
「…またブロマイド当たっちゃったんだけど、要らない?」
再びの相手の大暴言に、真田は思い切りよく含んでいた緑茶を吹き出した。
先日、あの最初に貰った分を焼却したばかりだというのに…!!
「まだそんなコトやってたんですかあなたは〜〜〜〜〜〜っ!!!」
「だ、だってどうしてもクッション諦め切れなくて…」
強く叱る真田の剣幕に押されながらも、桜乃はひら、と相手の前にカードを出した。
「女性の私が見ても結構イイ身体していると思うんだけど…」
「たるんどるっ!!」
一喝し、真田はカードを奪い取ると、惜し気もなくばりっと全て破ってしまった。
「あ、勿体なーい…」
「こんな見ず知らずの女などより、俺は貴女の…」
「え…?」
言いかけた真田が、視線を逸らしてぼそっと続ける。
「……貴女の写真の方が…余程、欲しい…」
「!…うふふ」
年下の純情な恋人のおねだりに、桜乃は笑って頷いた。
「ね…今度、一緒に写真、撮ろうか?」
そうしたら、お互いに持っていられるし…という相手の提案に、非常に魅力を感じてしまった若者は、う…と照れ臭そうに…しかししっかりと頷いた。
「そ、れは…構いませんが」
答え方は、ちょっと素直ではなかったけれど。
「うん…でも、ね?」
「は…?」
桜乃が、笑いながら真田の腕にぎゅっと縋りついて笑う。
「今は、本物の私で我慢してね?」
「っ!!」
結局…桜乃に勝てなかった真田は、相手の可愛らしいアプローチに真っ赤になりながらも、幸せな人生の春を謳歌していた……
了
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