捕まえたいのは…


「こんにちは、真田さん」
「!? り、竜崎…か」
「はい、お久し振りです」
 時は十一月の半ば、いよいよ寒さも厳しくなった頃…
 青学の一年生・竜崎桜乃は立海のテニスコートを訪れ、真田弦一郎に挨拶をしていた。
 真田は全国的に知られるテニス強豪校、立海大附属中学の男子テニス部副部長であり、その性は剛毅。
 怠惰を何より忌み嫌い、日頃から己の鍛錬を欠かすことのない実にストイックな男である。
 性が態に顕れたのか、見た目もとても中学生とは思えない程に大人びており、彼の厳しさを知る者達からはある種、畏怖の感情を抱かれている事が多い。
 真田は今日もいつもの通り、トレードマークである黒の帽子を深く被り、テニスウェアーを纏って放課後の部活の準備に勤しんでいたのだが、その最中に、桜乃に声を掛けられたのだった。
 見た目頑健な真田とは対照的に、桜乃は非常に華奢な女性である。
 無論、男女の身体の相違というものもあるのだが、桜乃は柔和な性格もあってか、見た目から儚い印象があった。
 まだ幼い年頃ということもあり、守ってやりたくなる様な…とにかく庇護欲を掻き立てられるのだ。
 それは曲者揃いの立海男子テニス部レギュラーメンバーでも例外ではなかった。
 彼らと知り合ってから程なく、桜乃はメンバー達から兄の様な優しい愛情を受け、この上なく可愛がられる存在となっていたのだが、特にこの真田の、桜乃に対する愛情は深いものだった。
 その性根の厳しさから、これまで滅多に女子と語る機会のなかった男であり、またそれについて真田自身特に思うところもなかったのだが、桜乃が来てから彼の中で何かが動いた。
 自分を含めて分け隔てなく接してくれる少女の優しさと、細やかな心配りは、いつしか無骨な男の目を引き、心さえも惹いていったのだ。
 女性に対しては非常に奥手で、必要以上に引いてしまう一面もある純情な若者ではあるが、真っ直ぐな心を持つ彼には桜乃も好感を持っている様である。
「すっかり寒くなりましたね…お風邪を引かない様に、気をつけて下さいね」
「あ、ああ…お前こそ気をつけろ。俺より余程華奢なのだからな」
「うふふ…はい」
「……」
 普段の口癖が『たるんどる』の真田だが、この娘の笑顔を見ていると、自分の心こそがたるんでしまいそうだった。
 いかんと思っていながらもどうにも目が離せなくて、真田は心の扱いに今日も難儀している。
 そして、そんな二人のやり取りを、影からこっそり覗いていたのは…
「何かこう…後ろから蹴りを入れたくなるぐらいもどかしいよなぁ。入れないけど」
「見ていてこっちが血圧高くなりそうッスよ」
「しーっ、静かにせんか赤也…気付かれるじゃろうが」
 真田の親友でもあり、テニス部においては戦友でもあるレギュラー一同だった。
 真田以外の七人が、部室の影からこっそりと顔だけ出して様子を窺っている姿は、かなりインパクトがある。
 桜乃に意識が集中して、覗きに気付いていない真田も真田だが。
 ジャッカルがむずむずとする身体を揺らしている様子に、部長の幸村は苦笑して首を横に振った。
「弦一郎らしいけどね…でもいい加減、そろそろデートとか切り出してもいいんじゃないかな」
「真田がデート〜〜〜ォ?」
 想像出来ないっと丸井がフクロウの様に首の限界まで頭を捻る。
 あの堅物が、女性を何処かに誘うなどあり得るのか?
「まぁ無難なところでは、映画館とか…でしょうか?」
「内容は時代劇かの」
 仁王と柳生がそんな言葉をぶつぶつと呟いている時だった。
「あ…その…ところで竜崎」
「はい?」
 レギュラーがあり得ない、と言っていた事象が、今まさに現実になろうとしていた。
 真田が、やけに落ち着かない様子で、視線を逸らしつつ、桜乃にある事を尋ねたのだ。
「…次の日曜日は、午後は空いているか?」
「? はい、特に用事はありませんけど?」
「そ、うか…それならその…と」
「?」
 きょとんとする少女に対し、非常に緊張した面持ちの若者は、一度深く深呼吸してから切り出した。
「…と、酉の市へ、行かないか?」

(そうきたかよ)

 確かにイベントだし、お祭だけどさぁ…と影のメンバー達は一様に微妙な表情を浮かべた。
 真田にお洒落の発信地である都会の街などへの誘いは期待出来ないとしても、もう少しこう…
「酉の市、ですか…」
 振られた少女はそう繰り返したが、意外にもすぐににこりと笑いながら頷いた。
「いいですねー。沢山の屋台が出るんですよね? 賑やかそうで面白そう…」
「そ、そうか? その…午前は試合があるから待ち合わせは少々遅くなるかもしれんが…」
「待っています」
 即答してくれた桜乃に、じん…と胸が熱くなるのを感じながら、必死に感動を隠しつつ真田は冷静に振舞う。
「では、当日に〇〇通りの神社の前で…」
「はい、あそこなら大きな処だしよく知っています!」
 二人がそれから詳細な待ち合わせの約束をしている様を、七人はじーっと見つめていた。
 冷静さを振舞っているのだろうが…明らかに真田は喜んでいる様子だ。
 想い人に日曜の約束を取り付ける事が出来たのだから、その気持ちはよく分かる。
「何とか了解させたみたいですね」
「こういう時って、柔軟な思考持ってるヤツ相手だと助かるよなぁ」
 柳生とジャッカルがうんうんと頷いている隣では、切原がぶーと唇を尖らせている。
「あのサドの真田副部長の何処がいいんスかね…」
「お前さんみたいに自堕落じゃないところじゃろうな」
 仁王が即答する中で、柳はふむ…と顎に手をやって何事かを考えながらぶつぶつと呟いている。
「弦一郎がこれまで女性と深い付き合いを行ったことは皆無…つまりその場合におけるデータは存在せず、仮定での話に限られていた。これは滅多にない機会だな」
「それはテニスにどういう役に立つんだい?…まぁ気になるのは俺も同感だけどよい…屋台のラインナップもひっじょーに気になるっつーかね」
「ブン太、涎流しちゃ駄目だよ」
 クス、と笑いながら相手の様子を見て嗜めた部長は、向こうで相変わらず桜乃と親しげに、しかし相変わらず照れながら談笑している親友へと視線を移した。
「…弦一郎は俺達にとっても掛け替えのない親友だけど…ちょっと複雑な気分だな」
 俺達があの子も気に入っているのは間違いないんだし…と呟くと、幸村はふむ、と一度大きく頷いた。
「これは、是非温かく見守ってあげないと」
『そーうこなくっちゃ』
 待ってましたとばかりに、他六人が一斉に頷くと同時に、向こうにいた真田がいきなり全身を激しく震わせていた。
「どうしたんですか? 真田さん?」
「い、いや…今、急に寒気が…」
「まあ、早速お風邪を!?」
「そ、ういうものではないと思うが…ううむ」
 それからも、真田は自身の全身に走った悪寒について理由を知るコトは出来なかった。


 そして、待ち合わせの日曜日当日…
「今日は宜しくお願い致しますね…皆さん」
『どーもよろしくぅ〜』
(俺の一世一代の覚悟が…っ!)
 二人きりで市を楽しむ筈だった男の淡い野望は、待ち合わせ場所にたむろしていた自分の仲間達によって早速粉々に打ち砕かれていた。
 先に来ていた桜乃は、先日の真田からの誘いを受けた際、『二人きりで』とは言われていなかった為に、全員での行動にも全く疑問は抱いていない様子。
 ここは、真田の詰めの甘さが敗因の一つでもあるだろう。
「何で貴様らが先回りまでしてここにいるのだ…カラオケに行くつもりではなかったのか…?」
 桜乃が神社の様子を見て感嘆している傍で、真田がこっそりと他のメンバー達に鬼の形相で凄んだが、全員想定の範囲内とばかりに怯みもしない。
「いやぁ…どうしても親友の大事が気になって」
と幸村が爽やかな顔で言えば、
「妹分が泣かされはせんかと心配でのう〜」
と仁王が視線を横に逸らしつつぼそりと零し、
「そろそろ入って屋台回らない?」
と丸井が何故か最後に締め括る。
 どれも、真田を納得させる回答には程遠い。
「とっとと帰れ!!」
「さ、真田…来ている俺が言うのも何だが落ち着け」
 どうどう、とジャッカルが相手を宥めつつ、こそっと相手の耳元で耳打ちした。
『もし無理に帰せば…あいつら間違いなく竜崎にないことないこと吹き込むぞ…』
「!!」
 見てみたら、メンバー達の目が明らかに嫌な感じで笑っている…
 確かに…意地で帰せば次の日には桜乃の耳に『真田に無理やり帰された〜』『いじめられた〜』と吹き込む気満々の様子。
(うううおぬおおおれええぇぇ〜〜〜〜〜〜!!!)
 ぶるぶると怒りに震える副部長に、相変わらず淡白な表情の参謀がぽん、と肩に手を置いた。
「まぁ、俺はデータさえ取れたら撤収するから気にするな」
「何をどう気にするなと言うのか…」
 全然気になる…と真田が反論すると、幸村がそこで条件を持ち込んできた。
「でも折角のチャンスなんだから、ここはしっかりとハードルを定めてある程度の収穫は得ないと駄目だよ、弦一郎。そうだね…」
 んーと考え込んだ部長は、にこりと笑って一言。
「まぁ最低ラインで『ちゅう』ぐらいは」

(最低、超高―っ!!!!!)

 他のメンバーがどっと汗を吹き出す一方、真田はそれすら追い付かずにうろたえるばかり。
「ハ、ハードルと言われても…お、俺は別に竜崎と楽しく回れたらそれで…」
 途端にどもりだした副部長に、脇から切原がにゅ、と顔を出した。
「そんな呑気なコト言ってると、あの越前リョーマに先越されるッスよ」
「ああ、少なくとも彼は『リョーマ君』と名前で呼ばれていますからね…既に」
 ざっくん!!
 柳生のダメ押しで、真田の胸に見えない剣がぐっさりと突き刺さった。
 分かってはいた…しかし忘れていた事実をこうしてほじくり返されると、ここまで腹が立つのは何故なのか…
「行くぞ竜崎っ!!」
「は、はい…」
 かなり苛立った様子で…ついでに切原の頭に拳骨を一発かましてから、真田はふんっと皆に背を向けて少女を連れると、さっさと神社へと向かっていってしまった。
「…忠告して殴られるのはかなり理不尽ッス」
「ビミョーな男心じゃよ」
 いてててて、と頭を擦る後輩に仁王が苦笑する。
 まぁ、最初から少しばかり弄りすぎた感はあるものの…果たしてこれで向こうも本気になるのかどうか…詐欺師でもまだまだ先は読めない。
「じゃ、俺達も行こうか」
 何となく楽しそうな様子で皆を同じく神社へと誘う幸村は、相変わらず優しい笑顔を崩さなかった。
(少なくとも仲間の面前でそういう風に発展させる様な豪傑はおらんと思うんじゃが…見守りたいんだか邪魔したいんだかよう分からん部長殿じゃな…)
 本当に相手の為を思うなら、ここは引いて二人きりにさせるのが常套じゃないのか…?とは思いながらも、自分が楽しければそれでもいいかと思う詐欺師だった。
「行こう行こう!! 俺、リンゴ飴とあんず飴と、わたがしと、イカ焼きと、たこ焼きと…!!」
「……自分で買う分には好きにしていいぞ」
 唯一、神社の催しを純粋に楽しむつもりらしい丸井のはしゃぎっぷりに、ジャッカルはそう言いつつも、内心どれだけ搾取されるのかと今から既に憂鬱だった。


 神社の境内には、その道の両端に並ぶ屋台を目当てにした客が溢れていた。
 時間は昼をかなり過ぎた頃で、買い物にはうってつけの時間帯だろう。
 老若男女溢れた境内は、がやがやと非常に賑やかだったが、誰の顔にも笑顔が溢れており、不快な感じはしない。
 それもまた、祭の醍醐味だ。
「竜崎、はぐれないように気をつけろよ」
「は、はい…凄い人混みですね〜」
「良かったら、俺に掴まりなよ」
 真田と桜乃の会話にさらりと紛れ込んできたのは、桜乃を間にする形で並んで歩いていた幸村。
「………」
 暫し、相手を見て沈黙していた真田だったが……
 つかつかつかつか…っ!!
「はわ〜〜〜! 真田さん、足速いです〜〜〜」
 有無を言わさず桜乃の腕を掴み、足早に奥へ奥へと行ってしまう。
「相変わらず可愛いよねぇ」
「どっちが?」
 ふふっと笑う部長に、参謀は冷静且つ大胆なツッコミをしながら手にしているノートに素早く何かを書き込みしており、その様子を他のメンバーは各々買い求めた屋台の食べ物を頬張りながら見つめている。
「ウチの部は、在籍する限りプライバシーは守られないの?」
 あむあむとあんず飴を食べながら丸井が尋ねると、ジャッカルはフライドポテトの紙袋を手に視線を横に逸らす。
「まぁ…人は選ぶと思うぞ。先ず非レギュラーだったらそっぽ向かれて終わりだろう」
「それと相手が竜崎じゃったのが、運の尽きじゃのう…」
 仁王は仁王で、すぐそこで買った七味唐辛子が入った瓢箪を前に掲げて嬉しそうな笑顔で答える。
「竜崎さんは私達の可愛い妹分ですからね…まぁ真田副部長なら間違いはないと思いますが、どうしても気になって…」
 柳生は仁王の持つものとは対照的なクレープを手にしてそう続け、そんな先輩達を切原はふーんと頷きつつ見渡していた。
「まぁ確かに二人とも俺らの注目を浴びて当然ッスけど、先輩方も何気に食いモン抱えてる辺りが完全に物見遊山って感じッスよね……あ、おじちゃん、焼きそばちょーだい!」



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