そんな仲間たちを他所に、真田は彼らから少しだけ離れたところでようやく速度を落とし、桜乃を改めて振り返っていた。
「すまん…少し急ぎすぎたか。大丈夫か…?」
「は、はい、私は大丈夫ですけど…他の皆さんが」
「ああ、すぐに追い付くだろう。気にするな」
「はぁ…」
 もし追い付いてきたらまた引き離してやる…と心の中で決めていた男は、ふと、相手が自分の腕にしっかりとしがみ付いているのに気付き、今更ながらに狼狽してしまう。
 しまった、つい幸村のあの態度に急かされて、彼女に無理をさせてしまったか…!
「あー…その…本当にすまん、竜崎。い、今はもうそんなに急ぎはしないから、離してくれても…」
「あ…」
 相手の若者にそう促され、桜乃も自分の腕がどういう状況になっているのか気付いた様子だった。
 頬を染め、少しだけ慌てたものの、桜乃は何度か腕と相手の顔を繰り返し見て、こそりと真田に問い掛ける。
「あのう…ご、ご迷惑です、か…? 私が、掴まっていると」
「い、いや! 決してそんな事は…!」
 寧ろ嬉しいぐらいだが…と言えないのが、真田という男である。
 そんな純情な男に、少女は赤くなりながらも、すり…と腕に身体を摺り寄せてきた。
「じゃあ…どうかこのままで…凄く、安心するんです…」
「!…あ、ああ…お前が、それでいいのなら」
 受諾という形で、彼は相手と腕を組む行為に成功した。
 内心は嬉しさと緊張で一杯だったのだが、そこは流石に年上として、男として、落ち着いた対応をする。
(いかん…自然と口元が緩みそうになる…)
 二人でなかなか良い雰囲気になってきて、真田は少し離れてしまった仲間たちを思い出した。
(…精市…まさか、こうなる事を予測していたのか…? それなら…後で礼を言わねばならんか…)
 律儀にそう思いかけたのだが…
『丸井―――――っ!! お前いい加減に胃の縮小手術を受けろ――――っ!!』
『嫌だ〜〜〜〜っ! この世に食いモンが存在する限りは嫌だ〜〜〜〜っ!!』
と、誰のものか明らかな大声が響いてきたところで、折角の良い雰囲気が見事に瓦解。
「…大変そうですね、桑原さん」
「まぁな…」
 やはり、礼を言うのは止めておこう、と思い直し、真田はそれから改めて桜乃と市の中を見て回った。
 食べ物もそうだが、やはり見ものは酉の市ならではの縁起物、熊手である。
「色んな飾りのものがあるんですね…どれも鮮やかで綺麗…家にも買って帰ろうかな」
「そうだな…折角来たのだ、それもいいかもしれん」
 桜乃が色々な熊手を見ている間に、二人は自然とその話に興じてゆく。
「熊手は、福を掃きこむ、掻きこむって意味なんですよね?」
「ああ、鷲が獲物を鷲掴みすることになぞらえて、その爪の形を模したとも言われているな。流石に大きいものは壮観だが、小さいものもそれはそれで味がある」
「可愛らしいですね…」
 見ているだけでも楽しい…と桜乃は真田と一緒に熊手を見て回り、最終的に家に小振りではあるが飾りが賑やかそうなものを一つ買い求め、真田もまた同じ物を買った。
 それからまた色々と見て回り、他のメンバーが追い付いてきた時には、二人は小さなお守りなどを扱う屋台の前にいた。
「……随分満喫した様だな」
「取り敢えず全種完全制覇」
「どれもレベル高かったッス」
 呆れた真田の視線の先で、丸井と切原がぐっと親指を突き出してみせる。
 そんな二人の手には、今でも食べ物の受け皿やら割り箸やらがこれでもかと握られており、物は確保しているが明らかに口は足りていない。
 しかしいずれ、全てが胃袋に収まるのも時間の問題か。
「日本文化に触れる良い機会でした」
「普段とは違う空気に触れるんも、良い刺激じゃの」
 仁王と柳生ペアも祭を堪能した様だったが、ジャッカルだけはやはりと言うべきなのか、はぁ、と縁起のいい場所らしからぬ深い溜息をついていた。
 どうやら搾取されるだけされてしまったらしい…
「全く…仕方のない奴らだ」
「そういう君も、結局大した進展はなかったみたいじゃないか」
 苦言を呈する副部長に、部長はにっこりと微笑みながら容赦ない言葉を投げつけた。
 ぐっと相手が怯んだ隙に、更にこそっと耳元で囁く。
『折角俺達が離れてやってたっていうのに、結局腕を組むぐらいしか出来ないんだから…いつもの強気は何処にいったの』
 相変わらず柔らかな言葉でキツイ事を言う親友に、更に真田はらしくもなく及び腰になってしまった。
「そっ、それとこれとは話が…っ」
 違う、と言い掛けたところで、向こうはひょっと首を別の方向へと巡らせた。
「あ、竜崎さん、何か買いたいんじゃない?」
「!」
 相手に促されるようにそちらへ目を遣ると、桜乃は一つの屋台の台に並んでいる小さなお守りの一つを手にとってしげしげと見つめていた。
 確かにその表情からも、明らかに興味がある事が伺える。
「こういう場合は買ってあげるのが男だよね」
「〜〜〜」
 言われなくてもそうしたい処だったが、言われてからだと不快感倍増。
 しかし放置する事も出来ないので、真田は渋い顔をしながらも再び桜乃の許へと歩いて行った。
「どうした、竜崎? それが気になるのか?」
「あ、真田さん。はい…可愛いですよね、これ」
 そう言って微笑んで桜乃が差し出してみせたのは、酉の市に因んでの鶏の彫り物の小さな根付だった。
 いかにも手作り感溢れる素朴な一品で、小さな物を好む女性に受けが良さそうだ。
「そんなに気に入ったのなら、俺が買って…」
「あ…いいえ」
 真田が申し出ようと言い掛けた言葉を、しかし珍しく少女はきっぱりと断り、首を横に振った。
「あの、これは私が買わないといけないので…すみません」
「? そうなのか?」
「はい」
 買わないと、とはまた微妙な言い方をするものだ、と思いつつも、それが相手の義務になるのなら真田もそれ以上無理強いは出来ず、相手の買い物が済むのを待つ事にした。
「あの、すみません、おじさん」
「あいよ」
「これ、二つ頂けますか?」
(…二つ?)
 何故…?と新たな疑問が真田の頭の中に渦巻く中、桜乃は屋台の主人からその根付を二つ買い取った。
(二つ…? 一つは自分の物だとしてももう一つは? 誰に…)
 思案する男の胸中も知らず、桜乃は実に嬉しそうな笑顔で屋台の主人から包装された根付を受け取っている。
「あいよ、お嬢ちゃん」
「有難うございます!」
 普段なら自分の喜びの糧でもあった相手の笑顔が、この時ばかりは不安の種となった。
(わざわざ揃いの物を…こんなに嬉しそうな笑顔で…)
 どうにも消し去ることの出来ない不安に苛まれつつも、真田は何とか笑顔で桜乃を迎える。
「お待たせして御免なさい、真田さん」
「い、いや…」
 そんな二人の様子を他メンバーはあらー、と意外な表情で見守っていた。
「これは意外ですね…」
「何か…既に真田の頭上に暗雲が見えるんだが」
「下手に近づいたら雷落ちるかもですよ」
 柳生やジャッカル、切原がぼそぼそと話している一方で、幸村は何かを深く考えている様子だったが、全員に振り向いて微笑みながら言った。
「ちょっとここは俺達は引いた方がいいかもね…神社を出たところで、撤収しよう」
「……それって、雲行き怪しくなったら全部真田におっ被せてトンズラするってことじゃ…」
「ブン太は今日食べた分、しっかりカロリー消費して貰おうかな…」
「何でもないです何でもないです!」
 まだ手の中に魚の塩焼きまで握り締めていた丸井が必死にぶんぶんと首を振る。
 それからは部長に物申す者もおらず、全員は神社を出ると、桜乃の送りは真田に任せる形でそれぞれ散っていった…


 幸村の気遣いのお陰で、真田は桜乃を送る道中は何の邪魔も受ける事はなかった。
 やはり相手が女性である以上、暗くなったら家まで送り届ける方が自分も安心だ。
 まだ夕方と呼べる時間帯だったが、既に外は真っ暗で風も冷たく、冬の訪れを思い知らされながら、真田は桜乃の家の前に到着していた。
「今日は付き合ってくれてすまなかったな…有難う」
 礼を述べた真田に、桜乃も恐縮した様子でぺこんとお辞儀をした。
「いいえ、こちらこそ…あの、少し上がっていきませんか? お茶を…」
「いや、帰りがあるのでな、心遣いだけ受け取っておこう」
「そうですか…」
 ちょっとだけ残念そうな表情でそう答える少女に、真田は名残惜しくなり、そっと片手を相手の頬に触れさせた。
「あ…?」
 冷たい…まるで白磁の様に透き通りそうな滑らかな肌…
「…随分冷えてしまったな…寒い中無理をさせたかもしれない。すまなかった…家に入ったら出来るだけ早く身体を暖めろ」
「は、はい…あのっ…」
 桜乃の白い肌に一気に朱が差し、彼女はごそりと自分の手にしていたバッグの中身を確認する。
 そして…
「…あの、真田さん、これ…」
「え?」
 差し出されたのは、小さな包装…
 覚えている、あの鶏の根付を入れてもらったものだ。
 その内の一つを差し出され、真田は思わずそれと桜乃の顔を交互に見つめてしまった。
「…これを?」
「え、と…き、今日のお礼に…どうしても、私から真田さんに差し上げたかったんです。でも、他の方々の前では恥ずかしくて渡せなくて…」
「!!」
 ぐらっと眩暈を覚えた若者の前で、少女は寒さだけの所為ではない真っ赤な頬を隠すように、顔を俯けた。
「わ、私とお揃いは…お嫌、ですか…?」
「い、いや! そんな事はない!!」
 思わず大声で否定し、真田は夢の様な気分の中、桜乃からそれを受け取った。
 神社で感じていた不安が、瞬く間に消えてゆく…
 そして真田の差し出した手に根付をそっと乗せた桜乃は、相手の掌をじっと見つめ、微かに笑った。
「真田さんの手は…お守りがなくても」
「?」
「大きくて、力強くて…、自分の力で欲しいものは何でも掻きこめそうですね、熊手なんかよりずっと」
「…そう、か?」
「ええ」
 言われ、自分の手を掲げて暫くそれを見つめていた真田は、ふ、と笑う。
「欲しいものは何でも…か。それなら俺は…」
「え…」
 ぎゅ…っ
「っ!?」
 逞しい腕で、大きな手で、小さな身体が抱き締められた。
 温かく、心地良い感触に動くことも忘れた桜乃は、なされるがままに相手の腕の中で彼の囁きを聞いた。
「お前を…お前だけでいい」
「! さ…真田、さん…」
「…俺の…身勝手、だろうか?」
 こんな小さな身体なのに、自分にとっては計り知れない程の福なのだ。
 こうして抱いていても、本当に捕えているのかさえ分からない…
 もしお前が拒むなら、この手など何の役にも立たない棒切れに等しい。
「……真田さん、私…私、も…ずっと…」
 する…っ
「!」
 抱き締められた桜乃は、赤い顔を伏せながら、自分の両手を伸ばして真田の広い背中に回していた。
「……あなたを、捕まえられたらいいって…」
 こんな心許ない腕で、そんな事出来ないって思っていたけど…もしかして…?
「竜崎…っ!」
「あ…っ」
 乙女の腕に捕らえられていた野獣が、じゃれるように、焦がれるように……
 真田は両手を桜乃の背から離し、代わりに彼女の赤く染まった両の頬を挟むと、優しく激しく唇を重ねていた。
「んん…っ」
 いつもの毅然とした態度の若者とは思えない行動に、少女は一瞬怯えた様に戦慄いたが、それはすぐに甘く熱い麻薬に酔わされてのそれに変わってゆく。
 夜の冷気は少しも和らいでいないのに、寒さなどいつの間にか消えていた。
「…好き、だ…竜崎」
 微かに離れた二人の唇から漏れる熱い吐息が白く変わり、互いのそれが交じり合う。
 男の告白にぼうっとしながらも、桜乃は必死に相手に縋りつき、その耳元でこそりと何かを囁いた。
 それを聞いた真田は、一瞬、瞳を大きく見開くと、そのまま優しい笑みを口元に浮かべ…
「……桜乃」
と、愛しさを込めて相手を呼び、強く抱き締めていた……


 それからも桜乃は立海に赴き、レギュラー達と仲良く過ごしていたのだが、そんな生活の中で少し変わったことがあった。
「ん? ああ、竜崎か」
「お久し振りです、真田さん」
 相変わらずの朗らかな笑みを浮かべて自分に接してくれている桜乃と、真田は普段と同じ口調でひとしきり話していたが、やがて二人きりになったところで、彼はさり気なく周囲を見回してひそりと言った。
「その…桜乃。今度の日曜は…暇、だろうか?」
「!……ええ、弦一郎さん」
 互いが互いの名前を呼び、柔らかに微笑み合う。
 仲間達の面前でそう呼び合うのは、まだお互いに気恥ずかしくて出来ないけど、けど、いつかきっと……
 そんな二人の携帯には、あの鶏の根付が、お揃いで付けられていた……






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