ヤキモチ二つ?
日米ジュニア選抜…この年、行われる両国の中学テニス選手達のいわばもう一つの夏の陣である。
その戦場で戦う将として選ばれた多くの若武者達は、様々な設備が完備された合宿所で、数日前から非常に高レベルの強化合宿を行っていた。
そこに選ばれた選手は一校のみのそれに留まらず、青学、立海、氷帝…多くの強豪校の中でも実力派揃いの者達である。
同校の仲間達との合宿より、より刺激的で自らの技術の向上にも繋げられるとあって、彼らは日々きついメニューを必死に、しかし彼らなりに楽しみながらこなしていた。
さて、そんな彼らが身を置いている合宿所だが、ただ物があればいいという話ではない。
どんなに良い人材を揃えようと、どんなに上質な設備を与えようと、彼らを精神的にも支えてくれる存在がなければ、全ての歯車は噛み合わないものだ。
そんな歯車に対して潤滑油の様な役目を果たしているのが、選手たちを支える優秀なスタッフと、そしてボランティアの人々だった。
スタッフは主に選手達を指導する彼らの学校の顧問であり、ボランティアは青学から名乗り出た複数の女子が中心となっている。
その内の一人に竜崎桜乃という少女がいる。
青学の顧問である竜崎スミレの孫であり、彼女自身も多少テニスを嗜んでいるということもあり、今回のボランティアに参加する運びとなったのだ。
彼女自身もこの合宿の手伝いをすることには非常に前向きであったらしく、その通り、日々、熱心に駆け回って選手たちのサポートを行っている。
豪胆な性格の祖母とは異なりその性格は非常に温和で、頑張り屋ではあるが自ら目立とうという思考もまるでない。
多少引っ込み思案な処もあるものの、その性格から周囲の人々からは何かと気に掛けられ、可愛がられていた。
「桜乃、ちょっといいかい?」
「はい、なぁに? お祖母ちゃん」
この日も桜乃は朝から元気に駆け回っており、今はコートで選手の監督を行っていた祖母から声を掛けられていた。
「すまないが、そろそろ水分補給の準備を頼むよ」
「はい、じゃあ朋ちゃんと手分けして…」
一緒にボランティアに参加している親友と、配るチームを分けようと思っていた矢先…
『きゃ――――、リョーマ様〜〜っ! お水どうぞ〜〜〜っ!!』
遠くから、早速仕事に邁進している親友の悲鳴が聞こえてきた。
動悸はどうあれ、あれでも良い戦力にはなっているのだから、感謝すべきなのだろう。
「…リョーマ君のいるコートはいいみたい」
「…だね」
祖母も特に孫の意見には異を唱えない。
「じゃあ、私は反対のコートから配っていくね」
結局、桜乃は親友の声が聞こえた方とは逆の場所に位置するコートに、籠に冷えたペットボトルを入れるとそれを抱え、うんしょうんしょと運んでいった。
「はふ〜〜、結構これだけでもトレーニングだよね…外も暑いし…でも我慢我慢」
小さな身体の持つ筋肉を最大限利用しながら、桜乃はようやく目的のコートに辿り着く。
そこでは一つのチームに配属された各選手が、各々の組み合わせで試合を行っている最中だった。
この合宿では、選手達はチームワークを常に意識する目的もあり、普段着慣れている学校のウェアーではなく、選抜の為に準備された指定のウェアーを身につけている。
その為、一見したら全ての選手が同じ格好をしているのだが、外見によっては遠目でもすぐに見分けがつく選手もいた。
中でも、一番見分けの付き易い選手がこのコートに一人…
(あ…真田さんがいる)
桜乃がすぐに目を留めた相手…真田弦一郎である。
彼は桜乃と同じ青学ではなく、そのライバル校でもある立海のレギュラー。
しかも、副部長という重い肩書まで背負っている。
桜乃はまだ立海の部長である人物には出会ったことはないのだが、この真田という人物の更に上に立てるのだから、凄い人物なのだろうという事は分かっていた。
(でも、ちょっと想像出来ない…真田さんが部長って言っても全然違和感ないし)
それ程に、この男については厳格という言葉がよく似合う。
いつも眼光鋭く、毅然とした態度を崩さず、妥協や甘えを許さない…
人としては目指すべき一つの目標とも言えるのだろうが…残念ながらその容貌もあり、同年代から…いや年上の者達からも恐れられてしまっている人物だ。
自分も最初に彼を見た時は、既に子供として甘える事を忘れてしまっている様な姿に驚いてしまった。
まぁ厳しそうな外見は…同じ青学の選手にも似たような先輩がいるから多少は慣れている。
それに、恐そうな人と悪い人とは決して等号では結ばれない事を、桜乃は知っていた。
そんな真田は、今は桜乃の視線を受けている事にも気付かない様子で、彼女の立つ傍のベンチで、真剣にコートで試合をしている選手たちの動きを見ている。
その姿を見ていると、ベンチにいるとは言え声を掛けるのは多少憚られ、桜乃は先ずは他のコート外にいる選手達からペットボトルを配っていった。
彼らから感謝の言葉を述べられ、笑顔で返事をしながら、桜乃はてきぱきと手際よく作業を済ませ……後は真田だけという状態になっても、まだ相手はコートに集中していた。
(あうう、早くやり過ぎた〜〜)
もうちょっとゆっくりしたら良かったな、と思いながらもこうなっては仕方ない。
(思い切って声を掛けようかな…でもでも、凄く熱心に見ているし…)
邪魔したら悪いし、でも…ともじもじと暫く彼の横で迷っていると……
『Cコートの選手は、十分後にトレーニングルームの選手と交代するように!』
氷帝の監督でもある榊の声が響き、そこでようやく真田の集中力が一時途切れた。
「…交代か」
ぼそ、と一人呟き、立ち上がろうとしたところで、彼は隣に立っていた桜乃の存在に初めて気付いた。
「竜崎…?」
異なる学校ではあるが、青学の顧問の孫であり、この合宿所でもボランティアとして世話を焼いてもらっている立場である以上、彼が桜乃を見知る事は当然だった。
首を巡らせて、相手は帽子の下からいつもと変わらない鋭い視線でこちらを見抜いてくる。
初見だったらきっと自分も怯える部類に入っていただろうな、と思いながらも、桜乃は微笑みながら軽く会釈をした。
「こんにちは、真田さん」
「何か俺に用事か?」
「ええと、お水を配っています。真田さんもどうぞ?」
「ああ…」
そこで真田も、周囲の選手達がボトルを手にしているのを見て軽く頷いた。
「配ってくれていたのか…有難う」
「どういたしまして」
「…もしかして、気を遣わせたか?」
自分が最後に受け取った事からそう察した真田だったが、桜乃はぷるるっと首を横に振る。
「い、いえいえ、そんな事は」
明らかに嘘と分かる仕草だからこそ真実を悟り、若者は帽子の下で微かに苦笑する。
「……すまんな」
それ以上深く問う事もなく、真田はそれだけを言いつつ立ち上がり、そんな彼の姿を桜乃は何故かじっと熱心に見上げていた。
「…何だ?」
「あ、いいえ…その、立海のウェアーじゃないから見違えてしまって…」
「…ああ」
成る程、と思いつつ、真田は自分の姿を改めて見下ろしながら愛用の帽子のつばに手をふれた。
「まぁ確かにな、着ている俺でもようやく慣れた…が、やはり鏡を見てつい驚くこともある」
「ですか…でも、今のウェアーでも似合ってますよ。それに、帽子も」
「ん…?」
「真田さんのトレードマークですものね、その黒の帽子。実は真田さんを探す時も、凄く役に立っているんですよ?」
どんなに遠くても、その帽子を見たらすぐに本人だと分かる、と言われ、真田はつばに触れたまま微かに笑った。
「そうか。昔祖父に貰って、それ以来身につけるのが癖になってしまってな。無いとどうにも落ち着かん」
「お祖父様の贈り物だったんですか…真田さんって、お祖父ちゃんっ子なんですねぇ」
「?…そうなるのか?」
何を基準にそうなるのかよく分からない…と悩んでいる間に、桜乃はにこにこと笑いながら自分を指差す。
「因みに私はお祖母ちゃんっ子だってよく言われます」
(本当に因み、だな…)
「お仲間ですね!」
(何故?)
けったいな女子だな…と思っている間に、桜乃は自分の他の仕事を思い出したのか、は、と後ろの合宿所を振り返り、それからまた真田へと振り返る。
「いけない、私行かなきゃ…あ」
「?」
何かに気付いた様子で自分を見上げた少女に、今度は何だと思っていると…
そぉ…っ
「!?」
「ふふ、これでいいですよ」
先程話していた自分の帽子に背伸びで手を伸ばされ、優しくその歪みを直された。
いつもより近く、ずっと近く桜乃の顔が自分のそれに近づき、真田は少女の柔らかな笑顔と優しい手の動きを感じて、つい息を止めてしまう。
何という事はないそれだけの動作だったにも関わらず、その剛毅な男性は完全に隙だらけになり、そんな自分に喝を入れることすら出来なかった。
「じゃあ、失礼しますね」
若者の激しい動揺にも気付かず、桜乃はそのまま軽く手を振りながら走り去っていく。
その少女の手を、真田の目が追いかける。
白くて細い…何故か非常に目を惹き付けられる…眩しささえ感じる手。
何故そんなにも目を惹かれるのか、その時の真田には、まるで理由が分からなかった…
「竜崎さん、悪いんだけどこれ、先生に届けておいてくれる? 僕、またこれからトレーニングだから」
「あ、いいですよ、不二先輩」
「おーい竜崎―っ、後でちょっとテープ巻くの、手ぇ貸してー」
「はい、菊丸先輩」
合宿のスケジュールが順調に消化されていた金曜日…
その日は、明日から学校が休みということもあり、合宿所で全員が宿泊しての団体行動となっていた。
夕食を食べている間にも、全員はそれぞれ思い思いの談話に興じていたのだが…何故か立海の真田だけはいつもより仏頂面で夕食を食べており、その原因不明の不機嫌っぷりに傍の切原は内心怯えまくっていた。
(な、何だか真田副部長…さっきからやけに不機嫌モードなんだけど、何があったんだ?)
いつも恐いけど、今は殺気とも取れるほどのオーラが彼を包んでいるのが見える…ここは大人しく神妙な…振りをしておこう。
そんな切原の企みなど、今の真田には何の興味を引くものではない。
今の彼は自分の背後から聞こえてくる、桜乃と、彼女に親しげに話しかけている青学のメンバー達の声にだけ、全神経を集中させていた。
(何だ、青学のレギュラー達は…その程度の事など自分ででも出来るだろうにどうして竜崎に…彼女も疲れているだろうに…)
何故か、イライラする。
何という事はないただの雑談に過ぎないのに…何の中身も無い話なのに…そこに桜乃の声が重なっているだけでイライラする。
しかし彼女が嫌いだという訳ではない、それは間違いない、そもそも自分には彼女を嫌う理由というものが存在していない。
あの子が自分と話している時にはこんな不愉快な気分にはならないのに、少し離れただけで、他人と話しているだけで、身体がざわざわする様な何とも言いようのない気分に見舞われる。
これは……何だ?
考えても考えても分からない…と言うより想像もつかない。
考える程に余計な疲労感が増し、真田は結局その場では思考を停止し、食事を終えるとそのまま部屋に戻ることにした。
(疲れているのだろう…きっと。この程度の練習で疲れるとは、俺もまだまだだな…)
今日一日、ゆっくり休めば、またいつもの自分に戻れる…いや、戻らなければ。
そうやって必死に自身に言い聞かせながら、階段を上がって、先の角を曲がろうとした時だった。
『…・じゃない』
「…?」
角を曲がったその先の方から、誰かの話し声が聞こえてきた。
その声の調子から推測するに…若い女性だ。
この合宿所にいる中で、思い当たるのは竜崎とその親友である小坂田…それと橘の妹か。
そんな事を考えている間に、向こうからまた同じ女性の声が聞こえた。
『ひどいわ、リョーマ君。私がどんなに楽しみにしていたか…』
『…それは分かってるけど…』
今度はよりはっきりと会話が聞こえてきて、真田は彼らが桜乃と青学の一年ルーキーである事を知ると、びたりと足を止めてしまった。
(竜崎…?)
何の話だろう…しかし、違う学校の自分は所謂部外者…邪魔しない方がいいのか?
最初はそんな心遣いで止めていた足だったが、次の会話で、その目的は完全に違うものへと摩り替わってしまう。
『こういう時ぐらいじゃないと、添い寝なんて機会ないじゃない』
「っ!!!!!」
見た目も性格も厳格で大人びている割に、かなり純情な精神を持っている真田は、桜乃の言葉を聞いて一瞬失神しそうになってしまった。
『分かってるよ』
そして、少しだけ良心の呵責を感じている様な相手の言葉が、真田の意識を引き戻す。
(なっ…何を話しているんだあいつらはっ!!)
添い寝!?
誰と誰が…って、状況から考えるとやはり、この二人しか思い浮かばないのだが…!
(まさか…不純異性交遊っ!!??)
あの純粋な娘がまさか…いや、しかし、今時の子供はそういう事に対しても解放的で自由な意思を持っていると言うし…!
この時点で、自分も同じ中学生だという事実を彼は忘れていたが、最早そんな事はどうでも良かった。
恋愛は確かに自由だ、自由だ…が…やはりそういう行為はまだ…
真田の脳裏に、勝手に桜乃が他の誰かと一緒のベッドで睦まじく寝ている様子が思い浮かび、それだけで彼はコントロール出来ない感情の炎に身を焼き尽くされそうだった。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!!
何故、そんな駄々っ子の様な拒絶の声が心で叫ばれるのかも分からない、しかし、絶対に止めなければ!!
桜乃が過ちを犯す前に…!と真田は遂に一歩を踏み出し、問題の二人の現場に踏み込んだ。
「お、お前達っ! 一体何をして…っ!!」
真田が糾弾したその先では果たして…!
「ずーっと楽しみにしていたのよ? カルピン抱いて寝るの〜〜〜」
「ごめんってば、けど何か最近、こいつ食欲落ちてて今は手放したくないんだ」
猫との添い寝を懇願する桜乃と、カルピンを前に抱いて返事を渋る越前リョーマの姿があった。
「〜〜〜〜〜!!!!!」
がく――――っ!!
全身が脱力し、両膝をついてしまった真田に気付いた二人が振り返る。
『え?』
「…」
ハモる二人の前で、依然精神的ショックが抜けない立海の副部長は、何とか立ち上がってつかつかと越前に近づき、憤怒の形相で迫った。
「合宿所にペットを持ち込むな…」
「…それについては謝るけど…アンタ、大丈夫?」
怒りながら真っ青になっていた真田は、相手の少年に思い切り不審そうな瞳を向けられてしまい、更に疲労感を覚えて部屋に戻ると早々にふて寝よろしくベッドに潜り込んでしまった……
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