「おお、来おったか」
「お待たせ致しました」
 既に居間に座して待っていた真田の祖父と父親が見守る中、母親に連れられる形で桜乃がその場に入り机前に座る。
 机の上には、最初から準備されていた様々な手料理が並んでいる。
 おそらくは真田の母親が準備してくれたものだろう。
 桜乃の後に続いて入ってきた真田は、それが自分だけの権利と言う様に桜乃の隣に座ったが、佐助も負けじと反対側の隣に着席する。
 丁度、祖父達と向き合う形になった三人…特に桜乃を、祖父と父親は何故か満足そうに笑いながら見詰めていた。
「ふむ…」
「ほう…」
「???」
 よく分からないまま、その頷きの理由を尋ねることもないままに、桜乃は神妙な面持ちで座る。
「堅苦しい話は今日は無しじゃ、折角のめでたい日じゃからの。さぁさぁ、遠慮なく食べなさい」
「有難うございます」
 促された桜乃は祖父達に向かって一礼し、彼らがそれぞれの取り皿を手に食事を取り分け始めるのを見てから自分も手を伸ばす。
 しかし、最初は自分の為のものではなく…
「弦一郎さん、取り分けますね」
「む、い、いや、今日はお前を迎える為のものなのだから…」
「いいえ、私がやりたいんです」
 一度は止めようとした真田に、桜乃が楽しそうに笑ってそう言うと、彼もそれ以上は何も言えずに素直に引き下がった。
 自分の為に行動したいと笑って言ってくれる少女の姿が…堪らなく可愛く見えてしまう。
「そっ…そうか…では、頼む」
「はい!」
 正直、ここが身内の集まる場ではなく二人っきりだったなら、誰にも遠慮せずに抱き締めたり出来たものを…と惜しんでいた真田だったが、ふと手持ち無沙汰になったところではたと何かに気付き、自分の分に割り当てられていた皿を取った。
「では、お前の分は俺が取り分けてやろう」
「まぁ、そんな…」
 驚き、遠慮しようとする相手に、真田は楽しそうに笑って返す。
「遠慮するな、俺もお前の為にやりたいことだ」
「…はい」
 真田の優しい心遣いに桜乃も恥らいながらあっさりと折れ、そんな若い二人の睦まじい様子に、周囲の身内は一様に唖然とした。
 確かにこの気難しい男が家に連れてくることを了承した程の娘である以上、好意を寄せているのは間違いないと思ってはいたが…予想以上だった。
 しかも互いの手にしている取り皿を見ると、それぞれの好みのものをちゃんと選んで取っている様だ。
 それなりに相手に意識を向け、好みを把握していないと行えない事だったが、二人は最早夫婦の様にそれを簡単にこなしている。
(これは本物だ…)
 二人を除く全員がそう感じていたところで彼らの取り分け作業も終わり、二人はそれぞれの皿を交換して改めて居住まいを正す。
 そして場は再び宴の雰囲気に戻ったが、それからの桜乃を見つめていた大人達は、何故か感心した様子で彼女の行動に頷いていた。
「???」
 この場所に来てから何となく不思議な視線を感じる、と思っていた桜乃に、真田の祖父が問いかけてきた。
「時に、お主は何か、華道か何かを嗜んでおるのかな?」
「え…いいえ、特には」
「そうかね、いや、なかなか作法を弁えておるようだったからの」
「作法…?」
「うむ、入ってきた時に畳の縁を踏まず、座る位置は下座。箸を持つのもワシらより後で持ち方も完璧。一番口もしっかりと譲っておったろう。今時の若い者には非常に珍しい奥ゆかしさ、見ていて非常に心地良い。流石はワシの孫が選んだ女性じゃ」
「あ、それは…小さい頃から祖母に躾けられていましたから」
「ほほう、良い家族をお持ちのようじゃな」
「はい! 自慢の祖母です」
 ではこれまでの視線は自分のそういう動作を観察されていてのものだったのか…と桜乃が納得している脇では、真田が自分の事の様に誇らしげに胸を張っていた。
 自分がここまで見込んだ上で好きになった女性なのだ、この程度の賞賛は当然のこと。
 しかし危なげなく身内に紹介出来るというのはなかなか心地良いものだな…と彼が悦に浸っていたところで、佐助の声が割り込んできた。
「桜乃さんはおじさんの何処が良かったの?」
(まだ諦めてなかったのかおのれは…!)
 折角いい雰囲気だったのに…しかももう彼女を名前で呼んでいるし、大体俺などそう呼ぶのにどれだけ時間と覚悟を費やしたか…!!と、途中から逸れた方向に真田が憤ったが、実際、相手が尋ねた内容には自分も少なからず興味が沸いたので、敢えて話の腰は折らなかった。
 何処が良かったのか…自分の何処を相手が気に入ってくれたのか…それは真田という人間でなくても、好きな相手に対してほぼ全ての人間が例外なく思うことだ。
 他の家人もその答えに興味があったのか、同じく沈黙を守る中、桜乃は問うた佐助をきょとんと不思議そうに見遣り、ようやく問われた内容を察して真っ赤になった。
「あ、その…」
「それは興味があるところだ、正直父親である自分から見ても、弦一郎はなかなか他人がとっつきにくい雰囲気があるからね」
 そう父親から言われてしまっては、子供の質問だから…とはぐらかす事も出来ず、桜乃はぽっぽっぽ…と湯気を出しそうな程に赤くなりながら、言葉を探した。
「あの…ぜ、全部…」
「……何か、子供みたいな理由だね」
(お前にだけは言われたくはなかろうに…)
 たかが六歳児のくせに…と思い切り心の中で真田が毒づいている向こうで、佐助から突っ込まれた桜乃は気分を害するでもなくいえいえと笑っていた。
「確かにそうかもですけど、でもやっぱりそうとしか言えないんですよ。優しかったからとか、誠実だったから、とか…理由は色々とあるかもしれませんけど、それだと他にも優しい人や誠実な人は沢山いるじゃないですか」
「ふむ」
 道理な話だ、と祖父が頷いて、話を続ける桜乃は隣の真田を気恥ずかしそうに見上げる。
「だからやっぱり理由は、弦一郎さんが弦一郎さんだったから…もっと優しくて誠実な人がいたとしても、私は弦一郎さんの方が…」
「……」
 身内の前でのノロケは、ある種の精神修養に近いものがある…しかもとびきり上級の。
 慕ってくれる相手が殺人的に可愛くて、身内の前であっても構わず抱き締めてやりたくなる衝動を必死に抑えながら、真田はせめてこれ以上の刺激を避ける為にあさっての方向を向く。
 しかし内心は…
(後で…二人きりの時に、もう一度言ってくれるだろうか…)
と、密かな願望を抱いていたのだが、またしても隣から甥の追撃。
「えー、そうかなぁ。あんまり先に決めちゃうと、後でもっといい人がいた時に後悔しない?」
(その前に、こいつと二人きりになる方が先かもしれんな…)
 当然、愛の語らいをするのではなく、ナシをつけるという意味で…と大人気ない事を真田が企んでいたが、実はその一方で彼は不安を覚えてもいた。
 今の佐助に似た事を、実は自分も考えたこともある。
 桜乃への想いは、自分の年齢に関係なく嘘偽りのないものである事は自信を持って言える…が、果たして自分と恋仲になることは、彼女にとっては良いことなのだろうかと。
 他の女性についてはさっぱりだが、桜乃についてははっきりと言える、これから彼女は更に良い女になっていくだろう、それこそ他の男性が放っておかない程に。
 そうなった時に、彼女は自分と共にある事を後悔したりしないだろうか…?
 軽い女ではない事は分かっているが、相手の魅力を知っているからこそどうしてもその不安は拭えなかった。
 果たして彼女はどう考えているのかと真田が見守る先で、佐助に問われた桜乃は…楽しそうにころころと笑っていた。
 まるで、真田の懸念が取るに足らない些細なものであるかの様に。
「そんなことないよ、佐助君。心からその人を好きになったなら時期は関係ないの。運命の人と早く会えたってことだもの、素敵なことだよ」
「…」
 まだ納得出来ないのか、不可思議な顔をしている佐助だったが、桜乃は絶対の自信があるのか相変わらずにこにこと笑っており、真田はそんな恋人の姿をはっとした表情で見詰めた。
(ああ……ああ、そうか)
 そうだな…確かにその通りだ。
(未熟だな、俺も…相手を信じていると言っておきながら、自分に自信がない事を、時間や彼女の所為にしようとしていた)
 それは、自分自身を誤魔化す子供騙しに過ぎないというのに…今、気付かされた。
 そして気付かせてくれたのが、誰よりも近しくあってほしいと願うお前だった事が、こんなにも嬉しい。
 ようやく、長く抱えていた不安を払拭出来たことで真田が安堵した笑みを浮かべている隣では、その立役者である桜乃が相手の心中を知らないまま、朗らかに微笑んでいた…



「今日はお招き頂いて有難うございました」
「いやいや、お主の人となりも見る事が出来てワシも安堵した。これからも孫を頼むぞ」
「次に来る時までには、着物も仕立て直しておきますからね」
 無事に目通りも済み、真田家での一時を過ごした桜乃は、元の洋服と髪型に戻った姿で彼らに暇を告げていた。
「弦一郎、大事な娘さんなんだから、しっかりと責任をもって送るように」
「はい、父上」
 父親からの指示に頷いて、真田が桜乃を駅まで送るべく一緒に並んでいたところで、佐助がべったりと桜乃にひっついてきた。
「桜乃さん、また一緒に遊んで下さいね」
「うん、いいよ佐助君。またね」
「……」
 何の疑いもなく無邪気にそう答える桜乃の代わりに、真田が無言でぺりっと佐助を彼女から引き剥がし、それから挨拶もそこそこに玄関を抜けていった。
「はっはっは、佐助君も随分とあの娘さんが気に入ったようだね」
「はい…気に入りました」
 真田の父親が闊達に笑って投げかけた言葉に素直に返しながら、佐助はむぅと腕組みをしつつ二人が消えていった玄関先を見つめていた。
(ちょっと手強そうだけど…まだ手遅れじゃないよね)
 甥がまだ諦めずにそんな台詞を心で呟いている頃、真田はずんずんと桜乃を連れて駅へと向かっている最中だった。
「弦一郎さん? 何だか気難しい顔をしていますよ」
「これが地顔だ」
「嘘です、全然違いますよ」
 身内ですら見分ける事が困難な真田の表情をあっさりと看破した桜乃は、そう指摘した後でくすりと笑った。
「…佐助君のことでしょ?」
「え!?」
「お食事が終わって、佐助君が私に一緒に遊ぼうって甘えて来てた時からそんな顔してますよ」
「う…」
 その通り…家族との目通りも済み、後は自室で二人きり、ゆっくり出来るかと期待していたところがあの甥っ子の襲撃に遭い、あえなく真田のささやかな願いは粉々に打ち砕かれてしまったのだった。
 何も言い返せず、真田はバツが悪そうにそっぽを向いたが、それが何より桜乃の指摘を肯定している。
「大丈夫ですよ、佐助君、お姉さんが出来たみたいで甘えているだけです…まだ六歳ですもん」
(年齢で判断しない方がいいと忠告すべきなのだろうか…)
 あいつは絶対に諦めてはいないだろうな…と真田が思っていると、相変わらず彼が機嫌を損ねていると思った少女が苦笑した。
「…ヤキモチですか?」
「…っ」
「私は…嬉しいですけど」
「〜〜〜〜」
 こちらも嬉しいやら気恥ずかしいやらで若者が声を失ってしまっている間に、真田と桜乃は駅へと到着する。
 明日からはまた普段の日常が始まる。
 しかし何となく、今日を境に二人の中ではまた何かが変わりそうな気がしていた。
 真田の家族と会い、交際を認めてもらったという事実がそうさせているのだろう。
「送って頂いて、有難うございました。弦一郎さんも気をつけてお帰りになって下さいね」
「…」
 相手の気遣いに、しかし真田は無言で応え、代わりにそっと右手を彼女の頬に添えた。
「?」
 何…?と彼女が真田へと注目するのと同時に、彼は無防備な桜乃の唇を優しく奪っていた。
「…っ!!」
 あまりに突然の出来事に桜乃が瞳を見開いている間に、真田はもうそれを離していた。
 別に口付けは初めてではなかったが、これまでは必ず…それこそ律儀過ぎるのではないかと思う程に、真田は桜乃に伺いを立てていた。
 恋人なんだから、もう少し砕けてくれても…と思っていたのは事実だが、いざやられてしまうと、これはこれで驚いてしまう。
「…え?」
 どういう風の吹き回しだろうと思っている恋人に、真田はぷいっと顔を背け、明らかに照れている素振りで言った。
「……こ、れぐらい良かろう…俺にヤキモチを焼かせた罰だ」
「!」
「甥っ子を可愛がってくれた事には感謝するが…家族への挨拶も済んだ以上、お前は俺の伴侶も同然。あまり…他の男にいい顔をするな」
「弦一郎さん…」
 照れ臭くて仕方ないのだろうに、それでも必死に独占欲を剥き出しにしてくる真田に、桜乃は嬉しそうに頷いた。
「はい…えと…これからも宜しくお願いします…ね」
「う、うむ」
 そして二人は名残惜しみながらもその場で別れ…桜乃が見えなくなるまで真田は彼女を見送っていた。
「…ふぅ」
 何かと忙しい一日だったが…家族にも気に入られた様だし、取り敢えずは安心だな…
 そう思っていた真田は、それからはた、と何かを思いなおし…
(…兄上には、しっかりと子供の手綱を握っておくよう、言っておくか)
 年下の恋敵に対し早速防衛線を引くべく一計を案じていたが、それが功を奏したかどうかは不明である…





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