「朝がダメなら昼にと思い〜…」
「誘ってみたはいいけれど〜〜、ベンベン」
昼休み…四天宝寺中学校の校庭脇の一画にて、そんな唄が聞こえていた。
唄っているのは、一氏と金色。
二人の視界には、朝の状況と全く同じ…白石と桜乃、そして彼らを中心としたテニス部レギュラーの面々が芝生の上に座っている。
「やっぱりダメだったのねぇ」
「捻りも何もない展開は関西(ココ)では致命的でっせ」
『チッ!』
彼らの突っ込みに、忍足と財前が二人揃って舌打ちをする。
どうやら、彼らは朝に果たせなかった桜乃との逢瀬を昼にも図ったが、見事に兄である白石に先読みされ、撃破されたというところだろう。
「……何で俺らまで呼ばれなあかんのですか?」
「まぁまぁ、面白そうやったけんね。人数は多い方が楽しかとよ…金ちゃんもこっちの方が楽しめるたい」
どうやら他のテニス部メンバーの外野を集めたのは千歳であるらしい。
その彼の隣では、何も知らない様子の遠山が、お弁当箱を嬉しそうに抱えてピクニック気分だった。
「桜乃―! ご飯、一緒に食うで、ご飯!!」
「はいはい」
同学年ではあるが、こうして見ると殆ど姉と弟のノリである。
おかず、わけっこしようわけっこ!と二人が仲良く話している隣では、白石に、財前と忍足が恨みも露に迫っていた。
「ちょっとえこ贔屓が過ぎるんとちゃいますか? 部長」
「俺らはダメで、何で金太郎は桜乃ちゃんの傍におれるんや?」
確かに、兄として、妹の傍に異性が寄るのは不安だろう、その心理は理解出来なくもない…
しかし、それが他の男子全員に共通した対応ならば天晴れだが、白石の鉄の防御は遠山にだけは無効だった。
明らかに兄の視界に入っている筈なのに、今もあの野生児は桜乃にべったりとくっついている。
どういうコトや!と糾弾する二人に、しかし白石はあっさりと達観した表情で断言した。
「何言うとるんや二人とも…金ちゃん見てみい、あの色恋とは銀河系並みに離れた無邪気さ」
ぴ、と親指で白石が指した向こうには、確かに、幼稚園児が遊んでいる様な姿の遠山と、それを甲斐甲斐しく世話している保母さんの様な桜乃。
「…対し、自分ら二人は…」
続けて財前と忍足を指差し、厳しい兄はまるで彼らを『目を合わせてはいけない人種』の様に視線を横に逸らし、ひらひらと手を振った。
「…あからさまな下心ありありで女性に迫る変質者と同じ匂いがするんや。気安く桜乃に近づくなや、しっしっ」
『その鼻すっぱり削ぎ落としたろかい!!』
同じ部員で仲間である自分達を捕まえて何てコトをっ!と二人はそれこそ青筋を立てて部長に迫った…ところで、千歳がさらりと割り込んだ。
「ばってん二人とも、桜乃ちゃんのコト好きなのは認めっちゃろ?」
『うん』
即答し、その直後に彼らはその大胆な告白に今更ながらに気付いて両手を振り回した。
「わーっわーっわーっ!!」
「ちょっ…何カマかけてんっすか千歳先輩っ!!」
ほらやっぱり!!と白石が妹の前で防御壁になりつつ二人を冷たい視線で射抜く。
肝心の桜乃はその時は遠山との会話に集中しており、彼らの告白を聞く事はなかった…幸せだったのか不幸だったのか…
「桜乃は可愛い俺の妹や、絶対にやらへんで。それにまだ恋愛なんて早すぎる」
そう言っている白石の脇では、桜乃に金色が忠告していた。
「シスコンお兄ちゃんはああ言ってるけど、花の命は短いものよ桜乃ちゃん。ガンガン良い恋をしないと」
「はい?」
「おどれは黙って円周率でも数えとればええんやーっ!!」
妹に何を吹き込むか!!と更に白石がヒートアップしたところで、再び千歳が割り込んできた。
どうもこの人物は、騒動を傍観しつつちょっかいを出すのが好きな性分らしい。
「まぁまぁ…あんまり純粋培養もいかんばい、白石。そりゃ悪か奴には近づかせん方が一番ばってんが、ちっとは男に慣れとらんと何かあった時が大変たい」
「男なら、傍に俺がおるやん」
「よく今まで警察にしょっぴかれんやったねー」
はっはっは、と笑ってそう言う千歳は本気なのかそうではないのかどうにも理解しかねる。
「けど、白石の妹言うたら、四天宝寺でも有名やしなぁ。兄はイケメンのスポーツマンで妹は純情可憐な大和撫子…狙うヤツが多いんもしゃあないやろ」
一氏の言葉にけっと白石はやさぐれる。
「狙うなや」
「しかし、そう育てられたのは白石はんでしょう。妹はんより自分の事はどうなんです」
「………」
冷静な石田の一言に、過保護な兄はそっぽを向いて押し黙った。
言われなくても分かっている。
確かに…自分は桜乃を良い女に育て過ぎてしまったかもしれない。
あまりに可愛かったから、兄心が高じてそういう育て方をしてしまい、『つい』自分の理想の女性になる様に教育してその通りになってしまった。
今や、自分自身も『シスコン上等!』と開き直れるぐらいに桜乃に入れ込んでしまっている…お陰で当然彼女ナシ。
「花街で高嶺の女に入れあげて身を持ち崩すタイプやねー」
「ほっといてんか!!」
赤の他人なら、遠慮なくアタック掛けて恋人に出来る…しかし血の繋がった妹ともなれば、確かに手を出す事は叶わない高嶺の花だ。
言いえて妙な揶揄をした千歳に、白石が涙目で声を荒げたところで、ようやく騒ぎに気が付いた桜乃が加わってきた。
「あのう…何のお話ですか?」
「ん? 桜乃ちゃんの理想の恋人について話しとったとよ」
「千歳―っ!!」
そういう話題を妹に振るなと白石が大声で止めたが、相手の台詞を聞いた桜乃はきょとんとして…にっこり笑って即答した。
「…くぅ兄ちゃんが一番ですねぇ」
「桜乃っ!! お前は俺が一生幸せにしたる!!」
おそらくこれ以上はないだろうという程に感動している白石が、がしっと妹の肩を掴んでプロポーズ紛いの大発言。
「もう何処から突っ込んでいいやらなぁ」
「ホントにもう、この人は…」
夫婦漫才担当の二人が呆れかえっているところに、流石にそれはヤバイだろうと財前達が代わりに突っ込む。
「いやいやいやいや!!」
「それはヤバイんとちゃいますか!?」
一歩間違えたら道を踏み外しかねないと慌てる二人に加わり、あーあーと苦笑しながら千歳が桜乃に忠告した。
「桜乃ちゃん…残念ばってんが、実の兄とは恋人にはなれんとよ」
「はぁ…分かってはいますけど…理想はやっぱり」
「しょうがなかねー……ふむ、じゃあ、ちょっと桜乃ちゃんの理想の男性について心理テストばやってみるたい」
「心理テスト…ですか」
そういうのは女子がほぼ例外なく好むものであり、桜乃は興味深そうに相手の言葉に耳を傾けた。
白石は少々不満げだったが、まぁそのぐらいなら…と黙っている。
妹が関われば普段の冷静さを失いがちなこの若者だが、実はそのテストの結果を敢えて聞きだす事によって、彼女に寄って来る男達の危険度を判断する目安にしようと思っていたのだ。
なかなかどうして、動揺している様に見えて結構な策士である。
「じゃあ、俺の質問に幾つか答えっとよ?…えーと、相手の人は白石みたいに優しか方がよか?」
「そうですね」
「成る程、次に……趣味は、白石と同じ様な感じがよかと?」
「ですね、お兄ちゃんと一緒か似ているのなら」
そしてたった二問で千歳が断言。
「よって桜乃ちゃんの理想の男性は立海の幸村精市に…」
『ひ―――――――――っ!!!』
タイプどころか、具体名まで挙げられて、白石だけでなく財前や忍足までもが揃って悲鳴を上げた。
「……ユキムラセイイチ?」
聞いたことない人…と思いつつ、桜乃が首を傾げる。
「誰ですか?」
「誰でもない何でもないっ!! お前はすぐに忘れていいっ!!」
ぶんぶんぶんと激しく首を横に振りながら兄が戒めている向こうでは、忍足達が千歳に食って掛かっていた。
「アホンダラ!! あんな完璧超人紹介されたらこっちが更に茨の道やーっ!!」
「余計な事言わんといて下さいっ!!」
「え〜? 優しくてテニスプレーヤーで植物好きで、白石の趣味とも合うとるたい」
確かに、立海の幸村精市という男性は、全国的にテニス強豪校で有名な学校でテニス部部長を張っているスポーツマンである。
性格は温厚で趣味は園芸と、千歳の言葉に嘘偽りは無い…が、だからこそ他の男達はそれを受諾する事は出来なかった。
「自分はもう一切余計なコトは言うな!! 桜乃の相手は、俺が認めたヤツじゃなきゃ許さん!!」
「おおう、おとろしか(恐ろしい)ね〜〜〜…けど、許さんっても…」
うーんと悩みながら千歳は白石に探りを入れる。
「白石が許せる相手なんて、桜乃ちゃんをめっちゃくちゃ大事にしてとことん甘やかすぐらいの奴じゃなかと?」
「当然」
「何でもかんでも望みを叶えてくれるぐらいの甲斐性があって?」
「そうやな」
「桜乃ちゃんみたいなか弱い女性をバッチリ完璧にエスコート出来るぐらいの男性」
「まぁな…そんなヤツそう簡単におるワケないけど?」
おるワケない、と言いながら何処か嬉しそうな白石だったが、千歳はそんな彼の言葉をあっさりと打ち砕いた。
「そういう訳で、白石が希望する桜乃ちゃんのお相手は氷帝の跡部景吾…と」
『ぎゃああああああああ!!!!!』
「…アトベケイゴ?」
またよく知らない名前…と桜乃が再び首を傾げている向こうでは、白石が真っ青になっていた。
「それだけはアカン!! あんなナニワのおばちゃんのヒョウ柄よりも遥かにド派手な奴、まともに付き合うたらコッチが目ぇ潰してまうわーっ!!」
「ばってん金はあるとよ…幸い今は向こうもフリーばい」
「自分、ホンマに中学生なんか〜〜〜〜っ!?」
ぎゃんぎゃんと賑やかで、とても輪に入り込めそうにない状況だったので、桜乃は取り敢えず隣でご飯をかっこんでいた遠山に尋ねた。
「…派手なんですか?」
「知らん」
「ふぅん…」
そして今度は、同じく達観している石田に尋ねる。
「…お兄ちゃん、その人達が嫌いなんでしょうか?」
「むう…嫌いと言うよりも…どちらもかなりのテニスの強者ですからな。気合を入れんとこっちが食われてまうのは間違いないでしょう。双方とも、そんな学校の部長であれば警戒するのは当然で」
(ナイス、石田)
(こういう時に、こういうキャラってホント助かるのよねぇ)
一氏と金色がこっそりと頷きあう。
ずれた回答だったが、これ程までに上手く誤魔化せた回答も無かっただろう。
「まぁ、そんなに…お兄ちゃんがそこまで評価している人達なんですか…」
そして桜乃は、そんな回答を受けて多少ズレながらも明らかにその見た事が無い相手達に興味を持っていた。
(お兄ちゃんとまともにテニスで戦える人達なんだ…ユキムラユキムラユキムラ…アトベアトベアトベ…)
何度か、魔法の呪文の様に聞いた二人の名前を復唱し…
(うん、覚えた!)
その名をしっかりと記憶した桜乃だった……
「ああもう…今日はやたらとしんどい一日やったわ…」
「うふふ、お疲れ様、お兄ちゃん」
帰宅後、白石はぐったりとテーブルに突っ伏して疲労困憊の様子で、そんな兄に笑いながら桜乃はさっきから彼の肩を揉んでやっている。
テニス練習で酷使した腕を、少しでも早く癒してやろうという優しい妹の心配りだ。
「桜乃…明日からは金ちゃんの声がしてもすぐにドア開けたらあかんで」
「何で?」
「何ででも! ええな? 絶対にその前に俺を呼べよ」
「? うん…」
「ったく、ホンマにもう…」
はーやれやれ、と溜息をつきながら白石がぐに、と顔を上げて手を伸ばしたのは、一冊のファイル。
それを開くと、そこには部活のメンバーの詳細なデータと一緒に、全国的にテニスで有名な学校についての情報が挟まれていた。
これからの自分達、四天宝寺の快進撃を全国に見せ付ける為にも重要なアイテムだ。
「テニス?」
「ああ、何をするにしろ、基本は重要やからな」
それが自分のテニススタイルにもなっている白石は、先程までの疲労した表情から一変、至極真面目な表情でそれを眺めていた。
それは優しい兄ではなく、四天宝寺のテニス部を牽引する部長『白石蔵ノ介』の顔だった。
(…コートじゃない場所でも、お兄ちゃんのこういう顔を見られるのは、妹の特権ね)
役得役得…と実はとても気に入っている兄の部長としての顔をこそりと横から眺めながら、桜乃は相手の腕を揉みつつ、ふとそのファイルへと視線を動かした。
幾つも幾つも、自分の知らない名前の学校がある。
青学…氷帝…立海……
(あ…ヒョウテイ…リッカイ…ふぅん、こういう字なんだ)
もしかして例の二人の事も分かりはしないかと思ったが、残念ながらそこのファイルの中には写真関係は含まれておらず、桜乃の好奇心が満たされる事はなかった。
「立海は間違いなく来る……けど、俺が興味あるんは、青学、やな…」
あの学校に、今年入ったという一年生ルーキー…かなりのやり手だと噂が流れている。
こんな時期にもうこの関西まで…並の実力ではないだろう。
(ま、ウチにも一年ルーキーなら負けへん奴がおるけどなぁ)
金ちゃんと張れるぐらいのヤツなら大したもんや…
そんな事を思いながら不敵な笑みを唇に刻んでいた白石に、不意に腕のマッサージを止めて妹が尋ねてきた。
「くぅ兄ちゃん…四天宝寺、勝てるよね?」
「ん? おお、当たり前や。俺らのモットーは勝ったモン勝ちや」
勝負に絶対はない以上、その言葉にも確たるものはない。
自信はあっても絶対というものは存在しないのだ、安請け合いなど出来るものではない。
しかし、今のこの場所は部員達がいるコートではなく、妹しかいない家のリビングだ、これぐらいの発言は許されるだろう。
「何や、信じてへんの?」
逆にそう問い返した兄に、桜乃は少しだけ慌てて首を横に振った。
「し、信じてるよう、お兄ちゃん、凄く強いもん! どんな相手でも負けないよね?」
「ま、そのつもりやねんけどな」
「大きな大会に行っても、私、一緒に行ってお兄ちゃん達のこと、一生懸命応援するからね!」
「よっしゃよっしゃ」
思い切り兄の幸せを噛み締めていた白石だったのだが、桜乃はそんな兄に無邪気に言った。
「それに、お兄ちゃんと互角の試合が出来る人達も見てみたいもん! ええとぉ、氷帝のアトベさんでしょ? 立海のユキムラさんでしょ?……そう言えば、お兄ちゃんの気にしている青学って学校には、どんな強い人がいるの?」
「…………」
途端に甦る昼休みの悪夢…
まぁ、仮に彼女が大会のある関東に行ったとしても、必ずしも奴らの目に留まるなんてコトはそうそうないだろうし、目に留まったからといって、自分が懸念するような話になる事もそうないだろう。
しかし! しかしだ!!
世の中には…そう、絶対というものはない。
何処に神の悪戯…もとい罠が仕掛けられているのかは誰にも分からない。
そして、何より桜乃は、自分の最も大切で可愛い自慢の妹なのだ。
万に一つでも、狼達の中に放り込む様な危険に晒すわけにはいかない!!
「…そっ……そう、やな……まぁ今はまだ言えん、けど…」
「楽しみー」
無邪気に笑う妹を誤魔化しながら、白石は四天宝寺が無事に全国大会に駒を進めた場合、どうやってこの妹を応援に『行かせない』ようにするか、試合の作戦以上に必死に知恵を巡らせていた……
了
前へ
Field編トップへ
サイトトップヘ