厄介な病・2
当日の夕方…
「あ〜〜〜、感想文やっと終わった〜〜」
「お疲れさん、金ちゃん」
「うう…まだ数学も英語もあんねん…山嵐でプリントみんな飛ばしたい…」
白石を除いた四天宝寺のレギュラー達は、遠山の補習と図書館での宿題消化の一日を終えて、全員仲良く帰路につこうとしていた。
補習に参加しているのは遠山ぐらいだが、他のメンバー達も夏の大会が終わるまでは宿題など手につける暇もなかったので、ようやく時間が出来た今、出来なかった分を取り返していたのだった。
一人でやるよりは全員でやった方が効率は上がるだろうという事もあったが、元々仲が良い彼らなので、こういう時は自然と全員が集まることが殆どだったのだが…
「結局、白石君は来なかったわねぇ…電話も無かったし」
「まぁしゃあないやろ。大事に大事にしとる桜乃ちゃんがあんな事になってしまったんやからなぁ」
金色の台詞に、相棒の一氏が首を横に振りながら答える。
本当は自分達と同じく勉強会に参加する筈だった白石は、ずっと姿を見せる事はなかった。
理由を知っているからこそ向こうの心情を考え、余計な連絡は入れていなかったのだが、勉強会も終わり、後は帰るだけ…というところに来て、何気なく財前が一つの提案を行った。
「もう一回、白石部長の家に寄りませんか? 多分、桜乃ちゃんの看病で家にはいてはるでしょうし、本人には会えないまでもお見舞いって事で…」
「おお、そうやな」
「白石はもう宿題は済ませとるって言うとったけん、そっちは安心してよかけどね。不幸中の幸いたい」
忍足と千歳が賛同の意を述べている隣で、珍しく力なくとぼとぼと歩いていた遠山が愚痴を零した。
「白石ずるーい…ワイがこんなに苦しんでんのに〜〜」
「遠山はん、それはずるいんやのうて、白石はんが偉いんです」
「う〜〜…」
石田からびしっと鋭く突っ込まれ、更にかっくりと肩を落としながら遠山は唸っている。
余程、図書館での勉強会はこの野生児にとっては拷問だったらしい。
取り敢えず、見舞いの品物のリクエストを聞くついでに向こうの都合も尋ねてみようと、千歳が代表して白石の携帯に掛けてみた。
数回目のコールの後で、目当ての部長が電話に応じた。
『…もしもし?』
随分と気の抜けた…魂が抜けた様な声だった。
「おう、白石、大丈夫ね? 桜乃ちゃん、少しは熱は下がったと?」
『あ…千歳か?』
「ああ…今、勉強会が終わったとこたい。良かったらもう一度家に見舞いに行こうって皆で話しとったとばってん、よかね? 何か欲しかもんがあったら、買うてくばい?」
『ああ…いや、その…』
力のない声のまま、白石は妙に歯切れの悪い返事を返す。
『気持は嬉しいんやけど…俺ら今、家にはいてへんのや…桜乃、入院してん』
「入院!?」
思わず叫んだ千歳の台詞に、ざわっと周囲のメンバーが顔色を青くして集まった。
どうした事だと携帯から漏れる向こうの音声を必死に聞き取ろうとする彼らと一緒に、千歳も少なからず動揺して相手に確認する。
「何ね、桜乃ちゃん、病気悪化したと!? あんまま家に帰るって言うとったもね!?」
どうして自分達にも教えなかったのか…いや、教えてくれたところで医者でもない自分達が出来る事など何もないが、それでも相手の傍で励ましてやることぐらい出来た筈だ。
彼らのそんな友情に則った非難を感じたのか、白石は電話口で慌てているのだろう口調で断ってきた。
『い、いや、別に悪化したってことやなくてやな…! その…俺がどうにも不安で頼み込んで…』
「……まぁ、悪化したっじゃなかならよか。兎に角、病院ば教えんね、今から行くけん」
状況がどうあれ、入院してしまったと聞いた以上は、見舞いには顔を出さなければならないだろう。
千歳のそんな意志を込めた目配せには、全員例外なくそうだなと頷いた。
『…いや〜…それがその…』
「?…あ、もしかして、感染予防で面会謝絶、とか…?」
どうにも切れが悪い相手の反応に、言いづらい事でもあるのかと千歳が先回りで確認したが、向こうから返って来たのは予想だにしていなかった答えだった。
『いやいや……今、俺ら東京におるんや。簡単にそっちから見舞いに行ける距離じゃ…』
『はあ!!??』
千歳だけでなく、周囲で聞き耳を立てていた他のメンバーも声を上げる。
「ええなーええなーっ!! 白石ばっかり〜〜〜〜っ!!」
「金ちゃん、静かに!」
「ななな、何でいきなりそんなグローバルな話にっ!?」
疑問に思うのは尤もであり、混乱の中にあった彼らに、白石は跡部に連絡した後、桜乃が彼の財閥に関連した医療機関に収容された事実をかいつまんで説明した。
『そんな訳で…』
『アホか自分―!!』
説明を終えた部長に、容赦なく全員がツッコミを入れる。
繰り返すが、一応、彼が部長である。
「入院するならするで、何で関西の病院にせんのや!?」
「大体、あのド派手部長さんに頼んで、フツーの対応してくれる訳ないでしょ!?」
忍足や財前の訴えに、向こうから白石の必死の反論が聞こえてきた。
『しょーがないやんかー!! そんな事言うなら自分らも一度病院の玄関先で待っとって、医療用ヘリが目の前に降りてきて、中から宇宙服みたいなん着た奴らがぞろぞろ走って来て、妹ベッドごと攫ってく現場に立ち会ってみたらええんや!! こっちはもう慌てるやら恥ずかしいやら訳分からんやらで付いていくのが精一杯やったわ!! おまけに今はどっかのホテルの超豪華スイート並の病室に入れられて患者の家族って気分さえも木端微塵やし、ああ六畳一間が懐かしい――――っ!!』
「…白石君、もしかしてノイローゼ?」
「アイツの方が診てもらったがええんとちゃうか?」
途中から魂の叫びに変わっていった白石の主張に、携帯を手にしていた千歳が、最早諦めの境地ではいはいと頷いた。
「ああ…跡部の俺様攻撃の洗礼ば受けたとね…ご愁傷様ばい…じゃあ、桜乃ちゃんが退院するまでは白石もそっちやね」
『ああ…両親は仕事やし、俺が夏休みで一番自由が利く。幸い、跡部が俺の分の部屋も準備してくれたし…』
「そうか…ならこっちはこっちで上手くやっとくばい」
「白石―っ! お土産〜〜〜っ!」
取り敢えずそこで一旦通話を切り、千歳が携帯を持つ手を下へと下ろした。
「…俺、もうあの病院行けんわ…如何にボケツッコミに寛容な関西でも…」
白石が言っていた様なレベル5張りの感染予防チームが特攻かましたとしたら、最初に同伴していた自分達もどんな風に思われているんだか…と忍足があらぬ方角を見遣り、財前も無言で数回頷いた。
「でも良いわねぇ、跡部クンのお招きならきっとゴージャスな場所で治療してもらえるんじゃない? お料理も美味しくてふかふかのベッドで…夢みたいなお姫様生活よねぇ〜v 甲斐性のあるオトコってス・テ・キv」
「浮気か小春―!!」
金色と一氏の夫婦漫才を聞いていた遠山が目をキラキラさせてよだれを流しているのは、決して小春と同じ趣味、嗜好という訳ではなく、台詞の中のお料理とベッドに魅力を感じていたからだ。
「……まぁしょうがなか。桜乃ちゃんの病気ば治してくれっとが最優先やけんね」
人道的立場に立って千歳がそう結論付ける脇では、遠山が不安そうに眉をひそめてぶつぶつと呟いていた。
「白石、ちゃんと土産買うてきてくれるかなぁ…」
「うーん、桜乃ちゃんが完治したらその余裕も生まれると思うけど…」
「治ったら治ったで、勝手にハッスルして妹との東京見物だけ堪能して、手ぶらで帰ってきそうやなぁ」
何はともあれ跡部のお抱えの医療チームが味方についたとあれば、もう桜乃の心配は要らないだろうと判断した男達は、今度は別の心配事で円陣を組んで長い事談義していた。
「桜乃、気分はどうや?」
「くぅ兄ちゃん…」
千歳との会話を済ませ、桜乃がいる病室に入りながら声を掛けると、向こうから小さな返事が返ってきた。
「ちょっとは楽になったか? あまり辛かったら、いつでもお兄ちゃんに言うんやで?」
「……お兄ちゃん」
「ん?」
かたん…と椅子を引いて白石が枕元に座るのを待ってから、桜乃は恐る恐る相手に尋ねた。
「私……死んじゃうの?」
がたっ!!!!
思わぬ質問に派手に椅子からすっ転びそうになりながらも、白石は何とか持ち堪え、逆に相手に涙目で迫った。
「なに不吉なコト言うとんのや! 桜乃が死んだらおにーちゃんは何を生き甲斐にしていけばーっ!!」
いついかなる時も紛うことなきシスコンである事を証明した兄に、桜乃はそれでも不安を露にした表情で返す。
「だってだってー! ここって私なんかが入っていいような場所じゃないんだもん!!」
「…へ?」
「ウチみたいなエベレストオブ庶民の娘が、こんな豪華な特室に入るなんて、ただのインフルエンザならあり得ない話じゃない。ウチの家計とか考えてもどうやりくりしたってこんな部屋に入れる余裕なんてない筈だし…きっとみんな私にはナイショにしてるけど、本当はインフルエンザじゃなくて性質の悪い不治の病で、だから最後の思い出作りにここに入れたんじゃないかって…」
「おとんがおらんでホンマに良かったわ…」
娘からこれだけ手厳しいことを言われたら、普通の世の親なら落ち込むこと間違いなし。
しかもそれが間違っていないこともまた追い討ちをかけるだろう。
「あのなぁ桜乃、自分はほんまに大した病気やないって、ドラマの見すぎや。最初の病院で言われた通りのインフルエンザなんやから、薬飲んでちゃんと寝とけばええんやで」
「…じゃあ」
むぅ、と少女は唇を尖らせながら思案する。
「家で寝てたら良かったのに、わざわざヘリコプターまで使ってここに来た必要性は…」
「ええ、お兄ちゃんがバカでした」
本当は自分だって関西の病院を指定していた筈なのに…と白石は相手から敢えて視線を逸らしたが、こうなってはもう遅い。
あの時は妹の一大事にテンパっていたが、よくよく考えてみたらあの天下の俺様男が相手の都合をそこまで考えてくれる訳もなかったのだ。
まぁ、最先端の医療技術を備えているという条件で探してくれたのがここだという話でもあるので、全くこちらの意図を無視しているという訳でもない、確かにその方が身内としては安心だ。
しかし…しかし、だ。
(…ホンマに落ち着かんわ、この内装…)
どっか外国の五つ星ホテルのスイートルームかよ…とツッコミを入れたくなる程に、その『病室』は豪華絢爛だった。
桜乃が先ほど言った『特室』というものは、確かに世の病院では普通にあるものだ。
通常の個室よりも空間が広く、お風呂やトイレも完備されており、家族や来客が過ごしやすい環境となっている。
勿論部屋が広いということは入院している患者本人にとってもストレスが少なく、更に特室の場合は、患者の食事が少しだけだがゴージャスになることが一番大きな利点かもしれない。
それにしても。
天井を見上げたら、由緒正しいクリスタル細工の老舗から取り寄せたのではないかと疑う程に立派なシャンデリア。
全体の造りはロココ調で壁に掛けられている幾つかの絵画は素人目にもかなりの値打もの。
部屋は床体操でも出来るんじゃないかと疑う程に広く、ソファーなどの調度品も一級品、窓から眺める景色は大パノラマで下方の街を一望出来る日当りのいい間取り。
お風呂はジェットバスで常に使用できる状態な上に使用しているのは何処かの名湯。
ベッドから見ることが出来る位置に設置されている液晶テレビは、どう見ても五十型は超えている。
「…今まで生きてきた中で一番豪華だった料理が病院食ってどうなのかなぁ…」
兄のおおよその思考を読んだらしい妹がしんみりと呟き、相手がうんうんと同意の意味で頷く。
「俺も背筋伸ばして食ったわ、あまりの緊張と美味さに…」
ここに運ばれてきて、先ずは何を置いても桜乃の精密検査が最優先で行われた。
そこで最終的に、やはり病名はインフルエンザだという事で落ち着き、彼女は跡部が融通した部屋で加療を受けることになったのだ。
加療と言っても、定期的な内服と日に数回行われる女性医療スタッフによる診察と問診を除けば、後は静かに安静にしているぐらいなのだが。
肌を露出する診察時を除いては、白石が基本桜乃の付添いとなり、彼は彼女がいる病室の隣に同じく豪華な部屋を割り当てられることになった…が、おそらく夜の就寝時以外で使用される事は殆どないだろう。
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